◆ 問一・殺し屋
始末するべきターゲットは一人。殺しの技術に長けており武装も十分。
さてどう始末するか。
◆ 答
とある街角とある大通り。
「これは最高にクールな仕事だとは思わないか?」
鬣(たてがみ)と形容出来そうなくらいな金の髪を緩めのオールバックにまとめ、真っ黒なアルマーニのスーツに身を包んだ大男が少し高めの声で言う。
目元は真っ黒なグッチのサングラスでキリリと決め、腕には金のロレックスをジャラジャラと巻き、胸には純金でできたライオンをモチーフにしたチョーカー。いかにもといった風貌の男はなぜか隣に居た少年に答えを求める。
「そうですね。レオンさん」
すこしうんざりした様子でそれに答えた少年は、レオンと呼んだ男とは比べ物にならないほど普通だった。特徴をあげようにも何処にでも居そう。の一文ですんでしまう。それは隣の男が妙な存在感をかもし出しているのもあるが、それでも少年は道端の石ころのようにどこか儚げだった。
「伝説のMr.スミスを殺ろうだなんてこの依頼主もずいぶんとぶっ飛んだ事をしやがる。しかもオープンソースだなんてさらにぶっ飛んでやがるよな」
レオンが上機嫌なのはいきなりネット上に上がった殺しの依頼のせいだった。携帯に映る依頼主からの情報にレオンは最高にクールだと楽しそうに体をよじる。
「みろ、依頼達成率100%の凄腕らしいぜ」
「あぁ、それじゃレオンさんと一緒なんですね」
言ってから少年はしまったと額に手を当てるが既に時遅し。隣にいたれ音は少年が想像していた通り眉間にしわを寄せ、おっかない顔で少年を見下ろしていた。
「おいおい凛。もっぺん言って見ろよ。誰がこの老いぼれと一緒だと?」
土器をはらんだそのせりふの次の瞬間には、いきなり襟首をつかまれた凛と呼ばれた少年は宙に吊るされていた。
身長差は約二倍。その距離が重力を伴ってギリギリと凛の気管を圧迫していく。
「なぁ……教えてくれよ凛!」
まさに雄たけびに近い問いかけだった。
空気をビリビリと震わせるその声に周囲に居た人も、流石にどうかしたのかと足を止める。
いかつい男に少年が絡まれている。誰がどう見てもそう思えるその光景に、誰かが止めろと言おうとした。だが、それは声になることはかなわずヒューヒューと乾いた唇を震わせる呼吸音へと変わる。
それは実に正しい反応だった。正面からその殺気を浴びていないのにその有様なのだ。真正面から受ければ気をやっていたかもしれない。
「ご、ごめんなさい」
なんとか絞るようにして紡いだその声はレオンにきちん届いたようで、あっさりとレオンはつかんでいたシャツを離す。
受身も取れず背中から落ちた凛は芋虫のように痛みから逃れようと身をよじったが、更なる追い討ちが無防備に晒された腹部に到来する。
ぴかぴかに磨かれた黒の靴先が凶器に変わるとき、凛は肺に残ったわずかな空気を搾り取られる。
「ごめん……なさい」
小さい体をさらに小さく丸め、体を刺すように迫りくる蹴りを受けながらも凛はだたひたすらに懺悔する。
「ふっ」
何度蹴られたかその数が両手両足では足りなくなってきたころ、レオンは飽きたといわんばかりにピタリと蹴るのをやめた。
「腹減ったな」
ぽつりとつぶやいたレオンの頭の中はすでにその日の夕食に染まっていた。
「オムライスか?」
白目をむいて気絶していた凛を見て、なぜかそう思ったレオンはひょいと荷物を拾うかのようにボロ雑巾のようになっていた凛を拾い上げ、その歩先を自宅へと向かわせる。
レオンが去った後、時が止まったように固まっていた人たちは、何だ夢だったのかと自己の記憶を捻じ曲げ、再び歩き出し、レオンのことなどすっかりと忘れてしまうのだった。
