Neetel Inside 文芸新都
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 砦を構築するメッサーナを、私は黙って見ているしかなかった。本来なら、すぐにでも軍を出して妨害してやりたい所だが、停戦協定が結ばれてしまっているのだ。これを破るという事は、すなわち民を再び戦に巻き込むという事に他ならない。
 停戦協定そのものは、決して悪い事ではなかった。期限付きとは言え、戦が無くなるのは民にとって喜ばしい事だろう。だが、その期限が終わればどうなるのか。このミュルスは、すぐさま戦火に覆われてしまうのではないか。メッサーナが、前線に砦を構築するという事は、ミュルスに対する野心があるという事だ。そうなれば、やはり戦うしか道はないのか。戦わずして、手を取り合う方法はないのか。
 少なくとも、国とメッサーナという単位で考えれば、相容れる事はないだろう。互いに掲げているものが違うし、目指す所も違うからだ。だが、ミュルスとして考えればどうなのか。いや、私自身はどうなのか。相容れるという部分では、まだはっきりとした答えは出ないが、目指す所はすでに定まっていた。それは太平の世である。すなわち、乱世の終焉、天下統一だった。
 もっと深く掘り下げれば、天下統一するのは国であろうがメッサーナであろうが、どちらでも良い。正確には仁政を敷く方が勝つべきだが、そんな事は今の段階では分からないだろう。未来の事など、誰にも分かりはしないのだ。今はメッサーナの仁政が目立つが、バロンの死後はどうなるか分からない。そして、ヨハンが死んだ後、今の仁政を維持できるのか。
 これまで、多くの人間がメッサーナに希望を抱いて、国を捨てた。ロアーヌやシグナスといった武人がそうだし、ランスやヨハンといった為政者もそうだ。そして、建国の英雄の血筋であるバロンでさえも、メッサーナに希望を見出した。
 何故、そんな行動を取るのか。私には、それがどうしても理解できなかった。確かに大義や志というものはあるだろう。だが、それらは全て民を苦しめるだけではないのか。反乱を興せば、戦が起きる。戦が起きれば、田畑は焼かれる。若い男は兵役で取られ、最悪の場合は命まで取られる。つまり、天下が次々に疲弊していく。
 特に今後は、それが顕著になっていくだろう。メッサーナは国を興し、天下統一に躍起であるし、対する国も、レオンハルトとフランツという英傑二人を失って尚、メッサーナを迎え撃つ気骨を見せているのだ。
 乱世の終焉は、未だ見えない。天下の趨勢も、どちらに傾いているか分からない。まだまだ、戦の世は続く。今回の停戦協定は、いわば嵐の前の静けさといった所なのかもしれない。
「レキサス将軍、例の件ですが」
 ノエルだった。例の件というのは、ハルトレインの事である。何があったかは知らないが、地方軍への異動を希望してきているのだ。エルマンからも書簡が来ていて、かなり本気だという事も分かっている。
「どうするべきかな。そろそろ到着する頃だが、私としては身中に虎を飼うようなもので、あまり歓迎できるものではないと考えている」
「僕も同感ですね。ハルトレインの軍才は、扱いきれるものではありません。もしや、レキサス将軍の地位を強奪するつもりなのではないでしょうか」
 ノエルは冗談で言ったつもりだろうが、私は笑えなかった。十二分に有り得る事なのだ。と言うより、それ以外にハルトレインが地方軍にやってくる理由がない。都の軍から地方軍に異動というのは、左遷と同じようなものなのだ。ハルトレインは、自らそれを望んで来ている。だから、何らかの目的があると考えて然るべきだった。
 そうこうしている内に、ハルトレイン到着の報が入った。同時に、軍営全体に僅かな緊張が走る。あのレオンハルトの息子である。いわば、軍人のエリートなのだ。
「レキサス将軍、お久しぶりです」
 私の眼前まで来て拝礼し、ハルトレインはそう言った。そんなハルトレインに、私は面食らっていた。拝礼されるなど、思ってもみなかったのだ。
「顔をあげてください、ハルトレイン殿。貴方はレオンハルト大将軍の御子息であられる」
