Neetel Inside 文芸新都
表紙

剣と槍。受け継ぐは大志
第三章 旅路

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 丘の上に寝そべり、星を見ていた。一人である。左眼を失ってから見る冬の夜空は、どこか儚く美しかった。
 村に滞在して、二ヶ月が経とうとしていた。追い払った賊は、あれから一度もやって来ていない。武器を振る村人の姿も、立派なものになってきた。これで、賊も簡単に手出しできなくなっただろう。自警団を持っているという噂は、すぐに広まる。
 旅を始めて、もう一年以上が経過していた。ピドナを出発する時の事は、今でも鮮明に思い出せる。
 最初は一人で旅に出るつもりだった。ピドナの太守(知事の意)であるバロンにそれを相談したら、成長して帰ってこい、とだけ言われた。旅の目的などを聞かれたが、多くは語らず、戦う理由を見つけるためだ、とだけ答えた。バロンも、これ以上は聞いては来なかった。
 旅に出る前日、ニールが一緒に行く、と言い出した。迷ったが、口元に頑迷な線が見えていた。これでは、止めても無駄だと思い、仕方なくという形で承諾した。何故、ニールが一緒に行く、と言ったのかは分からない。聞いても、なんとなくだ、としか答えなかったのだ。
 そして、ピドナを出発した。兄と慕うクリスは最後まで心配そうにしていたが、バロンは見送りにも来なかった。そうする必要がないと判断したのだろう。成長して帰ってくる。俺は、そう約束したのだ。ニールの父親であるシーザーも、何も言わずに息子の旅立ちを横目で見ていただけだった。
 ニールとは幼少からの付き合いだった。仲良くなり始めたきっかけは、父親が軍人という共通点からだったような気がする。
 ニールはいわゆるガキ大将で、俺によく絡んできていた。当時の俺は、そんなニールが苦手だった。そして、ふとした事で喧嘩になった。よくある童の取っ組み合いである。結果から言えば、喧嘩は引分けに終わった。それで、ニールが親父に言いつけてやる、と言ってきた。俺も頭に来て、自分もそうしてやる、と言った。そこで、自分の父親がシグナスであり、ロアーヌであるという事を明かしたのだった。
 そこからは、何となくという感じで仲良くなった。ニールは相変わらずガキ大将だったが、俺が槍を使い始めてからは何故か俺がガキ大将のような扱いにされていた。父であるロアーヌからは、シグナスも昔は不良どもを束ねるやんちゃ者だった、と言われた。
 槍の扱いに慣れてきた頃、ルイスに軍学を教わるようになった。最初は訳のわからない事だらけで、その事をルイスが容赦なくこき下ろしてきた。それが悔しくて、見返してやろうと努力した。そのおかげか、結果としては、人並以上のものを習得する事ができた。だが、それでもルイスには馬鹿にされた。というより、嫌味のようなものである。それも悪意がないという事がわかってからは、受け流すように努めていた。慣れてしまえば、その嫌味も会話の応酬として楽しめた。
 周囲から気にかけられている、というのは何となく感じていた。幼い頃に父親を亡くした。それで、大人達は自分に気を使っている。この事は嬉しくもある半面、それに甘えてはならない、と俺に思わせた。
 最初に、強くなろうと思い定めた。実父であるシグナスのような男になりたい、という一心から、俺はそう決めたのだった。だが、今思えばそれは、早く一人前になりたい、という動機からだったような気がする。まだ世間も何も知らない俺が行き着いた答えは、強くなる事だったのだ。
 そして、初陣だった。この初陣で、俺は左眼を失った。武神の子、ハルトレインに敗れたのだ。
 槍での勝負は互角だったと言っていい。いや、もしかしたら俺の方が劣っていたかもしれない。それでも、勝負はできた。だが、問題は槍ではなかった。
