Neetel Inside ニートノベル
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 宮殿。
 微かに風の流れる音が聞こえた。気温は扉が無いので外と変わらない。こちらから見ると、うっすらと透けて外が見えた。
 外から想像した通りに広い部屋。真ん中まで来て見回す。ごく普通のタイル貼りの床に赤い絨毯が敷かれ、壁は白い。柱のようなものはなく、正面には壁があり、そこには扉が二つあった。ここは半分ほどを区切ったのだろうか、半円状で、おそらくその扉の奥にはもう一つずつ部屋があるのだろう。
 右の扉には奉納と書かれていて、左の扉には何も書かれていない。
 両開きの扉だ。恐らく右に物資を運び入れるのだろう。となると、左に行くのが正しい道か。
 左の扉に近づく。触れようとすると勝手に開いた。珍しくもないが一瞬ぎょっとする。
 扉の向こうは、ほとんど同じ構造の部屋だった。違うのは、入り口の対角線上にエレベーターらしきものがあることだけ。
「マチ、メイ」
 呼びかけるとマチはこくんと首を動かす。僕は二人の手を握った。
「行こう。離れないように」
 メイの左手は暖かく、マチの右手は冷たい。引けば抵抗もなくついてくる。
 エレベーターの前に立つ。一般的なそれと同じく、扉の右手に上と下のボタンがある。階数表示のようなものは見当たらなかった。
 恐る恐る、メイの手とつないだ手でボタンを押した。
 シュインシュインと、内部から何か音が聞こえた。どうやら動いているらしい。ほっとする。この塔を歩いて昇ることを想像するのは恐ろしかった。
 長い時間が経ったように思えた。実際にはほんの一分かそこらの話だっただろう。駆動音が少し大きくなり、止まる。空気の抜けるような音がして、扉が開いた。
 内部は広いことを除けば、ごく一般的なエレベーターのようだった。乗り込み、閉まるボタンを押す。ほかにスイッチはない。閉まると、エレベーターは自動的に動いた。昇っていく感覚があって、それもまた長く続いた気がした。上昇が止まり、ゆっくりと扉が開いていく。



