Neetel Inside 文芸新都
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 星も月も見えない夜空だった。雨の兆しはないが、空気は湿っていて、どことなく隠微な雰囲気である。だが、隠密行動を取るには最適な環境だった。
 これから、ウィンセ暗殺を行う。すでに白豹も行動を開始しているはずだ。
 場所はウィンセの屋敷である。屋敷なら、政庁よりも衛兵の数が少なく、ウィンセの動きも把握しやすい。
 暗殺のやり方としては、まず白豹が屋敷の隅で火事を起こす。それで、屋外の衛兵達の気を引き付け、その隙に黒豹が屋敷に潜入し、ウィンセを始末する、というものだ。
 言うだけならば、難しくはない。もっと言えば、屋敷に潜入する所までは問題なくやれるだろう。要はその先である。火事が発覚した時点で、ウィンセは身の安全を確保しようとするはずだ。闇の軍もそれに呼応し、動き出すに違いない。つまり、暗殺の時間は僅かしかないのだ。時間にして、五分から十分という所だろう。
「手筈どおり、二人一組で動く。闇の軍との暗闘は避けられん。覚悟しておけ」
 物陰に身を潜めながら、ファラが言った。すでに全員、漆黒の忍装束である。
 黒豹は五十人で構成されているが、その内の二十人は退路の確保で別方面に放っていた。つまり、ウィンセの暗殺は三十人でやらなければならない。対する闇の軍は、百を超える人数だろう。虚報でいくつかは動かしたが、効果の程がどれほどかは定かではない。
「ダウドは私と組め」
「良いのかよ?」
 俺がそう言うと、ファラは冷たい視線を投げかけてきた。
「お前が最も私の身体能力に近い。私の判断に疑問を持つな」
「そうかい。そりゃ、すまんかったわ」
 俺は自身の身体能力を黒豹一だと思っていた。ただ、判断力が鈍い。土壇場ともなると、どうして良いか分からなくなるのだ。そういう欠点を、身体能力で補ってきた、という所も多分にあるだろう。
 しばらくすると、屋敷の隅から煙があがるのが見えた。宰相の屋敷というだけあって、広大である。各方面の衛兵達が、次々に騒ぎ始めている。白豹が衛兵のなりをして、騒ぎを煽っているのかもしれない。
「任務を開始する」
 ファラはそれだけを言って、駆け出した。それぞれが各方面に散っていく。まとまって動くのは危険だった。闇の軍に一網打尽にされるからだ。とにかく、黒豹は闇の軍に数で劣っているのだ。
 屋敷の敷地内に潜入した。塀の上に飛び上がり、そのまま屋根へと伝っていく。眼下では、数人の衛兵が煙の方へ向かって、走っているのが見えた。
 ファラとは言葉を交わさなかった。眼で会話している。その訓練も嫌という程に積んだ。
 不意に血の匂いがした。風上。風に乗ってきたのだ。すでに闇の軍は動いている。ファラが眼でそう言った。ウィンセの部屋まで、屋根伝いに行く。不思議と闇の軍とは遭遇しない。それが、何ともいえない不気味さを感じさせた。
 金属音。この壁の向こうだ。闇の軍とやり合っている。ファラを見ると、余計な事を考えるな、と眼で言われた。
 ウィンセの部屋。窓の側に身を寄せる。中の様子を伺おうとしたが、幕がされていて見えない。だが、何か嫌な予感がした。今まで、この予感が外れた事はない。罠だ。直感的に、俺はそう思った。ここからの侵入だけは、絶対にやめた方が良い。
 ファラを見る。ここを突き破る、と言ったが、俺が駄目だ、と突っぱねた。黒豹において、ファラの判断は絶対である。ファラが短剣を鞘から抜き、俺の喉元に突きつけてきた。それでも、俺は引かなかった。
