Neetel Inside ニートノベル
表紙

見開き   最大化      

 地図で見れば市街地に近い場所にあったが、それは県境の山中にあった。道路から外れた奥の奥、用事がなければ絶対に辿り着けないであろうどん詰まりだ。この時点で都市部から近いという条件から外れているが、ここまで来たら見ないで帰る訳にもいかない。
 バスを乗り継ぎ、目的地へ向かう。電車と合わせて、片道で千八百六十円。最寄のバス停からは、歩いて十キロ近い。夏の日差しにげんなりする。
 降りた場所には小さな商店や民家があるばかりで、コンビニすらない。所々に廃屋のような木造建築があって、景色の大半は道路の灰色と木々の緑だった。
 最初のほうは普通の道。向かうにつれ、だんだんと建築物が減り、反比例して緑が増えていく。途中に休憩を二度挟み、目的地近くまで来て、地図を確認する。あと二、三キロで目的地だ。
 僕らは緑の中を進む。街灯もなく、ガードレールが無ければすぐに落ちてしまうような道を行く。片面は草木の繁茂したコンクリートで、もう片面は森のようになった崖。木々ばかりで下は見えなかった。僕は少し慎重に足を動かす。
「ねえ、あれじゃないの?」
 ミアが言う。前方を確認すると、確かに何かあった。遠くにぽつんと、自然以外の何かが見える。大きなカーブを描く道路の、そのすぐ横。
 やがて……大きな門が見えた。道の途中でいきなりコンクリートが切れ、立入禁止の看板と、壊されたのだろう、穴の開いた申し訳程度のフェンス、それから蔦が巻き付いた門が現れる。それらはほとんど緑に染まり、ある種のオブジェのように佇んでいた。
 僕らは足を止め、タオルで顔を拭った。フェンスの穴に身体を入れる。内部にも道が続いている。道はまだ長く、施設のようなものは見えない。
「ここ?」
「うん、間違い、ない」
 デバイスで位置情報を確認し、マチが言った。
「何にもなくねえ?」
「だって施設は地下なんでしょ? 外から見える訳ないじゃん」
 僕が言うと、マーは「わーってるよ」とぶっきらぼうに言って歩き出した。
「ほら、行こうぜ。もっと近寄らなきゃわかんねえだろ」
 促され、僕らはマーに続いた。
 道はなだらかな上り坂になっていて、草が生い茂り、それでも不思議と道が舗装されているのが、在りし日の葉桐を偲ばせた。途中に車用のゲートと監視カメラの残骸があったが、それ以外は何もない。ただ道と草木、それに看板があるくらいのものだった。看板には擦れた文字で『葉桐製薬』とある。確かにここで間違いないようだ。
「ん」
 しばらく行くと坂が終わり、平坦な道に出る。すると目の前に巨大な山肌が迫ってくる。道は途切れ、そこにぶつかっているようだった。
 僕らはそこに荷物を降ろし、呆けたように見上げた。
「ここ……だよなあ」
「うん、葉桐製薬の看板あったし、ここのはず」
 切り立った岩肌、山を見上げる。頂上は見えない。ある程度上に行くと緑一色だった。
「マー、地図見せて」
「ん」
 見取り図には正面玄関がある。位置的にはこの場所のはずだが、それはどこにも見当たらない。非常口がどこかにあるはずだが、それもパッと見たところは無いようだ。
「これ、この下、コンクリだ」
 マーが言う。見れば、確かにコンクリートで塗り固めたような跡があった。その上に植物が生い茂り、ほとんど見えなくなっている。
「塗り固められてんのか」
「そうみたいだね」
「なんだよ、入れないじゃん」
「いや、地図が正しいなら非常口があるはず。探してみよう」
 僕らは二手に分かれて辺りを捜索することにした。マーとメイとマチは右へ、僕とミアは左へ。山肌をなぞるように沿って進んでいく。
「ねえ、あれなに?」
「うん?」
「ほら、あそこ」
 ミアが指差したそこには、コンクリートかなにか、とにかく人工物で出来た壁があった。山肌に突然の、なめらかな異質。
「あれ、ドアじゃない?」
 言う通り、そこには人間一人が通れる程度の扉があった。僕らは駆け寄る。邪魔な植物が枝垂れている。引っ張るとぶちぶちと千切れた。その下から、扉が現れる。
 金属製の扉だった。電子ロックなのだろう、カードリーダーがあるだけで、取っ手のようなものはない。一応試したが、当然のように開かなかった。
 どうしようもなく、マー達を呼びに行った。
「どこ? あ、あれ?」
「すげえ、本当に扉じゃんか」
 マー達が合流し、扉の前で集まった。早速、マチが扉を確認する。
「そっちはなんかあった?」
「いんや、なーんも。どこまで行っても山肌」
「ふむ……」
「で、開きそうか?」
「んー」
