Neetel Inside 文芸新都
表紙

良夜の気まぐれ夢幻劇
良夜の小さな出会い

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 あまりにも空気の良く澄んだ夜だった。月は鶏卵の黄身のように丸く、よりはっきりと光を映して漆黒の中に佇んでいる。適当にちぎって放り込まれた雲はその月の光によってより白さを増し、黒々とした世界に程よくその存在を主張している。
 たまには夜空を眺めるのも悪くはないと、彼はポケットに手をつっこんだまま思い、そうして耳にはめ込んでいたイヤホンを取り外し、ウォークマンの電源を切るとショルダーバッグに放り込んだ。
 静寂は相変わらず、僕の周囲を歩きまわっている。時折彼らの隙間から漏れ出る風や草の擦れた音が耳に心地よかった。
 そうだ、酒を飲みながら月でも見ようと彼は思い立つと、近くのコンビニで酒を数本と、つまみをいくらかを籠に放り込むのだった。コンビニを出た時、彼の右手には、一人で飲むには少し多すぎるような気がしなくもない量の缶や瓶の詰まったビニール袋が提げられていた。
 コンビニの向かいの公園を覗いてみると、中々丁度良い。すっかりペンキが?げて木目が見え隠れしているベンチが二つほどあるし、浮浪者も、絡まれると面倒くさそうな若者の姿も見えない。
 彼はベンチにどっかりと腰を下ろすとビニール袋を横に置き、胸ポケットから煙草を取り出すと、一本咥え、それから百円ライターで火を点ける。ライターも値段によって味が変わると聞くが、そんなことに気をかけるほどうるさい人間でもない。ようするに吸えればそれでいいのだと彼は肺いっぱいに煙を吸い込んでから、白い煙を夜の公園に向けて吐き出した。
 月は相変わらずその存在をこちらに主張している。時折かかる雲越しに見えるぼやけた黄色い輪郭が目に易しく感じられた。
 さて、そろそろ飲むか、と袋をがさりと漁ると、ビールのロング缶をつかみ取り、プルに指をかけた。
「おや、こんな遅くにいかがされました」
 いよいよ開けようとしていた時、隣から声がかかり、彼は驚いて右を見た。色白で白髪の老人が、だがしかし柔和な笑みを浮かべてこちらを見ている。顔に刻まれた皺の数々が、老人がどれだけの歳月を生き続けてきたのかを訴えている。彼は少し驚いたものの、よくよく見ると、シャツにセーター、そして磨かれたばかりのように月光を映す皮靴、左腕には少し汚れてはいるが質の良さそうな腕時計と、こんな深夜に出くわしたことを除けばいたって普通の老人であり、彼は乱れた鼓動を手をあてて抑える。
「貴方も、月を?」
 大分感情も落ち着いてきたので、彼は一度深く息を吐いて気を落ち着かせると、色白の老人に向けてそう問いかけた。彼は相変わらずの柔和な笑みを浮かべたまま一度頷いた。
「ええ、折角の満月ですからね。こんな夜更けにも関わらず、思わずやってきてしまいました」
 彼はそれを聞いて、丁度良いと笑みを浮かべると、もう一本缶ビールを袋から取り出して老人に差し出した。
「せっかくだから呑みましょう。こんな出会いも良いものです」
「有難い。頂くとしましょう」
 老人は丁寧にお辞儀をしてから缶を受け取ると、プルを思い切り開けた。彼も慌てて老人に続いてプルを引っ張り、泡の吹き出すような、弾けるような軽快な音が二つ、夜の公園に響いた。
「いやあ、こんなところで若い方と酒を共にできるとは思いませんでした」
「僕もですよ。こんな不思議な出会いもあるものなのですね」
 不思議、ですか。老人はふと彼の言葉を繰り返すと、少し腕を組んでから、ようし、と頷いた。
「お酒を頂いた礼に、少しお話をさせていただきましょう」
「お話?」
「ええ、この世にはとても非日常的な出来事が時折起こるものです。そんな少し不思議な、それこそ御伽話のようなものをさせてもらおうかと」
「ほう、それは悪くないですね。酒の肴としてもぴったりかもしれない」
 老人は彼の反応を見て、機嫌を良くしたのか、にっこりと笑うとビールを口にする。
「貴方の気に入るような物語があれば幸いです。ではでは……」
 二人は二本目の酒と、つまみを開くと、それらを口にしながら月夜を眺めながら、談話を続ける。

 あまりにも空気の良く澄んだ夜の出来事だった。

       

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