Neetel Inside 文芸新都
表紙

剣と槍。受け継ぐは大志
第十章 思惑

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 正気を失いかけていた。いや、それが分かっているだけ、まだ幾分かはマシなのだろう。ただ、気が狂いそうなのだという事は、はっきりと感じていた。
 私は一国の王を殺したのだ。それも毒で、苦しめながら殺した。私は国の宰相でありながら、国の王を殺したのだ。
 最初は良かった。殺す前も良かった。そして、殺した直後も良かった。良かったというのは語弊があるが、殺してしまった方が良い、という考えだったのだ。殺した直後などは、やっと清い政治が始められる、と思った程だった。そして何より、多忙だった。
 だが、時が経つにつれて、何かが心を蝕んでいった。一国の王を殺してしまったという、罪悪感。数百年という歴史を積み上げてきたのは、国であり王なのだ。いや、王の血筋だと言っても良い。私はそれを、一時的にではあるにしろ、故意に断ち切ってしまったのだ。
 軍人など、何人も人を殺しているではないか。レオンハルトなど、それこそ数え切れないほど殺しただろう。そう思って、自分を保とうとした。だが、それと同列に語れる事ではなかった。軍人が殺したのは、敵だ。当然、相手も自分を殺そうとしてくる。しかし、私が殺したのは敵ではない。いや、それ所ではなく、王族なのだ。それも、在位中の王である。
 そういう事を考え始めてから、私は自分が自分でなくなるように感じていた。ウィンセからも、様子が変わった、と言われた。雰囲気という意味だと捉えていたが、ふと鏡を見てみたら、そこにはまるで知らない人間が映っていた。頬は痩せこけ、眼だけが異様に飛び出している男が、そこには居たのだ。
 それからしばらく、鏡は見ていない。
 仕事はきちんとこなしている。政治もすぐに成果を挙げ、民などは目に見えて幸福となった。だが、それでも王を殺したという罪が消えてなくなる事はない。
 罪は償うべきだった。自らの命を持って、償うべきだった。
「レオンハルト大将軍、お久しぶりです」
 夜半に、私はレオンハルトの屋敷を訪ねた。死んでしまう前に、何故かこの男と話しておきたい、と思ったのだ。
「変わられたな、フランツ殿。まぁ、それは儂も同じか」
 そう言って、レオンハルトは口元だけに笑みを浮かべた。隙間風が吹いているのか、部屋の隅に置かれているロウソクの火が揺れている。
 レオンハルトは、左腕を失ってから見る見る内にやせ細った。今など、どこにでもいる老人と何ら変わりない。
「貴殿が、どういった用件で儂の所に参られたのかは、あえて聞くまい」
「レオンハルト大将軍、私は」
「良い。いや、語ってくれるな。自らが仕えていた主が、自然死でなかったなどという事は、儂は聞きたくない」
 そう言われて、私は俯くしかなかった。ただ、レオンハルトは知っていた。私が王を殺した事を、いや、私がここに来た理由を、知っていたのだ。
 私が王を殺したという事実は、私だけの秘密だった。感づいているとすれば、ハルトレインぐらいだろう。何故、レオンハルトが知り得たのか。そう思ったが、今はどうでも良い事だった。
「もう次の世代の時代だよ、フランツ殿。ハルトやレキサス、ウィンセなどのな」
「しかし、レオンハルト大将軍は」
「その大将軍というのも、あと僅かの時の事だ」
 レオンハルトは本格的に退役するのだろう。しかし、その後任は誰になるのか。現時点での序列を考えれば、エルマンが有力なのだろうが、適切なのかどうかは分からない。そして何より、息子のハルトレインをどうするのか。
「若い者というのは、難しいな。言葉で伝えた所で、理解できる者はごく僅かだ。それに行動を付け足しても、理解できない者も居る」
 そう言って、レオンハルトは茶の入った椀を口に持っていった。誰の事を言っているのか分からないが、おそらくはハルトレインの事なのだろう。
「フランツ殿、自ら死ぬ事だけはよされよ」
 全てを見抜いたように、レオンハルトは私の目を見据えていた。