 見えたのは光だった。その光が見えた直後、視界の左半分が消えていて、ハルトレインは、私の剣をかわした、と言った。
 剣。ハルトレインは、武器を持ち替えたのか。つまり、剣と槍の二段構え。しかし、今となっては真相はわからない。当時の俺の武芸は未熟だったと言わざるを得ないし、何より俺には大切なものが欠如していた。
 それは、戦う理由だった。全ての基本となるこれが、俺にはなかった。
 そして俺は、長い療養生活の中で、旅に出ようと決心した。父、ロアーヌの死は、俺の心に多大な衝撃を与えた。だからこそ、旅に出ようと決心したのだ。シグナスが、ロアーヌが抱いた大志。それを、俺も見つめる必要がある、と感じたのだ。
 一年の旅の中で、二人が抱いた大志が俺にも見えてきた。この国は、腐りきっている。特に地方は、人の世とは思えない様相を呈していた。その中で、人々はひっそりとした暮らしを営んでいる。
 戦う理由、大志は、見えた。二人が抱いた大志、すなわち、この国を倒すという夢は、俺が受け継ぐ。だが、それと同時に、もっと今の国の姿を見てみたい、とも思った。民は、どうしたいのか。もっと言えば、本当にメッサーナは国と戦っていいのか。俺が受け継いだ大志は、民の想いと合致しているのか。
 今のまま、メッサーナに帰って国と戦えば、これは独善になりかねない。本当に、民は国が嫌なのか。メッサーナに成り代わる事に不満はないのか。これだけでも、確認する必要がある。
 終わりの見えない旅だという事はわかっていた。だが、答えが見つかりかけている、という思いも同時にあった。
 そういう旅の中で、シオンと出会った。
 不思議な男だった。出会った瞬間、自分の足りない何かを持っている男だ、と感じた。ニールとは全く違う、特別な何かを、シオンは放っていたのだ。
 賊退治を通して、それはより確実になった。共に旅をさせて欲しい、と願い出て来た時には、宿運を感じた。
 シオンも同じような事を感じたのだろうか。今では義弟となり、兄上、と俺を慕ってくれている。そして、シオンは方天画戟の達人でもあった。その腕前は相当なもので、何度か立ち合いをやってみたが、欠点というようなものは見当たらなかった。もっと修練を積めば、天下に名を轟かせる豪傑になる可能性も秘めている。
 かつての剣のロアーヌと槍のシグナス。俺とシオンも、そうなる時が来るのかもしれない。
「兄上、こちらでしたか」
 寝そべったまま星を見つめていると、シオンの声が聞こえた。
「もう、季節は冬です。あまり長い間、外におられると風邪を引きます」
「すまなかった。ちょっと、考え事をしていたんだ」
「昔の事ですか?」
 シオンが、俺の傍に腰を下ろした。すでに霜が降っているのか、草の湿った音がしている。
「まぁ、そんな所だ。ニールはまだ調練をやってるのか?」
「村人ではなく、俺の子分ですが。子分達も、自分で望んで調練をやってます」
 シオンの子分は、いくらか変化を見せていた。自分達で生き抜く、という意志を見せ始めたのだ。賊退治をした頃は、シオンに依存している、という面が強かった。
「年明けには、この村を出よう。一つの所にこれ程、長く留まったのは、今回が初めてだ」
「はい。俺も同じです。兄上と一緒だったので、そう長くは感じませんでしたが」
「次は、少し南に行ってみようか。そこには、とんでもない大河が流れているらしい。また、何か見つかるかもしれない」
 言って、俺は上体を起こした。
「星は綺麗だな、シオン」
「はい」
 返事をしたシオンは、微かな笑顔を作っていた。
 シオンの目には、この星空はどう映っているのか。儚さは、見えているのだろうか。
 俺は、そんな事を思っていた。

     

 旅立ちの荷造りを終えた。荷造りと言っても、大した事ではない。元々、持ってきた荷物の量が少ないのだ。むしろ、旅立ちの心の準備をする方が、ずっと大変な事だった。
