Neetel Inside 文芸新都
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剣と槍。受け継ぐは大志
第二十一章 決戦-その二-

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 陣中。雨雲が日光を遮っていた。遠い先では、ハルトレインが堅陣を組んでいる。しかし、すぐにでも動ける堅陣だった。こちらの様子を伺っているのか、ヤーマスを討たれた事で警戒しているのか。いずれにしろ、今は本格的なぶつかり合いは避けたい。
 アクトが危急の容態だった。乱戦の最中、急所二箇所を槍で突かれたのだ。私を守るため、決死の覚悟で立ちはだかった結果だった。アクトの槍兵隊のおかげで、私と弓騎兵隊は命を拾ったと言って良い。
 何度か様子を見に行ったが、意識は失ったままだった。軍医が言うには、今が峠の真っ最中だと言う。一度でも意識が戻れば、そこから活力を得るかもしれない、とは言っていた。
 必死だった。ハルトレインが動いている間、メッサーナ軍の誰もが必死だったのだ。そして、太刀打ちできなかった。そればかりか、私などは窮地に立たされた。それを救ったのがアクトであり、槍兵隊だった。
 何とか意識を取り戻して欲しい。そして、命を繋ぎ止めて欲しい。忠義に溢れる男である。古い戦友でもあり、言葉を多くかわさずとも分かり合えるような所があった。多弁ではないが、根は真面目であり、部下からも好かれていた。ロアーヌと少し似ているが、アクトの方がずっと堅実で耐え忍ぶ事に長けていた。
 戦の事を考えていても、ふとした時にアクトの事が頭を過ぎる。そして、診療所の方に目をやる。そういう事を何度か繰り返した。診療所は、もはや戦場である。軍医をはじめとする者たちが、忙しなく動き回っているのだ。
 それは同時に犠牲の多さを物語っていた。助かる見込みの無い者は、まともな治療も受けられずに死んでゆく。惨い事だと思うが、仕方が無い事だと思い定めるしかなかった。
 ランスなどは、よく診療所に赴き、兵たちと話をしていたという。死にゆく兵たちに涙を見せた事もあったらしい。ランスはあまり戦には出ないし、大戦となるとメッサーナで政務を見るばかりだったが、その行動は兵たちの目に焼きついた事だろう。ランスだからこそ、出来た事だと言っても良い。
 他の者がやっても、わざとらしいものにしか見えないのだ。それは私も例外ではない。こうして考えると、ランスと私では王としての器が違うと思わざるを得なかった。資質の違いとも言えるが、こういう時はランスのような気遣いが兵たちに勇気を与える事が多いのだ。
 アクトが意識を取り戻したという報告を受けたのは、翌日の夕刻を過ぎてからだった。
 急いで診療所に向かったが、軍医の表情は暗い。
「アクトは助かるのだろう」
 そう言ったが、軍医は何も言わなかった。私は唇を噛み、振り切るような思いで、アクトの寝台に向かった。
「バロン王」
 アクトが言った。傷は手当てされているが、血が滲んでいる。どす黒い色が、不吉な予感を匂わせた。
「御身はご無事でしたか」
「お前のおかげだ。お前のおかげで、浅手ひとつ負っておらぬ。それより、お前はどうなのだ。具合は?」
「良好ですよ。大丈夫です、生き延びます」
 言ったが、表情は苦悶を極めていた。額には大粒の汗が浮かんでおり、顔色もひどく悪い。
 死ぬかもしれない。それが急に現実味を帯びた。それで、私は言いようのない不安に襲われた。恐怖にも近い。
「アクト、喋るな。頼む、良くなってくれ」
「俺が死ぬような事は言わないでください。大丈夫です。生き延びますよ」
「あぁ、そうだな。生き延びる」
「バロン王、ハルトレインは大変な男でした。あれには敵(かな)いません。俺が何も出来なかった。ニールなど、戦う事に恐怖すら覚えていた」
 アクトは死ぬ。私はそう思った。喋りすぎているのだ。喋る事によって、私に何かを伝えようとしているのではないか。そんな気さえしてくる。
 ぐっとアクトの手を握った。冷たい。しかし、握り返してきた力は弱くなかった。
「まともに戦わない方が良いでしょう。今のメッサーナ軍には、あれに勝る将軍は居ません。レンですら、難しい。天下、いや、歴史上で最強かもしれません」
 大げさだとは思わなかった。それだけの凄味は確実にある。ましてや、直接、ぶつかり合ったアクトが言うのだ。アクトは決して、敵の力量を見誤る事などはしない。
「お前の見解を聞かせてくれ」
「ハルトレインは孤独です。最強である代わりに孤独なのです。突くとするならば、そこだけです。味方は居るが、仲間が居ない。窮地に陥った時、我が身を犠牲にする者が、おそらく居ない。あえて例外を挙げるならば、エルマンただ一人」
「私は、私にはお前が居た」
「当たり前です。主君のために盾になる。臣下として、当然の事をしたまでです。いや、戦友として、貴方を守り抜いた。そして、ランス殿の夢を守り抜いた」
「あぁ、おかげで無傷で私はここに居る」
「バロン王、俺はシグナス将軍のように立派だったのでしょうか? 挙げた戦功は決して多くありません。ロアーヌ将軍には、シグナス将軍のような働きは求めていない、とまで言われました。しかし、必死にやってきたつもりです。必死に、ここまで」
「アクト、生き延びるのだろう? 何を言っているのだ」
 言ったが、涙が溢れ出てきた。どうしても、止まらない。
「バロン王」
 アクトと目が合った。少しだけ微笑んでいる。
「必ず、天下を」
 目から生気が消えた。アクトの命の終わりだった。唇を噛んだ。また一人、戦友がこの世を去った。
「奇跡でした。目を覚まし、あれだけ喋れたことは」
 軍医が言った。アクトの亡骸に、布が被せられていく。
「活力を得たのだろう」
「はい、まさしく。しかし、バロン王と話をするために活力を得たのだ、と私は思いました」
「死の間際まで、実直な男だった」
 それだけを言って、立ち上がる。そして、ルイスの元へと向かった。アクトが死んだ事で、話し合わなければならない事が多くある。アクトが言っていた孤独という言葉。これから、何か勝機を見出せないか。
 とにかく、まだ戦は続いているのだ。アクトの死に、心を動かしている暇はない。
 しかし、それでも、涙は止まらなかった。

       

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