Neetel Inside ニートノベル
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 理想とはなんだろうかと、この理想郷を考察する前に考えてみた。
 夢は夢でしかなく、理想と夢はまた違う意味を持ち、その二つを区別できない人間の成れの果てがこの空間を作っただろうということは僕にも察せる。僕もまた、夢想と理想の違いを理解はできても実感できないのだから。
 誰もが幸せに暮らせる世界……それを夢見るのは普通かもしれない。大昔から夢想家達が夢見たことだ。綺麗事で、幼稚で、理想的だ。
 この場合の幸せとは、最大公約数だ。万人にわかりやすい幸せ、則ち環境。労働や、生活水準、社会システムなどがこれに当たる。そしてこの誰もとは、自分の届く範囲、国内に限定される。社会システムは国毎に違うからだ。
「みんなが幸せなら自分も幸せ」というお題目には、二つの意味があるだろう。一つは、みんなが幸せに暮らしていることが幸せだという、暖かい、優しい意味だ。一方、全員が幸せなのだから私も幸せになれるはずだという、自己中心的な意味もまたある。意味は違うが、同じことだ。結果として、みんなが幸せなのだから。
 小さな子供や、幸せに育った世間知らずが言うのならともかく、僕は前者を否定する。そんなものは理想であり、理想は叶った瞬間に現実になる。理想は空想の一種であり、空想は幻想、いうなれば妄想だ。それが現実に存在するとしたら、それは理想的な現実でしかない。理想とは、そもそもが実現し得ないものだ。
 大昔、空を飛びたいと思った人の理想は、今の世の中では現実の一部に過ぎない。飛行機なんてものは当たり前の技術で、誰だって簡単に空を飛べる。航空機のチケットが理想なのか? 違う、不可能なことだからこそ理想足り得る。理想が現実になれば、それは当たり前のことに成り下がる。
 不可能なことを夢見るのは人間の性だ。僕は夢見ることを肯定する。実現の為にはまず夢を見る必要がある。不可能だと言われれば、現実が夢を侵食する。現実と夢の入り混じった先に、実現可能な夢がある。そして夢想は現実になるのだ。不可能を夢想するだけじゃない。夢を叶えるとは、夢と現実の妥協点を見付けることに他ならない。不可能を描き続けるのは、ただの子供じみた我が儘だ。僕はそれを否定する。それは優しくて甘い、幸せな夢だ。見ている間は素晴らしく、後には何も残らない。だから、夢と現実には妥協が必要だ。
 例えばそれが、自己中心的な我が儘でも。
 みんなが幸せな世界は作れない。使い古された文句だけど、誰かの幸せは誰かの不幸の上に成り立っている。不幸とまで言わなくても、誰かの苦労のおかげで僕が幸せになれる。南米の農場で過酷な労働をする少年がいるから僕はおいしいコーヒーが飲めるし、丑三つ時に働く人がいるからこそ、ふらりと立ち寄ったコンビニでそれが買える。
 誰かが幸せならば、誰かがそれに見合うだけの苦労をしている。社会が人間のものである以上、それは揺るがない。例外として家畜や自動販売機のような存在があるが、結局はその管理をする人間が必要だ。労苦を軽減はできても無くすことはできない。できることをなるべく機械化したって、誰かがまた別の苦労をする。
 人間はその問題点をクリアしようと、ずっと研鑽を続けてきた。文化や技術の発達は、いかに楽をするか(=労力を抑えるか)という目的がある。
 手っ取り早い方法として、かつては奴隷なんていうシステムがあった。要するに管理の楽な家畜だ。しかし、そんなことは許されることじゃない。許されるって誰に? 僕に、だ。
 みんなが最大限まで幸せな世界は作れない。そんなものを望むのは馬鹿げている。子供の我が儘、狂人の戯言、男の妄想、女の空想。頭の中にお花畑が広がる、基地の外にいる連中の言う綺麗事だ。
 でも、もしも。
 もしも、だけど。
 それが、それができる技術を持ち、それが可能な立場にいるとしたら?
