Neetel Inside 文芸新都
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 メッサーナは、コモン関所より先に出ようとはしなかった。あくまで、守りを固める、という姿勢を貫いているのである。
 何度か、小勢ではあるが軍を出した。メッサーナの守備軍を誘い出すのが目的だったが、どれだけ挑発をかけても効果は無かった。
 国力を蓄えているのだろう。アビス原野の敗戦は、相当に応えたはずだ。あの戦は、兵力もさることながら、多くの人間が死んだ。その中に、あの剣のロアーヌも入っている。
 結局、あの男に私は一度も勝てなかった。まさに、完敗である。勝つイメージさえ、私は抱く事が出来なかったのだ。
 しかし、戦には勝った。そして、あの戦は、私の援軍で勝ったようなものだったと言っていいだろう。
 だが、父には軍令違反として扱われた。待機という命令を無視した。父は、こう言ったのである。しかし、戦果を挙げたのも事実だった。処罰は、この戦果との相殺で、半年の労役という事になった。
 本来なら、軍令違反の罪はもっと重い。内容によっては、斬首刑というものもあった。
 私は、半年の労役の間、様々な事を考えた。軍の事、政治の事、そして、国の事。
 フランツの改革によって、国は生まれ変わったかのように見えた。だが、結果は違った。地方に居た優秀な人間達が、軍・政治を問わずに都に集中しただけだ。それで、都の腐りは除かれた。しかし、その代わりに、地方が腐った。
 改革によって、役人達の能力が浮き彫りになった。能力のある者は都に集約され、無能な者は降格や免職処分となった。そして、それ以外の者、つまりは有能でもなく、無能でもない者達である。これの大半は、地方に飛ばされた。
 フランツは、都では無理でも、地方なら能力が発揮できる、と考えたのだろう。もっと言えば、地方に飛ばす事によって、本来の能力に合う場所を与えたのである。
 だが、それは成功しなかった。地方は都よりも、ずっと貧しい。故に、役人達の扶持も落ちる。その落ちた分を回収しようと、役人達は不正を働くようになったのだ。それはいくら罰しても無くなりはせず、時が経つにつれて、不正を取り締まるはずの者達ですら、不正をやり始めた。これが、現状だった。
 軍についても同様だった。軍権は父であるレオンハルトが握ってはいるが、大した事はやれていない。というより、やりようがなかった。父は、死人のようになってしまったのだ。
 アビス原野の戦を終えて、父は変わった。いや、変わり果てた。軍の面倒は、全て副官であるエルマンに任せっぱなしで、父は部屋の中に閉じこもっている。今の父に、もはや武神の面影など一片たりとも残ってはいなかった。
 それでも、国は動いている。歴史は動いている。半年の労役を終えた私は、すぐに軍の巡察を行った。大隊長の権限しかないため、大した事はできないが、今後の軍を引っ張っていく人材に目星をつける事は出来る。
 そして、ヤーマス、リブロフ、レキサス、フォーレという四人の男を見つけた。いずれも、元々は地方に飛ばされていた人間で、四人とも、まだ二十代から三十代と若い。
 その中でも、ヤーマスとリブロフは、面白い経歴の持ち主だった。
 二人は、官軍の武術師範という立場だったのだ。つまり、兵達に武術を教える先生、という事だ。ヤーマスは槍を、リブロフは戟を教えていた。
 実際に手合わせをしてみたが、かなりの腕前だった。勝ちはしたが、ギリギリの勝負だったのだ。私の武器が槍だけ、と限定されていたら、負けていたかもしれない。
 レキサスとフォーレについては、優秀な事を人に妬まれて地方に飛ばされたようだった。どうせ、どうでもいいような事を失敗として扱われたのだろう。武術については、先述の二人ほどではなかったが、軍の動かし方は卓抜なものを持っていた。
 この四人は、将軍である。というより、父が将軍に昇格させていた。
 だが、いくら軍を整備した所で、今の国の現状では糠(ぬか)に釘である。それは、フランツの改革でも証明されている。だから、頂点から変えなければならない。
