Neetel Inside 文芸新都
表紙

良夜の気まぐれ夢幻劇
「野菜スープ」

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 庭に植えた作物を育てること。それが僕の趣味だ。
 種を植え、肥料を与え、そして水をやりながら芽が出るのをひたすらに待ち続け、実った作物を食す。この一連の流れを行う事に僕は得もいえぬ快感を覚えるのだ。
 僕は先ほど耕し、そして種を埋めたその盛り上がりをうっとりとした視線で見つめる。こいつがいつか花を咲かせて最高に美味い実を実らせるのだと思うと背筋の辺りが非常にぞくぞくしてくるのだ。
「社木さん」
 ふと僕の声を誰かが口にした。僕はその声の方へと視線をスライドさせ、そしてその人物を見て微笑む。
「ああどうも、確か○×新聞の……」
「南井筧です。取材の件、了承してくださってありがとうございます」
 初めは近所におすそわけとして渡していた筈の僕の野菜が、まさか取材を受けるほどになるとは、田植えを始めた頃の僕は思わなかっただろうなと、脳内で呟きながら立ち上がると南井へと右手を差し出す。
「社木洋です。わざわざ取材に来てくださって、こちらこそありがとうございます」
 彼は僕の手を握り締めると上下に一度振った。
 楽しい取材になりそうでなによりだと、彼は微笑んだ。
 大丈夫だ。

   ―――――

 つい先日私は妻を失った。
“失った”のであって、亡くしたのではない。まるで風に吹かれた煙のように彼女は消息を絶ってしまったのだ。
 決死の思いで周囲に助けを求めたのだが、それでも妻が見つかる事はなかった。日が経つにつれて警察や周辺の住民も協力的な意思を見せなくなり、そして遂に彼らは私に「残念ですが……」とまで声をかけてきた。
 探すのが面倒だからという理由で彼等は私に剣を次々と突き刺し、その黒ひげを当てることなくそれを放ってしまった。
 それ以来、私は以前のように住民たちと接する事ができなくなってしまった。声をかけられるだけで怒りに満たされ、首を絞めてしまいそうになるからだ。途中であきらめたとはいえある程度の協力をしてくれた人物を殺しては流石に人としておかしい。
 殺していいのは、妻を攫った奴なのだから……。
 妻は絶対に何者かによって連れ去れ、そして殺された。
 その考えのもと、今日までやってきた。一つ一つの家を回り、砂漠の中で一滴の水を探すかのように、ただひたすらに妻に関する情報を探し求め続けた。
 そして、今目の前にその“証拠”を残してのうのうと日々を過ごしている人間がいたのだ。

   ―――――

「それで、栽培を始めたのはいつ頃なのですか?」
「ええ、確か……八か月ほど前、だったかな?」
 さらりさらりと南井はペンを走らせ、新品に近い状態のメモ帳に流麗な字を埋め込んでいく。あと数分もすれば庭で取れたものを使った野菜スープができる。取材の合間に飲んでもらおうかとも考えている。
「しかし趣味程度で始めたのにここまで町中の住人に美味いと言わせる野菜を作るとは……一体どんな魔法を?」
「そうですね……」
 僕は頬杖を突きながら庭を見る。まぁ、十中八九あれが良い味を出しているのだろうなと僕は微笑む。
「肥料、ですかね?」
「肥料?」
「ええ、うちは少し特別な肥料を使ってまして」
 南井はほうほう、と呟きながら食いついてくる。
「して、その肥料の実態とは?」
「僕がブレンドしたものです。肥料の正体については秘密、と言ったところでしょうかね」
「そんなぁ、ここまで焦らしておいて言葉を濁すのは反則ですよ」
 ルールさえ決まっていないこの取材で南井は表情を崩し始める。大分周囲の空気と馴染み易い性格なのかもしれない。ガチガチの気難しい男が来るよりはマシであるが。
「まぁ……そんなに言うのでしたら少し秘密を……」
 南井の瞳が燦然と輝くのが、目に見えて分かった。現金な男だなと笑みを漏らしながら僕は一言、こう言ってやった。
「“愛”ですよ。愛情が成長の源です」

   ―――――

――愛情、と今彼は言ったのか。
 馬鹿馬鹿しいと私は心の中で彼の言葉を引き裂き、すり潰し、そして踏み蹂躙する。
 人殺しがよくそんな言葉を吐けるものだと私はペンに対して必要以上に力を込めて字を連ねていく。
 彼はふと、随分と筆圧が強いのですね、と私に声をかけてきた。
 私は大粒の泡の吹き立つ煮えたぎった憎悪に決死の思いで蓋をしつつ、笑みを作り上げてそれを彼に見せつけ、そして言った。
――記憶したいもの程強く書きたくなってしまうのですよ。と。
 それを聞いて彼はふうんと呑気そうな返事を吐き出すと庭へと視線を向ける。時折彼は庭へと目を走らせることがある。それもある程度観察した様子からすると、おおよそ五分毎の計算で彼は必ず庭に視線を巡らしている。
 そこまで家庭菜園に熱意を持っているというのだろうか彼は。いや、そんなことがあり得る筈がない。人の命を弄ぶような人間が命を育てる事に対して興味を持つわけなんてないのだ。あってたまるものか。
 彼がそっぽを向いているうちに私は部屋の隅に落ちているそれを見て、唇を噛む。
 彼女が失踪した日に、彼女が身に付けていた付け爪が二枚、そこに無造作に落ちているのだ。