「貴殿にはまだやる事が残っておる。ウィンセを宰相の座に付ける下準備がな。あれは、一人の力で宰相まで上れるか?」
 束の間、考えた。無理ではないが、難しいだろう。ウィンセは一般家庭の出自である。家系の血筋というのは、どうしても地位に関わってくる。そして、これだけは能力ではどうしようもできない。
「死ぬまで働かずとも良いではないか。若い世代に、繋げる。フランツ殿の仕事は、もうずいぶん前に終わっていたのではないかな」
 レオンハルトの言葉を聞いて、私は目頭が熱くなっているのを感じていた。しかし、涙は出て来ない。そんなものは、とうに枯れているのだ。
 私の仕事は、王を殺した時に終わっていたのかもしれない。後の事は、ウィンセに任せれば良い。ウィンセは、私が育て上げた男なのだ。
「お互い、老いましたな。身体も心も」
「なに、人はみんなそうだ。しかし、悩みはいつまで経っても無くならぬ。これも、お互い様であろう」
「まさしく」
 言い終えて、僅かではあるが、私は心が軽くなっている事に気付いた。ただ、罪悪感は変わらずに残っている。
 死ぬのは、ウィンセに全てを託してからにした方が良いだろう。私はそう思っていた。

     

 私は共を連れ、ロアーヌとシグナスの墓前で祈りを捧げていた。
「報告するのが遅くなったが、ランス殿がそっちに逝った。後の事は、全て私に任せてくれ」
 言って、立ち上がる。
 メッサーナは国となり、私は王となった。将軍から王になる。この事について気負いは無かったが、環境の変化はまさに目まぐるしいものがあった。何せ、一国の主となったのだ。ただ、やる事自体はそこまで変わっていない。私の周りには頼りになる臣下が多く居るのだ。
「しかし、臣下、か」
 独り言を呟き、私は苦笑した。以前までは同志であったのに、今は臣下である。そう考えると、どこか苦笑もしたくなるのだ。
 今、メッサーナは内政を中心に整えており、これは宰相であるヨハンが上手くまわしている。ヨハンは、元々、メッサーナの政治を取り仕切っていた事もあり、王の私などよりも優れた政治手腕を発揮していると言って良いだろう。
 一方の軍事はそれぞれの将軍に任せてあるが、全体を見るのはクライヴの役目だった。ただし、私の弓騎兵のみは例外である。弓騎兵だけは、私自身が管轄するようにしていた。
 王になったからと言って、私は戦に出るのをやめようとは思わなかった。むしろ、こんな時代だからこそ、王自身が戦に出るべきだろう。そして、王が戦に出られる、というのは、国に対するメッサーナの優位性と言って良い。国の王は、まだ齢八歳であり、これはむしろフランツの傀儡と考えるべきだ。そして、フランツは政治家であり、戦に出てくる事はまずない。
 かつてのレオンハルトは、その姿を戦場に現しただけで、官軍の士気を大いに上昇させた。それに倣うわけではないが、私の王という立場は、最大限に利用するべきだろう。
 私が戦に出る事については、文官を中心に反対意見が続出したが、最終的には認める形となった。文官の言う事はわかるが、王が戦に出なくなったからこそ、あの国は腐ったに違いないのだ。元々は、国も王が戦に出ていた。そして、その時の国はまさに繁栄の象徴だった。
「よし、ピドナに帰る。早く戻らねば、ヨハンがうるさいからな」
 そう言いながら、私はホークに跨り、共を連れてタフターン山を後にした。
 今回、ロアーヌとシグナスに会いに来たのは、いわば礼儀のようなものだった。あの二人は、メッサーナ建国の立役者なのだ。二人が居なければ、メッサーナはここまで大きくなる事は無かった。私も北の大地の領主として、つまらない人生を送る事になっていたかもしれない。
 ピドナに戻り、私はすぐに王宮に入った。王宮と言っても、国のそれと比較すれば鼻で笑われる。元々のピドナ政庁を、それらしく飾り付けた程度のものなのだ。一方の国の王宮は、贅の限りを尽くした豪華絢爛なものである。ただ、王宮を立派にした所で大した意味はない。しかし、余りにも質素であれば、民らも不安を抱いてしまう。当然、外交などにも支障が出るだろう。王という立場は、この辺りにも気を使わなければならず、私にとっては少々、堅苦しい部分でもあった。
