Neetel Inside ニートノベル
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 宮殿に向かって歩く。ずっと、ただひたすらに。リズムを刻むように足を動かした。
 鍛練でもらった食料を食べ、休憩し、また歩く。
 景色はどこまで行っても変わらない。精一杯足を動かしても、見えるのは同じような草原と、ところどころにある木々だけだ。
 どこまで続くのだろう。同じ景色ばかりで時間と距離の感覚が狂う。
 メイは僕の服を掴んで下を向いてしまった。はっはっと小刻みな呼吸が聞こえる。相当疲れているようだ。
 いや、もしかすると……発作かもしれない。こんな場所で発作が起きたら、対処方法が限られてくる。そのどれもがなんらかの苦痛を僕に伴わせる。どうせ見ているのはマチだけだから、構わないと言えば構わないのだけど。
 急がなくては。そう思えば思う程に足は空回りした。
 マチは何も言わない。ただ黙ってついてくる。マチは物語が滞らない限り何もアクションを起こさないだろう。マチからすれば、これは二人旅のはずだ。
 視界は広い。どこまでもどこまでも見渡せる。こんな場所は地上でも見たことがなかった。
 思考がくるくると入れ替わる。こんな時は僕が疲れている時だ。精神的に肉体的に感覚的に疲弊している。絶対的なくせに相対的な、抽象的な疲れ。口に出すのは難しく、理解するには曖昧すぎる。それでも、誰しもが知っている感覚。
 戯言にすぎる。言葉遊びですらない。
 どのくらい歩いたのか定かじゃなくなった。メイはもう僕の背中で寝ている。今休憩したらそのまま歩けなくなりそうだったから、歩みを止めない。貫頭衣だから足が砂埃に汚れている。砂は汗でまとわりついていた。
 視線を足から前に戻した時、僕は視界にそれを捉えた。
「あっ……」
 思わず小さく声を上げる。つられてマチも正面を見た。
 作り物の自然の色味しかない景色の中、それは明らかに異質で、恐ろしかった。
 黒だ。そうとしか表現できない。他になんの色もない。ただ真っ黒な壁があった。光沢のない黒。
 真四角。縦長の長方形。窓もないし扉もない。見上げる。先が見えない。それは真っ直ぐに伸びて空に突き刺さっている。
 いつの間にか、僕らはその足元にいた。
 何故? 何故だ?
 可能性としては、僕の目がイカレたか、僕の頭がイカレたか、僕の認識がイカレたか、僕の注意力が無かったか、なんらかの仕掛けがあるか、だ。
 こんなもの、ここには無かったのに。
 気付かないわけがない。僕はずっとこの方角を見て歩いて来たんだ。こんなにも不自然なものがあれば見えないはずがない。真っ青な空に真っ黒な棒。断言できる。僕が認識した限り、そこにそんなものは無かった。映像のように、それは突然現れた。
 そして、そうする意味もまた無かった。
 蜃気楼のように……その塔はそこにあった。
 僕はマチを見る。その目は驚愕している様子ではない。少し思案するように、視線が上下左右した。
「偏光パネル」
 マチが言った。僕の視線に気付いたのだろう。
「光を、特定の射角で、反射、放出する。この場合は、空。遠くから、見たら、反射された空と、同じに見える。射角の限界の、内側に、入ったから、見えるよう、に、なった」
 技術や理論的なことはさっぱりだが、大雑把な仕組みだけはわかった。
 そんな技術、聞いたことがない。光学迷彩の一種だろうか? 個人の範囲を覆う偏光スーツは実用化されたと聞いた。
「うん、無いと、思う。無いはず、だよ」
 マチはあっさりと言ったが、僕にしかわからないレベルで興奮している。
「理論的には、提唱されていた、けど」
 何故、そんなものが実在するのか。
 この安全な世界で、人間にとって安全な世界で、そんなものを必要とする理由があるのだろうか?
 ここにいるのが研究者だとしたら、その答えは解りきっている。
 あれが、宮殿だというのだろうか。あれじゃあ塔だ。僕はぼんやりと頭に描いていた、タージ・マハールのようなきらびやかさを打ち消す。
 バベルの塔は、天に向かって手を伸ばしたから破壊された。忘れそうになるけど、この場所に空はない。どんなに高く積み上げたって、雷が落ちることはないだろう。
 アンチクライスト・タワー。他を信仰する教徒が行う儀式のように、十字架をおちょくっている。理由はないが、そう感じた。そこで行われるのは、倫理とかいうつまらない決まりを無視した、生命の創造。
 それは中学生の妄想じみていて、知識を身につけた子供のようだ。
 僕はその世界観を好ましく思う。身勝手で幼稚。破天荒な現実逃避。一緒だ。こいつも、自分の世界を持っている。
「とにかく向かおう」
 目的地はすぐそこだ。このままここにいても意味がない。
 手作りの理想郷。その中心に、僕は足を踏み入れようとする。


