Neetel Inside ニートノベル
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 梯子を上り、上に出る、フラベティはいなかった。
 メイとマチの寝かされている部屋に入ると、マチは既に起きていた。僕とフラベティのやり取りを聞いていたようだった。窓の桟に手を置き、外を眺めるようにして立っている。僕が扉を開けると、マチは首だけをこちらに向けた。
「ミアは」
「死んだよ」
「……そう」
 短く言うと、それきり黙った。聞いていたのかもしれないし、そうでなくても半ば予想はしていたのだろう。マチは黙って窓から離れ、ベッドに腰掛ける。傍目に解りにくいが、落ち込んでいるようにも見える。今、ミアに感情移入をしているのだろう。いや、僕に、か。
「あの女、どうするの?」
「さあね」
「…………」
 先をバラし過ぎただろうか。今の「さあね」には、感情が篭り過ぎた。
「メイはまだ寝てる?」
「ぐっすり。子供のように」
「そっか。じゃあ、メイが起きるのを待って宮殿に向かおう」
「宮殿?」
「うん、そこがとりあえずの目的地」
「そう」
「それでさ、それまでこの町を見学しようと思うんだけど、どう?」
「ええ」
 マチはベッドから立ち上がると、僕に着いてきた。
「その服……」
「ああ、ここのだよ。似合う?」
「うん」
 その返事はなおざりだった。僕の服の美醜なんかに、マチは興味を示さない。似合うか似合わないかは主観だ。描写に必要な事柄以外はどうでもいい。
「さ、行こう」
 フラベティに一声掛けようと思ったが、どうやらどこかへ出掛けたらしい。僕らは出口と思しい扉から外に出た。
 一歩外に出ると、そこは石畳の町並みだった。
 家々は密集し、その並びで道を作っていた。二階建てのものすらある。一軒ごとの壁に、日本語ではないしアルファベットでもない某かの文字が彫られていた。見覚えはない。柱は西洋風で、ギリシャの神殿にでもあるような装いだった。窓には硝子がなく、木の枠だけが設されていた。扉は木製で、鉄格子のはまった覗き窓があった。軽い上り傾斜のある道はまっすぐに伸びていて、その先には何か大きな建物があった。傾斜があるからよくは見えない。屋根のような一部がちらと見えただけだった。
 歩く者は誰もいない。フラベティと会っていなければゴーストタウンかと錯覚しそうなくらいに。あちこちに少し、ほんの少しだけ生活の色がある。植木に樽、見たことのない金属の棒。石畳の上に転がるゴミクズ。
 踏み固めた道路に木造の家だった生産とは、文明のレベルが違うと言っても過言ではない。
「ふぅん……」
 くだらない趣向だ。おそらくは、三つの町の全てが異なった文明レベルを持つのだろう。
 同じ空間の中にある同じ由来のものを、わざわざ違う形式で作るなんて。
 しかしマチは気に入ったようで、しきりに周囲を見回していた。古代ローマだのホメロスだのヘロドトスだの、そういった話も好きだったな、と思い出す。
 古典を賛美するのは、僕には理解できない。それが素晴らしいものだというのは解るけれど。
 道を歩いていると、声が聞こえた。ヤアヤアというような、気合いの声。どこかそんなに遠くない場所からだ。注意して聞くと、道の先からだと思えた。
「あっちに何があるみたいだ」
「うん」
 僕らは声のした方へ向かった。緩やかな傾斜のある道を、おそらく町の中心と思われる方に向かって歩いた。
 ゆっくりと、一歩を踏み締める。風はない。だけど木々の揺れる音がする。マチと二人きりで歩く……それはとても、珍しい事に思えた。いや、初めてと言ってもいいだろう。いつだって誰かが隣にいた。
「……?」
「なんでもないよ」
 にこりと笑ってみせた。大切な人が死んだ後で奇妙かとも思ったが、そうすることでマチの気分も和らぐのではないかとも思った。言外に表す。大丈夫だ。
「そう」
「そうだよ。ねえ、手」
「……?」
 マチはそっと右手を出す。僕はその手を取った。
「…………」
 マチは僕の顔を見る。僕はそっぽを向いてごまかした。そっぽとはどういう意味だろう? 素の方向? 僕が顔を見ていると、諦めたのか、マチは前を向いた。自分が主役になることはマチの望みではないから、そうしてみるのが僕は楽しかった。
 無言のまま、僕らは歩いた。