「バロン王、お早いお帰りで」
 私の姿を見つけ、ヨハンが話しかけてきた。この所、ヨハンは口うるさい。おそらく、歳のせいだろう。私もそうであるが、ヨハンの年齢は五十を迎えようとしている。
「宰相がうるさいからだろう。そうやって声を掛ける辺りが、またな」
 ルイスが皮肉を混ぜながら言った。言われたヨハンは何食わぬ顔である。
「もう間もなく、クライヴ大将軍が参られます」
「わかった。軍議の用意を頼む」
 私はそう命じて、私室の方に向かった。私室には妻が居て、今は何かの編み物をやっているようだった。妻であるカタリナは、王妃になった今でも家事などは自分でこなしているという。
「カタリナ、マルクとグレイはどうだ?」
 マルクとグレイは私とカタリナの間に出来た子だった。共に男児であり、長子がマルクでその弟がグレイである。
「二人とも、良く育っています。でも」
「マルクか?」
 私がそう言うと、カタリナは困ったような表情で頷いた。
 マルクは、何に対しても無気力だという傾向があった。というより、受け身なのだ。特に学問や武術の類だと、嫌がる素振りも見せる。一方のグレイは好奇心旺盛で、マルクとは正反対の性格だった。また、何をやらせても、グレイの方が良い結果を出す。二人はまだ四歳と三歳になったばかりだが、現時点ではグレイの方が優秀だった。ただ、長子はマルクなのだ。
「難しいな。いや、教育をお前に任せっぱなしである私が言える立場ではないのだが」
「あなたは王ですもの。仕方ありませんわ。内の事は私に任せて。昔から、そういう約束だったでしょう?」
 言われて、私は黙り込むしかなかった。カタリナは、よくやってくれている。私をいつも支えてくれるのだ。その上で、子供達の面倒も見てくれている。
「すまん。僅かな時間だが、子供達と顔を合わせてくるよ」
 私がそう言うと、カタリナは小さく頷いた。次いで、私は子供部屋の方に向かった。
「ちちうえー」
 部屋に入るなり、グレイの元気な声が聞こえた。すぐにこちらに駆け寄ってくる。一方のマルクは、私に一瞥をくれただけで近寄ろうともしてこない。
「ちちうえ、ご本を読んで」
「あぁ、後で良いのなら、読んであげよう。マルク、お前もどうだ?」
「うん」
 顔を別の方に向けたままの、素っ気ない返事だった。おそらく、興味がないのだろう。ならば、どうして興味がないのか。そして、グレイはどうして興味を持っているのか。しかし、本人達に聞いても、答えは返って来ないだろう。いや、親である私が考えるべき事なのだ。
「失礼します。バロン王、軍議の準備が整ったそうです」
 従者がやって来て、そう言った。
「分かった。すぐに行く」
 グレイの頭を撫でてやり、私は子供部屋を出て、軍議室に向かった。軍議室に入ると、各々はすでに席についていた。
「すまん、待たせたな。では、軍議を始めよう」
 話し合うのは、メッサーナの今後の動き方についてだった。アビス原野を攻めるのか。もしくは、別の所を攻めるのか。
 今の私は、父親であると同時に、メッサーナの王だった。

     

 次の戦が決まった。その矛先はミュルス地方であり、目的は領土拡大だった。
 現状のメッサーナでは、アビス原野を抜く事は難しい。これはバロンの意見であったが、同意する声は強かった。単純な国力差もあるのだろうが、今のメッサーナは昔と比べて大きく力を付けたとは言いにくい。対する国の方は、徐々にではあるが力を付けてきている。と言うより、元々持っていた力を回復させたのだ。国はレオンハルトという大きな柱を失いつつあるが、代わりにハルトレインやレキサスといった次世代達が台頭している。それだけでなく、フランツが実権を握って内政も整いつつあった。
 矛先をミュルスに決めたのは、交易の主導権を握れるからだ。国の物流の中心がミュルスであり、ここを取れば天下はグッと近くなるだろう。ミュルスの他には、かつてサウスという将軍が治めていた南方の地が攻撃候補としてあがったが、これはすぐに却下された。南方は治安が悪いだけでなく、異民族の脅威もあるのだ。だから、保持し続けるのは至難の業と言って良い。確かに領土は拡がるが、奪取後のメリットが小さすぎるのだ。
