Neetel Inside 文芸新都
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黒い子短篇蒐
いつかの朝には

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 たまらなく寂しい夜、などというものは誰にだってあると思う。とにかく誰かが恋しくて、誰でもいいから傍にいて欲しい、そんな夜。寂しくて寂しくてもう寝てしまおうと思うのに、こういう時に限って眠れない、そんな夜。
 今夜はまさにそんな夜だった。泣きたくなるほど寂しくて、仕方なく僕は着替えもしないでせず、暗い部屋の中をソファにうずくまり、膝を抱えていた。間もなく、日付もかわる頃だろうか。まあいいか、と思う。どうせ明日は休みだし。殺風景な部屋。箪笥とソファ。テレビとその下のテレビ台。丸テーブルの下にじゅうたんを敷けば、それで僕の部屋はほぼ完成だ。隣にキッチンと玄関脇のトイレとお風呂、ささやかなベランダをつけてやればそれでおしまい。寝る時は丸テーブルを片付けて布団を敷く。我ながら、整頓された部屋だと思う。でも、今はその殺風景さが、ひどく物悲しい。

 夜の静けさに、不意に耳障りな車の音が混じった。そいつは僕の住むアパートの下まで走ってきて止まった。静けさを取り戻した街は、すぐにまたその車から降りてきたらしい人々の声で少し、騒がしくなった。うるさい。近所迷惑だ。
 やがてそれに気付いたのか、急に静かになって、街は今度こそ静かになった。やれやれと思って顔を上げると、壁に掛かった時計が目に入った。午前零時三分。なにか忘れている気がする。何だったろうか。誰かが、ドアをノックするのが聞こえた。こんな時間に誰だろう。…いいや、出ないで。さっきまで誰でもいいから傍にいて欲しいと思っていたくせに、飛んだご都合主義だ。
「どうしよう、いないのかな」
「案外寝ちゃってるとか」
 再び、ノック。さっきよりもやや激しく。それは情け容赦なく僕の鼓膜を穿った。耳障りなことこの上ない。耐えかねて僕は立ち上がって、玄関に向かった。とにかくやめさせなくちゃ。ついでに一発怒鳴ってやろう。僕は鍵をひねって、ドアを開いた。
 瞬間。
―――ぱぁん!
 と、大きな音を立ててクラッカーがはじけた。大きな音と一緒に、紙ひもが僕に降りかかる。
「誕生日おめでとー!」
 呆然とする僕の前に僕の前に高校時代から仲のいい四人が立っていた。いや、後にもう一人いるから、五人。揃いも揃って手にはクラッカーを持ち、顔には笑顔。それで思い出した。
 今日は、僕の誕生日だ。

 玄関にたっていたのは春日 ユミ、早乙女 マナブ、村雨 タカシ、雪見沢 ウタコ、西園寺 ミサトの五人だった。高校の頃、なんとなく集まった時からなぜか気が合い、それ以来いつも一緒だった。それぞれ進路は違ったが、大学を卒業した今でさえ、暇さえあれば何かと理由をつけて集まっている。だが、ここ最近は僕の仕事の都合が合わず、集まりには参加できていなかったけれど。皆、今年で二十三歳になる。
「入っていいか。ここ、寒くって」
 当然だ。今は冬。六人の中では僕が一番生まれが遅い。僕はため息を一つついてから五人を招き入れた。全く、常識的に考えて迷惑で仕方がない。もう零時を回っているのだ。にも関わらず、僕の口元は笑みの形に歪もうとする。普段はあまり回らないくせに、こういうときだけは雄弁なのだ。
 五人はそれぞれプレゼントを用意してくれていた。とりあえず開けるのは後にして、ユミお手製のホールケーキをみんなで食べることにした。綺麗に六等分するとなぜか拍手が起きた。失礼な。僕だって自炊くらいする。包丁さばきはお手のものだ。コップにビールを注いで乾杯。近況などを聞いているうちに話は高校時代の思い出話に移っていった。
 楽しかった。やっぱりこのメンバーは最高だ、と心から思う。やがて、みんなは酔い潰れて眠ってしまった。僕はふ、と一つ笑って、みんなを起こさないようにしながらベランダへ出た。星がきれいだった。向こうの方の空が明るい。夜明けが近いようだ。その時、からっと小さな音を立てて、誰かがベランダに出てきた。ミサトだ。
「ごめん…起こしちゃったかな」
「ううん。私がお酒に強いの、知ってるでしょ」
 そうだ。六人の中で、僕たち二人だけは酒が強い。僕はもう、そんなことも忘れてしまったのか。
「久しぶりだね…こうやって、二人なの」
 そう言いながらミサトは僕がしているのと同じように、てすりにもたれかかった。
「そうだね」
 と、僕は答えた。空気が澄み切っている。
「寒いね」
「そうだね」
「酷いなぁ。私が俵万智を好きなの、知っているでしょうに」
「まあね。そっちこそ僕が酷いのは知ってるでしょうに」
 俵万智の歌集は以前彼女に借りて読んだ。『寒いねと話しかければ寒いねと答える人のいるあたたかさ』――ここは、寒いままのようだけれど。
「そんなの忘れたよ。…きみが私を忘れたように」
 忘れてなんかないよ、という言葉は言わずにおいた。代わりに僕は小さく「そう」とだけ答えておいた。沈黙。星が一つ、また一つとどこかへ消えてゆく。
「ねえ」
 ミサトの澄んだ声が、静寂を打ち砕く。
「私たち…やり直せないのかな」
 その言葉には、断固とした決意が見えた。それに抗うには、それ以上の決意が必要だった。僕は、血反吐を吐くような想いで返す。
「それは、無理だよ」
「どう、して」
 ミサトの声が震える。僕はわざと淡々と続ける。
「僕たちは、お互いに依りかかり過ぎていたんだ。だからもう一度一緒に歩きだしても、きっとまた転んで別々に歩くことになると思う。僕は僕、ミサトはミサトで、ちゃんと自分で立てるようにならないといけないんだ。
 ……でも、もし。もしも僕が一人で立てるようになったら……ミサトが一人で歩けるようになったら……その時はきっと迎えにいくから、待っていて。何年先、何十年先になるかわからない。もしかしたら、その時ミサトは結婚しているかもしれない。それでも……きっと迎えにいく。
 ついてきてくれなくても、いいけど」
 月が、溶けだしていた。夜が朝へと変化していく。街は、僕らに見て見ぬ振りをして、いっそ奇妙なほど穏やかだ。僕はミサトの方へ顔を向けようとした。その刹那、ビルの間から顔を出した太陽が僕らを照らした。ミサトが口を開く。
「私、朝って嫌いよ。だって、狡いんだもの。こっちがどんな気分かおかまいなしで、夜に隠した物を全部白々しい光で照らしちゃうのよ。理不尽よ。まだ夜のままなら……こんな涙も誤魔化せたのにね。
 ふ、ふ。馬鹿みたい」
 最後の一言は、だれに宛てた物だったか。ミサトは最後にもう一言だけ残すと、中に入っていった。取り残された僕は、一人白々しく染め上げられた世界を眺めてみた。そして気付く。世界が、案外広いってことに。暗い間は気付かなかった。確かに夜は、全てを綺麗に包んで、隠してくれる。でも―――
「お前も、結構いいとこあるじゃん」
 僕はそう呟いて、ベランダを後にした。

 そう、ミサトは言ったのだ。彼女が白々しいと言った、太陽に照らされて。
 待ってるから、と。
 窓の向こうで、太陽は何食わぬ顔で輝いている。自分も輝いて、周りも輝かせて。誇らしげに輝いていた。


       

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