 デバイスで何かをチェックしていたマチは、くるくると扉を撫でた。
「このタイプなら、多分、開けられる。古いし、ね。ただ、電源のほうが、死んでる……っぽい」
「駄目じゃん」
「マー、私の荷物、持ってきて」
「どうすんだ?」
「通電できれば、ロックは、一瞬で解除できる。通電には、バッテリーパックが必要。バッテリーパックは、荷物の中、にある」
「お、おう」
 解りやすすぎる説明だった。僕らは荷物まで戻り、扉に運ぶ。マーがマチの分も運んだ。
「ほいよ」
「うん」
 マチは荷物を受け取ると、がさごそと中からバッテリーパックとコードを取り出し、扉に繋いだ。同じくデバイスにもコードを繋ぎ、カタカタと打ち込む。
「ふ」
 バッテリーパックのスイッチを入れると、ブシュッと音がした。
「どうなった?」
「うん、ロック解除、したよ。扉を動かす電源は、死んでる、から、手動だけど」
「うっしゃ!」
 マチはくるくるとコードを回収した。マーは早速扉に手をかける。
「重いな……ふんっ!」
 マーが体重をかけると、ガタガタと金属の扉が開いた。
「おぉー」
 全員が感嘆する。
「マチ、さすがだな」
「ん」
 右手でピースサインを作った。
「なんかあっさり開いちゃったね」
「かなり前の施設、だし、セキュリティは、旧式、しかも死んでる。封鎖されてたって、侵入するのは、簡単」
 マチはそう言うが、僕にはできないだろう。あっさり開いたように見えるのは、マチの技術があるからにすぎない。
 板又真智は神童だった。かつて施設のコンピュータの授業でその才能が発露し、そういった天才たちの相互扶助集団「モグム」に加入していた。マチは諍いを起こしてモグムを退団し、それ以来、ずっと僕らと一緒にいる。
「真っ暗……」
「そうだね。電源は死んでるんだから当然だ」
 扉の中には、明かり一つ見えない。烏のような黒が、外からの光に僅かだけ照らされている。
「まあいいさ、入るべ!」
「あ、懐中電灯は?」
「じゅんびばんたんだよー」
 メイは嬉しそうに懐中電灯を掲げて見せた。
 僕らはめいめいに懐中電灯を手にすると、扉をくぐり、施設内部に足を踏み入れた。
 扉をくぐると、すぐ階段になっていた。扉と同じ色をした、格子状の下り階段が壁に沿うようにして地下へと伸びている。
 僕は足を階段に乗せた。大した揺れも軋みもない。どうやらこの階段は長年の放置にも関わらず無事なようだった。
「うわー……なんも見えないよー」
 メイの呟きがハウリングした。扉付近の様子がかろうじてわかるくらいで、内部は何も見えない。懐中電灯を点け、照らしてみる。真っ直ぐ前に向かった光は、何にも当たることはなく……暗闇に消えた。
「うお……なんだこりゃあ、何にもねえ」
 マーの言う通りに、この施設内部は巨大な空洞にでもなっているようだった。
 手前から壁をすーっと懐中電灯で照らしてみた。平坦な壁が続くばかりでなにもない。やがて小さな点になって、消えた。
 身を乗り出せば、階段の続きくらいは照らすことができただろうが、底の見えない穴にそうしようとはとても思えなかった。
「さて、行く?」
 僕は親指で空洞を指した。
「やだ、もう帰ろうよぉ……」
 ミアが泣くような声で言った。
「ここまで来て? ありえねえ」
 鼻息も荒くマーが返す。
「こんなのあるぜ」
 ランタンというのだろうか、電球が中に仕込まれたタイプの懐中電灯を取り出した。
「キャンプといえばランタンだろ」
 こだわりなのか、自信満々に胸をそらしてスイッチを入れた。ランタンの明かりは強く、足元を不足なく照らした。
 懐中電灯がホースなら、ランタンはスプリンクラーのような光だ。
「これなら大丈夫か?」
「う、うん」
 ミアはおっかなびっくりといったふうに、僕の服の裾を掴む。
「これでよし」
 これでよし、じゃねえ。歩きにくい。
「ほら、荷物あるんだからあんまりくっつくなよ」
「やだ」
 ミアは子供のように顔をぶんぶんと振った。怖いのだろう。
「はあ、まあいいけどさ……」
 荷物はかなりある。なにせキャンプ用品一式に食料だ。五人用の水や食料を持たなくてはならないし、調理器具も持ってきていた。あとは各自の着替えや寝袋などだ。
 共用のものに関しては、全て僕ら男が運搬担当だった。
 元が研究所だ。ある程度の設備はあるだろうけど、あまり期待もできない。
「うっし、そんじゃま、行くとしますか」
 マーが先頭に立ってランタンを持つ。僕は最後尾で懐中電灯を構えた。ランタンの明かりはマーの足元まで照らし、光量はそれなりにあった。
 僕が最後尾ということは、必然的に僕の服の裾を掴むミアも最後尾になる。
