Neetel Inside 文芸新都
表紙

見開き   最大化      

 軍の動きが慌しかった。出陣前である。国はこちら側の降伏勧告を退け、徹底抗戦する旨を伝えてきたのだ。
 これは分かりきっていた事だった。バロンも、本当に国が降伏すると思って、勧告した訳ではないだろう。むしろ、休戦協定の破棄が目的という面が強い。
 宰相であるウィンセは葬ったが、軍部の人間は誰一人として欠けていない。だから、抗戦を選択するのは当たり前とも言える。ただ、国も一枚岩では無いはずだ。そのため、ウィンセの死を切っ掛けに、内部での混乱が期待できた。事実、内政面では綻びが見え始めているという。しかし、これが戦に関わってくるかどうかは読めない。
 ウィンセはダウドが葬っていた。黒豹の一員として、仕事を成したのだ。しかし、それが世に知られる事はない。黒豹は、あくまで暗部なのだ。歴史に名を刻むことなど、有り得ない。
 ただ、弟が一人死んだ。その事だけは、心に刻み込んだ。強く慕われていた訳ではなかったが、それでも義弟の一人だったのだ。
 シオンは一度だけ、泣いていた。ダウドとは深い繋がりがあったからだ。傍目から見ても、仲の良い兄弟だったと言えるだろう。その日の夜は、二人だけで酒を飲んだ。特に何かを喋るわけでもなく、静かに飲むだけだったが、それ以降、ダウドの事はもう話題にしなかった。お互いに無言でありながら、何かを心で語り合ったという感じだったのだ。
「全軍でコモン関所を抜け、アビス原野で決戦を臨む」
 出陣前の軍議で、バロンが言った。これは降伏勧告前から決まっていた事である。進軍ルートの候補は全部で三つあり、一つはミュルス陥落から都攻めを狙うルート、一つはミュルス地方の水路を使い、中央に出るルート、一つはアビス原野を抜いての都攻めルートである。
 一つ目のルートは、いかにも時間がかかりすぎる。全軍での出陣となると、軍費や兵糧の問題が出てくるし、都からの敵軍に対する備えが薄くなりがちである。二つ目のルートは、メッサーナ軍は水戦の経験がなく、全軍でも精強揃いな騎馬隊が使えない事から論外だった。
 残るは三つ目のルートで、これが最も理にかなったルートである。得意な野戦に持ち込めるし、バロンの弓騎兵隊、ニールの獅子軍、シオンの熊殺し隊、俺のスズメバチ隊と、とにかく騎馬隊が縦横無尽に動き回れるのだ。
 そして、これは個人的な事情に過ぎないが、アビス原野には因縁があった。父であるロアーヌが戦死した場所であり、俺が初陣を飾った場所。また、俺とハルトレインが再会した場所でもあるのだ。
「留守はクライヴとシルベンに任せる」
 バロンがそう言うと、クライヴは無表情で頷いた。シルベンはどことなく不服そうな顔である。留守が嫌な訳ではなく、バロンと行動を共に出来ないのが嫌なのだろう。シルベンはバロンの幼馴染だった。まだ官軍に居た頃も、将軍と副官という間柄で、バロンをよく支えていたのだという。
 しかし、だからこそ留守を任されたのだ。バロンとしては、シルベンは最も信頼できる将軍だろう。援軍や兵糧輸送などの後方支援も、シルベンが担う事になっている。
 一方のクライヴは、老いを理由に自ら留守を志願していた。本当は退役したがっている、という話も聞いた事があるが、真偽は定かではない。
「これより、出陣する将軍と兵力を述べていく」
 そう言ってバロンが立ち上がり、次々に名を挙げていく。
 クリスの戟兵隊、アクトの槍兵隊、ニールの獅子軍。それぞれ、兵力は一万ずつである。
「さらにレンのスズメバチ隊、シオンの熊殺し隊。兵力は一千ずつだ」
 俺とシオンの隊は、互いに調練を重ね合い、かつてのスズメバチ隊と比肩する力を備えた。いや、兵力の事を考えれば、凌駕したと言えるのかもしれない。
