Neetel Inside 文芸新都
表紙

剣と槍。受け継ぐは大志
第十八章 黒豹

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 都のある宿の一室で、俺達は息を潜めていた。ここは、黒豹の潜伏場所である。
 宿は、白豹が手配したものであり、主人や使用人などは、全員メッサーナの人間だった。もちろん、普通の客も泊めている。そうしないと、怪しまれるからだ。
 白豹が、ハルトレインが間もなく南を平定する、という情報を手に入れたのは、潜伏を開始して数週間が経った頃だった。出所は確かなもので、これで俺達も急ぐ必要が出てきた。国の宰相、ウィンセ暗殺である。
「しかも、都に凱旋するというのか」
 今、ハルトレインはレキサスという将軍の下に就いているが、それが都に戻ってくるのだという。つまり、旧レオンハルト軍に配属し直される、という事だ。白豹の情報によると、軍権などの整理も行われるらしく、ハルトレインが軍権を握る可能性が高いらしい。旧レオンハルト軍の代表とも目されているエルマンという将軍などは、大将軍に据えたい、とまで言っているのだという。
 今、国の軍権はウィンセが握っている。これはレオンハルトが、次期大将軍を決めなかったからだ。それで前宰相のフランツが軍権を引き継ぎ、フランツはウィンセに譲った。今度は、そのウィンセがハルトレインに譲ることになるのか。
「ハルトレインが帰ってくるまでに、ウィンセを始末する。もう時間の猶予はない」
 黒豹の女隊長、ファラが言った。
 時間の猶予がない、というのは確かな事だろう。そもそも、ウィンセ暗殺の目的は開戦の機を得るため、というのが大きかったのだ。それも、メッサーナが大きな優位性を持って、という最大の利点を確保してである。
 ウィンセが居なくなれば、国の政治は間違いなく乱れる。ウィンセ以外に、適当な為政者が居ないからだ。これは白豹が入念に調べあげており、あえて言うならば、宰相となれる人材はミュルス地方に居るノエルぐらいなものだろう、と言われている。ただし、今はまだ若すぎて宰相という任には耐えられない。経験もないし、頼れる存在も他に居ないのだ。
 だからこそ、ウィンセ暗殺だった。ウィンセを消せば、メッサーナは一気に攻め入る事ができる。軍権もウィンセが握っているし、今なら他に使いこなせる者も居ない。つまり、国を混乱に陥れてから、開戦が可能なのだ。
 しかし、いくらか事情が変わってきていた。まず、ハルトレインが大きくなりつつある。いや、すでに大きくなっているのだろう。大将軍に据える、という話まで挙がっているのだ。まだ、三十歳にもなっていないはずだが、軍の最高位に座ろうとしている。これは驚異的な事である。戦の手腕は幼少の頃から有名だったらしいが、問題とされていたのは人格だった。それが、上手く矯正されたのか。
 そのハルトレインが南を平定して都に戻ってくれば、ウィンセ暗殺の効果は限りなく薄れる事になるだろう。まず、国が開戦の機を得る事になる。南が平定されれば、国は後顧の憂いを絶つ事に繋がり、全力でメッサーナに向かい合える形となるのだ。それに加えて、軍権までもが移譲されれば、軍はかなり身軽に動けるようになるだろう。これでは、単純にメッサーナが不利になってしまうだけである。この状態でウィンセを暗殺しても、五分に持っていくのがやっとだという気がする。
 元々、黒豹の暗殺対象は、ウィンセとハルトレインの二人だった。これはバロンが指定した事だが、白豹が情報を集めていく内に、ハルトレインの暗殺は不可能だ、とファラが判断した。
 ハルトレインは一人で居る事が多く、警護の人数も少ない。一見、簡単にやれそうだが、その実は非常に難しいのだという。殺気を鋭敏に感じ取り、眠っている時でさえも隙がないらしいのだ。俺は実際に近づいた事もないが、そんな男に暗殺を仕掛けるのは危険だというのは、すぐに分かった。
