Neetel Inside ニートノベル
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ショジョの奇妙な冒険
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 友情、努力、勝利。
 それらは何物にも代えがたい。
 そんな大切なことを、週刊少年ジャンプは教えてくれる。
 マンガの中のキャラ達はいつだって、勇敢で、臆病で、純真で、邪悪で、良いものも悪いものも含めて、人間の素晴らしさを教えてくれる。
 子供たちは彼らの姿を見て、こういうのがかっこいい、こういうのはだめ、という至極簡単な正義論を学ぶことができる。そしてそれを大人になっても引きずる人もいる。
 大事なことを一つだけ言わせていただこう。
 これからお話する一人の少女。
 彼女とその仲間たちが住む世界。
 その世界には、週刊少年ジャンプは存在しない。
 それは友情、努力、勝利が、僕らの知っている世界でのそれよりも、少しだけとっつきにくい言葉になっているということだ。
 それでも世界には、友情も努力も勝利も存在している。
 そんなことに、少女が気がついていくお話。

 少女は今日も自分の部屋に閉じこもっていた。
 時刻は朝だった。窓の外に見える電線にはスズメがたくさん群がって、朝が来たことを伝えている。
 彼らの無邪気な姿を見て、少女は小さな小さなため息をつく。
 ため息をつくと、幸せが一つ逃げていく。昔好きだった人に教えてもらった言葉だ。彼女はその言葉のお陰で、ともすれば口から溢れ出る大きなため息をどうにかつかないで済んでいた。
 雀の止まる電線の下では、彼女と同じ年頃の少年少女が元気に学校へと向かっている。
 彼女はもう、いつ自分が最後にセーラー服に袖を通したのか覚えていなかった。
 部屋の鴨居に引っかかったハンガーには、ホコリの積もったセーラー服がかけらていた。
 少女はベッドに背中を預けて、部屋の真中に座り込んでいる。
 何をするでもない。朝起きてから、パソコンの電源を入れるまでの僅かな時間をそこで過ごしているだけだ。
 家にこもりきりの人間は夜型の生活になりやすいが、彼女の場合生活リズムだけはまっとうなままだった。
 自分が立ち上がってパソコンの前に座るのと、母親が朝ごはんを持ってくるののどちらが先だろうか。彼女はぼんやりとそう考えた。
 その途端、部屋のドアがノックされる。母親だろう。気配を消して家の中を移動するのが随分上手くなったようで、ノックされるまで母親が二階に上がってきたことにすら気が付かなかった。
「陸ちゃん。朝ごはん持ってきたよ。開けてちょうだい」
 母親の声が厚いドアの向こうからほそぼそと聞こえてくる。陸ちゃん、というのが少女の名前だった。
「そこに置いておいて。いつも言ってるよッ……!」
 ほんの数秒、逡巡するような間を開けてから、母親の気配がゆっくりと去っていく。耳をすませば階段を降りていく音もどうにか聞こえた。
 陸の言うとおり、いつものことなのだろう。
 ひきこもりの娘の部屋の前に、朝ごはんを置いて立ち去る母親。
 彼女たちにしてみれば、こんなことはまったくもって普通のことなのだ。
 そしてこのあとに起こることも、陸本人に限って言えば、もう慣れきっている普通のことだった。
 母親の気配が完全に無くなったことを確認してから、陸はおもむろに立ち上がってドアへと向かった。
 ように見えた。
 実際には彼女はベッドに寄り添って腰を下ろしたまま、一歩だって動いていない。
 立ち上がったのは、彼女の身体から溢れ出るように現れた別の人影。
 その人影はそのままドアへと向かうと、鍵を開けてドアを開いた。そうして足元に置いてあった朝食の盆を持ち上げると、再び陸のもとへと戻ってくる。
 この移動の間、人影はずっとふわふわと宙に浮いているように見えた。
 陸は目の前に差し出されたお盆を受け取ると、膝の上に乗せて朝食を物色する。
 その間も人影は浮かびながら彼女を見下ろしていた。
 その人影は、一見して緑色のイメージだった。
 その理由は至極簡単で、着ている服がほとんど緑一色だったからだ。
 頭にはオレンジ色のバンダナ。放射状に広がった髪の毛は、黒色をしている。
 一見したところ、15,6歳の少年のように見える。
 ただし普通の少年と違うのは、宙に浮かんでいる点と、着ている衣服がまるでRPGの世界にでも出てきそうな衣装である、という点だった。
 陸はそんな人影が見下ろす中、お盆の上の皿に乗っかったトーストに手をかける。
「……冷たい」
 彼女は誰に言うでもなしにつぶやいた。母親がトーストを焼いてから運んでくるまでの間に、冷めてしまったのだろう。
 普通なら、諦めて冷たいまま食べるか、再加熱するためにキッチンに向かうかのどちらかだろう。彼女が後者を選ぶとは思えないから、おそらく諦めてそのまま食べるのはほぼ間違いのないことだった。
 しかし、彼女は諦めない。
 人差し指をふいっと目の前の人影に向けて走らせる。そうしてから、また今度はトーストへと指を動かす。
 それは、目の前の人影への合図だった。
 人影は着ている服の懐から、えんぴつ二本分くらいの長さと太さを持つ棒状の金属を取り出した。先端には桃色の宝石のようなものが埋め込まれている。
 それは、魔法の杖のように見えた。
 人影は、何事かぶつぶつと呟く。陸はそれを興味なさげに見守っていた。
 ふと、杖の先から小さな火の玉がほとばしり、やがて大きくなっていった。最終的にバスケットボール大になったそれを、人影はトーストへと近づける。
 トーストから、徐々に薄白い煙が上がり始める。それと同時に室内には香ばしい香りが立ち込め始めた。
「もういいよ」
 陸は人影に向かって言う。途端に火の玉は消えてなくなって、残ったのは杖の先の宝石が放つ、鈍い光だけだった。
 彼女はトーストを慎重に両手で持ち上げる。先ほどまで冷え切っていたはずのそれを、口元へと運んでいく。
 室内に小気味のいい音が響く。硬いものをかじった時のあの快音。
 トーストは、すっかりその暖かさを取り戻していた。
 彼女は朝ごはんを済ませて、ようやくパソコンへと向かう。
 なにかしなければならないことがあるわけではない。ネットゲームもあまりしない。でも他にやることはない。
 彼女の背後では、リラックスしたような横向きの体勢で、先ほどの人影がプカプカと浮いていた。
 ある日突然自分に見えるようになったこの奇妙な人影。
 不思議な力を持った、不思議な人影。
 彼女は、泡のように突然現れたそいつに名前をつけていた。
 英和辞典を引いて、その言葉を見つけた。
 ポップ。彼女は彼をそう呼んでいた。

       

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