凛が目を覚ましたのは翌日の夕方だった。
「オームライスオムライスー」
ふりふりのかわいらしいエプロンを巻いたレオンは、奇妙な鼻歌を歌いながらフライパンを握っていた。
猛獣に無理やりドレスを着せたみたいで最高に似合っていなかったが、長年の付き合いである凛にはただ、今日は機嫌がいいんだなとほっと胸をなでおろす程度のイベントだった。
「おはようございますレオンさん」
「んあ?」
首だけを向けてレオンは凛の姿を確認する。
「ちょうど今飯ができる」
そう言うとレオンは慣れた手つきで調理を再開する。
「いっつ」
ミシリと体の節々が悲鳴を上げる。もちろん凛は痛みに顔をしかめたが、加減されていたのか後に響くというわけでもなさそうだなと冷静に自己分析する。丁寧に巻かれた包帯をそっと手でなでると、どうしてこのやさしさが普通に見せられないのだろうか。と一人ごちる。
「どれ位寝てましたか?」
「約一日。我ながらすばらしいね」
計算してやったとでも言いたげなレオンだったが、その実それは冗談やハッタリではないのは凛が一番よく知っている。
依頼達成率100%。手段は選ばず力によって相手をねじ伏せる百獣の王。胸に光るチョーカーが今やナンバーワンとも言われる殺し屋レオンの通り名だった。
「明後日だな」
スミスと達筆な文字で書かれたオムライスを机に置くとレオンはノートPCを操作する。
「これは?」
ディスプレイにはデフォルメされた絞首台とそれに吊るされた人型。その横には無機質な数字が並んでいた。
「Mr.スミスの本領発揮といったところだろ?」
それだけで凛はなるほどと理解する。リアルタイムで更新されているらしいその数字はたまに増える。
首吊り男・ハングマン。それがMr.スミスと呼ばれる男の通り名だった。その由来は言わずもがな始末した相手を最終的には絞首刑のように中吊り状態にするからだった。
つまりはこのディスプレイに映る数字は始末された人数ということになる。
「しかし、もう20を超えてますよ?」
「ま、賞金の額と、ハングマンを殺った。って箔がつくなら多少の無茶でもしたくなるんじゃねぇの?」
あまり興味がないといった様子で増え続ける数字から目を離すと今度はびっしりと文字が並ぶページを真剣なまなざしで読み込んでいく。
興味がないといいながらももうレオンの頭の中では目の前の獲物をどう始末するかという命題にシフトしている。
「どうして明後日に?」
ふとした疑問をぶつけてみた。
「気分だよ」
「そうですか」
こちらもあまり興味無さげに答えると凛はオムライスの文字をスプーンで平らにならし、おいしそうに租借する。
レオンが提示した日が来た。
「さて、楽しい楽しいショーの始まりだ」
いつもの正装。といっても派手すぎて目立ちまくる姿でレオンはうれしそうにホルスターから銃を抜いた。
デザートイーグル。大型自動小銃の名を冠するその名器でさえレオンにはおもちゃ同然の大きさだった。
下調べでここにしようと決めていた場所からがさがさと乱暴に音を立て、茂みの中をひた進む。
途中、どうしてそうなったのか宙にぶら下がったままの哀れな骸を横目に、やっぱりそうかか。とほくそ笑む。
レオンが自ら行動の日程をずらしたのには、気分などという曖昧なものではなく確たる理由があった。
その理由の一つがまた新たに現れた宙にぶら下がっている名も知らぬ骸だった。
いくら相手が百戦錬磨の凄腕だとしても、圧倒的物量の前にはひれ伏すしかない。一騎当千の兵がちょうど千一人目のやられない保証はないのと同じで相手が人間である限り限りがあり終わりがある。
