Neetel Inside 文芸新都
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 兵達の間で、休戦協定が結ばれようとしているという噂が流れていた。この噂の真偽の程は分からないが、現状を見れば信憑性はあると言って良いだろう。対陣中でありながら、ぶつかり合いが全く無いのである。というのも、官軍側に動きが無いのだ。ならば、こちらから攻めれば良いと思うのだが、レンは敵の守りが堅いとして、無闇には仕掛けられない、と言っていた。
 しかし、それが理由だとしても、全く攻めないというのは、どこかおかしいという気がする。ミュルスの方も、戦線を堅持するだけに留まっているのだ。これについては、攻めの要である獅子軍が動けないからだ、という話らしいが、それならそれで援軍を送れば良いのではないか。
 もし本当に休戦協定が結ばれる事となれば、獅子軍の兵達は何を想うのか。将軍であるシーザーを失った獅子軍は、すでに次の戦へと気持ちを昂ぶらせているはずだ。特にニールはそうだろう。しかし、休戦が決まってしまえば、一気に興が削がれる事になる。
 ただ、とにかく今は対陣だけで戦がなかった。戦がなければ、余計な事を考える時間も増える。それで兵達が勝手な事を思い付き、勝手な噂を流した、という事も有り得るだろう。
 余計な事を考える、というのは俺も例外ではなかった。レンに一度、かなり厳しく叱られた事について、色々と考えてしまうのだ。リブロフを深追いして、独りで戦った事である。その時は、さすがにリブロフを討てる、とまでは思わなかったが、適当に暴れて抜け出る事は難しくない、と思った。それで実際にやってみせたのだが、レンにはあまり良く思われなかったらしく、叱責されたのである。
 正直、あの時は俺も叱責される事については納得が出来ていなかった。何か言い返そうと思ったが、反論は許されず、そればかりか殴り飛ばされてしまったのだ。
 その時のレンの怒りは、命令違反についてだった。確かにあの時、レンは敵陣突破の指示を出していた。つまり、離脱である。それを俺は独りで敵と向かい合ったのだ。そう考えれば、レンの怒りも分かる気がした。
 しかし、俺自身はまだやれる、と思ったのだ。あまりこういう事までは考えたくなかったのだが、レンの指揮は丁寧すぎるという気がする。優等生っぽいというか、欠点は無いが、特筆すべき美点も無い。そういう指揮なのだ。良く言い換えれば万能という事だが、俺にとってはこれがどうしても物足りない。
 だが、この事は考えた所でどうしようもないだろう。スズメバチ隊の総隊長はレンであり、レンの指揮が全てなのだ。その指揮が嫌ならば、あとは部隊を変えるしかない。しかし、スズメバチ隊以外の部隊に魅力を感じるのかと言うと、そうでもないのだ。あえて言うなら、バロンの弓騎兵隊だが、俺は弓術が得意ではない。
 人というのは不思議なもので、こういう事が一度でも気になると、尾を引いて気になり続ける。それまでは、レンの指揮は絶対なものだと思えていたのだ。
 レンに呼び出されたのは、そういう心境の時だった。
「兄上、俺に話があるというのは?」
 幕舎の中である。珍しく、副官のジャミルが居ない。兵達の間を回って、士気を保とうとしているのだろう。ジャミルは、兵から人気のある将校だった。
「あぁ。まだ、これは誰にも言っていないのだが」
「はい」
「シンロウが、獅子軍に行く事になった。将軍としてな。つまり、シーザー殿の後任だ」
「それは」
 上手く言葉が出なかった。あのシーザーの後任である。さらに言えば、レンと同じ将軍格という事だ。これは、大抜擢である。スズメバチ隊の指揮官として実戦を重ね、軍功を上げた事が認められたのだろう。それにシンロウは、元は獅子軍の兵だったと言っていた。つまり、古巣に帰るという事になる。
「何故、その事を俺に? まだ誰にも言っていないのでしょう」
「シンロウの後任に、お前を据えようと思っているのだ、シオン」
 俺を小隊長にあげる。レンは、そう言っていた。しかし、命令違反の件があるはずだ。
「兄上、俺は命令違反を犯しましたが」
「分かっているさ。だが、それ以上にお前は前線で他の兵を鼓舞していた。軍というのは、指揮官以外にも中心となり得る者が出てくる事がある。お前の場合は卓越した武で敵を蹴散らし、味方を知らない内に率いている。これは、指揮官としての資質の一つだ」
「そうなのでしょうか。自覚はありませんが」
「言われて気付くという事が多い。それに、命令違反の件は、一度の過ちだと俺は思っているよ。とにかく、お前を兵卒のままにしておく訳にはいかないのだ。これはジャミルも同意見だ」
 そう言って、レンが俺をジッと見つめる。その視線がどことなく不安を煽ってきたので、俺は思わず目を逸らした。
 小隊長に上がるのは、悪くはない。レンの言った事が関係しているかは分からないが、今のまま兵卒で居るより、ずっと力も発揮できるという気がする。しかし、それでも結局はレンの指揮下である事は変わらない。これが、どうしても引っ掛かる。
「嫌なのか、シオン?」
 怪訝な表情を浮かべながら、レンが言った。レンは、あの叱責について、どう思っているのだろうか。命令違反のくだりを聞く限り、もう済んだ事だという風に捉えていて、俺のようにあれこれと考えてはいないかもしれない。
「いえ、そういう訳ではありませんが」
「不満があるなら、言ってくれ。出来る限り、善処する」
 言われて、俺は俯くしかなかった。指揮が物足りない、など言えるはずもない。それに、俺は兵卒なのだ。兵卒が将軍に対して、指揮に意見して良いのか。
「まぁ、この場で結論を出せとは言わん。あくまで、計画レベルの話だからな。しかし、シンロウの獅子軍行きは決定だ」
 獅子軍の新生は揺るがないという事だった。ならば、今後の戦運びはどうなるのか。
「兄上、兵達の間で、停戦協定が結ばれようとしているという噂が流れています」
「その事か。どこから漏れたのかは分からないが、本当の話だよ」
「そうですか」
 レンがあっさり喋ったという事は、もうかなりの所まで話が進んでいるのだろう。となれば、ニールは悔しい思いをする事になる。父を失ったのに、その仇討ちが出来ないのだ。
「シオン、もう一度だけ言うが、不満があるなら言ってくれ。でないと、俺も改善できないからな」
「はい」
 返事はしたが、それ以上は何も言えなかった。レンの鋭さに対して、ちょっと苦笑いしただけだ。

       

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