 今回のミュルス攻略の作戦は、二段階に分けられていた。
 まず第一段階であるが、これは攻撃拠点の確保が目的だ。ミュルス地方には、砦が一つ存在しており、まずはここを攻め取るのである。その際に軍を二分し、一つはアビス原野へ、もう一つは砦に向けて出陣する。
 まず、アビス原野の方であるが、これは陽動だ。メッサーナは、これまでに二度もアビスに攻め込んでいる。だから、国もアビスには目を光らせているだろう。俺達はこれを利用する。すなわち、国の主力をこちらに引き付けるのだ。
 アビスには、その目的が陽動であるためか、かなりの兵力が投入される事となった。俺のスズメバチ隊もこれに含まれていて、他にはアクトの槍兵隊、シルベンの戟兵隊、さらには王であるバロンの弓騎兵までもが出陣する事となっている。そして、後方のコモン関所には、大将軍のクライヴが配される事となった。
 一方の砦に攻め込むのは、シーザーの獅子軍だった。俺達の陽動によって敵の目をアビスに引き付け、その隙に速さに優れる騎馬隊で砦を奪うのである。砦を守る敵軍の兵力は二千程度であり、守りは薄い。アビスでの陽動の効果も相まって、獅子軍の攻撃はそのまま奇襲になり得るだろう。また、後続としてクリスの戟兵隊が控えており、これは奪取後の砦の守備に回る。
 砦の奪取に成功すれば、俺のスズメバチ隊はミュルスへの攻撃軍に回る事になっていた。他にもアクトの槍兵隊も加わり、ここからミュルス攻略に本腰を入れる事となる。すなわち、ミュルス攻略戦の第二段階だった。
「しかし、スズメバチ隊が陽動か」
 俺は調練を眺めながら、独り言を呟いた。
「不服ですか、レン殿?」
 言ったのは、すぐ隣に居たジャミルだった。スズメバチ隊の中で、今回の作戦を知っているのは俺とジャミルだけである。
「いや、そうじゃないさ。ただ、ちょっとな」
 バロンの作戦については、これ以上にない最上のものだろう。特に陽動については、スズメバチ隊だけでなく、バロン自身もアビスに出陣するのだ。他にも、過去にアビス原野の戦いを経験したアクトやシルベン、後方には大将軍のクライヴが待機しているなど、編成を見れば、誰も陽動だとは思わない。
 ただ、陽動となると、軍の動き方が変わってくる。攻めるにしても、時間稼ぎを意識した形となるだろう。つまり、全力を出せない。
「ハルトレインですか」
 不意にジャミルがそう言ったが、俺は何も答えなかった。
 決して、こだわっているつもりはない。ただ、意識せざるを得ないのも事実である。おそらくだが、ハルトレインはアビスに出てくる。それだけの力を持っているし、そういう立ち位置にも居るのだ。そのハルトレインと、まともにぶつかれない。いや、ぶつかっても良いのだろうが、大筋の目的を考えると、ぶつかるべきではない。陽動の後には、ミュルス攻略戦が控えているのだ。
「お気持ちは分かりますが、私情を挟むべきではありませんな」
「分かっているさ、ジャミル」
「それを承知で、俺も申し上げました。なんというか、レン殿の事は昔から知っていますので」
 そう言われて、俺は苦笑するしかなかった。元々、ジャミルは俺の上官だった。それが今では副官である。歳も俺より四つ上だった。
「しかし、シオンは良い動きをしますね。遠目で見ると、良く分かる。旗本にしておくのも、勿体ないぐらいですよ」
 今やっている調練は、小隊ごとのぶつかり合いだった。旗本は当たり前として、シンロウの隊も良い動きを見せている。特に攻撃時がそうだ。
 シンロウ隊の調練内容は、攻撃中心のものにしていた。これは長所を伸ばすためである。他の隊も、それぞれの長所や短所に合わせた調練を課すようにしている。そして、これらの調練の結果が合わさって、スズメバチ隊は最強の名を欲しいままにしているのだ。
「少し、果敢過ぎるな。シオンが出てくる」