 やがて、道の傾斜が無くなる。坂の上にある建物。全容までは知れないが、その姿がはっきりと見て取れた。それは今までに見たことのないものだった。僕の語彙で表現するのに一番近いもの……そう、球場。いや、コロシアムだ。
 円形の遠景、幾本の柱が柱が柱が並び、緩やかにカーブしている。その中には観客席のように階段が配置され、真ん真ん中に広い平たいフィールドがあった。そのフィールドでは、たくさんの人が……人? いや、あれはエティクスやフラベティと同じものだ。人種、肌の色、髪の色……様々な様々な様々なそれが、そこにいる。たくさんのそれが、広いコロシアムに犇めいていた。四列に並び、行進でもするように歩いている。
「駆け足!」
 お立ち台の上のやつがちらりと僕らを見た気がした。笛を鳴らす。全員が列を崩さずにそれに従った。
「足踏み!」
 また笛の音。全員がその場で止まり、足を踏み鳴らした。
「よぉし、止まれ! 休んでよし」
 はあはあと息を切らせて、広場にいるほとんど全員が座り込む。どこからか台車に乗った樽が運び込まれ、その前に行列が出来た。飲み物を配っているようだ。めいめいに休憩をしている。
 お立ち台の上のやつは、つかつかと僕らに近付いてきた。軍人のような帽子を被り、肩からマントのようなものを垂らしている。ブーツのような靴。材質は革だろうか? 光沢のある表面。
 奇妙な感覚だった。全体を統率しているのはこいつだろう。だというのに、僕の知識がその結論を拒否する。そいつは、とても集団の統率者には見えなかった。
 僕の感覚で言うのなら、あまりに幼い。体つきからは判別しにくいがどうやら女のようだ。こいつらが作られた目的の一部を思うのなら、こういう特殊な者も必要なのだろう。だけど、それは統率者でなくともいいはずだ。
「そこっ! 何をしている!」
 そいつは高圧的に僕らを呼んだ。見た目にはただの子供、いや、ただの美しい子供。
 気に食わない。居丈高な子供も、子供が居丈高になることも。
「修練に遅れるとは何事だ。弛んでいるぞ!」
 腰に手を当てて仁王立ちする。子供がそうしているように見えるが、その所作には妙な貫禄があった。
「あ、あの、僕らは」
「言い訳はいらない、外周三!」
「ガイシュウ?」
 思わず聞き返してから、外周、つまりこのスタジアムを三周してこいと言っていることに気付いた。誰が。僕らが?
「いや、あの」
「なんだ、まだなにかあるのか?」
「ん、んんっ」
 咳ばらいを一つ、なるべく偉そうに見えるように。顎を引き、背を反らせる。手は腰へ、足は肩幅。声音は低く、ゆっくりと。
「無礼だな、君は」
「なんだと?」
 チビは眉を吊り上げる。その表情もまた威圧的なものだった。少し怯みそうになる。何と言うのか……似ているのだ。誰とは言わないが、世の中、とりわけ学校という空間に数多いる存在に。
「僕は人間だ」
 それでわかっただろうとばかりに踏ん反り返った。多くは言わない。言葉をろうせば無用な隙を生むし、横柄なくらいでちょうどいい。
「人間、だと?」
「ああ。だから」
「人間っ!」
 そいつは目を真ん丸に見開くと、鼻から息を吐いた。ガッツポーズをするように両手を握る。身長が低いから上目遣いに僕を見上げ、まくし立てる。
「段階は! どの辺りまでやるのだっ!?」
「だ、段階?」
「松? 竹? 梅? まさかまさか」
 なんだ、今までの経緯からこいつらは人間の言いなりなんだと思っていたけど、そうじゃないのか? 口ぶりから察するに、特別ではあるのだろうが。
 松、竹、梅…はこいつらの訓練には存在しない、人間の訓練があるのだろうか? そしてそれは、ある種の楽しみであるようだ。
「段階なんて知らないよ。僕は今日、初めてここに来たんだ」
「む、そういえば会ったこと無いな。第二世代、いや、子孫なのか?」
 チビは僕の顔をまじまじと眺める。僕はそれに「ああ」と鷹揚に頷いた。今度こそ解っただろう。
 僕は人間。お前らとは違う。特別だ。
 本当にそう思っているのかは別にして、そう振る舞う。
「ふむ……全体! そのまま!」
 チビが休憩している連中に向かって声を張り上げる。特に返事も無かった。引き続き休憩をしていろ、という意味だろう。
 チビは僕らに向き直った。
「ソルス」
「はい?」
「あたし達の名だ」
「あ、ああ」
 エティクスが言っていた、健全の町の統括者の名前。
「あたし達はこの訓練場の指導員だ。用命は何だ? 人間の子」
 ソルスと名乗った少女。指導員だって? こんな小さな子が?