それを重々承知していたレオンは、わざと日程を遅らせる事で仕掛けてあるだろう罠の解除を効率的に行ったというわけだ。現に、ここに来る前にちらりと確認したディスプレイ上の人柱の数はすでに百を超えていた。
比較的安全になったといえる道のりではあったが、それでもレオンは下調べに基づき慎重にかつ大胆にその道を進む。
やがて、開けた空間に出るとレオンは口角を吊り上げグリップを握りなおす。
見張りらしい男は完全武装といった井出達で出入り口や辺りを巡回しており、互いに連絡を取り合っているのか、たまに立ち止まってはインカムに報告を入れているようだった。
「どうしたもんか」
レオンは少しだけ考えた。が、それは別に困っていたわけではない。ある意味困っているといえば困っていたが、理由が単純すぎた。
「よし」
考えがまとまったのか、勢いよく立ち上がると何を血迷ったのかひらりと死線上に身を躍らせる。
「俺! 参上!」
突然の登場に時が止まる。
「やっぱり俺“様”参上のほうよかったか?」
やっぱりそっちだったかと先ほどの決断を悔やむレオン。
普通なら処理が追いつかないだろう突拍子も無い状況下だが、よく鍛えられているのか思考一秒傭兵達は一同に銃口をレオンに向け、容赦なく引き金を引いた。
「おっと」
弾丸のシャワーが降り注ぐ中でもずば抜けて聞こえるのはズドンと鼓膜を震わせる重低音。と、同時に銃を構えていた男の一人が冗談のように爆ぜた。
死肉を浴びながらも傭兵達は怯むことなくその引き金をさらに引き絞る。
もちろん、レオンは人間離れしたその身体能力を生かし、右へ左へと障害物を利用しながら一人、また一人と傭兵達をただの肉片へと変えていく。台風を思わせるその圧倒的な力に、さすがの傭兵達も恐怖を覚え始める。
いったい自分は何と戦っているんだ。そう怯えながらも鍛え抜かれた反射と反応でただ引き金を引く。
「つまらん」
随分と傭兵達の数が減ってしまい、レオンはため息をつきながら唐突につぶやくともうおしまいだと銃をホルスターにしまう。
ゴリゴリと障害物を削っていく鋼鉄の玉をBGMに、レオンは深く息を吸うと、その巨体をしゅっと沈ませた。
「ひっ」
急速度で障害物から飛び出ると、近くに居た傭兵の一人に突進する。
いつのまにそんな所に。そう思う頃にはすでに遅く、死角から振りぬかれる砲弾のような圧倒的な粉砕力の前に体をくの字に折って肺の空気を根こそぎ刈り取られる。咳き込みながらその場にひざを着く。が、その顔が下がりきるまでに今度は圧倒的質量を伴ったハンドハンマーが背中に刺さる。ミシリといやな音を立てて男の背骨が砕ける。しかし、それで攻撃が終わるでもなく、今度は鎌のような鋭いアッパーが下がりきった男のあごを捕らえる。
それでおしまい。男はごみの様に数メートル地面を転がりそのまま動かなくなる。
「ば、化け物!」
恐怖が理性を上回ったのだろう傭兵達は銃を向けるのをやめ、後ずさりながらなんとか出来ないかと活路を探す。
「おらぁ人だよ」
少し不機嫌そうにギラリと口から覗いた鋭い犬歯に、傭兵達は死を覚悟した。中には失禁する者もいたが、誰もそれを笑おうとはしなかった。
「じゃ、終わりにしますか」
バキバキと凶暴な音を鳴らしながら拳を固め、一歩踏み出そうとしたところでレオンの表情が曇る。それは脳へ電気信号は伝わるより早く、脊髄反射レベルでレオンの体に起こった。
体の全神経を使ってその場からの退避。いきなりの事だったので無様に地面に転がることにはなったが、レオンがその場を飛び退くと同時に、シュンシュンと何かが音を立てて地面に突き刺さる。