 どんなに隠しても、殺気は漏れる。殺す意志がある限り、これはどうしようもない事だ。そして、殺気を感じ取られた時点で、暗殺は失敗である。むしろ、逆襲される可能性だってあるだろう。ハルトレインのような男は、暗殺ではなく、表の戦で討つべきだった。つまり、黒豹の仕事対象ではない。レンやシオンのような者に任せるのが妥当である。
 一方のウィンセは、警護の人数は多いものの、単体で考えれば暗殺可能な部類に入る。武術を少しやっていただけに、一筋縄ではいかないだろうが、きちんと計画を練りさえすれば、十分にやれるはずだ。
 ただ、障害として闇の軍が居る。闇の軍は、どういう意図かは分からないが、ウィンセの周囲を固めるように動いているのだ。さらには、バロンに迫っている、という情報もある。この辺りは信憑性が低いが、注意しておくに越した事はなかった。闇の軍は過去に、シグナスを暗殺しているのだ。
「闇の軍との暗闘は避けられない。犠牲が出るため、抜け道を探し続けてきたが、もう時間がない」
 ファラは焦っているようだった。バロンの命令はウィンセ暗殺だが、その裏には様々な事情が複雑に絡み合っている。そして、ハルトレインの成長がそれに拍車をかけているのだ。ただ、ウィンセの行動パターンは探り続けてきた。白豹のおかげで、これだけはほぼ確実に把握していると言って良い。
「白豹の情報をまとめ直して、暗殺を実行する」
 いつやる、とは言わなかった。闇の軍に情報が漏れる可能性がある。ファラがやる、といったその瞬間が、実行期日だった。
「闇の軍には虚報を流せ。出来るだけ、戦闘は避けたい」
 ほとんど効果は無いだろう。すでに、そういう諜報戦は嫌というほどに繰り広げているのだ。ただ、やらないよりはマシである。
 ファラがそれぞれに指示を出す。俺を含め、数名は待機を命じられた。情報によっては、すぐに動く事も有り得るのだ。そのための準備という事だろう。
 暗殺実行の時は近い。

     

 星も月も見えない夜空だった。雨の兆しはないが、空気は湿っていて、どことなく隠微な雰囲気である。だが、隠密行動を取るには最適な環境だった。
 これから、ウィンセ暗殺を行う。すでに白豹も行動を開始しているはずだ。
 場所はウィンセの屋敷である。屋敷なら、政庁よりも衛兵の数が少なく、ウィンセの動きも把握しやすい。
 暗殺のやり方としては、まず白豹が屋敷の隅で火事を起こす。それで、屋外の衛兵達の気を引き付け、その隙に黒豹が屋敷に潜入し、ウィンセを始末する、というものだ。
 言うだけならば、難しくはない。もっと言えば、屋敷に潜入する所までは問題なくやれるだろう。要はその先である。火事が発覚した時点で、ウィンセは身の安全を確保しようとするはずだ。闇の軍もそれに呼応し、動き出すに違いない。つまり、暗殺の時間は僅かしかないのだ。時間にして、五分から十分という所だろう。
「手筈どおり、二人一組で動く。闇の軍との暗闘は避けられん。覚悟しておけ」
 物陰に身を潜めながら、ファラが言った。すでに全員、漆黒の忍装束である。
 黒豹は五十人で構成されているが、その内の二十人は退路の確保で別方面に放っていた。つまり、ウィンセの暗殺は三十人でやらなければならない。対する闇の軍は、百を超える人数だろう。虚報でいくつかは動かしたが、効果の程がどれほどかは定かではない。
「ダウドは私と組め」
「良いのかよ?」
 俺がそう言うと、ファラは冷たい視線を投げかけてきた。
「お前が最も私の身体能力に近い。私の判断に疑問を持つな」
「そうかい。そりゃ、すまんかったわ」
 俺は自身の身体能力を黒豹一だと思っていた。ただ、判断力が鈍い。土壇場ともなると、どうして良いか分からなくなるのだ。そういう欠点を、身体能力で補ってきた、という所も多分にあるだろう。