「君こそ子供だろう?」
「あたし達は創られた瞬間から成体だよ。この姿のことを言っているのなら、それはそういう嗜好があるからとしか言えない。あなたはあたし達に欲情するのか?」
 ソルスはしなを作り、貫頭衣の裾を引っ張り、足の付け根近くまでを露出させた。
 言われて、そう意識して見てみる。細い手足はまだ伸びきってすらなく、肉付きは薄く、肌は血管が透き通るように白い。少なくともそう見える。顔はご多分に漏れず綺麗で、輪郭に未だ丸みがある。頬に朱が刺し、目は紅い。髪は短めの黒だ。白、赤、黒のコントラストは確かに美しい。美しいけれど、欲情するかと言われれば否だ。僕には子供がふざけているようにしか見えなかった。
 かつて神だった頃のメイがこれくらいだっただろうか。なら、これに欲情する者もいるのだろう。当時の僕もそれに含む。しかし、メイとソルスには埋められない隔たりがある。
「残念ながら」
「そうか。伽をしてみたかったのだけど。まあいい、とにかくあたし達はこれで完成品なんだ。身体はこうだが、それなりの知識を詰め込んである」
 言葉の端々から子供のような爛漫さと、相反する老獪さが滲む。確かにただの子供ではないようだ。
「人間がここに来るのは随分と久しぶりだよ。初めこそエクササイズだトレーニングだとちょくちょく来ていたものだが、元は研究者がほとんどだからな。宮殿に引きこもって誰も来なくなった。出掛けるとしたら知性に行くのだろう」
「へえ……」
 好都合だった。普段宮殿の人間と交流がないのなら、うまくすれば有利に働かせられる。直接の役に立つかはわからないが、保険のようなものだ。
「僕らは初めて宮殿の外に出たんだ。だから迷ってしまって……宮殿がどこかわからなくなるし、フラベティに連れを殺されるし、散々な目に合ったよ。だからもう宮殿に戻るところだったんだ。その前にここの見学をしていただけで、訓練に参加したい訳じゃない」
「フラベティが? あいつ……ああ、宮殿に戻るのなら案内をつけよう。ここにいる誰でもいい」
 僕らが宮殿の人間である限り、こいつらは協力的だ。
「それはもう頼んだから大丈夫。それより、聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「ああ、あたし達にわかることなら」
「助かるよ。それじゃあまず……」
 僕はソルスから情報を引き出した。
 まず、エティクスから聞いた情報の裏を取る。これは確かだった。二人から同じ情報が引き出せたのなら、その信憑性はぐんと上がる。それから、宮殿までの道筋。僕はフラベティを信用できない。空間把握能力に自信がないので、目印を聞いた。
「宮殿はいきなりあるからな。あたし達の言う方向にまっすぐ進めば見落とすことはないけど、注意しろよ」
 それと、いくつかの興味深い事柄。生産とは直接的な関わりが薄い、人間のこと。思った通り、ソルスはこの空間の人間について詳しかった。人間のことならあなたのほうが詳しいだろうとソルスは言ったが、自分の知らない彼らを知りたいというと一応は納得して教えてくれた。
「一番偉いのは会長だ。あたし達は生憎と伽の相手にはならなかったが、訓練は何度もしたことがある。いつも松だったな。人間でもあたし達に逆らえない段階だ。嫌と言っても訓練を続けさせる。会長は松ばかり受けていた。他は大体が竹か梅だったのに」
「はは、あの人らしい」
 ちなみに竹はそれなりに厳しい段階で、梅は緩い訓練をする段階だそうだ。松を選べばカリキュラムを終えるまでは止められない。運動に関して自分に甘い研究者が最後まで無理矢理やるための段階。自戒のようなものだろう。
 僕は適当に話を合わせ、適当に相槌を入れる。
「いつから来なかったかな……この町はもうあまり意味が無いんだ。もうあたし達の身体を鍛える場所でしかない。人間が利用しない町に意味はない。ねえ、また来てくれるか?」
「ああ、なるべく来るようにするよ」
「ありがとう。健全な肉体から健全な知性が生まれる。体調を管理しなくちゃいい研究者にはなれないから」
「健全な肉体には健全な魂が宿る、じゃなかったっけ?」
「健全な肉体に須らく健全な魂が宿るなら苦労はないよ。その言葉の元になったのはね、健全な肉体に健全な魂が宿れかし。つまり、健全な身体を持っている奴くらいは健全な魂を持っていればいいのにっていう愚痴なんだ」
「へえ……」
 意外と博識。正しいのかは解らないが。
 教育は受けていないとエティクスは言ったが、それは個体によるのだろうか。ソルスは少なくとも僕よりは博識だった。
 健全な肉体の持ち主は不健全な魂を持っていることがあるというのは同意だ。運動ができる体格のいい者が幅を効かせ、喧嘩の強い者が弱い者を下に敷く。大昔から変わらない、それは絶対的なルール。少なくとも子供であるうちは。
 ん……?
 少し、違和感を覚えた。それは思考の波に流され、すぐに形を失ってしまう。確かに今、何かがよぎったのに。
「どうかした?」
「いや……」
「訓練、やっていく?」
「やめておこう」
 僕は苦笑した。意図的なのかもしれないが、端々に子供っぽさが見え隠れする。その性質は愛おしく思えた。出会ったのが外であったのなら、僕は彼女を気に入っていたかもしれない。例え目が赤くなかろうとも。そう思えた。
「なんだ、つまらない。まぁいい、次はやっていってくれ」
「うん」
「ではな」
 ソルスは手を振った。僕とマチはフラベティの家に戻った。

       

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