「ちっ」
まだ居やがったかと悪態をつきかけるが、そこでふと気がつく。自分にここまで気配を気取られないで攻撃を仕掛けてくる奴が傭兵にいるだろうか。答えは否である。それこそそんな芸当はレオンやハングマンのようなトップレベルの殺し屋でこそなしえる業である。それを、一介の傭兵風情が出来るとは到底思えない。
つまるところ。
「いるんだろ? Mr.スミス。いや、この場合はハングマンのほうがいいのかな?」
レオンが軽く問いかけるも返事はない。と、いうより気配すら感じ取る事が出来なかった。一瞬ただのブービートラップだったのかと錯覚しかけるが、背中を伝ういやな冷たさがそれを否定する。
レオンにも気配を断つ事くらいは出来る。心を冷たく、そして頭をひたすらクールに。あまり得意ではなかったが一般人には気取られない程度には気配を殺せた。無論極めればレオンにもある程度可能だろうがレオンはそれをしなかった。
なぜなら、人間というのはどうしても生きる為には呼吸という動作を要求される。それ故、完璧に気配を断ったとしても一呼吸で居場所がばれてしまう。つまり、完全に気配を断つだなんて芸当は不可能なのである。
にもかかわらず、レオンが対峙したこの男はそれをやってのけている。それは恐怖というより賞賛に値するものだった。
「い、いまだぁ」
わざわざ言わなくともいいのに間抜けな傭兵達は、一目散にこの場を去ろうともたつく足で走り出す。
逃げるなら逃げるといい。もとより歯応えのない雑魚なのだから。と興醒めしたといわんばかりの不機嫌な表情で傭兵達を見送る。
興味をなくして再びハングマンの気配を探っていたが、シュンというなんとも言えない妙な風切り音と、ほのかな物の焦げるような香りを捕らえ、何もないはずの空間に目をやる。
「ギッ?!」
後ろでは逃げようとした傭兵達のおかしな声が聞こえる。何やらもがいているらしく、やけに騒がしい。
気になって少し意識を向けると、傭兵達の首には細いワイヤーが食い込んでいた。見れば先ほど飛び退いた所にも同じ物が刺さっていた。
(ワイヤーガンか)
随分と粋な武器を使っている。というのが最初の感想だった。
おそらく何らかの加工をしたワイヤーを火薬で飛ばしているのだろうが、あそこまできれいに首にはめるのは相当難しいはずだ。
「フフフ」
背中をいやな汗が伝い、銃を持つ手が震えた。それでもレオンは、久々の好敵手に心躍らせる。ドキドキと胸を打つ鼓動。荒く乱れる呼吸。それはまさに、恋する乙女のように一途な殺意だった。
「あぁ殺ってやるさ。殺してやるぜハングマン!」
障害物から身を晒し、当てずっぽうでそこらに弾をばら撒く。が、その方向とはまったく別の場所からパシュっと音を立ててワイヤーが飛来する。それを本能まかせのバックステップで皮一枚でかわすと、再び障害物へと身を隠す。
「ははっ」
首を伝う血液にレオンの鼓動は早まる。こんなに追い詰められたのはいつぶりか。
一瞬、走馬灯に似た記憶の本流に身をゆだねそうになるが、ぶるぶると頭を振って震える手で空になったマガジンを入れ替える。予備のマガジンは残り一。敵は凄腕、場所は不明。圧倒的不利な状況下においても、レオンはなお絶望することなくむしろ高揚感でいっぱいだった。
「さぁ、パーティの始まりだ」
再び障害物からはじかれたように飛び出ると、めくら撃ちであたりを威嚇する。今度は少し近かったようでワンテンポ遅れてからワイヤーが飛来する。
再び首の皮を一枚奪われながら別の障害物に移動すると、最後のマガジンを装てんする。
すぐに馬鹿の一つ覚えのようにまた飛び出して銃をぶっ放す。もちろんその結果は同じく、今度はワイヤーが首に巻きつきかける。