 エレベーターの扉が開いて、空間が広がる。そこは広いホールのようで、壁は一面に黒い。床には赤い絨毯が敷かれていた。
 濃い色の中で、唯一、異質な物が、壁に寄りかかるようにしているのが、嫌でも目に入った。
 真っ黒な壁の前に、真っ白なそいつが。
「ゼノ……?」
 いや、違う。例によってあいつらの一人ではあるのだろうけど。
 華奢で真っ白な身体、癖のない真っ白な髪。そこだけスプレーを撒いたみたいに煌いている。太陽の光、じゃない、スクリーンの光に照らされて、ぼんやりと輝いていた。誰も彼も似てはいたが、こいつが一番ゼノに近い。少なくとも見た目だけは。
 ぼんやりとした顔で僕を見ていた。
「だぁれ?」
 そいつは首を傾げた。仕種は幼く、柔らかい。動く度に粒子のようなものが舞う。
「みんななの?」
 なんと答えていいか判らず、僕らは黙った。みんなが指すものはなんだ? 小山真世か、お前らか。
 狂おしい情欲が、腰から臍に走った。身体の真ん中を何かが通り抜ける。足が突っ張るような感覚。爪先からつむじまで総毛立つ。
 無闇な拒絶は意味がない。僕はもう、世界の一部にこいつらを組み込んでしまっている。不可避で不可解な感情。
 依り処の無い船のように、僕はゆらゆらとさ迷う。逃げ場はある。逃げる意味はない。
 僕は呆けたように立ちすくむ。マチもミアも、僕が動かないから動かない。態度を決めかねる。指で合図する。何も言うな。
 僕の世界。僕を愛する? 敵、敵かもしれない。組み込める? 情報はあるが、無いに等しい。こいつはゼノか? 違う、でも同じだ。外にも似たやつらはいた。違う。奴らには色があった。肌や髪。共通するのは目だ。目、目だ。目が美しい。赤い緋い朱い。朝焼けより夕焼けよりルビーより、血より炎より柘榴より、何よりも何よりも何よりも。僕の知っている何よりも。世界になる可能性は? 世界との整合性は? 他の奴らはどこにいる? 人間は、人間はいるのか? 含まれる対象は? 外に出たとして連れていくことはできるか? 何を食うのか? 特有の何かは? 愛の形は? 愛とはなんだ? 人間なのか、人なのか、人形なのか、物なのか。物に命を宿らせる。禁忌? くだらない。可能性があるなら追い求めろ。夢は叶う。命は宿る。
 かつてないくらいに、脳が回転していた。三つ四つの思考が違う指向を持って意見を出す。
 結論など出て来ない。無意味ではないが無価値だった。何もしないのは意味がない。何をどうする。
 結果、死体になろうとも。世界を無視などできるものか。
 ああ、我慢の限界だ。
 僕は無防備なそいつに飛び掛かる。急な動作に驚いたのか、咄嗟に反応できないでいた。右手で右手を掴むと「え?」という疑問符を口から漏らす。半回転させるようにして僕の胸へ。左手で口を塞いだ。
「わう」
 特に騒ぎ立てるでもない。大人しく僕の胸に収まった。
 右手。皮膚は素晴らしく滑らかで、握れば指の形にへこむだろうと思う程に、骨の硬さを感じない。握れば折れてしまいそうだけど、芯が通っているのは間違いない。
 左手。唇は少し湿り気があった。指の腹でなぞる。上唇のへこみは薄く、下唇は太陽に当てた羽毛のようだった。顔の中で、色らしい色は瞳とそこにしかない。それ以外の皮膚は雪のように白く、ひなたのように暖かい。血管の透けるアルビノとは違い、本当に真っ白だった。血の気が無い。肉はあまりないように見えるのに、むしろ折れそうなくらいに華奢なのに、指が沈み込むように柔らかい。
 身長も体重もさほど無いだろう。身長が百四十八センチのマチよりも小さくて軽い。白いワンピース状の服の下には何も身につけていないようで、衿元から二つの突起が覗いていて、そこにだけ薄い色がある。陰影に過ぎないような、ほとんど感知できないような。
 真っ白な髪に鼻を埋める。匂いはない。生き物として異常。警告、それは人形か? 人間か?
 肉欲は感じない。むしろ禁欲的な印象すら受ける。求めてはいない。求めてはいけない。
 そこまでの動作洞察観察干渉をしても、そいつは不平を言うことすらしなかった。
「ええと、咄嗟に捕まえたけど」
「手が痛いわ」
 そいつ……少女は状況を報告するように言う。媚びも嫌悪も厭味もない、ただそうであると告げる。
「ごめん。それで、誰、きみ」
「きみじゃないわ」
 なんだ、あいつらの仲間で間違いないのか。少し落胆した。
「わたし、渡り鳥。あなたはだぁれ?」
 なんだって?
「渡り鳥?」
「ええ、そうよ。わたしは渡り鳥。わたしは風。わたしは光。わたしは空。わたしは天使。わたしは悪魔。わたしは粘土。わたしは水。わたしは」
 すらすらと、決まり文句のように言う。
「どれなんだ?」
「どれもよ。どれもわたし。わたしは自由なの」
 少女はふとした隙に、僕の手から逃れた。
「あっ」
「ふふ」
 逃げるでもなく両手を広げ、その場でくるくると回った。
「はじめまして。いいえ、もしかしたらお久しぶりかしら。わたしはわたし。あなたじゃないわ」
「そりゃまあ、僕じゃないだろうね」
 要領を得ない。とりあえず危害を加える気は無いようだけど……。
「ねえ、みんなって」
「あら」
 質問しようとした矢先、少女はメイとマチを見て声を上げた。
「一人、二人、三人」
 指折り数える。
「なぁんだ、三人しかいないのね。お姉様から聞いたのと違うわ」
「お姉様?」
「ええ、あなたも会ったでしょう?」
 ゼノ、か?
「わたしはお姉様から生まれた。わたしはたくさん産んだわ」
 不明瞭だ。お姉様はゼノ? ゼノから生まれた? たくさん産んだ?
「何を、どうやって産んだの?」
「ボタンを押すのよ。教わった通りに。そうすると、たくさんの子供が生まれるの。千人は普通の子で、一人は特別なのよ」
 頭が混乱する。ヒントはたくさんあるのに。疲れているのもあるし、そもそも理解が及ぶ話なのかも判らない。
「それから、必要なことを教えるの。たくさんある記録の中から、相応しいのを選んで」
 話は聞きたい。聞き出せる限りは聞き出したい。しかし、今の状態でうまく記憶できるだろうか。
 ぐう、と、音が聞こえた。
 僕じゃない。振り向くと、メイの様子がおかしかった。腹の虫だ。
「お腹が空いたの?」
「うん」
 メイに代わって僕が答える。僕は今空腹じゃないが、休めるなら休みたかった。
「ごはんにしましょう」
 少女はひらりと跳ねる。体重を感じさせない動きだった。
「ここで待っていてね。すぐ戻るわ」
 扉から出て行くと、ふっと気が抜けた。僕はその場に崩れ落ちそうになる。慌てて手をついて、それでも座り込んだ。
「ユタカ?」
 メイが顔の目の前でしゃがんだ。手を肩にもたれかからせると、メイは静かに目を閉じた。それから僕の背中に手を回し、ぽんぽんと叩く。
 僕は意識を手放した。

       

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