   ―――――

 そろそろこの取材も佳境に入ったのだろうか。次々と繰り出される質問の嵐に僕は、半分疲れを、そして残りの半分に飽きを抱いていた。できればそろそろ庭の栽培物達の手入れをしたい。
 やはり癖なのか、どうしても五分に一回は庭の方へと視線を向けてしまう。この癖を直せるのは一体いつになるのだろうなとぼんやりと思った後に「あ」と言葉を吐き出して急いでキッチンへと走って行く。
 後方から声が聞こえるが、それを無視して僕は鍋の蓋を開く。ぐつぐつと煮えた野菜達がそこに浮いていた。コンソメがいい具合にスープに色と香りを付けてくれている。最高の出来だといってもいいくらいだ。
 そこらにあった器を軽く水洗いしてからそこにスープを流し込み、盆に箸と一緒にそのスープ入りの器を載せてから部屋へと戻る。
 予想通り、ぽかんと呆けた表情の南井がそこには座っていて、癖なのかペンをカチリカチリと一定のリズムを刻むようにペン先を出し入れしている。
「実際に食べてもらおうと思いましてね、作っておいたんですよ。野菜スープ」
 僕はその癖に思わず笑みを零しながら、彼の前にその盆を置いた。
「そうですか、いやはや有難い」
「実際に食べてみてもらうのが一番手っ取り早いですからね」
 彼は器の前で両手を合わせてからおそるおそるスープに口を付け、そして次の瞬間にはそのスープの具材を一気に掻きこみ、そして一瞬にしてスープを飲みほして器をガチリと置いた。
「……旨い!」
「お口に合いましたか、それは良かった」
 僕はその反応に喜びを感じ、そしておかわりを持ってきますね、と言って再び席を立つ。その時の彼の「是非」という言葉が非常に可愛らしかったのがまた可笑しかった。

   ―――――

 ペンで突き刺してしまえば一瞬で済んでいた筈なのに、何故私は躊躇ったのだろうか。付け爪のみを残して消えた彼女が、生きているとは考えづらい。彼は確実に殺している筈なのに、それなのにこのペンを首筋に突き立てることができなかった。
 しかも彼が試しにと出してきたスープにまで口をつけてしまった。彼が私を記者と思い込んでいるといっても殺人犯だ。毒が入っている可能性だって無くはなかった筈だ。
――私は本当に意気地のない男だ。
 ズボンをぎゅっと握り唇を噛み締めた。
 次だ。という言葉を心に刻みつける。次、彼が庭を見た瞬間に今度こそ襲いかかろう。そして致命傷を与えたのちに見下すような視線と共に問いかけるのだ。
『妻をどこにやった』と……。
 それで全ては解決する。妻の亡骸を救い出し、そして仇を討つ。
 それで終わりだ。
 と、考えているうちに彼が返ってきた。もう一杯のスープを手にし、満面の笑みを浮かべながら。
 カチリ、とペン先を出した状態で逆手に持つと、私は彼へと視線を合わせ、奇襲の機会を待ち続ける。
 カチャリ、とスープを置いた瞬間彼は庭を見た。
 チャンスだと、私はペンを振りかぶった。

   ―――――

「いやぁ非常に美味しかったです。ご馳走様でした」
「満足していただけて幸いですよ」
 僕は玄関で皮靴に足を通す南井に向けて笑みを向けた後に、あぁ、と思い出したように声をあげた。
「なんです?」
「これ、本当に新聞に載るんですよね?」
 ええ、と彼は何を今更とでも言いたそうな表情で頷いた。そうかそうかと僕は呟き、そして安堵の思いを抱く。
「いや、実は前に、記者を名乗って家に入り込んで来た強盗がいましてね」
「おや、そんな事が?」
 僕は頷いた。
「ええ、まあ一大事には至らなかったのですが、今回の取材という話を聞いた時も、多少緊張を抱いてしまいまして……」
「そんな出来事があれば仕方がないですよ」
 彼は笑いながら言うと軽快な足取りで家を後にしていった。新聞に載るというが、一体どのような大きさで載るのだろうか。一面、いやそれはないだろう。せいぜい隅のコラム程度のものだろう。
 緊張が解けた事で緩んだ身体を伸ばしながら、僕はふと、偽物と本物の記者がした同じ質問を思い出す。
――その肥料の実態とは?
 愛なのですよ。と僕は呟いた。
 夫に助けを求める女性の想い、妻を助けようとした夫の想い。
「その二つの愛情が、素晴らしい“肥料”として最高の作物を育て続けるのですよ」
 誰もいない部屋で、その声が静寂に馴染み、そして消えた。

 そういえばあの時の彼の表情は面白かったなぁと微笑みながら青々とした家庭菜園を眺める。

――あんたが食った野菜は、あんたの妻のおかげで育ったんだぞ。

       

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