 しばらくすると、屋敷の隅から煙があがるのが見えた。宰相の屋敷というだけあって、広大である。各方面の衛兵達が、次々に騒ぎ始めている。白豹が衛兵のなりをして、騒ぎを煽っているのかもしれない。
「任務を開始する」
 ファラはそれだけを言って、駆け出した。それぞれが各方面に散っていく。まとまって動くのは危険だった。闇の軍に一網打尽にされるからだ。とにかく、黒豹は闇の軍に数で劣っているのだ。
 屋敷の敷地内に潜入した。塀の上に飛び上がり、そのまま屋根へと伝っていく。眼下では、数人の衛兵が煙の方へ向かって、走っているのが見えた。
 ファラとは言葉を交わさなかった。眼で会話している。その訓練も嫌という程に積んだ。
 不意に血の匂いがした。風上。風に乗ってきたのだ。すでに闇の軍は動いている。ファラが眼でそう言った。ウィンセの部屋まで、屋根伝いに行く。不思議と闇の軍とは遭遇しない。それが、何ともいえない不気味さを感じさせた。
 金属音。この壁の向こうだ。闇の軍とやり合っている。ファラを見ると、余計な事を考えるな、と眼で言われた。
 ウィンセの部屋。窓の側に身を寄せる。中の様子を伺おうとしたが、幕がされていて見えない。だが、何か嫌な予感がした。今まで、この予感が外れた事はない。罠だ。直感的に、俺はそう思った。ここからの侵入だけは、絶対にやめた方が良い。
 ファラを見る。ここを突き破る、と言ったが、俺が駄目だ、と突っぱねた。黒豹において、ファラの判断は絶対である。ファラが短剣を鞘から抜き、俺の喉元に突きつけてきた。それでも、俺は引かなかった。
 通路の窓から屋敷内に侵入し、扉を開けて部屋に入った方が良い。罠だ。俺は目でそう言い続け、ファラが折れた。
 すぐさま通路の方に身を翻す。窓の鍵を静かに開錠し、屋敷内に侵入した。辺りを見回すが、人の気配がない。衛兵すらも居ないのだ。何か妙だ。
 ファラが忍び足で部屋に近づく。数秒、耳を澄ましてから、俺に眼で言葉を送ってきた。中には一人。ウィンセである確証はないが、私が扉を開けたと同時に、飛刀で仕留めろ。
 俺は頷き、腰元から一本の短剣を抜き取った。毒塗りである。身体のどこかに刃が触れれば、確実に死に至らしめる事が出来る。飛刀の腕前は、黒豹に入ってからも磨き続けてきた。百発百中。それでいて、多少は無理な姿勢から放っても、命中率は下がらない所まで鍛え上げた。
 手のひらの汗が滲む。心臓の鼓動が早くなり、呼吸が速くなっていく。ここが勝負時だ。
 腹を決めた。次の瞬間、肉体と精神が統一される。扉、開く。椅子。人の背中。見えた。そして、放った。
 絶叫。仕留めた。だが、背格好が違う。ウィンセじゃない。身代わりか。次の瞬間、最初に侵入しようとしていた窓に向かって、無数の矢が飛んでいった。何かの拍子に、矢が発射される仕組みになっていた。やはり、罠があった。
 ファラが部屋に踏み込む。俺もその後を追った。部屋。その瞬間、殺気。
 感じるよりも先に、俺とファラはその場を飛び退いていた。
 闇の軍だった。十人程度。漆黒の忍装束を身にまとい、壁や天井に張り付いている。それぞれ、短剣を構えていた。何も言わず、俺とファラは背中を合わせた。
 殺気が弾ける。無音。いや、風だけが鳴いた。次の瞬間には、敵が三人、地に這いつくばっていた。俺に斬られた者は、毒のせいで全身が痙攣してしまっている。
 風。天井に張り付いた一人が、身体を回転させながら突っ込んできた。すかさず、短剣を相手の眉間へと放つ。短剣は頭蓋に突き立ち、敵の屍が床上に転がった。
 辺りを見回した。闇の軍との交戦は想定内の事だ。あくまで、俺達の任務はウィンセ暗殺である。ウィンセを仕留めなければ、全てが水の泡なのだ。ここはウィンセの部屋だ。何か無いのか。すでにウィンセ本人はこの場に居ないが、それほど時間は経っていない。まだ、どこか近くに居るはずなのだ。何か痕跡はないのか。
 不意にファラが肘で俺の背中を小突いてきた。あそこの本棚。行け。そういう合図だった。
