Neetel Inside 文芸新都
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 兵たちは緊張しているようだった。無理もない。これから、あのスズメバチ隊と模擬戦をしなければならないのだ。かつて、自分達が所属していた部隊である事から、兵たちには馴染みがあるはずだが、離れて相対すると途端に畏怖に似た感情を持つ。スズメバチ隊は、そういう部隊だった。
 しかし、俺の熊殺し隊はスズメバチ隊の血を受け継いでいる。だから、戦って勝てないという事はないはずだ。模擬戦をやるのは今回が初だが、気後れなどはない。調練の段階では、指揮は上手くやれていたのだ。兵に至っては、すでに完成していると言っても良い。ただ、実際に軍と軍がぶつかり合った時にどうなるかは分からない。つまり、この辺りは未知数である。
 模擬戦はレンからの誘いだった。スズメバチ隊の調整に付き合ってくれ、と言われたのだ。レンは他の部隊ともしきりに模擬戦をやっているが、その部隊の特性から、どうしても大軍相手という内容になる事が多い。もっと言えば、少数精鋭の部隊はスズメバチ隊以外に無いため、大軍相手の模擬戦しか選択肢が無いのだ。だが、俺の熊殺し隊ならば、その選択肢から外れることになる。レンは、この辺りに目を付けたのだろう。
 俺は、向かい側に居るレンの方に馬を走らせた。誘いを受けたとは言え、模擬戦をやる前に挨拶は済ませておきたい。
「兄上」
 俺がそう声を掛けると、レンも馬を寄せてきた。
「緊張はないか? シオン」
「はい。初の模擬戦の相手がスズメバチ隊とは、少しばかり荷が重いですが」
「何を言ってる。お前の部隊名は熊殺し隊だろう? スズメバチなんぞ、屁でもないと思うがな」
 そう言って、レンが意地悪そうな笑みを浮かべる。だが、部隊名で何か言われることは、覚悟していた事だった。他にも部隊名と具足のちぐはぐなど、からかわれる要素は多い。
「スズメバチ隊は、実際に相対してみて、その怖さが分かります。兵などはすでに萎縮してしまって」
「無理に謙遜するな。俺も熊殺し隊の名の由来は分かっているつもりだ」
「はぁ」
「熊は蜂の巣を荒らす。その熊を殺してしまうのだから、俺のスズメバチ隊なんぞ、ひねり潰されるに違いない」
 そう言われて、俺は返答に窮していた。対するレンは、白い歯を見せて笑っている。してやったり、という顔である。
 気づくと、俺は笑って誤魔化していた。
「それにシオン、お前も巷では熊殺しなんてあだ名が付けられているぞ」
「俺も困っているのですよ、兄上」
「まぁ、確かにお前なら、熊も殺しかねん。諦めるんだな、熊殺し」
 そう言って、レンが声をあげて笑う。このからかいの執拗さは何なのだろうか。もしかしたら、レンは俺のあだ名が気に食わないのかもしれない。
「とにかく、その名に恥じない戦をしてみせますよ」
「あぁ、楽しみにしている」
 そう言ったレンを背に、俺は自陣に駆け戻った。
「お前達、この模擬戦は負けられないぞ」
 兵たちに向かって、俺はそれだけを言った。レンの言葉を気にしているわけではないが、少し馬鹿にされ過ぎている。こうなれば、意地ぐらいは見せておきたい。
 隊形を組んで、前方を見据えていた。やはり、不思議と緊張はない。むしろ、後ろの兵たちの方が緊張しているようだ。
 角笛。開戦の合図。聞こえると同時に、俺は駆けていた。後ろの兵たちも、しっかりと付いてくる。対するレンは、並足といった具合でゆったりとした動きだった。多少、それが不気味だが、迷わず仕掛けるべきだろう。
「武器を構えろっ」
 声をあげ、俺自身も方天画戟を構えた。スズメバチ隊。尚も動きはゆったりだ。俺の熊殺し隊は、すでに全速である。このまま、突っ込む。兵たちの表情に、すでに緊張はない。この辺りは、さすがだった。
 眼前。スズメバチ隊。瞬間、気炎が立ち上った。思うと同時に、身体の一部をもぎ取られた。いや、部隊の一部だ。百ほどの兵が脱落している。何が起きたのか。
 いや、突っ切られたのだ。こちらの突撃に合わせて、突っ切られた。だが、どうやって。というより、鮮やか過ぎる。スズメバチ隊は一人の兵も脱落していないのだ。