それを辛うじて銃で叩き落とすと三度障害物に身を隠した。
「ヘヘヘ」
どういうわけかワイヤーがぐるぐる巻きになっていた残りの弾はゼロとなったただの鉄塊をぐっと握り締めると、レオンはここで情報の整理を開始する。
わかったことは三つ。
まず、相手が使っているのは火薬ではなくエアーもしくはガスであること。
二つ目は、相手は相当ハングマンという何誇りを持っていること。
最後は、どういうわけか障害物に隠れているときには攻撃を受けないことだ。
ひとつ目に付いては、マズルフラッシュ。つまりはワイヤーを発射した際に火薬を使っているならば当然光るはずの閃光が見えないことから説明できる。
二つ目は三度無防備になったにもかかわらず、相手は三度とも首を狙い続けたことから容易に想像がつく。
が、三つ目に関してはわからずじまいだ。毎回違う方向からワイヤーは飛来しているというのにどうして考え事をしている今は攻撃が飛んでこないのか。そこに何か勝利の糸口がある。そう思って理由を見つけようとするが、じりじりと迫ってくる死という重圧に、考える時間はもうないと早々に思考を切り上げる。
最後に、ふとぐるぐるに巻きついたワイヤーとハングマンに殺された傭兵達が目に入る。
と、その瞬間レオンに電撃のようにバチンと一つの答えが導き出される。
「なるほど」
理解できたと勢いよく障害物から飛び出すと、レオンは闇雲に来た道である森の中を走り始める。
シュンシュンと後ろからは首を狙ってワイヤーが飛んでくるが、ジグザグに木々を縫ってそれを回避する。パシンパシンといやな音を立てて回りの木がワイヤーに巻かれて木片を飛ばしながら音を立てたが、わき目も振らずにレオンは走り続けた。
「ふっ」
少しして、今まで消えていた気配が唐突にぼんやりと現れた。それはギリギリ感じることの出来る範囲に収まっており、居るのはわかるのだが何処に居るかはわからない絶妙なラインを保っていた。
「大口をたたくものだからどの程度かと思ったが、所詮は野良。生かしてやるからさっさとこの馬鹿げた依頼を出したやつにこの依頼は不可能だった。早く取り下げたほうが良い。と伝えるんだな」
ひしゃげただみ声が侮蔑をはらんだ引き笑いを闇に残し、気配を遠ざかっていく。
「待ちな!」
遠ざかっていく気配に対し、レオンは仁王立ちとなって叫ぶ。
「この依頼は不可能じゃねぇ。なにせ、俺はもうお前を殺すことが出来るグレートでパーフェクトな方法を見つけたんだからな」
かかって来いよと挑発するように銃をクイクイとかすかに感じることの出来る方角へと示し不敵な笑みを浮かべる。
「俺は依頼達成率100%のライオン様だぜ? ナンバーワンは二人もいらねぇ。だからお前を殺して俺が名実共にナンバーワンだ」
「愚かな」
哀れだなと闇の中でハングマンは呟き、レオンの死角であった側面からトリガーを絞る。
「ギッ」
かえるをつぶしたような声が闇に響き、その場に倒れたのはレオンだった。ワイヤーを首に巻きつけられ、じたばたともがいた挙句、ぴたりと動かなくなる。
それから静かに、ゆっくりと数分が経った。
「所詮は口だけの若造か」
安全を十分に確認した後、そう言って闇から染み出たハングマンは死体を吊るすべくレオンに近づいていく。
もちろん、警戒は怠らずにワイヤーガンとは別の小型拳銃を突きつけながらだ。
とりあえずつま先で死体をつつく。反応は無し。ここでようやくハングマンは一息ついて銃を下ろし、首に巻きつくワイヤーを掴む。
「ん?」
ハングマンはワイヤーを掴んだ。