 塔は根元まで真っ黒だった。表面はパネルのようなもので覆われている。パネルは隙間があるけど、そこから内部には入れそうになかった。
 とにかく、入り口が無い。上を見上げれば長く細かったが、根元であるここで見ると大きな壁のようだった。円柱状の、巨大な壁。この巨大な塔が足だとしたら、僕らは砂粒だろう。
 巨大だ。この空間の真ん中で、空を支えるように屹立している。
 まるで、巨大な樹のようだった。
 神様気取りか、この野郎。
 宮殿などという呼び方から、王様を気取っていると思っていたが、それ以上だった。
 この空間の中で、奴等は間違いなく神様だった。
 傲慢。傲慢だ。誰よりも、誰よりも。ちっぽけな世界で偉そうに振舞っているだけのくせに。


 僕らは入り口を探して、真っ黒な塔の外周を回る。
 メイが背中から降り、自分の足で歩き始める。背中が軽くなったが、頼られている感覚も軽くなった。メイは僕とマチの前を軽やかに歩いていた。体力自体はあまり無いが完全に切れるまで動けるし、切れればすぐに眠ってしまい、回復は異常に早い。本当に子供のようなやつだ。
「あっ」
 前方に、なにかがいるのに気付く。メイは怯えるでもなく僕の後ろに回りこんだ。
 それは壁に寄りかかるようにして立っていた。男のようで、よく鍛えられ、背が高かった。体格がいい。読書でもしているのか、一冊の本を持っている。ぼぉっとした様子でそれに目を落としていた。
 そして、目が赤い。間違いなく、あの連中だ。
「ん?」
 男が僕らに気付く。
「おかえり」
 本を閉じ、手を広げて言った。
「奉納か?」
「え?」
「ん、何も持ってないな。何しに来たんだ?」
 それで僕はそいつの勘違いの内容を察する。宮殿に物資を運び入れに来たと思っているのだ。となると、こいつは門番か何かなのだろう。その割に、武器らしいものも持っていない。それはつまり、安心しきっていることの顕れだ。
 奉納。ふざけた言葉だ。
「ん、お前達……」
「僕達は会長に用があって……」
 何かを言われる前に言う。
「知性から来たんだ。聞いていないか?」
「なんだって?」
 男は面食らったように目を丸くした。
「会長……会長か? お前達……」
「特例でね。こいつを」
 マチを指差す。いきなり振られても動揺一つしない。
「連れてこいとの命令が下ったのさ」
「…………」
 もう行き当たりばったりだ。信じるかはわからない。正直に人間だと言っても良かったのかもしれないが、もう遅い。
「こいつ……? こいつら,ではないのか?」
「……!」
 イージーミスだ。複数形にしなければならなかった!
「……特別でね。こいつは僕達じゃない。研究所で人間から創られたのさ」
「なんだって」
「研究の成果だ。完成し次第、宮殿に連れてこいと言われていた。時間は掛かってしまったが……」
「そいつらは?」
 ミアを指す。ミアは僕の背中に隠れて男を見ている。
「研究者だ。僕達と共同研究をしていた」
「……そうなのか。あまり賢そうには見えないが」
「見た目でわからないことは多いさ。ソルスみたいなのもいる」
「ソルスか。はは、そうだな。ちょっと待ってくれ」
 男はペンのようなものを取り出すと、持っていたノートに何かを記入した。
 どんな研究が行われているかなんて、全てを把握していないだろう。そんな推測だけでハッタリをかます。
 じっと、男の反応を待った。
 男はペンを動かし、時折マチを見る。何を記入しているのだろう……。
 男はペンをしまい、ノートを閉じた。
「……よし、入っていいぞ」
 よし!
 僕は心の中で歓声を上げた。
 男はすっと身体を引く。しかし、そこには黒い壁があるばかりで入り口らしきものは見当たらない。
「……?」
 困惑する。早くしないと怪しまれてしまうかもしれない。宮殿から来たという体だったから、ソルスからはこんな情報は聞き出せていなかった。
「どうした?」
「あ、いや」
「なんだ、お前達、初めてここにくるのか」
「あ、ああ。実はそうなんだ。僕達は作られてからこっち、ずっと研究一筋でね」
「線が細いな。身体は鍛えろ。雌性なんだからな」
 余計なお世話だ。
「これはな、ここに……」
 黒い壁に手を添える。
「な!」
 男の手が、壁にめりこんだ。いや、違う。これは映像だ! 壁と全く同じ材質に見える黒い映像がそこにあって、入り口を隠していたんだ。
 こんな技術も……知らない。マチを見る。微かに首を振った。やはり知らない技術。
「入り口があるんだ。覚えておけよ」
 男はどこか得意げだった。
「……ありがとう。じゃあ」
 男に向かって手を上げて、入り口を通る。右足の爪先を恐る恐る突き入れた。
 なんの抵抗もなく、足は内部に入り込む。
 脳がそこに壁があると認識しているのに、あっさりと足は通り抜けてしまった。実際と認識の齟齬があった。
 端的に言うと、気持ち悪い。
 顔がそこを通り抜ける瞬間、目が眩むような感覚があった。
 ミアが僕の背中に続いて入ってくる。その後ろにはマチ。
 僕らは宮殿に足を踏み入れた。

       

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