 先頭に居る俺が、指揮官が、状況を把握できていなかった。だから、兵たちは、もっと訳の分からない事になっているに違いない。冷静になれ。そう自分に言い聞かせた。
 スズメバチ隊が激しく駆け回っている。さっきまでのゆったりした動きが嘘のような、激烈な動きである。なんだ、あの動きは。原野を自在に。
「シオン隊長、指示を出してくださいっ」
 後方から叫び声。それで、俺もハッとした。すぐに手綱を握り締め、全速で駆ける。瞬間、スズメバチ隊の動きが、さらに激烈になった。攻撃を仕掛けたいが、速い。とてつもなく、速い。追い付くだけでも、いや、追いつけてすらいない。
 緩急が凄まじいのだ。力を抜くところ、入れるところを熟知している。それに加えて、戦場の使い方が抜群に上手い。限られた場所の中で、最大限に力を発揮している。しかし、分かるのはそこまでだ。細かい所までは掴めない。
 スズメバチ隊が反転してくる。向き合う形になった。今度こそ。
「やり合うぞ、武器を」
 構えろ。そう言う暇もなかった。スズメバチ隊は瞬間的に突っ込む角度を変え、横っ腹を貫いてきたのだ。無抵抗で、兵が次々に脱落していく。
 直角で、直角で曲がってきた。いや、スズメバチ隊だから当たり前の事だ。
 とにかく速い。俺は原野を駆け回っているだけだ。攻撃も防御も、何一つとして出来ていない。どうすれば良い。
 スズメバチ隊が乱舞する。兵が次々に削り取られる。反撃したいが、すでにそこに姿は無い。そう思ったら、別の角度から突っ込んでくる。
 これが天下最強の騎馬隊なのか。天下に畏怖され、歴史上最強と称された騎馬隊なのか。
「シオン隊長っ」
 兵たちが悲鳴に近い声をあげている。しかし、どうすれば良いのか分からないのだ。速い。速すぎる。
「俺達はスズメバチ隊の血脈でしょうっ」
 瞬間、心臓の鼓動が鳴った。そうだ。元は同じスズメバチ隊なのだ。
「レン狙いでいくっ」
 決めた。そして、それしかないと悟った。このために、調練も重ねてきたのだ。
 突撃隊形を組んだ。同時に奔る。スズメバチ隊。気炎。向かってきた。
 腹の底から声を出した。スズメバチ隊が角度を変えてくる。それが、見えた。いや、予測した。懸命に馬首を巡らせ、食いつく。動けた。ようやく、まともに動けた。
「突っ込めぇっ」
 方天画戟を振り上げ、次々に兵を突き落とす。レンが見えた。馬を前に。思うと同時に、レンも出てきた。
「シオン、あえて乗ってやるっ」
 レンの闘志。槍に乗っている。
 ぶつかる。技の応酬。火花が散り、気が四散した。三秒、五秒。時間が経過していく。
 レンの槍。かわす。その瞬間、身体のそこら中に鈍痛が走った。
「お前の負けだ、シオン」
 静かにレンが言った。槍を収め、俺に背を向ける。俺は目を見開き、その姿を見ていた。いや、そうする事しか出来なかった。
 俺は、討たれていた。鈍痛の正体は、スズメバチ隊の兵たちの一撃だったのだ。
「兄上」
「弱すぎる。はっきり言ってやるが、弱すぎる。メッサーナ軍で、お前の部隊は最弱だ。その程度では、官軍に一撃を与えられるかどうかだろう」
 そう言われて、俺はうつむくしかなかった。反論のしようがない。相手がスズメバチ隊だった、という言い訳すらも出来ないほど、無様に負けたのだ。
 感情が込み上げてくる。悔しさなのか、情けなさなのか。
「熊殺し隊に恥じぬ戦をやる、と言ったな。それがこのザマなのか?」
 違う、とは言えなかった。すでに結果は出ているのだ。どうしようもない結果が出ている。
「もうしばらく、研鑽を積んでみろ。良い所がなかった訳ではない」
 言われて顔をあげる。まだ、レンは背を向けたままだった。
「今のお前は兵と一心同体ではない。同体までは出来ている。しかし、心はまだだ。だが、最後の一瞬だけ、一心同体となった。その時の感覚を忘れず、研鑽を積め」
 そう言って、レンは駆け去って行った。スズメバチ隊が、その後を追っていく。
 今頃になって、涙が流れ落ちてきた。悔しさ、情けなさ。そんな感情に呼応するかのように、うめき声も漏れた。
 ただ、一心同体という言葉だけが、頭に残っている。

       

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