 この村の居心地は良かった。貧しさはあるが、それは決して悲観的なものではなく、貧しさの中に、温もりと安らぎがあった。これ以上、この村に居ると、旅立てなくなってしまう。
 村の長から、餞別を受け取って欲しい、と言われたが、それは丁寧に断った。餞別と呼ばれるものは、すでに受け取っている。それは、滞在中の食糧であったり、寝床であったりした。
 壁に立てかけてある槍を手に取り、俺は外に出た。見慣れた朝陽が、今日は特別に眩しい。雪が、微かに積もっている。
 すでに、シオンとニールは外で待っていた。
「遅いぜ、レン。こんなクソ寒い中、あんまり人を待たせてんじゃねぇよ」
「すまない、ニール。いよいよ旅立ちかと思うと、名残り惜しくてな」
 年が明けて、まだ間もない。北の大地ほどではないが、寒さは身体にこたえた。二人とも、動物の毛皮で作った外套を身に付けている。吐く息も白かった。
「シオン、子分達との別れは済んだのか?」
「はい、兄上。全員、納得してくれました。子分達はこの村で、自警団となって暮らします」
 それを聞いて、俺は黙って頷いた。シオンの眼に、別れを惜しむ色はない。それでも、表情はどこか寂しげだった。
「行こうか」
 三人で、村の出口に向かって歩いた。村人達は、いつもの生活を送っている。そうするように、願い出たのだった。大仰な見送りをされると、別れの思いが強くなる。この村では、それを感じるぐらいの繋がりは出来ていた。
 それでも、村人達は笑顔で会釈し、手を振ってくれる。調練をつけた村の若い男などは、雑談の時に教えた敬礼をしてくる者も居た。
 出口の所で、数十人の人だかりが見えた。
 シオンの子分である。
「シオン兄、今までありがとうございましたっ」
 子分達が、声を揃えて言った。
「今までの流浪、楽しかったですぜ。シオン兄の方天画戟は、天下一だ。だから、俺達と一緒に居る事はねぇ」
「天下に飛んでくだせぇ。賊退治なんかじゃなく、シオン兄は天下だ」
 シオンの子分達は、俺達の旅の目的は知らない。それでも、天下という言葉を使っている。何かを感じ取ったのだろう。そして、俺が見据える先も天下だった。
「御達者で、シオン兄」
「レンの兄貴も、ありがとうございました」
 言われて、俺は頷く事しか出来なかった。右眼が、何故か熱い。
「ニールの兄貴も、馬鹿なりにありがとうございました」
 調子の良い奴がそう言って、ニールが怒鳴りつけた。それで、笑い声がどっとあがった。
「ふざけやがって。おい、レン。さっさと行こうぜ」
「あぁ」
 笑い声に包まれる中、村を出た。シオンが、振り返っている。涙を流しているのを見て、俺はうつむいた。別れなのだ。
「お前達と過ごした流浪の日々は、決して忘れないっ」
 シオンが、声をあげた。それに呼応して、歓声があがる。
「さらば」
 シオンが呟く。声が、震えていた。俺もニールも、それには触れなかった。
 村から、ずいぶんと遠ざかった頃だった。
「シオンにぃぃぃっ」
 遠くから、声が聞こえたのだった。振り返ると、一人の男が走ってこっちに向かってきている。
「おいおい、ありゃダウドだろう」
 ニールが溜め息まじりにそう言った。ダウドは、シオンの子分の一人で、臆病者とされている者だった。賊退治で、荷車を曳いた男である。
 ダウドは、確かに怯えはよくみせるが、それは芯からの怯えではないと俺は思っていた。自分に自信がない。そういう類の怯えなのである。だから、俺はダウドの事を臆病者だとは思っていなかった。自信さえ持てば、きちんとした男になる。その素質は、十分に感じさせていた。
「お前なぁ、何やってんだよ」
 息を切らしてへたり込むダウドを見て、ニールがなじるように言った。
「ごめん。でも、俺、シオン兄と一緒じゃないと駄目なんだ」