 僕ならきっと、そうするだろう。
 頭の中で支離滅裂な思考がぐるぐると渦巻いているうちに朝(らしきもの)が来たので、僕は眠るメイの頬を撫でた。
 考え始めると眠れなかった。この常識はずれな空間を作り上げたのは、ほぼ間違いなく葉桐製薬の会長だった男だろう。僕はその男を知らないけど、きっと宮殿にいるはずだ。会って訊いてみたいことがいくつもあった。
 あれは、あいつらはなんなんだ?
 機械はメンテナンスが必要だ。家畜は世話が必要だ。幸せに生きる上で、それが労苦になる。ならば、自律制御で稼動する機械があれば? また、自分で自分の世話をする家畜がいれば……?
 それでも、誰も彼もが幸せにはなれない。でも、限定的な空間でならそれが可能になる。いや、そこでしかできないというのが本当だ。
 社会の起源を思えばわかるだろう。社会とは様々な人間の様々な文化が押し合いへし合い、溶けて混ざって出来たものだ。文化は細分化できる。国ごとに、地域ごとに、町ごとに、村ごとに、家族ごとに、人ごとに。風習や慣習と言い換えてもいい。結局、文化の始まりにあるのは人間だ。全ての文化は、最初の誰かが始めたことだ。その誰かが影響力を持つのなら、その単位は大きくなっていく。個人の慣習が家族に広がり、家族の慣習が近所に広がり、近所の慣習が地域に広がり、地域の慣習が全国に伝わる。そんなふうにして、文化は出来ていく。
 そして、関わる人数が多ければ多いほど、文化における個人は薄くなっていく。自身が幸せになる為に始めた行為が、少しずつ意味を失う。本来と違う意味を持つようになる。
 幸せは相対的であるというが、必ずしもそうじゃない。これが幸せと決められているのならそれがもう幸せだという、絶対的な幸せもある。それが文化の価値観の一面だ。例えば、僕には理解できないが、不具になることや、死ぬことを名誉と考える文化もある。マゾヒズムとは違う意味で虐げられるのを喜ぶ文化もある。
 でも、それを決められる人は少ない。全てが幸せになるには、全てが指す単位を小さくするしかない。一個人の影響力を全てに反映するのは不可能だ。
 だから、理想を反映する範囲は、自ずと小さくなるしかないのだ。
 この閉じた空間で、内に篭った社会で、何を目指していたのかは解らない。でも、想像はできる。
 彼は理想郷を目指したんだ。
 眉目麗しく誠実で、頭が良く、自己管理のみならず機械まで管理できる、忠実な家畜。使い捨てもできるし量産もできる。
 そこにいる限り自分は特権階級で、全ての雑事は家畜がこなし、自分は好きなように暮らす。欲を満たす全てが用意されていて、永遠。
 永遠、だ。
 自分のクローンを作ることで、半永久的に生きながらえることができる。不死。いや、再生。再誕。権力者全ての夢。夢。夢。
 叶ってしまった、夢。
 実現してしまった、理想。
 そこでは倫理の意味がない。そこに甘い果実がぶら下がっているとして、倫理とは飢えを満たす為に噛むガムのようなものだ。誰もがそう望むことを、それは毒の実だからと替わりに差し出される。渇き飢えているのに、目の前の果実ではなくガムを取る者がどこにいる?
