Neetel Inside 文芸新都
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 父の霊廟の前で、私は祈りを捧げていた。生前、父が住んでいた館とは正反対の質素な霊廟である。これが父の遺志なのかは分からないが、この霊廟は父の性格を表しているのだ、と思えた。戦が好きで、武を重んじる。父は、そんな人間だった。
 思い返せば、私は親孝行を何一つとしていない。与えられる愛情には憎しみで返すばかりか、自らに溺れて不必要な程、奔放に振る舞った。そんな私は、父の目にどう映ったのか。父だけじゃない。フランツやエルマン、フォーレにどう映ったのだろうか。
 父に対して、どうしてもっと上手く振る舞えなかったのか。親子という間柄でありながら、その心中は敵として見なしていた。父を負かしてやる。超えてやる。私の中にあった父への感情は、そういったもので溢れていたのだ。
 間違いなく、私は父を意識していた。そして、おそらく尊敬もしていた。だが、これらが分かったのは、父が死んでからだった。失って初めて、私はその事に気付いたのである。
「父上、私は貴方を超える事が出来そうにありません。少なくとも、生涯無敗は無理でしょう。すでに私は、ロアーヌに負けています。そして、貴方にも」
 父は逝く間際に、儂を超えてみせよ、と言ったらしい。しかし、これは比較という意味ではなく、レオンハルトという名の壁を超えろ、という意味なのかもしれない。すなわち、私は長い道のりの上で、レオンハルトの壁を前に立ち止まっている。それも、長い間。だから、私は壁を乗り越え、ハルトレインという一人の男として、進まなければならない。
 私は常に誰かと競っていた。競う事で自分を確認し、勝つ事で自分を保った。しかし、そうやって作り上げた自分は、ひどく薄っぺらい存在に過ぎなかったのではないか。確かに国を守る、という意志はある。だが、それは父ほどに、フランツほどに強烈なものなのか。自分が戦い続けるための、口実程度のものになっているのではないか。
 もう誰かと競う事はやめるべきだ。そんな事に大した意味はない。真に大事なのは、自らに志を宿す事だ。それも偽りが混じったものや薄弱なものではなく、自らを保つ程の強烈さを持ったものでなければならない。
 打倒メッサーナ。それが父を失って、私が得た答えだった。レオンハルトの息子としてではない。ハルトレインという一人の男として、私は打倒メッサーナという志を掲げるのだ。
 この答えに行き着くのに、ひどく時間が掛かった。おそらく、生前の父は私をここまで成長させたかったのだろう。そのために、様々な苦言も呈した。そして、出世もさせなかった。それが父の死を経て。これはもはや、皮肉ですらない。
「私は愚かな息子です、父上。六人兄弟で一番、才の華を持っていると言われた私が、最も愚かでした。父上が御存命であられていた間、この答えに行き着けなかったのは、まさに愚かであったとしか言えません」
 後悔が無い訳ではない。しかし、過去には戻れないのだ。ならば、もう進むしかない。父も、それを望んでいるという気がする。
 私は立ち上がり、父の霊廟をあとにした。ここに来るのは、これで最後になるかもしれない。
 父が死んで、国とメッサーナは休戦状態になっていた。期限は三年とされているが、これが全うされるかどうかは分からない。背信行為というのは、いつどんな時でも起こり得るものだ。だから、国境では緊張感が保たれ続ける事になるだろう。
 そして、問題なのは軍権の所在だった。今は新宰相であるウィンセに渡っており、これについては言及しなければならない。打倒メッサーナは、軍権なくして達成できないからだ。だが、今の軍のトップはエルマンである。次点がレキサスであり、今の私は大勢いる将軍の内の一人に過ぎない。そんな人間が声をあげた所で、すぐに揉み消されるのは目に見えているだろう。
 だから、まずは軍内でトップに上り詰める事だった。そして、軍人としての質も磨き上げる必要がある。名ばかりの軍のトップなど、無価値なのだ。
 私は、自分の中である決断を下していた。それは、地方軍への異動を申し入れる事である。今、私は都の軍、つまりは旧レオンハルト軍に所属しており、これは地位という意味で安泰を意味している。だが、その最上位に座するのはエルマンであり、エルマンもこの地位を譲るという気はないだろう。エルマン自身に野心はないが、譲り得る者が居ないのだ。そして、私も今の状態で譲れ、という気は毛頭ない。
 今、国とメッサーナは休戦している。すなわち、戦がない。これは軍人にしてみれば、あまり歓迎できる事ではない。将兵は実戦から遠ざかり、戦の勘が鈍る。つまり、軍の弱体は免れないのだ。
 だが、国は少し事情が違う。南に異民族という名の敵を抱えているからだ。私が狙いを付けたのは、この南だった。南方の雄と呼ばれた、あのサウスが居た地である。
「エルマン殿、よろしいですか」
 軍務室の扉の前で、私は言った。
「ハルトレインか。良いぞ、入ってくれ」
 扉の向こうからの声を聞いて、私は部屋に入った。
 エルマンは具足姿で椅子に座っていた。さっきまで、調練をやっていたのだろう。
「レオンハルト大将軍の死、やはり悔やまれるな」
「仕方ありません。父も高齢でしたから」
 私がそう言うと、エルマンは目を伏せた。長らく、父の副官をやっていた。それで、何か想う所があるのかもしれない。
「エルマン殿、今日はご相談があって参りました」
「聞こう」
「私を地方軍に回して頂きたい」
 エルマンが、はっきりと表情を変えた。何を言っている、という顔をしている。
「本気か?」
「はい」
「何故だ?」
「打倒メッサーナのため」
「ハルトレイン、分かっていると思うが、地方軍はまだまだ非力だ。レキサスが赴任して、かなりまともにはなったがな。それに地方軍に入るという事は、レキサスの下に付くという事にもなる」
「全て承知の上です」
 エルマンの言った事は、すでに考え抜いた事だった。非力な地方軍に行って、本当に意味があるのか。レキサスの下に付く事によって、レオンハルトの血が汚れないか。そういった事を考えた上で、今回の決断に至ったのだ。
「地方軍に行って、どうする? お前はレオンハルト大将軍の息子だぞ」
「南で戦います。エルマン殿は、南方の雄であるサウスをご存知でしょう」
「知っている。しかし、サウスは叩き上げの将軍だった」
「温室育ちの私に、南は無理だと言われているのですね」
「そうではない。今の南は、サウスが居た頃とは情勢が大きく変わっている。地方軍が弱体化したせいで、昔のように戦の恐怖で支配しているのではなく、異民族とは金で懐柔しているような状況なのだ」
 それも知っていた。生前のサウスがこの事を聞けば、まさに怒り狂うだろう。
「それに、異民族の戦は厳しいぞ。メッサーナ軍のそれとは、全く異質なものだ。サウスだからこそ、あそこまで戦えたとも言える」
「全て承知の上です、エルマン殿」
 私がそう言うと、エルマンはただ唸るだけだった。こうも賛成されないものかと思ったが、それほど南は厄介な地という事なのだろう。もしくは、私がエルマンに信頼されていないのか。しかし、だからこそ南で戦う意味がある。
「レキサスに会ってこい。レキサスが頷けば、私も許可を出すしかあるまい」
 しばらくして、エルマンはそう言った。レキサスの判断に委ねる。つまりは、そういう事だ。
「分かりました。ありがとうございます」
 そう言って、私は一礼だけして部屋を出た。
 打倒メッサーナのために、私は南に行く。そのためなら、レキサスに頭を下げる事も厭わない。私はそう思っていた。

       

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