 ジャミルが呟いた。シンロウの事を言ったようだ。元々、シオンはシンロウの隊に居た。だから、お互いに意識はしているはずだ。
 ジャミルが言った通り、暴れながら指揮を執るシンロウに、シオンが向かって行くのが見えた。
 その直後、シオンがシンロウを馬から突き落とした。その手際は見事なもので、方天画戟の一撃だった。調練用とはいえ、シンロウも受け切れなかったのだろう。
「あいつ、シオンと張り合おうとしたな。個人戦で勝てる訳がないってのに」
 ジャミルが舌打ちしながら言った。その様子を見て、俺は口元を緩めた。ジャミルは、シンロウの事を買っているのだ。
 その後も、シオンは奮戦を続けた。危なっかしい所はあるが、それだけに目立つ活躍もしている。あとは、実戦をやらせるしかないだろう。
 今度の戦は、シオンの初陣か。俺は、そう思っていた。

     

 メッサーナが軍を動かした。その矛先はアビス原野であるが、どこか不可解なものが付きまとうのが気にかかった。所々が不自然なのだ。これは僕が感じただけの事でしかないが、これまでにこういった予感が外れた事はない。
 まず第一に、軍の編成が不自然だ。あのバロンが、前線に出てくるのである。今までのメッサーナ、すなわち国となる前のメッサーナであれば、これはおかしな事ではない。バロンはピドナの太守であったものの、結局は一人の将軍に過ぎなかったからだ。だが、今のメッサーナに当てはめれば、話は違ってくる。今のバロンは王なのだ。つまり、一国の主なのである。
 そして、今回のアビス攻めは、一国の主が出陣する戦にしては、どことなく安直だった。少なくとも、満を持した出陣という訳ではないだろう。そう断定するには、あまりにも工夫がなさすぎる。つまり、これまでの正攻法と、何ら変わりない出陣なのである。
 これまでの正攻法では、メッサーナが勝利できる可能性は限りなく低い。これは今までの結果から見ても明らかだ。さらには、メッサーナにはヨハンやルイスといった切れ者が揃っている。この切れ者たちが、今回の出陣を黙って見過ごしたのか。いや、そもそもで、バロン自身がここまで愚かだとは考えにくい。
 だとすれば、何か裏があると考えるべきだろう。しかし、都の方では迎撃の構えを大々的に見せており、総大将のエルマンを始めとして、ハルトレインやフォーレといった将軍らが出陣していた。さらには、レキサスの地方軍にも援軍要請があり、ヤーマスとリブロフの二人を送り込んでいる。
 本当は、援軍を阻止したかった。ヤーマスとリブロフはレキサスの腹心であり、今の地方軍の主力となる将軍だからだ。しかし、ここで援軍を出し渋れば、要らぬ疑いを掛けられる可能性があった。レキサスは短期間で力を伸ばしたせいで、周囲から妬みを買ってしまっている。この事は、本人は気付いていないだろう。僕の所で、出来る限りの処理をしているのだ。
 都が大々的に動いたという事は、エルマンらはメッサーナの不可解さに気付いていない可能性が高い。それに、もう間もなく戦が始まるはずだ。
「ノエル、やはりミュルスの兵をもっと送るべきではないのか? アビスには、あのスズメバチ隊も出てきているというぞ」
 レキサスの声が聞こえた。いつの間にか、僕の部屋に入って来ていたらしい。考え事をしていると、周りが気にならなくなる。これは、幼い頃からの僕の癖だった。
「なりません。アビスは、ハルトレインに任せていれば良い。我々は、ミュルスを守る事に専念するべきです」
 ヤーマスとリブロフには、それぞれ五千の兵を付けていた。二人の力量を考えれば、五千という数はいかにも少ない。二人とも、万の兵を指揮する力を備えている。それをあえて五千にしたのは、アビスに兵力を割き過ぎるのは避けるべきだと思ったからだ。
「レキサス将軍は、今回のメッサーナ軍を、どこかおかしいと思いませんか?」
「さぁ。強いて言うなら、バロン王が出てきている事だろうが」
「それもあります。しかし、それは決定的ではない。僕はそう思うのです」
 僕がそう言うと、レキサスは顔を上に向けて唸り始めた。
 レキサスは、良い意味で鈍感だった。そして、この鈍感さが英傑の素質だと僕は思っていた。
