Neetel Inside 文芸新都
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剣と槍。受け継ぐは大志
第二章 国と王

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 アビス原野での敗戦から三年。メッサーナは、国と小競り合いを続けていた。コモン関所を境に、小さな戦が頻発している。コモンの守りはクライヴに任せており、今の所は問題なかった。
 アビスの敗戦は、凄惨なものだった。戦の内容だけを見れば、ほぼ互角だったと言っていいのかもしれない。ただ、互角だったのはロアーヌが率いるスズメバチ隊だけだった。いや、スズメバチ隊は互角以上の戦いをやった。それ以外の軍は、レオンハルトの軍より劣っていたと言わざるを得ないだろう。それは、私の弓騎兵も例外ではなかった。
 あの戦で、メッサーナは国力を激烈に消耗することになった。同時にナゼール丘陵、バレンヌ草原でも戦を展開していたのだ。この二戦場の戦況は、まずまずのものだったという。やはり、レオンハルトが直接出てきたアビス原野が、最も苦しい戦いになった。
 決定的だったのは、スズメバチ隊の旗が倒れた瞬間だった。その瞬間、全軍の士気が一気に下がったのだ。そこからは、敵の猛攻をどう凌ぐか、という一点に尽きた。そして、戦い続ける事は不可能に近い、という所まで追い込まれて、私は全軍退却の号令を出した。
 追撃はなかった。コモンまで押し上がってくるだろう、と予想していたが、私がコモンに退却を終えた頃には、レオンハルトは軍を引かせていた。
 レオンハルトは、深手を負っていたのだった。左腕を斬り飛ばされ、一時は生死の境を彷徨ったらしい。もう七十を越そうかという老人である。戦の前線に立つだけでなく、馬に乗って武器も振るった。本人の知らない所で、命を削っていたのだろう。左腕を無くした事で、それが一気に表面化したのかもしれない。
 だが、生き残った。以前のような壮健さはすでにない、という噂だが、生き残ったのだ。
 そして、ロアーヌは死んだ。あのロアーヌが、戦場で死んだのだ。
 ロアーヌの死を直接見た者は、メッサーナには誰一人として居ない。ロアーヌは、最後の一騎だったのだ。
 スズメバチ隊は、ほぼ壊滅状態だった。生き残ったのは僅かに百八十名のみで、残りの者は全て戦死である。特に、ロアーヌ自身が率いた一番隊に至っては、全員が討死だった。今は、生き残りをジャミルという者が統括しているが、百八十名では、軍とは呼べなかった。小隊のような扱いで、あれから実戦もやっていない。
 今のスズメバチ隊は、首魁を欠いている。ロアーヌという名の絶対的首魁に代わるものが、今のスズメバチ隊にはないのだ。ジャミルは良い指揮を執るし、本人もそこそこに腕は立つ。だが、それだけだ。つまり、隊長の器ではないのだ。
 ロアーヌの代わりが務まるとしたら、それはレンしか居ない。私は、そう思っていた。
 だが、レンは、戦で左眼を失っていた。
 最初は、日常生活すらままならなかった。当然、槍の組み手など出来るわけもない。距離感が掴めないのだ。そして、視界の左半分が死角となっているために、そこに打ち込まれると手も足も出ないようだった。
 私を含めた周りの者は、レンが潰れるのではないか、と心配で仕方が無かった。シグナス、ロアーヌという二人の父を失い、さらには左眼も失った。最悪、死を考えてもおかしくない。だから、私達も世話を焼いた。だが、今考えれば、これは必要ない事だった、という気がする。
 レンは腐らなかったのだ。それ所か、こうなったのは意味がある、と言い、今までの二倍も三倍も調練を積んだ。その成果もあってか、敗戦から一年が経つ頃には日常生活を不自由なくこなすようになり、槍の組み手もできるようになっていた。いや、むしろ、以前よりも強くなったかもしれない。
 壮絶な訓練をしたのだろう。従者のランドも、レンは眠る時間が極端に短い、とよく言っていたものだった。闇の中で、何時間も座禅を組んだまま動かない、という事を毎日やっていたらしいのだ。しかも、その状態でどんな僅かな気配をも感じ取ったという。
 心気の統一だった。ある時、レンは眼で見るよりも気で感じ取るようにした、と言っていた。これは弓にも言える事で、言葉で表すのは難しい事だが、大まかに言ってしまえば、見えないものが見えるのだ。それに向かって矢を放てば、絶対に外す事はない。レンは、日常レベルでこれをやっている、という事なのだろう。
 そのレンに、スズメバチ隊の指揮を任せよう、と思っていた矢先の事だった。レンは、旅に出たい、と私に申し出てきた。
 理由を聞くと、レンは、戦う理由を見つけるためだ、とだけ答えた。眼には、決意の炎が宿っていた。これ以上の事を聞いても無駄だ、と考えた私は、成長して帰ってこい、とだけ言った。おそらく、ロアーヌも同じようにしただろう。
 レンが不在の間、ジャミルがスズメバチ隊を預かる、という事になったが、帰還したレンが、スズメバチ隊に戻るかどうかはまだ分からない。
 レンが旅に出て一年になるが、未だに国との決着はついていない。それ所か、国同士としての競り合いは激しくなりつつある。現に、国は軍を強化し始めているのだ。それと同時に、格差の広がりは以前よりも目立ちを見せていた。すなわち、都と地方の貧富の差である。それは民も、軍も同じだった。
 政治を主導する者、あるいは、軍を主導する者が変わろうとしているのかもしれない。政治はフランツが、軍はレオンハルトが権力を握っているが、二人とも老齢である。
 そして、メッサーナの統治者であるランスも、老境と呼ばれる所に入っていた。私はピドナに居て、ランスはメッサーナに居るが、最近は病気がちだという。アビス原野での敗戦が、さすがに応えたのだろう。ロアーヌを失った事も、身体に響いたのかもしれない。
「あなた、マルクとグレイがようやく寝付きました」
 カタリナが傍にきて、穏やかな口調で言った。
 ピドナで、妻にした女だった。カタリナとは、激しい恋をしたわけでもなく、淡々と自然な感じで夫婦になった。見た目は際立って美しいというわけではないが、一緒に居て疲れない。料理も上手く、気立ても良かった。
 マルクとグレイは、そんなカタリナとの間に出来た子である。二人とも男児で、周りからは父親に似て鼻梁のしっかりした美男に育ちそうだ、と持てはやされていた。二人とも、まだ赤子だった。
「レン君は、今頃どうしているのでしょうね」
 カタリナが言った。ロウソクの火を、見つめている。
「分からん。連絡が来ないからな」
 レンは、カタリナによく懐いていた。母親、というより、姉のような存在だったのだ。カタリナは、私よりもずっと年下で、まだ二十代だった。
「あの子は、人を惹きつける強烈な何かを持っている、という気がします。だから、友人をたくさん作って帰ってくるのでは、と思っているのですけど」
「それだけじゃない。レンは大きくなって帰ってくる。私が想像するよりも、ずっとだ」
 言って、外の方に目をやった。風で木の葉が舞っている。
 これから冬か。私は、そう思っていた。

       

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