Neetel Inside 文芸新都
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 息を切らしていた。エレナの家の前である。ここまで、ずっと走ってきたのだ。エレナの家は牧場を営んでいて、遠くの方からは馬のいななきが聞こえていた。
 俺は息を整えてから、訪いを入れた。親が出てきたら何と言うか、と思ったが、正直にエレナに会いに来た、と言えば良いと思い直した。
「遅いですよ、シオンさん」
 出てきたのは、エレナだった。やはり美しい。それで、俺は間違いなく惚れているのだ、と思った。しかし、エレナは横を向いている。表情も硬く、怒っているようにしかみえない。
「あの」
「レンさんは、もう姉さんを三回も連れだしてるのに」
 それを聞いて、俺は言葉を失った。初めて知ったのだ。いつの間に、レンはそんなに動いていたのか。いや、レンはモニカを嫁にすると言っていた。だから、交遊に誘うのは当然の事なのだろう。それなのに、俺は。
 そう考えると、どんなに弁明をしても、ただの言い訳にしか聞こえないだろう、と思った。
「申し訳ございません」
「それで、今日は何の用ですか?」
 素直に謝ったが、エレナの口調はとげとげしい。しかし、俺は怯まなかった。エレナの顔をじっと見る。
「君に会いにきた」
「どうして?」
「えっ」
「どうして、私に会いにきたのですか?」
「いや、あの、会いたかったんだ。君に」
「レンさんは、姉さんの事が好きだから会いに来たって言ってました」
「えっ」
 俺はそれを聞いて、再び言葉を失った。次いで、焦りなのか、怒りなのか、よく分からない感情が自分の中で渦巻き始める。レンは、俺の数歩先を行っていた。それに比べて俺は、惚れた女一人にすら、自分の気持ちを伝える事が出来ていない。
 沈黙だった。俺は顔を下に向け、地面を見るばかりである。恥ずかしさと情けなさで、まともにエレナの顔が見れなかった。
「それで、どうするのですか?」
 しばらくして、エレナが言った。それで、俺は顔をあげた。
「あぁ、その、エレナは自然は好きか?」
「はい?」
「自然が好きなら、タフターン山に良い渓流があるんだ。そこが凄く綺麗で」
 俺が言い終える前に、エレナはクスクスと笑い始めた。その姿を見て、俺は困惑していた。何か変な事を言ってしまったのかもしれない。
「ごめんなさい。女性を誘うというのは、どこかご飯でも食べに行くというのが常識だと思ってました」
「えっ。それはすまない。その、俺はそういう経験がないから」
「大丈夫、私もです。それに自然、好きですよ。でないと、牧場主の娘なんて務まりません」
 言って、エレナの表情が和らぐ。それを見て、俺は心の底から安堵した。
「良かったぁ、そうか。それに、本当に綺麗なんだ。是非、見て欲しい」
「分かりました。でも、どうやって行くのですか? ここから、タフターン山まで距離がありますよ」
「あぁ、それはもちろん馬で。あっ」
 言って気付いたが、俺の馬は軍用馬だった。エレナにはまだ、俺が軍人だという事を伝えていない。いや、それよりもエレナは女である。馬に乗れるのか。
 そんな事を考えていると、またエレナがクスクスと笑い始めていた。
「大丈夫、確かに私は女ですけど、馬には乗れます。牧場主の娘ですもの。シオンさんにも馬を貸しますわ」
 軍用馬がある。そう言いそうになったが、俺は口を噤んだ。ピドナまで馬を取りに帰る時間が勿体ない。少しでも、エレナと一緒に居たいのだ。
「ありがとう。そうして貰えると助かる」
 そう言って、俺は頭を下げた。心地良い風が、俺の頬を撫でる。
 タフターン山までは、一駆けだった。エレナの手綱捌きは見事なもので、本当に馬に乗れるのだ、と俺は驚いた。自分の目で見るまでは、ちょっと信じられなかったのだ。
 山に入ってから渓流までは、馬から降りて進んだ。その渓流はスズメバチ隊の調練の時に見つけたもので、本当は馬に乗っても行けるのだが、道が険しい。さすがにエレナの手綱捌きでも、馬に乗ったままでは厳しいだろう。ただ、馬から降りて歩くと、かなり楽になるのだ。
「わぁ、涼しい」
 渓流に到着して、エレナは声をあげた。
「川の流れのせいなのか、ここは山の中でも気温が低いらしい」
 そう言いながら、俺は縄で馬を繋ぐ。ふと川に目をやると、太陽光が反射して水面がきらめいていた。周囲では、鳥のさえずりが聞こえている。