 レンやハルトレインは鋭すぎる。これは、英傑の主張が強すぎる、と言っても良いだろう。上手くは言えないが、あの鋭さは自らを滅ぼしかねない。だから、誰か補佐する人間、いや、鈍らせる人間が必要だろう。そして、その役目は僕では無理だ。
 鋭すぎ、かつそれをコントロールできている人間は、僕が知り得る中ではレオンハルトただ一人だけだ。だが、レオンハルトは運に恵まれなかった。生まれる時があと二十年遅ければ、それこそ天下の覇者となり得ただろう。
 これらを全て踏まえた上で、レキサスは英傑になる素質を備えている。その証拠に、わずか数年で新米将軍から地方の軍団長にまで上り詰めたのだ。次は大将軍だが、これは狙わない方が良いだろう。レキサスは大将軍という器ではない。これは大きさという意味ではなく、種類の意味である。そして何より、本人が大将軍となる事を望んでいなかった。
「私はミュルスの守りを固めた所で、と思うぞ。軍が瞬間的に移動できるなら話は別だろうが、メッサーナで機動力に優れている軍は、スズメバチ隊とシーザーの獅子軍ぐらいだ」
 その瞬間、レキサスの言葉が僕の頭を貫いた。
「獅子軍。そうか」
「どうした、ノエル?」
「獅子軍ですよ、レキサス将軍。アビス原野には、獅子軍が出てきていない」
「ノエル、今更、何を言っている?」
「野戦なのに、騎馬隊がスズメバチ隊しか出てきていない。これはどう考えても不自然ですよ」
「まぁ、確かにそうだが」
 メッサーナの狙いは、このミュルスだ。これは、ほぼ間違いないだろう。アビスはあくまで陽動であり、本命はミュルスである。他の地方を狙っている事も考えられなくはないが、奪取後の有益性を考えれば、ミュルスが最有力候補になるのは明白だ。
 だが、レキサスが言った通り、軍は瞬間的に移動は出来ない。ならば、まずはミュルス攻めの足掛かりとなる場所を取ってくるはずだ。
「レキサス将軍、砦の兵力は二千のままですね?」
「そうだ。小さい砦だからな。仕方あるまい」
 獅子軍の兵力は一万前後だろう。とすれば、二千の守備など紙のようなものだ。指揮官が優秀であれば、堅守もできるだろうが、今の地方軍では期待しない方が良い。
「砦の前方に伏兵を配しましょう。上手くすれば、シーザーの首が取れるかもしれない」
「獅子軍が来るというのか、ノエル」
「ほぼ、間違いなく」
 問題は指揮官だが、残っている誰かを充てるしかない。レキサスにはミュルスに居てもらう必要があるのだ。この時、ヤーマスかリブロフのどちらかが居れば。
 だが、それでも上手くすれば、シーザーを討てる。討てるはずだ。

     

 今頃、レンやシオンはアビスで激戦を繰り広げているはずだった。陽動が目的とは言え、今の官軍は手抜きで相手ができるものではない。ひとたび、ぶつかり合いが始まれば、官軍もメッサーナ軍も、それ相応の犠牲を払うだろうという事は容易に想像できた。
 まだ、戦を知っている訳ではない。恥ずかしい話だが、俺は二十歳になったというのに、戦に出た事がないのだ。友人であるレンなど、十五歳の時に戦を経験している。シオンも、俺より一つ年下のくせに、今回の戦で初陣を飾る事となった。
 周囲から、威勢が良いと言われてきた。親父がそうだから、息子もそうなのだ、とも言われてきた。
 威勢が良いというのは、自分でも分かっていた。周りを見れば、自分が乱暴者だという事も分かる。ガキの頃などは、威勢の良さで目立っていたようなものだ。一方、その頃のレンは、良く出来た優等生といった感じで、何かと気に食わなかった。それで、俺の方から絡んだりしていたが、相手にされる事はなかった。すました態度で、ちょっとだけ俺に目をくれる程度だったのだ。その辺りも、俺の神経を逆撫でした。
 ある日、俺はいつものようにレンに絡んだ。レンも、俺にちょっとだけ目をくれた。ただ、その後にため息を吐かれた。それが妙に頭に来た。なめられている、と思ったのだ。それで俺はレンに喧嘩を吹っ掛けた。
 殴り合いの喧嘩だった。結果的には引き分けであったが、それから何となくという感じで、俺とレンは仲良くなっていった。
