Neetel Inside 文芸新都
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 僕は宰相府に居た。メッサーナ軍との戦に敗れ、一度はミュルスに戻ったのだが、新宰相であるウィンセに呼ばれたのだ。敗戦の責を問われるのだ、と思ったが、今の所はそんな感じは見受けられない。ウィンセとの面談がまだというのもあるが、扱いが客人のそれと大差ないのだ。
 僕としては、早くミュルスに戻りたかった。メッサーナ軍が、ミュルス近郊の砦で身構えている。シーザーを討ち取ったとは言え、攻め込んでくる可能性は十分にあるだろう。
 シーザーを討ったあの戦は、僕の予想を何度も超えた。頭で思い描く通りにいかない。これが、当たり前だったと言って良い。特に落石でシーザーを討ち漏らした時は、完全な敗北を覚悟したものだ。獅子軍の底力を、肌で感じたのである。
 しかし、咄嗟にシーザーだけは討とう、と思った。むしろ、討てると確信した。いや、確信したと言えるのは、討った後だからだろう。あの時は、とにかく討つしかない、と考えただけだったのだ。それで僕は、門で待機していた弓兵を総動員し、シーザーだけに的を絞らせた。
 結果、シーザーだけは討てた。それでメッサーナ軍の勢いが弱まった、という所は確実にある。しかし、砦を奪われた。戦略面で言えば、これは痛手である。メッサーナがミュルスに王手をかけたという事に繋がるからだ。代わりにシーザーを討ったとは言え、地理と人では話が違ってくる。
 それにメッサーナに人が居ない訳ではないだろう。レキサスなどは、メッサーナは後進が育っていない、と言っているが、それでもゼロではないのだ。
「ノエル殿、宰相室にどうぞ」
 僕を呼びに来たのは、ウィンセの従者らしき男だった。
 ウィンセについては、あまり詳しくない。地方に居ると、都の事はどこか上の空のようになってしまう。これは、政治が別々に為されているからだ。地方は地方であり、都は都なのである。つまり、政治体系が分離していて、一つにまとまっていない。
 今の国の状態で、メッサーナに対抗できる訳がなかった。メッサーナの政治は、ピドナが中心ではあるものの、本質は一つにまとまっている。北の大地も、かつての本拠地であったメッサーナも、政治はピドナと連動していて、乱れも皆無なのだ。
 ウィンセは、この部分を改善する気があるのか。少なくとも、前宰相のフランツは改善しようとはしていた。しかし、地方の役人は腐っていて、上手くはいかなかったようだった。ウィンセは、このフランツの弟子だという。
 宰相室の前まで誘導され、従者が扉を開けた。そのまま、部屋の中に通される。
「ノエルです。ウィンセ宰相」
 拝礼して、僕は顔をあげた。ウィンセと目が合う。それで、この男は意外に若いのだ、と思った。まだ五十にもなっていないだろう。
「国の宰相が若いので、どこか不安になったか?」
 皮肉めいた笑みを浮かべながら、ウィンセが言った。どうやら、表情に出ていたらしい。しかし、それを読み取った辺り、鋭いモノも持っている。
「今まで、多くの者がお前と同じような表情を浮かべただけだ。私に鋭さは無いよ。経験をきちんと自分のモノにしているだけだ」
 言われて、僕は苦笑するしかなかった。さすがに、その若さで国の宰相を担うだけの事はある。
「シーザーを討ったそうだな、ノエル」
「はい。しかし、天佑(思いがけない幸運の意)でした」
「それは違う。お前の知略での成果だ。まだ私が若い頃、シーザーとやり合ったが、わき腹を突くのがせいぜいだったな」
 聞いて、ウィンセは昔は軍人だったのだ、と思った。
「お前がシーザーを討ってくれたおかげで、いくらか状況は好転しようとしているのだ」
「どういう事でしょうか?」
「メッサーナとの戦を、やめようと思っている。期限付きだがな。お前を呼び出したのは、この件について意見を聞くためだ」
 休戦、という事なのか。ただ、ウィンセの口調から察するに、もうほぼ決まっている事なのだろうと思えた。ならば、僕に何を聞こうというのか。
「休戦を持ち出してきたのは、メッサーナからだ。ただし、条件があった。この条件について、押し合いが続いている。そして、お互いにこれ以上は譲歩できない、という所まで煮詰めた」
「その条件とは、戦線の事でしょうか?」
「そうだ。我々が提示した条件は、メッサーナがアビスから軍を退く事。そして、メッサーナ側の条件は、ミュルス近郊の砦より前面に軍を常駐させる事だ」
 言われて、僕は唸った。メッサーナの条件を飲んでしまえば、ミュルスは常に戦の危険に晒される事になる。それに常駐となれば、軍事拠点を新たに作られてしまうだろう。
「私が聞きたいのは、メッサーナからミュルスを守れるか? という事だ。ミュルスは知っての通り、物流の最重要拠点だ。ここを奪われると、国は倒れる。つまり、自壊する」
「期限の話はどうなるのでしょう?」
「ノエル、古来より同盟だとか休戦の協定というのは、当たり前のように破られ続けている。だから、信用できん」
 言い換えれば、自分達も破る可能性がある。ウィンセは、何となくそう言っているような気がする。そしておそらくだが、今回の協定は、両国が無傷で軍を引き上げる為の口実という面が強い。
「守れるかどうかは、正直な所、分かりません。とにかく、今は都と地方で格差がありすぎます。軍一つを取ってみても、都はほぼ全てが精強ですが、地方はそうではありません。そして、メッサーナ軍は精強です。そもそもで、それでは条件が悪すぎませんか? 少なくとも平等ではありません」
「当たり前だ。我々はフランツ、レオンハルトと二人の英傑を一度に失ったばかりか、砦さえも奪われているのだ。また、国内が乱れているせいで、軍を戦線に置き続ける事も難しい。一方、メッサーナにはそういった枷が無い。もっと言えば、アビスから軍を退かせる事が出来るのも、シーザーを討って獅子軍の機能を奪った事から起因している」
 正論だった。今の国は、戦ができる状態ではない。それ所か、戦線を維持しているだけでも驚愕すべき事だろう。
 それにウィンセの口調からは、何か必死さに似たようなものがにじみ出ていた。それだけ苦労しているという事なのか。交渉事というのは、時にハッタリが重要になる。アビスから軍を退かせる、という一点の獲得だけでも、何枚ものハッタリを噛ませたのかもしれない。
 ハッタリを噛ませているのなら、急がねばならない。看破されれば、それはそのまま弱味に直結するからだ。
「都からの援助は期待できるのでしょうか? というより、地方と都で分離している時ではないでしょう」
「無論だ。そして、今後はそういった面を主に改善していかなければならん。師とは別のやり方にはなるだろうが」
 そう言ったウィンセは、口元だけに笑みを浮かべていた。表情には、自信が見える。
「分かりました。いずれにしろ、僕からは守り抜くという回答をするしかありませんでしたが」
「苦労をかけるな。本来ならば、レキサスに話を通すべきなのだろうが、軍人に話せる内容ではなかった」
 ウィンセは、軍人を信用していないのだろう。確かに軍人の多くは、単純に戦をやりたがる、という気質がある。だから、休戦という話はしにくい。しかし、レキサスは違う。軍人でありながら、その視野は多面的なのだ。
「ウィンセ宰相、レキサス将軍はそういう人ではありませんよ」
 僕がそう言うと、ウィンセは僅かに目を丸くした。
「そうか。それならば、会ってみたいな」
 そう言ったウィンセに、僕は一度だけ頭を下げた。

       

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