「せっかくの感動の別れを、台無しにしやがって。お前、他の奴から恨まれるぞ」
「ごめん。でも」
 シオンは、黙ったままだった。ニールはやれやれ、といった表情である。
「俺達の足跡を辿ってきたのか」
 俺は、静かにそう言った。今日は雪が積もっていて、ダウドはその足跡を辿って来たのだろう。この付近は、旅人も少ない。
「ごめん。俺も、あの村で暮らそうって思ってたんだ。でも、やっぱり納得できなくて」
「それで連れてって欲しいってか?」
 ニールがそう言うと、ダウドは息を切らしながら頷いた。
「お前みたいな臆病者を連れていけるか、さっさと引き返せ」
「やめろ、ニール。しかし、参ったな」
 見る限り、ダウドの持ち物は腰にぶら下げた剣、一本のみである。相当、急いで来たのだろう。これだけで、気持ちは本物だという事が分かった。
「迷惑はかけないよ。調練で、人並には戦えるようになった。だから」
「うるせぇぞ。臆病者が、どうやって戦うっていうんだよ」
「ニール、やめろと言ってる」
 俺がそう言うと、ニールは舌打ちして横を向いた。ニールは、ダウドのような軟弱な男が嫌いなのだ。だが、分かり合えない程でもない。
「ダウド」
 シオンが、ようやく口を開いた。
「なんで、俺達の後を追ってきた。あの村で、お前は納得しただろう。他の子分も一緒だったはずだ」
「だから、シオン兄と一緒じゃないと」
「いつまでも、共に流浪はできない、と言ったはずだ」
「わかってるよ。でも、一緒じゃないと駄目なんだよ。俺はシオン兄についていくって決めたんだ。これ以外に、何て言えば良いかわからないよ」
 ダウドが泣き声混じりでそう言うと、シオンは黙り込んだ。眉間にシワを寄せているが、どう思っているかまでは分からない。
 ダウドは十四歳だった。まだまだ童で、言う事もやる事も幼いと言わざるを得ない。だが、素質はある。ただ、何の、とまでは言えない。伸ばす所によって、それは違ってくるだろう。つまり、それだけの素質の選択肢も持っている。
「兄上」
 言って、シオンは答えを求めるように俺を見てきた。
「シオン、これはお前が決める事だ。ダウドは俺じゃなく、お前を慕ってここまで来た」
 ダウドの気持ちは分かった。シオンも、分かっているだろう。この男に付いていく、と心の底で決めた。これは理屈でもなんでもない。シオン自身も、この事は身にしみる程、分かっているはずだ。
「ダウド、俺はレン殿を兄として慕い、兄上と呼ばせてもらっている」
「うん」
「だから、お前もレン殿を兄として慕え。俺の事をシオン兄と呼ぶなら、レン殿も兄と呼べ」
「シオン兄、それって」
 ダウドが顔をあげると、シオンは横を向いた。ニールは額に手をやり、顔を横に振っている。
「シオン兄、レン兄。じゃぁ、ニールさんは?」
「好きにしろよ、ちくしょう」
 言って、ニールは背中を向けた。声は苛立っていたが、本当はそうでもないだろう。
「鳥頭、はやめておけ。殺される」
 シオンが冗談を言うと、ニールが怒鳴り声をあげた。
 四人の旅か。それも悪くない。笑い声の中で、俺はそう思っていた。

     

 旅を再開して、二週間が経過しようとしていた。次の目的地は、ローザリア大河の港町、ミュルスである。
 ミュルスは、交易で栄えた町だった。この国で最大を誇る河川、ローザリア大河を懐に抱え、そこで様々な取引を行っているのだ。
 俺は、船というべき船を見た事がなかった。メッサーナは山岳地帯であるため、大きな川などは流れていない。湖などはあるが、どれも小船で事が足りる規模だった。北の大地も、似たようなものである。メッサーナと違うのは、冬になると河川や湖などは凍りついてしまうという事だった。