 俺はさりげなく、エレナの横に行き、腰を下ろした。
「エレナは本当に馬に乗れるのだな」
「はい。でも、シオンさんもでしょう? それにたぶん、私よりも上手く乗れると思いますわ」
「さて、それはどうかな」
「馬を見ると分かります。あの子、楽しんで走っていましたもの」
「エレナは、馬の心が分かるのか?」
 俺がそう言うと、エレナはただ微笑むだけだった。
「あ、あれを見てください」
 不意に、エレナが川の向こう岸の方を指差した。そこに目をやると、小さな鳥が大きな石の上に止まっているのが見えた。青い鳥、カワセミである。
「綺麗ですね。太陽の光が反射して、まるで宝石みたい」
「あれはカワセミだな。別名で青い宝石とも呼ばれているらしい」
 カワセミは小刻みに首を振って、水面に目を凝らしていた。これから、狩りをするのだろう。
 そう思った次の瞬間、カワセミは勢い良く水の中に飛び込んだ。直後、魚をクチバシで捕え、水中から飛び出す。そして、元の石の上に戻った。
 その動きを見て、俺は何か頭の奥が疼くような感覚に襲われた。あの動き、何かある。いや、何かの動きと重なる。
「シオンさん、さっきの見ましたか? 水の中に飛び込んで、魚を捕えましたよ」
 横でエレナが言う。俺は、ジッとカワセミに目を凝らしていた。
 飛ぶ。青い宝石が、再び空中を舞った。その姿が何かと重なる。戦場でのスズメバチ隊。瞬間、ハッとした。カワセミ。スズメバチ隊。いや、俺の部隊。
 水面の上を滑るようにカワセミが飛翔する。水面は原野。次の瞬間、カワセミは高く飛び上がった。同時に俺は、食い入るように目を凝らした。水。飛び込む。刹那、カワセミは魚をクチバシで捕え、水から飛び出した。この一連の動きは、まさに一瞬だった。カワセミと魚。俺の部隊と敵将。頭の中で置き換える。
 俺は立ち上がっていた。
 あの動きを、部隊編成に活かせないか。すなわち、攻撃重視という方向性をそのままに、将だけを狙い撃ちにするという部隊。単純な攻撃重視となれば、これは獅子軍と特性が重複する。しかし、攻撃重視ではなく、敵将狙いの部隊ならばどうなのか。
 今のスズメバチ隊は万能でありながら、ここ一番の押しが足りない。だからこそ、俺も攻撃重視に目を向けたのだ。しかし、足りないのは攻撃力ではなく、決め手だ。そして、これを補える部隊は、今のところは皆無である。つまりこれは、メッサーナ軍の唯一の不足部分とも言える。その不足を補う部隊を作り上げれば。
 あのカワセミの動きを、戦場で実践できないか。水面を原野。魚を敵将。そして、カワセミを俺の部隊とする。実際には、敵と味方が入り混じるため、そのまま置き換えてのイメージは難しい。現実的に考えるとすれば、スズメバチ隊で敵軍を乱し、俺の部隊で敵将をピンポイントで刈り取る、という所か。
 いや、そもそも、ロアーヌが生きていた頃のスズメバチ隊は、単体でこれをやっていたのではないか。だからこそ、天下最強の騎馬隊と称されていたのではないか。
 昔のスズメバチ隊にあって、今のスズメバチ隊に無いもの。そして、俺が抱いている想い。これらを繋ぎ合わせていくと、次々に構想が生まれてくる。
「シオンさん、聞いてますか?」
「えっ」
 ビクッとした。慌てて横を向くと、エレナが眉間に皺を寄せている。
「聞いてなかったのですね」
「え、いや、申し訳ない。カワセミがスズメバチ隊で、俺はカワセミを」
「何を訳の分からない事を言っているのです」
 エレナが顔を横に向けた。同時に冷や汗。どうしよう。そう思ったが、何も頭に浮かんでこない。
 その時、背後の馬が急に暴れ出した。しかも、普通の暴れ方ではない。何かに驚いている。いや、逃げ出そうとしているのだ。
「どうしたのかしら?」
 エレナが困惑した表情で、馬の方に駆け寄っていく。次の瞬間、悲鳴があがった。エレナの悲鳴である。
「シ、シオンさん」
 エレナが這うようにして、俺の方に戻ってくる。俺はジッと、前だけを見つめていた。有り得ない程の殺気が、俺の全身を打ってきたのだ。
「方天画戟、持ってくれば良かった」
 熊だった。大人の男二人から三人ほどの体格か。とにかく、巨熊だった。
 今回ばかりは、さすがに駄目かもしれない。

       

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Neetsha