Neetel Inside 文芸新都
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 弓矢を構えた。狙いは一つ、ハルトレインである。先の一撃は防がれたが、あれはあくまで牽制だった。
 アクトとニールでは、あの男を押し留める事は出来そうも無い。ハルトレインの強さは、底の見えない強さだ。遠くから見ていると、良く分かる。ただ、純粋に強い。それ以外に、あの男を形容する言葉は無いだろう。
 あの男がメッサーナに居れば、どうなっていたのか。レオンハルトの息子、という邪魔な肩書きが無く、純粋な軍人として、メッサーナに居れば、想像もつかない程に早く天下は取れていたのではないか。
 武将としては、間違いなく傑物である。しかし、レオンハルトの息子だった。これが、あの男の全ての悲劇ではないのか。
 駆けた。馬の振動が、身体に響く。私も歳を取ったという事なのだろう。あるいは、馬がホークであれば、もっと楽なのかもしれない。ただ、ホークは死んだ。二代目は、シオンに譲った。時は流れ続けているのだ。
 アクトとニールが態勢を整えているのが目に入った。あの二人の相性は決して悪くない。ただ、ニールが全くと言って良い程、機能していなかった。ハルトレインに怯えてしまっているのだ。その上で、ニールはよくやっている。今はそれで十分だと思うしかない。逃げ出さないだけ、マシとも言えるのだ。
 さらに後方へと目をやった。レキサス軍は動いていない。エルマンとクリスは互角。レンとシオンは、歩兵三軍を相手に互角以上に戦っていた。ハルトレインも、この状況はよく理解しているだろう。その上で、レキサスを動かしていない。
 つまり、たった一人で私、アクト、ニールを相手にするという事だ。昔ならば、なんと傲慢な事かと思っただろう。しかし、今は違う。
「アクト、横に回りこめ。ニールは弓騎兵と並走」
 旗を振らせる。すぐに二軍が動き始めた。ハルトレインも原野を駆け回っている。相対。ハルトレインが突っ込む機を見定めようとしている。
「弓構えっ」
 兵達が一斉に弓に矢をつがえた。照準。片目を瞑る。鷹の目。年老いても尚、命中精度だけは自信がある。
 ハルトレインの眉間。そこに狙いを定めた。
「放てぇっ」
 風切り音。乱舞する。無数の矢が、ハルトレインの騎馬隊に向けて射込まれた。数十の敵兵が原野の中に消える。私の矢は、槍で弾かれたようだ。しかし、そんな事は最初から分かり切っている。
 さらに二射目。構え直しの隙を狙って、ハルトレインが踏み込んできた。そこにアクトが槍でけん制をかける。獅子軍、突っ込め。意思と共に旗を振らせた。
 獅子軍が動く。だが、勢いがなかった。怯えている。突撃に踏ん張りが無いのだ。ハルトレインの反撃。獅子軍が四散する形でかわした。いや、かわしたのではない。ニールの指揮が据わっていないせいで、兵がバラバラになっただけである。あれはただの偶然だ。
 獅子軍を下げるしかない。武将の質はともかく、気持ちすらも負けてしまっては、どうにも出来ないのだ。
「ニール、本来の自分を取り戻せ。父の勇姿を思い出してみろ」
 その瞬間、ハルトレインの気が途端に鋭くなった。攻勢。分かりやす過ぎる変化だ。いや、これにもきちんと意味がある。気は獅子軍に向けられている。
「ニール、下がれっ」
 すでに旗は振らせている。しかし、後退を開始すれば食いつかれるだろう。ニールもそれは分かっているのか、横にそれる形で戦場を駆け回っている。
 アクトを支援に回した。ハルトレインの横っ腹をけん制させる。その隙を突いて、獅子軍が全速で駆け、ハルトレインを振り切る。瞬間、ぞくりと背筋が凍った。
 ハルトレインが私を見ている。明らかな殺気。
 駆けた。同時に弓矢を構え、射撃の機を狙う。アクトも何かを感じ取ったのか、けん制の間隔を狭めた。ハルトレインからすれば、かなり鬱陶しい事のはずだが、あしらう程度にしか相手をしていない。むしろ、それで済ませる事が出来てしまっている。
 射撃。だが、かわされた。集中しろ。そう言い聞かせ、弓矢を構える。再び、放った。無数の矢が敵兵の表面を削り取るが、すでに相手との距離はかなり近い。ハルトレインは、私に狙いを絞っている。
 アクトがハルトレインから離れた。その動きには、明らかに焦りが生じていた。何故、離れたのだ。思うと同時に、さらに状況は緊迫する。
 騎馬隊。すでにハルトレインの顔の表情が視認できる。近い。近いが、振り切れないのだ。私の動きを読んでいるのか。
 弓矢。構えた。けん制をかけて、脱出を試みる。しかし、照準が定まらない。
 震えていた。自分の全身が震えている事に、私は気付いた。恐怖なのか。分からないが、矢が撃てない。
 ハルトレインが、近い。
「バロン王、限界ですっ」
 声が聞こえると同時に、アクトの槍兵隊が割り込んできた。ハルトレインの騎馬隊とぶつかる。一瞬でなぎ倒された。千、いや、千二百か。槍兵が騎馬隊に屠られる。
 完全な捨て身だった。この捨て身のために、アクトは一度、離れたのか。
 後退。しかし、それでもハルトレインはグイグイと押し込んでくる。槍兵隊が決死の覚悟で押し留める。原野が、血で染まっていく。捨て身である。防御は考えず、単純な壁となって行く手を阻んでいるだけに過ぎない。
 突き破った。騎馬隊が、槍兵隊を突き破ったのだ。もはや、背を見せて逃げるしかない。そう思った瞬間だった。
「バロン王、お下がりください」
 アクトだった。旗本だけで私の前面に躍り込んできた。将軍自身が、盾になるという恰好である。アクトの姿をみると、腹から血を流している。
「アクト、怪我を」
「早くお下がりください。本陣まで、全速で」
 そう言って、アクトが旗本だけでハルトレインの騎馬隊の前に立ちはだかる。死ぬつもりか。そこまでしなければ、ハルトレインは止まらないというのか。
 後退した。獅子軍と合流し、堅陣を敷く。さらにアクトの槍兵隊が、旗本の周囲を固めていく。自らの主を守るために。その一方で、レンとシオンが戦局を覆そうとしているのが見えた。ハルトレインの騎馬隊が、後方を向く。レンとシオンの方向である。
 槍兵隊の旗はまだ立っている。しかし、アクトの安否が気にかかった。私を守るために、自らの身を挺したのだ。確認したいが、まだ戦は終わっていない。
 ハルトレインの騎馬隊が、レンとシオンの方へと駆けていった。
 戦は続く。命を拾った事で、気が緩みそうになった自分を、私は叱咤した。

       

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