 本棚だと。すぐに目を向ける。だが、何も無い。いや、よく見ろ。僅かな奥行きとその隙間。それを見止めた。
 俺は走った。隠し通路だ。本棚の裏が隠し通路になっているのだ。闇の軍が一斉に飛び掛ってくる。それをかわしながら、俺は懸命に走った。ファラが真横で援護してくれている。だが、闇の軍の猛攻は止まらない。何とか、ファラが敵の一人をすれ違いざまに斬った。
 この必死さ、間違いない。あの先にウィンセが居る。本棚。取り付く。スライド式になっている。押しのける形で本棚をどかせた。通路。
「ダウド、行けっ」
 初めて、任務中にファラが喋った。
「お前はどうすんだっ」
「足止めする。行け、お前の飛刀でないと、ウィンセは始末できないっ」
 それは良いが、足止めだと。一人で五人の相手。レンやシオンじゃあるまいし、ましてやファラは女だ。
「行け、貴様は二度も掟を破るのかっ」
 そう言われて、俺は舌打ちした。それで、背を向けた。
「来い、闇の軍。私はシグナス将軍のようにはいかないぞっ」
 ファラの声。聞こえたが、振り返らなかった。とにかく、駆ける。任務を全うするために。

     

 急いでいた。だが、音は立てられない。音を立てれば、すぐに気付かれる。この隠し通路は石で出来ており、音が反響しやすくなっているのだ。
 進みながらも、周囲には細心の注意を払った。壁、床、天井。何か痕跡があるかもしれない。それだけじゃなく、罠が仕掛けられている可能性もあるのだ。すでに二つ、見破っているが、この二つは老朽化のせいで作動する気配は無かった。
 つまり、この隠し通路自体は古くからあるという事だ。罠が修復されていないのを見る限り、利用頻度も滅多にない、という状況なのだろう。そして、あの闇の軍の必死さ。間違いない。この先にウィンセは居る。俺は、そう確信していた。
 だが、一人であるという確証は無い。むしろ、闇の軍が護衛に付いていると考えて然るべきだろう。そうなると、戦闘は出来るだけ避けたかった。暗殺ならともかく、まともな戦闘となると分が悪い。環境を味方につければ話は変わるが、それでも相手による、としか言いようが無いのだ。
 進み続けると、微かな足音が聞こえた。走っている。音は一人分だ。背後を振り返る。聞こえない。つまり、追っ手ではない。ならば、ウィンセに追いついたのか。しかし、音が一人分、という事が引っ掛かる。
 四の五の考えている余裕はない。そう思うと同時に、俺は息を殺した。短剣を抜き取り、滑るようにして前に進む。何度か、後ろを振り返った。追っ手はファラが食い止めているはずだが、無残に殺されても仕方が無い、という状況だった。一人で五人を相手にしなければならないのだ。だから、安心は出来ない。
 前方。少し広くなっている。部屋、と表現した方が良いのか。だが、あぁいう場所にこそ、罠が仕掛けられている。それでも、躊躇は出来ない。ウィンセが近いのだ。止まらず、一気に進んだ。部屋に入る。
 人の気配。一人。ウィンセか。いや、堂々とし過ぎている。ただ、罠は無いようだ。
「まさか、子供とは」
 前方を見定めた。声ですぐに分かったが、姿を見て、俺はため息をついた。悪い意味で、口元が緩む。
「フィストさん、か」
 闇の軍の隊長だった。フィストというのは、あくまで黒豹が勝手に付けたあだ名に過ぎない。拳で相手を殺してしまう事で、付いたあだ名だった。つまり、武器は体術なのだ。突き詰めて考えれば、これは最強の武器になり得る。剣や槍、弓が使えない環境など、いくらでも転がっているからだ。
 思えば、先代の闇の軍の隊長も、体術が武器だったという。その体術で、シグナスは死んだ。
「ファラが来るものと思っていた。ここを墓場にしてやるつもりだったが」
「ファラは忙しい。ここには来れないよ」
「それで、お前なのか?」
「そういう事になる」