 すなわち、王を代えるという事だ。国をきちんとした姿に戻すには、これ以外に方法はない。
 この国の全ての元凶は王だ。王の側に居る佞臣が、王を巧みに操っている。自分達が有利になるような政策を打ち出し、それで国が疲弊しても、佞臣どもはまるで知らん顔だ。反対に、自分達が不利になりそうなものは王の命令でやめさせる。実質、フランツの改革も、それでいくらか捻じ曲げられた。
 そして、佞臣どもは王の機嫌を取るのが異常に上手い。いや、王が愚劣なのだ。それも、どうしようもない程に。金は無限にあり、この国は永続すると妄信している。
 フランツもこの事には気付いている。ただ、目を向けようとしていないだけだ。それはそうだろう。自らの主が、とんでもない間抜けだとは思いたくもないはずだ。
 しかし、私は王は愚劣でも構わないと思っていた。要は、自らの意志を持たせなければ良いのだ。政治に対して、軍事に対して、王は介入させない。つまり、国の象徴として存在だけはさせ、あとの事には一切、関与させない。それで、この国は正常に機能する。
 今の王は、佞臣どもの傀儡である。うるさい事を言うフランツよりも、佞臣どもの甘言の方が心地良い。だから、フランツではなく、佞臣の言う事を聞く。これはもう、覆す事はできないだろう。
 王を代えれば、全てが解決する。王は、別に聡明でなくても良い。意志を持たない、もっと言えば、子供だ。それをフランツが制御する。そして、軍事と政治が連携する。
 メッサーナを倒すなら、ここまでやらないと無理だ。今の国では、遅かれ早かれ、メッサーナに飲み込まれる。いや、そうならずとも、やがて自力で立っていられなくなるだろう。
 フランツには、私の考えを片鱗ではあるが、伝えた。今まで、気付いていたが、見ようとしてこなかった部分である。これで少なくとも、フランツの視野は広がっただろう。しかし、どう動くかまではまだ読めない。
 そして、私は私でやるべき事をやらなければならない。
 すなわち、軍権の移行である。
 父はもうすぐ死ぬ。七十という年齢もそうだが、以前のような覇気が消え失せてしまっているのだ。
 私は、その父から軍権を受け継がなければならないが、難しいだろう、というのが正直な所である。経歴に傷が付いた事もあるが、何より父は私の事を良く思っていない。というより、ハッキリと嫌っている。おそらく、ロアーヌとの一騎討ちを邪魔した事を恨んでいるのだろう。あれから、一度も怒鳴り散らしてくる事はなかったが、その代わりに私を失望の目で見るようになった。
 私が無理なら、最低でもフランツに継がせるしかなかった。そこから、私に移行する。多少、遠回りになるが、仕方がない事だった。
「父上、ご夕食をお持ちいたしました」
 私は、父の部屋の前に立って言った。父は扉の向こうである。
「要らぬ」
 か細く、消え入りそうな声だった。壮健だった頃の声と比べると、胸を衝かれるような思いである。
「身体にさわります。無理にでも食べて頂かなければ」
「ハルト、儂が邪魔なのだろう。さっさと死んで欲しいのだろう」
「そのような事は」
 まだ、死んでもらっては困る。軍権の移行がまだなのだ。
「父上は、武神であります。まだ死ぬには早すぎます」
 しばらく、返事はなかった。
「ご夕食は、こちらに置いておきます。後ほど、従者が食器を取りにくるよう、手配をしておきますので」
「武神か」
 扉の向こうから、乾いた笑い声が聞こえてきた。
「そうだ、儂は武神であった。だが、死んだのだ。あのアビスで、剣のロアーヌと共に」
 だが、レオンハルトは生きている。軍権を握ったまま、生きている。私は、心の中でそう言った。
「ハルト、去(い)ね。お前と話をしていると、無性に腹が立ってくる」
「わかりました。失礼致します」
 言って、私は踵を返した。
 老いぼれが、という想いが、胸の中で渦巻いていた。

       

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