 他人にはあまり言える事ではないが、俺は泳げなかった。ニールも同じである。というより、メッサーナで生まれ育った者のほとんどは、そうだろう。泳ぐという習慣がないのだ。シオンやダウドは、泳げるのだろうか。
 遠くの方から、ニールの怒鳴り声が聞こえていた。ダウドに稽古をつけているのである。俺はシオンの方が良い、と言ったが、ニールが甘すぎるから駄目だ、と突っぱねた。
 不思議だったのは、ニールに稽古をつけてもらう事を、ダウドがそれほど嫌がらなかった事だ。二週間の間、ニールはよくダウドの頭を引っ叩いていて、俺がそれをたしなめる、という事が多かったが、ダウドはダウドなりに何かを感じたのかもしれない。無論、ニールも無意味に引っ叩いていた訳でもないだろう。ただし、はたから見れば、ただの八つ当たりだ、と思える事が多かったのも事実である。
「兄上、枯れ枝を持ってきました」
 シオンが、両手いっぱいに枯れ枝を抱えて、戻ってきた。
「ありがとう。それだけあれば、今日の寒さは十分に凌げるだろう」
「この怒鳴り声、ニールですか」
「あぁ。ダウドは、今日も絞られているぞ」
 俺は、焚き火に向かって、枯れ枝を放り投げた。パチパチと、小気味の良い音を立てている。
「ダウドは怒鳴られるのに慣れていません。委縮してしまう所があります」
「稽古が心配か、シオン?」
「それは、俺を兄と慕ってくれていますから」
「俺は、ニールとダウドの組み合わせは悪くはない、と思うがな」
 ダウドは臆病、というより慎重で、ニールは大雑把過ぎる。もう少し違う視点で言えば、ダウドは守りが上手く、ニールは攻めが上手い。つまり、互いに互いの欠点を補える形になるのだ。ニールも、ダウドに稽古を付ける事で、無意識に防御について学ぶ事ができる。ただ、今は力量の差が歴然としていて、ニール側のメリットはあまり無い。
 しかしシオンは、心配そうな表情を変えなかった。
「稽古を見に行こうか、シオン」
 俺がそう言うと、シオンは頷いた。
 森を抜けた広間で、ニールとダウドは向き合っていた。ダウドの息はすでに荒く、剣を構えるだけで精一杯のようである。
「おら、ダウド。何をぼーっと突っ立ってんだ。早く打ってこい」
 ニールが声をあげるも、ダウドは動かなかった。というより、動けないのだろう。体力の限界が来ている。だが、そこからさらに一歩踏み出せれば、それは成長に繋がる。この事は、父であるロアーヌに稽古をつけてもらった中で、何度も経験した事だった。
「ダウド、頑張れ」
 シオンが、呟いた。ダウドが歯を食い縛る。次に、剣を持つ手が僅かに上がったかと思うと、ダウドはそのまま崩れ落ちた。
「情けねぇ、ガキだ」
 ニールが舌打ちをかましながら言った。そのままダウドに歩み寄り、偃月刀の取っ手でダウドの背中を小突く。
 ダウドは、うめき声を発するだけで、動かなかった。もう、今日の稽古は無理だろう。
「ニール、お前やり過ぎだろう」
 シオンが、頃合いを見て出て行った。
「あん? なんだよ、シオン。俺のやり方に文句があんのかよ」
「ある。お前、ダウドをなんだと思ってる」
「クソガキの雑魚だ。俺達の荷物だ。それ以外になんかあんのか?」
「お前っ」
 シオンがニールの胸倉をつかんだ。それでも、ニールは表情を変えなかった。
「シオン、てめぇは強いから分からないだろうが、そういう心遣いはダウドには無用だぞ。むしろ、余計な事だ。ダウドは自分が弱い事を分かってる。そして、それを変えたいとも思ってる。お前のその心遣いは、それを無駄にしてんのと同じだ」
「それにしても、言い方があるだろう。やり方だって」
「甘いんだよ、シオン。今はそれで良いかもしれねぇ。だが、俺達はいずれメッサーナに帰るんだ。そして、国と戦う。その時、その甘さで生き残れんのかよ? シオン、お前は強いから大丈夫だろう。だが、ダウドは死ぬぜ」
「兵として」