 俺は喋りながら、先の足音に気を配っていた。やはり遠ざかっている。察するに、足音の正体はウィンセだろう。一人分しか聞こえなかったのは、フィストが足音を消して進んでいたからだ。そして、俺という名の追っ手が居る事に、フィストは気付いていた。
 状況は最悪だった、フィストは闇の軍で最強の男である。ファラですらも、無闇に手は出さなかった。いや、だからこそなのか。だからこそ、ウィンセの護衛に回ったのか。
「子供だろうが、手加減はせん。内臓を床にぶちまけるんだな」
 瞬間、フィストの姿が消えた。たいまつの灯。揺れる。短剣を構えたが、何の意味も成さない事は俺自身が分かっていた。
 動いた。短剣を構えても、攻撃を受ける事など出来るはずもない。僅かな気配を掴み取り、とにかくそれから離れるように動いた。
 飛刀だ。飛刀しかない。この局面を打開するには、一撃必殺、毒塗りの飛刀だ。直撃じゃなくても良い。掠りさえすれば、フィストは始末できる。
 そう考えた瞬間だった。不意にフィストが眼前に現れた。驚愕と同時に身体を仰け反らした瞬間、フィストの右脚が消えた。刹那、左腕の骨が芯まで軋む。激痛で一瞬、呼吸が止まった。声すらも出なかった。
 左腕は粉砕された。痛みで訳が分からないが、単なる骨折などという生易しいものではない。見たくなかった。ただ、とにかく血しぶきが舞っている。
「急所に放っていた。それを左腕で受けるとは。だが、それで苦しみは倍増した」
 フィストが目の前に立っている。飛刀だ。飛刀を。だが、身体が動かない。いや、痙攣しているのだ。左腕一本をやられただけで、全身が痙攣してしまっている。毒か。この男、四肢に毒を塗っているのか。
 どんどん息が荒くなってくる。フィストが無言で俺の左腕を掴んだ。そのまま、下に向かって引っ張る。絶叫。無表情のフィストが、俺に左腕を見せてきた。そして、ゴミを放るようにして後方に投げた。
 千切れかかっていたのか。俺の左腕は、もう無いのか。フィストが首を鳴らした。
 死ぬ。殺される。
「任務失敗だな」
 瞬間、心臓の鼓動が鳴った。そして、全身が軽くなった。フィストの拳。顔面。当たれば、首が吹っ飛ぶ。後方に飛び退く。同時に飛刀。
 フィストが手の甲でそれを払う。分かっていた。分かっていたさ。だから、同じ軌道でもう一本、放っていた。短剣。フィストの眉間を貫く。そのまま、フィストは大の字で倒れた。
 視界が歪む。だが、身体は軽い。
 俺の任務。ウィンセ暗殺。ウィンセを殺すまで、死んでたまるか。走った。無我夢中で走った。
 視界がグルグルと回り、転がっているのか、走っているかも分からなかった。嘔吐。血も混じっている。ただ、それでも進んでいる。吐しゃ物を撒き散らしながらでも、進んでいるのだ。いや、本当に進んでいるのか。もう、何がどうなっているか、訳も分からない。
 不意に身体が重くなった。命の終わり。それが近い。だが、まだウィンセは死んでいない。殺していないのだ。黒豹は、まだ任務を全うしていない。
 前。黒い塊。それが見えた。なんだ、あれは。動いている。肌色がチラついている。いや、何でも良い。もう何でも良い。とにかく、飛刀だ。投げまくってやる。
 耳鳴りがした。しばらくして、それが叫び声だという事が分かった。一瞬だけ、目の焦点が合った。ウィンセだった。ウィンセが白目を剥いて、倒れ込んでいる。
 それで俺も倒れた。
「任務、完了」
 口に出して言った。
 無性に星空が見たかった。まだ、シオンと一緒に流浪をしていた頃、俺はよく星空を眺めていたものだった。袂を分かった仲間達は、元気にしているのだろうか。俺が黒豹に入ったなんて、誰一人として考えてもいないのだろうな。
 あの頃の俺は、ただの臆病者だった。でも、今は違う。
 今は違う。シオンに、そう言って欲しいと思った。しかし、それが叶わない事だというのは、はっきり分かっていた。

       

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