Neetel Inside 文芸新都
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 六畳半の畳敷き。キッチン四畳。
 ただし築四十年。広い部屋に住みたいという気持ちと、金銭的な条件。その二つの平衡から選ばれたのがこの部屋だ。
 大学生初めての一人暮らし。少しでも広い部屋に住みたいと思うのは当然のことかもしれない。
 でも、彼の身体も心も、この部屋を埋めるには小さすぎた。
 部屋の隅においたパソコンの前が彼の定位置。ほかのスペースなんか、本当はいらなかった。
 大学にはちゃんと行っている。友達もそこそこいる。その友達をこの部屋に呼ぶことだってある。
 友達と遊んでいる間は、本当に楽しい。満たされる。
 それでも一人でこの部屋にいる時、彼はどうしても寂しいのだ。
 寂しいなんて言葉では寂しいくらい、寂しいのだ。
 彼女がいればいいのだろうか。そう考えた時もあった。
 休日は長い間一緒にいた。とても楽しかった。
 東京の街はどこまでも彼を刺激した。それが女の子と一緒ならばなおさらだ。これ以上満たされることはあるのだろうか。それほどに満たされていた。
 でも、それでも家に帰れば一人。
 彼女が家に来た時も、彼女が帰ってしまえば一人。
 そんな彼に、彼女が愛想を尽かすのは早かった。
 彼はまた本当に一人になった。
 自分が本当に欲しいものはなんなのか。彼はいつも考えていた。
 寂しい。だから友達が欲しい。友達ならいる。
 寂しい。だから彼女が欲しい。彼女がいたこともある。
 片時も離れずに一緒に入られる人間が欲しいのだろうか。彼の思考はいつもそこで止まった。
 でも。やっぱり思うのだった。片時も離れず、比翼の鳥のようになれる相手が仮にいたとして、やっぱり僕は満たされないだろう。そんなふうに考えてしまうのだった。
 彼が本当に欲しいものはなんなのだろうか。

 ある夜。彼はいつものように深夜にアルバイトを終えて、帰宅した。
 彼の身には余るアパートの一室に、今日も帰る。
 身体はすっかり疲れきっている。講義が終わるのが夕方。それからずっとずっと働いて、今だ。
 彼はドアにもたれかかるようにして鍵を取り出し、そっと鍵穴に差し入れる。
 機械的な音がドアを解錠する。古いアパートのくせに、ドアの錠前だけは最近付け替えたらしい。不似合いに立派だった。
 古い金具と木材がこすれるような音が、室内に広がっていく。一点の光もない、真っ暗な室内。彼がドアを開けたことで、ようやく幾らかの光が差し込む。
 手探りで壁のスイッチを見つけ、人差し指で弾く。頭上の蛍光灯が辺りを照らした。
 浮かび上がるのは板の間の床の木目と、キッチンのアルミのシンク。隅の方には冷蔵庫も収まっていた。
 彼は靴を手を使わずに脱いでから、キッチンへと足を踏み入れる。
 冷蔵庫のドアに手をかけて、開いた。冷気が吹き出すが、部屋の中はもっと寒かった。
 冷蔵庫はぱっかり口を開けて、何も持っていないですよと主張する。すぐに食べられるようなものは何もなかった。
 彼は鼻で息をついて、冷蔵庫の口を閉じる。
 腹は減っている。しかし食べ物はない。
 とりあえず寝ることにしよう。彼の決断は早かった。おそらく月に何回もこういった夜を経験しているのだろう。
 キッチンから、隣の部屋へと通じるガラス戸に触れる。木製の枠のくせに、妙に冷たかった。
 ガラス戸には先日ロウを塗ったばかりだった。特に音もなく開いた、その戸の先。
 知らない人影が、うずくまっていた。
 まず目に入ったのは、長い長い髪。
 少し色の薄いその髪は、頭部から床へと放射状に広がっていた。
 顔は肩に隠れて見えなかった。体つきは、華奢だった。セーラー服を着ていた。
 人影は一人の女の子だった。
 彼は戸惑う。この少女は自分の知り合いだろうか。第一に頭に浮かんだのはそれだった。
 いの一番に思い当たったのは、以前交際していた彼女だった。
 しかし彼は口元を抑えて、いや違うな、と思う。
 その彼女は、こんな長い髪をしていない。
 誰なんだ。一体誰なんだ。
 うずくまって寝ているように見える彼女に、彼は上から下まで目を走らせる。
 考えていた時間はおよそ数十秒くらいだっただろうか。彼はようやく少女を起こそうと決意する。
 少女の左肩に彼の右手を添える。まだ室内に入ったばかりの彼の手よりは、ほんのいくらか彼女の肩のほうが暖かかった。
 揺する。長い髪が揺れる。髪の光沢が不思議にうごめいて、柔らかな模様を作っていた。
 やがて、彼女の頭部がぴくりと動く。
 それを合図にしたかのように、彼女の全身に生気が満ちる。体の各部が動き始める。
 ほんの少しの間、彼女はそうやって全身をもぞもぞと動かしていた。
 そして、本当にふとした瞬間に上半身が一気に起き上がる。彼は突然のことに息を飲んだ。
 まだ半分閉じている彼女の目が、彼の目に止まる。長いまつげが頬に影を落としていた。
 半開きの口からは、特に意味をなさないうめき声のような音が漏れていた。いや、うめき声と言っては失礼かもしれない。子猫の唸り声のような、害意の全くないものだった。
 彼女は可愛かった。愛らしかった。彼は少なくともそう思った。
 目を擦りながら、少しずつ意識を覚醒させていく彼女に、彼はすっかり見とれていた。
 そして彼の方も、ようやく少しずつ意識が覚醒していく。何か話しかけなくてはならない。
 そう思った時、急に彼女の両目がぱっちりと開いた。焦点のあった両眼は、彼の顔をはっきりと捉えていた。
 彼が口を開く前に、少女の唇が開いた。
「あたしは、あなたの許嫁です。あなたのご両親に言われて、ここに来ました」
 彼の耳はその言葉を一字一句もらさずに聞きとった。
 彼の神経はその言葉を一字一句もらさずに脳へと伝えた。
 そして、彼の脳はこう考えた。
 ああ、この女は嘘をついている、と。

       

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