「兵として生きるかどうかは分からないってか? お前、ダウドの言葉を忘れたのか。この雑魚は、お前についていくって言ったんだぞ。お前はどうすんだよ。レンについていくんだろうが。レンは兵になるぞ。そしたら、お前もダウドも兵じゃねぇか」
 ニールがそう言うと、シオンはニールの胸倉から手を離した。拳が、震えている。
「今、こうしてる時でも、俺の親父は、バロン将軍は戦ってるかもしれねぇ。レンが兄と慕う、クリス将軍だってそうだ。使える時間は限られてんだよ。弱い奴は、この時間の中で強くなっていくしかねぇんだ。お前みたいな、強い奴には分からないだろうがな」
 ニールの言っている事は、正論だった。非の打ちどころのない、正論である。だからこそ、シオンもニールの胸倉から手を離したのだ。確かにニールのやり方は酷だと言わざるを得ないが、ダウドは嫌がっていない。ならば、第三者が介入するべきでもないだろう。
「シオン兄、俺、強くなるよ」
 顔を地べたに埋めたまま、ダウドが言った。
「ふん、言うだけなら簡単なんだよ」
 ニールが言うと、ダウドは微かに笑っていた。今に見ていろ、そういう笑い方だった。
「それとシオン、この雑魚の事を勘違いして捉えているようだから教えてやるが、こいつは臆病なんかじゃねぇ。慎重なんだよ。いや、さらに言えば用心深い。お前、もっと自分の子分の事をしっかりと見ろよな」
 言って、ニールが焚き火の方に歩いていった。シオンは、俯いている。
「ニールも、ただの馬鹿じゃないって事だ。シオン、あいつから学ぶ事も多くあるぞ」
 そう言って、俺はシオンの肩に手をやった。
 シオンは、俯いたままだった。

     

 ニールから言われた事が、ずっと気になっていた。お前は強い。だから、ダウドの事がわからない。ニールは、そう言ったのだ。
 ダウドの事は、よく理解しているつもりだった。気が小さく臆病で、子分の中でも手のかかる方ではあったが、頑張り屋でもあった。そして何より、やると踏ん切りが付けば、信じられないような働きもする。ダウドは、そういう男だった。
 いや、そういう男であったはずだった。ニールが言ったのは、臆病ではなく、用心深い、という事だった。俺よりも、ずっと付き合いが短いはずのニールが、ダウドの事をそう評したのだ。
 ニールの稽古が、見ていられなかった。ダウドの良い所を、潰してしまう、そういう稽古だった。だが、実際はそうではなかった。稽古に口を出したら、ニールに正論を吐かれて、ダウドもニールのやり方を受け入れていた。
 それが何故か、辛かった。ダウドの事をよく理解していなかったからなのか。ニールに言い負かされたのが、悔しかったからなのか。
 今夜も、眠れそうになかった。
 俺は上半身を起こして、焚き火の方に目をやった。すでに炎はなく、おき火となっている。
 風が吹いた。ひどく冷たい風で、思わず俺は身を縮こまらせた。年が明けたといえども、まだ春は遠い。野宿をするには、冬は辛い季節である。
 俺は、傍に置いてある方天画戟を手に取って、立ち上がった。三人は、よく眠っているようだ。ニールなど、大きなイビキまでかいている。
 三人を起こさないよう、気を付けながら、俺はその場を離れた。
 眠れない日は、方天画戟を振るう事にしていた。戟を振るっていると、気持ちが澄んでくる。戟を一回振る度に、雑念も散っていくのだ。
 闇の中だった。月は出ているはずだが、森の中のため、月明かりは無いに等しい。
 鈍く、重い風の音が聞こえていた。俺の方天画戟を振る音である。
 ダウドは、着実に強くなろうとしている。ゆっくりと、本当にゆっくりとではあるが、強くなろうとしているのだ。それを邪魔したのは、確かに悪かったかもしれない。だが、ニールのやり方は酷烈すぎる。あんなやり方では、ダウドが先に潰れてしまうのではないのか。