 通路の窓から屋敷内に侵入し、扉を開けて部屋に入った方が良い。罠だ。俺は目でそう言い続け、ファラが折れた。
 すぐさま通路の方に身を翻す。窓の鍵を静かに開錠し、屋敷内に侵入した。辺りを見回すが、人の気配がない。衛兵すらも居ないのだ。何か妙だ。
 ファラが忍び足で部屋に近づく。数秒、耳を澄ましてから、俺に眼で言葉を送ってきた。中には一人。ウィンセである確証はないが、私が扉を開けたと同時に、飛刀で仕留めろ。
 俺は頷き、腰元から一本の短剣を抜き取った。毒塗りである。身体のどこかに刃が触れれば、確実に死に至らしめる事が出来る。飛刀の腕前は、黒豹に入ってからも磨き続けてきた。百発百中。それでいて、多少は無理な姿勢から放っても、命中率は下がらない所まで鍛え上げた。
 手のひらの汗が滲む。心臓の鼓動が早くなり、呼吸が速くなっていく。ここが勝負時だ。
 腹を決めた。次の瞬間、肉体と精神が統一される。扉、開く。椅子。人の背中。見えた。そして、放った。
 絶叫。仕留めた。だが、背格好が違う。ウィンセじゃない。身代わりか。次の瞬間、最初に侵入しようとしていた窓に向かって、無数の矢が飛んでいった。何かの拍子に、矢が発射される仕組みになっていた。やはり、罠があった。
 ファラが部屋に踏み込む。俺もその後を追った。部屋。その瞬間、殺気。
 感じるよりも先に、俺とファラはその場を飛び退いていた。
 闇の軍だった。十人程度。漆黒の忍装束を身にまとい、壁や天井に張り付いている。それぞれ、短剣を構えていた。何も言わず、俺とファラは背中を合わせた。
 殺気が弾ける。無音。いや、風だけが鳴いた。次の瞬間には、敵が三人、地に這いつくばっていた。俺に斬られた者は、毒のせいで全身が痙攣してしまっている。
 風。天井に張り付いた一人が、身体を回転させながら突っ込んできた。すかさず、短剣を相手の眉間へと放つ。短剣は頭蓋に突き立ち、敵の屍が床上に転がった。
 辺りを見回した。闇の軍との交戦は想定内の事だ。あくまで、俺達の任務はウィンセ暗殺である。ウィンセを仕留めなければ、全てが水の泡なのだ。ここはウィンセの部屋だ。何か無いのか。すでにウィンセ本人はこの場に居ないが、それほど時間は経っていない。まだ、どこか近くに居るはずなのだ。何か痕跡はないのか。
 不意にファラが肘で俺の背中を小突いてきた。あそこの本棚。行け。そういう合図だった。
 本棚だと。すぐに目を向ける。だが、何も無い。いや、よく見ろ。僅かな奥行きとその隙間。それを見止めた。
 俺は走った。隠し通路だ。本棚の裏が隠し通路になっているのだ。闇の軍が一斉に飛び掛ってくる。それをかわしながら、俺は懸命に走った。ファラが真横で援護してくれている。だが、闇の軍の猛攻は止まらない。何とか、ファラが敵の一人をすれ違いざまに斬った。
 この必死さ、間違いない。あの先にウィンセが居る。本棚。取り付く。スライド式になっている。押しのける形で本棚をどかせた。通路。
「ダウド、行けっ」
 初めて、任務中にファラが喋った。
「お前はどうすんだっ」
「足止めする。行け、お前の飛刀でないと、ウィンセは始末できないっ」
 それは良いが、足止めだと。一人で五人の相手。レンやシオンじゃあるまいし、ましてやファラは女だ。
「行け、貴様は二度も掟を破るのかっ」
 そう言われて、俺は舌打ちした。それで、背を向けた。
「来い、闇の軍。私はシグナス将軍のようにはいかないぞっ」
 ファラの声。聞こえたが、振り返らなかった。とにかく、駆ける。任務を全うするために。

       

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