 僕だって、甘い果実をかじりたい。
 子供には描けない夢だけど、子供のような我が儘だ。
 そんな我が儘を通すのは、どんな人間なのだろう。今もここにいて、日々を謳歌しているのだろうか。
 僕がこの場所の頂点にいたとして、そいつは僕のような存在をどうするだろう。
 異邦人……違う、異物。受け入れるのだろうか? 排除しようとするだろうか? まさか、無事に何事も無く帰れるとは、いまさら思っていない。死者が出ているのだ。
 僕は身体を起こし、辺りを見回した。異変は無い。少し肌寒かった。僕は僕を抱きまくらのように挟んでいたメイを抱き寄せる。
 鍛練を出て半日、言われた通りの道を進んだが、宮殿とやらは見えてこなかった。メイやマチの足がこの空間の住人と比べて鈍いのもあるだろう。道を間違えた可能性は低いと思う。フラベティの先導があったのだから。
 日が暮れてきたので(映像と照明が夜用のものに切り替わったので)、仕方無しに仮眠休憩をすることになった。寝たのは大きな木の下にある岩の上だ。冗談じゃなく栗の木だった。
話を聞く限り、危険な動物はいないはずで、気温もちょうどいい。野宿でも問題はなかった。
 僕は結局、眠れなかった。どうにか作業を終えてまどろみ始めた頃にはもう日が出ていたので、僕は睡眠を諦めた。ミアのことを思い出した訳じゃない。世界は厳しいくせに甘く、甘いくせに残酷だ。そんなことを思っていた。
「ほら、起きて」
「んぅ……」
 メイを揺り起こして、次はマチをと思ったがマチはもう起きていて、僕らを見ていた。
「寝なかったの?」
「ううん」
「そっか」
 眠れなかったのだろう。気付かなかったけど、マチもまた僕と同じように。
 ここに来てから、マチもおかしい。いつもより口数が少なくて、まるで出会ったばかりの頃のようだ。
 マチはかつて所属していた場所から放り出され、世界を失っていた。代替品として物語に没頭し、僕が初めてマチを見た時には、図書館でうず高く本を積み重ねていた。興味を持って話しかけ、お互いに一瞬で世界になった。
 その時から、マチの世界は僕になった。マチの世界の代替品の、物語の代替品、それが僕の世界。物語を読むように、マチは僕の世界を捉えている。マチは観察者であって主役ではない。物語をただ眺める読者だ。時折、求められた時だけ物語に関わる。自分からは一切の干渉をしてこなかった。それがマチにできる最大の譲歩だった。
 マチはマチにできる範囲で、僕の希望を叶える。それがマチの僕への愛し方だ。僕はそれを理解しているし、マチも僕の愛し方を理解している。世界を見せることが僕の愛だし、物語を見ることがマチの愛だった。
 お返し、というわけじゃないけど、マチの望むことは、最大限に叶えてやりたい。僕は僕の世界の為ならなんだってする。世界が僕を裏切らない限り。
 生きていれば、マチのようになにかをしてやることもできる。でも、死んでしまった相手に、僕はなにをすればいいのだろう。
 ミアは僕を裏切らなかった。裏切らないままに、世界から切り離されてしまった。ミアの為になにかしてやりたいと思うし、それが世界として僕を愛した者に対する責任だ。
 僕は、そこに転がるものを見る。
 終わってから思ったのは、なんだ、やっぱり人間じゃないか、ということだけ。
 血は赤いし、内臓だって人間と変わらない。皮膚の下には筋肉があって、皮を剥げば剥き身の魚のようだった。感覚だって人間と変わらない。切れば痛むし刺激を与えれば反応する。いくら声を出さなくても、体の反応は嘘をつかない。痛みに対して多少鈍いところはある。もしくは、それを堪える忍耐がある。差異といえばそれくらいだ。
所々にほんの少しの差異が見受けられるけど、それは人間の範囲内だった。
 匂いがひどかった。そうしている間は高揚にも似た感覚があって気にならなかったけど、一度休んでからは妙に鼻につく。
 細かい作業は、フラベティの大きなナイフでは難しかった。仕方なく全体的に大雑把になってしまったけど、素人にしてはうまくできたのではないだろうか。
 ミアの夢は、ミアを殺したこいつで叶えた。

       

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