 当時、つまりはガキの頃の話だが、喧嘩は引分けだった。だが、今は引き分けにする事も出来ないだろう。俺とレンの力量差は、どうしようもない程に広がってしまっている。
 レンは槍のシグナスの息子だった。同時に、剣のロアーヌの息子でもあった。そして俺は、獅子軍のシーザーの息子なのだ。
 親父の事は尊敬していた。一部の人間は猪だと馬鹿にするが、それは違う、といつも思った。前に突き進むというのは、難しい事だ。まず、勇敢でなければならない。勇敢であるという事は、男にとって最も大事な事だ。そして、勇敢と無謀は違う。
 親父の戦は、無謀ではない。きちんと機を読み取り、前に突き進む。それは、勇敢でなければ出来ない事のはずだ。
 獅子軍の兵達は、そんな親父の事を好いている。実際に、兵となって分かったが、親父は粗野でありながらも深い思いやりを持っている。しかし、周りは親父の事をただの乱暴者だという風にしか見ない。
 損をしている、とは思わなかった。俺にも、そういう所があるからだ。だからこそ、親父の事も尊敬できた。獅子軍の兵になれて、良かったとも思えた。しかし、それと同時に、他の軍には行けないだろう、とも思った。獅子軍の居心地は、独特の良さを持っている。どこか、家族のようなものを感じさせるのだ。そして、獅子軍のそんな所が、俺は好きだった。
「親父、いつ出動するんだ?」
 獅子軍は、北の都であるユーステルムで待機していた。出動となれば、ここから一気にミュルス地方まで突っ走る事になる。だからなのか、軍は常に出動態勢を維持していた。
「アビスの戦況が激化してからだ、ニール」
 親父が言ったのを聞いて、まだアビスでのぶつかり合いは始まったばかりなのだ、と思った。ただし、アビスから伝令が走ってくるのに、ある程度の時間差はある。親父が言ったのは、今掴んでいる情報、という事だろう。
「退屈か?」
「親父はどうなんだよ」
「まぁ、退屈と言えば退屈だな。しかし、若い頃ほどじゃねぇ」
 確かに、親父はもう歳だった。髪の毛には白髪が多く混じっているし、髭にも白いものが混じっている。指揮も、最前線ではなく、中軍で執るようになった。元々は、最前線、それも先頭に立って指揮を執っていたらしいのだ。
「しかし、お前もついに初陣だな、ニール」
「出来の悪い息子で悪かったな」
「全くだぜ。獅子軍の戦、きちんと見ておけよ」
 決して、気負っている訳ではない。しかしそれでも、妙な気分の昂りがあった。
「そういや、最近、ルイスに会ってねぇなぁ」
 親父がぽつりと呟いた。
 親父とルイスが不仲であるというのは、かなり有名な話だった。ルイスが親父を馬鹿にするのだ。ルイスが人を馬鹿にするのは珍しい事ではないのだが、特に親父が過剰に反応するのだろう。その辺りが俺にはよく理解できないのだが、それはルイスがかなり年上だからだろう、と思えた。仮にシオンやダウドが俺を馬鹿にしてきたら、想像しただけでも怒鳴りたくなるのだ。
「あいつと口喧嘩しねぇと、何となく気が引き締まらねぇ」
「嫌いなんだろ? ルイス軍師のこと」
「まぁな。だが、居ないと物足りねぇんだ」
 そう言って、親父は鼻で少しだけ笑った。ルイスは、アビス原野の戦に軍師として参戦しているはずだった。今頃、レンやバロンに嫌味でも言っているのだろう。
 しばらく、待機の日々が続いた。その間、二度、三度と伝令はやって来たが、獅子軍は待機のままだった。まだ、アビス原野の戦況はそれほど動いていないのだろう。
 雨が降っている日だった。伝令が、またやって来た。
「獅子軍、進発する」
 しばらくして、親父の号令がかかった。すぐに騎馬隊が隊列を組む。俺も、馬に跨った。
「目標はミュルス地方の砦だ。全速で駆け、奪取するぞ」
 獅子軍が、ユーステルムの軍営を飛び出した。駆け出すと同時に、風と雨が顔を打ったが、心地良かった。俺は、獅子軍の兵なのだ。いや、この戦で兵になるのだ。

       

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