が、しかしそれは通常ではありえない。なにせ、このワイヤーガンから放出されたワイヤーは相手の首にしっかりと巻きつき窒息させるはずだ。にもかかわらず、ハングマンは今、そのワイヤーをしっかり手で握っていた。
「このっ」
気がついて銃向けようと動くには時は遅すぎた。
「かはっ」
突き上げるようにして繰り出された蹴りに、肺の空気をすべて持っていかれる。
「ごほっごほっ」
苦しそうにむせるハングマンとは対照的に、死んだと思われていたレオンがむくりと立ち上がる。
「っぷはぁ」
目をかっと見開き、大きな呼吸で酸素を取り込む。大量の酸素が脳に運ばれ、途端にぐらりと視界が揺らいだが、ぐっと踏みとどまり未だ呼吸がうまく出来ずのた打ち回るハングマンに向き直る。
「く、そ、が」
かすかな意識で銃をレオンに向けるが、その指がトリガーを引く前にまず銃が吹き飛んだ。同じくして、ゴキリと骨が砕ける音が鼓膜を震わせ、ハングマンはその事実にただ驚愕した。
なにせ、まばたきもしない間に自分の指がありえない方向に曲がってしまっていたのだ。
「あぁぁあああぁぁ」
遅れてやってきた痛みに身をよじりながらも、何とかしようと逆の手でワイヤーガンを掴もうと必死に探るが、そこには草と土が転がるのみだった。
「あぁ、なるほど。電気ね」
頭の上から聞こえてきた声に、ハングマンは絶望を感じた。電気で発射といえば自分のワイヤーガンを置いて他にはないだろうとわかっていたからだ。
「そのチョーカー。ライオン、だったか?」
「そうだが?」
自分にはもうどうする事も出来ないと悟ったのか、ハングマンは抵抗するわけでもなく静かに折れた指をかばいながら呼吸を整える。
「教えてくれ。どうやってあのワイヤーから逃れた?」
死を前にしてハングマンが口にしたのは、自分の仕事の不手際への疑問だった。
「そうだな」
どう説明したものかとレオンは顎に手を当てて少し整理する。
「この銃。ワイヤーが縦じゃなく横向きに発射されるだろ?」
そういって構えるワイヤーガンには確かに扇状のワイヤーが何本もセットされていた。
「ワイヤーのどこかが対象に触れると射出されたときの勢いを利用し、接触部を始点としてぐるぐると巻きつく」
「そうだ」
「最高にクールだが重大な欠点がある」
「なに?」
「あんたもわかってたんだろ? こいつは対象とワイヤーが巻きつくための空間になにか異物があるとうまく巻きついてくれない。だから俺が障害物を背にしているときは撃てなかった。なにせ、壁にワイヤーが当たろうものなら種がばれるからな」
そう言うとレオンは襟首からワイヤーの跡がくっきり残った木片を取り出す。
「なるほど。闇雲に走っていただけではないということか」
「ま、そう言うこった。じゃ、こっちからも質問を一つ」
「なにかな?」
「どうやって気配を消してたんだ?」
「なに、君も最後には同じことをしてただろ?」
少しおどけた様子でハングマンは肩をすくめた。
「はっ。まさかとは思ってたが気配と同時に呼吸も殺してたって訳だ」
「それを撃つ時が呼吸のタイミングだよ」
「なるほどそれは気づかねぇはずだ」
先ほどまで殺しあっていたとは思えないほどに和気藹々と会話をする二人だったが、やがてそれにも終わりが来る。
「じゃ、そろそろお別れだな」
「そうだな」
ハングマンは静かにまぶたを下ろす。
「とどめはこのワイヤーで」
「あぁ。頼むよ」
ガチャリとワイヤーガンが構えられる。
「あぁ、ライオン君」
「なんだ」
「君も過去の影には気をつけるんだね」
「そりゃどうも」
おそらく今回仕事を依頼した人間のことを言っているのだろうが、レオンはそのときが着たらそのときだろうとのんきに考える。