 だが、ニールは甘い、と言った。俺のやり方が、考え方が甘い、と言ったのだ。俺のやり方では、生き残れない。ニールはそう言った。
 確かに正論かもしれない。だが、ダウドにはもっと適したやり方があるはずだ。ダウドはニールのやり方を受け入れたが、もっと他に何かあるのではないのか。ダウドとの付き合いは、俺の方が長い。だから、俺の思っている事の方が正しい、という気もする。
 気付くと、息が乱れていた。同時に暑いと感じて、身にまとっていた外套も脱いだ。
「シオン」
 ふと、背後から声をかけられた。振り返ったが、闇夜で姿は見えない。ただ、声でレンだろう、という事は分かった。 
「兄上ですか。起こしてしまったのなら、申し訳ありません」
「いや、ずっと起きてたさ」
 足音が近付いてきて、ぼんやりとレンの姿が浮かび上がった。
「ニールの言った事に納得ができないのか、シオン?」
 単刀直入に、そう言われた。表面に出さないようにはしていたが、レンには気付かれていたらしい。
 俺は返事をしなかった。別に言うべき事でもないだろう、という気がしたのだ。
「俺はニールのやり方は悪くない、と思う。お前に言うべきかどうか迷ったが、やはり言っておいた方が良いな」
 レンが一呼吸、間を置いた。その間が、何故か、ためらいのようなものを感じさせた。
「ニールのやり方でダウドが潰れたら、それまでだ。俺達と縁がなかった。そういう事になる」
 何を言うのですか。この言葉が喉まで出かかったが、何とか抑えた。さらにレンが言葉を続ける。
「俺達は遊びで旅をやってるわけじゃない。あの稽古で音を上げるようなら、ニールが言ったとおり、ダウドはお荷物になる」
「兄上、その言葉」
 言って、俺はレンに対して腹が立っている事に気付いた。
「酷な事を言っているとは思わない。ダウドは、俺達に付いてきたんだ。お前を慕って、という形はあるが、だからと言って、ダウドを特別扱いをするわけにはいかない」
「俺がダウドを守ります」
「駄目だ」
「何故ですか」
 方天画戟を持つ手が、震えている。ダウドを守る事の何がいけないのだ。弱者を守る。これは、当然の事だろう。
「お前がダウドに殺される。ダウドに足を引っ張られる形でな」
「兄上、言いたい事があるなら、はっきりと言ってください」
「ダウドから、離れてみろ。親の元から、子が巣立っていくのと同じように、ダウドもその時が来ている」
 レンが、何気なく言った。しかし、妙に心に響いた。
「ニールはお前のことを甘い、と言ったが、おそらくそうじゃない。ダウドを手のかかる弟のように思っているだけだ。だから、その思いを、一度捨ててみたらどうだ」
 レンが僅かに口元を緩める。
「ダウドは、ニールの稽古を乗り越えるぞ。必ずだ。弟を、信じてみたらどうだ、シオン」
 そう言って、レンは背中を見せて歩き出した。焚き火の所に、戻るのか。
 束の間、立ち竦んでいた。
 レンは、最初にわざと俺にきつい言葉を投げかけてきたのかもしれない。俺は、確かにダウドの事を手のかかる弟のように思っていた。だから、無闇に庇いたくなる。守ってやりたくなる。
 しかし、これが仲間なら、信頼できる弟なら、もっと違う感じ方をしたのではないのか。そして、ニールの言った事にも、自然と頷ける、という気がする。
 レンは、この事を会話の中で気付かせようとしたのかもしれない。
 いつまでも、ダウドを守ってやる必要はない。というより、ダウドが俺の元を離れたというのに、俺がダウドから離れられていなかった。
「兄上」
 俺は、レンが去って行った方に向けて、頭を下げた。
 ニールに言われた事は、もう気にならないだろう。そう思うと、急に眠くなってきた。
 明日からは、よく眠れそうだ。

       

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Neetsha