 俺一人では、父が率いていたスズメバチ隊を超える事はおろか、並ぶことすら出来なかった。それほど、父のスズメバチ隊は強力だったのだ。しかし、今はシオンが居る。俺一人では無理でも、シオンと二人ならば、父に並べる、超えられる。そして、この力は天下へと続く架け橋となるはずだ。
「そして私の弓騎兵隊が一万。他に弓兵隊が一万。全軍で五万二千の兵力をもって、アビス原野を抜く。官軍を叩き潰す」
 その言葉を聞いて、俺は目を閉じた。数十年前、父も今回のような軍議に出たのか。その時、何を想っていたのか。当時、バロンの役はランスだったはずだ。ニールの父であるシーザーも生きていた。今では、その二人はもう居ない。
「軍師はルイスだ。ヨハンには内政を見ていてもらう。また、コモン関所に予備兵力として、五万を待機」
 それから、敵軍の情報整理が行われた。やはり、総大将はハルトレインであり、大将軍として出陣するのだという。他にもエルマンやレキサス、ヤーマス、リブロフ、フォーレといった者達が名を連ねた。兵力は六万である。
 そして、官軍の軍師はノエルだった。やはり。そう思うしかなかった。国に残ると決めたと聞いた時点で、こうなる事は分かっていた。元々、才気の色を見せていた男である。シーザーを討ったのも、ノエルの策略だったという。
「乱世だからな」
 隣に座るニールの呟きだった。聞こえたのは、俺だけらしい。あえて、ニールの方には目をやらなかった。並々ならぬ殺気を発していたからだ。呟きは静かだったが、心の奥底は燃えている。
 それからしばらくして、軍議は散会となった。出陣は三日後で、早急に準備に取り掛からなくてはならない。すでに官軍も出陣準備をしているだろう。
「シオン、馬体の点検を怠るなよ」
「分かっています、兄上。しかし、ニールのあの様子」
「ノエルだ。親の仇だからな、仕方あるまい。俺もハルトレインを目の前にすれば、嫌でも心は滾(たぎ)る」
「兄上、ハルトレインとのぶつかり合いには、俺も参加させてください」
「総指揮はバロン王だ。参加うんぬんは俺が決める事じゃない。しかし、ハルトレインにぶつかるのは、やはり俺とお前だろう」
「この戦、どうなるのでしょうか。何年も続く戦の予感もしますし、三日としない内に終わる予感もあります」
 シオンは逸っていた。将軍としては、初陣になる。平静を装っているふうではあるが、どこか様子がおかしい。このまま戦に出れば、早死にする。そんな予感が、俺の頭を過ぎった。
「シオン、余計な事を考えるな。今のお前は気負いすぎているぞ」
 俺がそう言うと、シオンは緊張した面持ちとなった。目の光が、どこか弱い。怯えているのか。それとも、何かの迷いがあるのか。
「今日は、ホークと共に過ごします。ホークと語り合えば、この妙な昂ぶりも収まると思いますから」
「あぁ。俺もタイクーンと過ごす」
 ホークとタイクーン。互いの愛馬だった。初代ホークはバロンの愛馬だったが、二代目は性格が負けず嫌いで荒々しく、バロンには合わなかった為に、シオンに譲ったという経緯がある。
 そして、初代タイクーンは父の馬だった。二代目は俺の馬となり、おそらくは天下一の馬だ。少なくとも、メッサーナの中には速さ、力強さ共に並ぶものは居ない。二代目ホークに跨るシオンとも競ったが、負けなかったのだ。
 何より、俺の気持ちをよく読み取った。腿で馬体を絞り上げると、思った通りの動きをしてくれる。こんな馬は、他には居なかった。
 シオンと別れ、俺は厩(うまや)に向かった。
「タイクーン、お前の父もアビス原野で命を散らせたのだったな」
 厩の中は、俺とタイクーンしか居なかった。タイクーンが耳をちょっとだけ動かす。
「雄雄しく戦おう。父の名に恥じぬ戦をしよう」
 お互いに背負うものは大きい。しかし、お前となら。俺は、タイクーンの眼を見ながら、そんな事を思っていた。

       

表紙
Tweet

Neetsha