 私がそう言うと、ハルトレインはゆっくりと顔をあげた。眼が合う。その瞬間、私は気圧されるような感覚に陥った。どことなく、雰囲気が違う。風格があると言えば良いのか。レオンハルトも似たようなものを感じさせていたが、ハルトレインの方が勢いのようなものがある。
 私の隣に居るノエルが、唾を飲み込んでいた。ノエルは私よりもずっと鋭い。だから、私以上に何かを感じ取ったのだろう。
「レキサス将軍、エルマン殿から大体の話は聞いていると思います」
「地方軍への異動を希望されているとか」
「その通りです。そして、私を南に回して頂きたい」
 南。ハルトレインは南と言った。しかし、その理由がわからない。眼を見て何かを探ろうと思ったが、ただ澄んでいるだけで、不純な色はなかった。やはり、以前のハルトレインとはどこか違う。
「ハルトレイン将軍」
 急にノエルが口を開いた。顔を見たいと思ったが、私の目はハルトレインに向けられたまま、動かなかった。
「南は異民族が闊歩する土地。かつてはサウス将軍が治めていましたが、今は」
「知っていますよ、ノエル殿」
「では、何故」
「打倒メッサーナのため。もっと言えば、軍権を得るためです」
 はっきりと言った。しかし、不思議と野心は感じさせない。眼が澄んでいる。私の知るハルトレインの眼は、もっと憎悪のようなものが入り混じっていた。
 自らの処遇に不満を抱き、周囲の者達を敵とみなす。以前のハルトレインは、そういう男だった。だからこそ、危険だったのだ。敵、味方という区別がなく、自分の存在だけが絶対だった。肉親であるレオンハルトでさえ、敵視していた節もある。
 しかし、今のハルトレインは違うという気がする。その身に纏っている風格は、清廉なものさえ感じさせるのだ。
「軍権ならば、今のエルマン将軍から受け継げば良いのではありませんか?」
「その軍権に意味はありませんよ、ノエル殿」
 意味がない。つまりは、価値がないという事なのか。確かに、今のハルトレインの立ち位置で軍権を得ても、周囲からは親の七光りだと馬鹿にされるのがオチだろう。いや、そもそもで軍権を得ようとした時点で、決して良いようにはならない。現状では、単純に権力を欲している、という風にしか見えないからだ。そうなれば、エルマンも意固地になってくる。
 しかし、南で実績を上げたらどうなのか。ハルトレインの狙いは、この辺りにあるという気がする。わざわざ、地方軍に異動という道を選んだのは、ある種の覚悟のようなものだろう。つまり、自らを奮い立たせた。
 やはり、以前のハルトレインとは違う。甘さがない。そして何より、眼に不純な色がないのだ。今のハルトレインは、周囲に牙を剥く虎ではなく、誇り高き武神の子なのかもしれない。
「良いでしょう、ハルトレイン殿。地方軍に歓迎します」
 決断すると同時に、私は言っていた。
「レキサス将軍」
 ノエルだった。口調にたしなめる色が混じっていたが、無視した。
「ちょうど、南には戦える将軍が居なかった。そこに赴任して頂けるのなら、私も助かります」
「ありがとうございます」
 そう言って、ハルトレインは頭を下げた。
 今の南は、異民族と金で懐柔、と言えば聞こえは良いが、実質はその横暴を見過ごしているのが現状である。おかげで南は飛び抜けて治安が悪い。民の間では、人が住む地域ではない、とまで言われているのだ。これを打破するには、やはりサウスの頃と同じように戦で思い知らせてやるしかない。ただし、それが出来ればの話である。
 ハルトレインに、その可能性があるのか。いや、可能性を見出したからこそ、私も地方軍に招き入れた。
「では、私はこれで。急ぎ、この事をエルマン殿に伝えなければなりませんので」
「分かりました。帰りの道中、お気を付けて」
 私がそう言うと、ハルトレインは僅かに頷き、去って行った。
「何故です、レキサス将軍。虎を飼い慣らせると思っているのですか」
 しばらくしてから、ノエルはそう言った。
「あれは虎じゃないぞ。武神の子だ。まだ、赤子のようなものかもしれんが、武神の子だ」
 ハルトレインは、乱世を終焉へと導く存在になるかもしれない。武神の子が大きくなり、真の武神となり得た時、それは実現するような気がする。しかし、まだ小さい。小さいが、その存在を示した。私は、そう思っていた。

       

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