パシュっとワイヤーガンがワイヤーを射出し、ハングマンの首を絞める。
ハングマンはこれまでしてきたターゲット同様、じたばたと苦しそうにもがき、そして動かなくなった。
「楽しかったぜ」
しっかりと息を引き取ったのを確認すると、レオンはそういってハングマンの骸に一礼をする。
「さて、帰るか」
ハングマンの骸を担ぎ、適当な死体から携帯を引っこ抜くとポチポチと器用に番号をコールする。
「もしもし?」
「あぁ、凛? 今終わった」
「お疲れ様です」
「迎え、頼むわ」
「わかりました」
用件を伝えるだけの簡単な連絡。それでもレオンは凛の声を聞いてようやくこれで終わったかと心を落ち着かせて横になる。
沢山の死体と共に凛を待つ。そういえば今年で二年になるんだなと凛を拾ったことを少しだけ思い出しながら、今日はお祝いに何かするかとぼんやりと葉のすれる音を聞きながら夜空を見上げた。
「あぁ、星がきれいだ」
「そうですね」
「早いな」
予想以上の速さに少し驚きながらも、レオンは満身創痍となったその体を起こす。
「近くに居ましたしね」
「そうか」
「お疲れ様でした」
と、凛はあたりの死体を確認しながらレオンに声をかける。
「ちょろかったさ。そんな事より、二年になるな」
「なにがです?」
「俺がお前を拾ってからだよ」
「あぁ。もうそんなに経ちましたか。いやぁ、長かったですね」
「そうだな」
心地よい風がレオンの頬をなで、心を落ち着かせてゆく。
「本当にお疲れ様でした」
「そうだな」
祝いは凛の好きなアップルパイでも焼いてやろう。そんなことを考えながらレオンは目を閉じた。
「じゃ、さよなら」
「あん?」
ズブリと胸に冷えた何かが突き刺さった。
「り、凛。てめぇ、何を……」
じんわりと広がるような痛みを感じた。傷口からはどんどんと命があふれ出ていく。それはどうしようもなく急速にレオンの意識を刈り取っていく。
「な、んで……」
未だに信じられないといった様子で胸に刺さった小さなナイフを見つめるレオンに、凛は優しく微笑みかける。
「あぁ、報酬。忘れてましたね」
そう言うと何処から取り出したのかアタッシュケースを持ち出すと、それをレオンに投げつける。
「報……酬……?」
「ほら、ハングマンことMr.スミスを殺したじゃないですか」
「じゃ、じゃあこの依頼はお前が?」
「ほら、僕って親が居ないでしょ。ここまで来るとなんでだかはわかりますよね?」
無機質な瞳でレオンを見つめながら、凛は肩をすくめる。
「復讐……か」
「そうですそうです。ついでにレオンさんもうちの家族を殺してますから一緒にって事でさくっと片付けさせてもらいました」
にっこりと笑顔を浮かべ、満足そうにする凛に、もはやレオンは言葉が出なかった。それよか二年も一緒に居てこの邪悪な思いを読み取れず、救ってやれなかったなと自分の落ち度にただ悔しがるという驚くべき思いが自分の心を占めていた。
「それじゃ、おやすみなさい。レオンさん」
「地獄に落ちな。クソッタレ」
こんな終わりもありか。なんて思いながらレオンは霞む視界で二年間一緒に居続けた凛の笑顔に中指を立てる。
「それはお互い様ですよ」
ずぶりと刺さったナイフが凛の蹴りによってレオンの胸に深くめり込む。
「かはっ」
それでおわり。
転がったのは沢山の死体と復讐を終え空っぽになった少年。
「あースッキリした」
晴れ晴れとした笑顔を浮かべると、凛は持っていた銃で唐突に自らの頭を打ち抜いた。
結局、誰が勝って誰が負けたかはもはや定かではない。
なにせ、死体は何も話してはくれない。