 マーが階段を下る。僕らもそれに続いた。
 カンカンという、五人分の靴音がする。
「なんかここ涼しいね」
 ミアが言った。
 施設内部は、不思議なほど涼しかった。外は夏真っ盛りだというのに、封鎖されていたからだろうか、空気が妙に冷たい。
「ああ。避暑にはいいかもなー」
 カンカンカンカン。
「どのくらい続くのかなぁ」
「おいおい、まだ下り始めたばっかだぞ」
 カンカンカンカン。
「シャワーとかあるかなぁ」
「あっても使えねえだろ」
 カンカンカンカン。
 カンカンカンカン。
「…………」
 不思議と、誰からということもなく、無言になった。そのかわり、 メイとミアは手を繋ぎ、僕の服の裾は無惨にも伸びていた。
 おっかなびっくり進んで、やがて僕らは階下に着いた。
 階段が途切れ、床が広がる。金属ではない、コンクリートの地面が心強かった。
「おぉ、けっこう下ったなあ」
「だねえ」
 見上げれば、かなり遠くに開け放したままにしてきた扉の明かりがぽつんと見えた。
「さって……」
 ランタンを暗がりに向ける。ぼんやりと辺りが照らされた。タイル敷きの床、クリーム色の壁。他には何も見えない。
 懐中電灯を向けてみる。何かが反射した。小さな光では、それが何なのかまではわからない。
 壁沿いには特に見えるものはなかった。
「広くない……?」
「だな……」
 そこは空虚だった。
 だだっ広い空間が広がり、その全てが暗闇に染まっている。巨大な闇の中、ランタンの小さな明かりと、五人だけが僕らの全てで、バスで痛んだ尻も、荷物の食い込んだ肩の痛みも、全部全部すっぽりと飲み込まれそうだった。
 伽藍堂。がらんどう。
 ごくりと飲み込んだ唾が妙に粘っこい。僕はハンカチで滲む汗を拭いて、マーを呼んだ。
「マー」
「…………」
「マー!」
「ん、おお……何だよ」
「地図。見取り図」
「あ! ああ」
 マーが慌ててポケットから八つ折りの地図を取り出し、僕に渡した。僕は地図を広げ、懐中電灯で照らす。
「非常階段入り口がこの位置だから……今はここだね。本来ならここのエレベーターで下りてくる場所だ。でもこのメインゲートってとこに入り口なんかなかったけどなぁ……」
 地図によると、僕らが入って来たのが非常階段。本来ならばあの道の途切れた位置にメインゲートがあり、そこから内部に資材運搬用のエレベーターシャフトが通っているはずだった。
 非常階段のくせに独立していない辺り、建築基準がかなり怪しい。
 ということは、地図の真ん中にあるのはエレベーター。さっき懐中電灯で照らした時に反射したあれがそうだろう。
「このまま壁に沿って歩けば、また階段。そこからが研究所だね。ここは資材運搬口というか、エントランスみたいなものだ」
「うっしゃ、行くべ」
 のしのしと無駄に力強く、マーが先陣を切り、僕らはそれにぞろぞろと続いた。地面が安定しているからか、皆さっきまでよりは余裕があった。
「研究所ってなにがあるの?」
「何でもあるみたいだ。フィットネスルーム、レクリエーションルーム、大浴場に運動場。研究員が泊まり込みしても大丈夫なように、宿泊施設としちゃかなりのクオリティだったみたいだな」
「へえー」
 女子は好きだよなあ、そういうの。
 まあ、使えるかはわからないけど。というか、普通に考えて使えないだろう。いつの施設だと思ってるんだ。
「何の研究してたの?」
「そりゃあ製薬会社なんだから、薬の研究だろ」
 マーが答える。
 それは違う。確かに葉桐は製薬会社だが、だからといって薬を作るだけじゃない。ここは事業展開を計って敷設された、新規事業研究所だった。
 来る前にちょっと調べた程度の情報だけど、その研究のペイを取り戻せず、葉桐は潰れた……というのが、ある程度の事情通の認識だった。
 ……きな臭い。葉桐程の大企業が、採算が取れるかもわからないような事業に手を出すだろうか? 経営陣の不手際と言ってしまえばそれまでだが、それだけではない何かを感じる。
 しばらく壁沿いに歩くと、地図の通りの場所に階段があった。非常階段とは違い、ごく普通の施設にあるような、二人並べばそれで塞がる小さな階段だった。
 ランタンと懐中電灯で照らしながら、僕らは階段を下る。壁に大きくB1/B2と書かれていた。あの巨大な空間が一階というのが不思議な感じだ。
 暗さには慣れたけど、奇妙に息苦しい。冷たいくせに澱んでいるようで、得体の知れない湿り気があった。
 冬の市民体育館とか、こんな空気だったなあ、と思い出す。フットサルをやりに行った時の、廊下のあの湿度に似ている。ただし、こちらのほうがずっと強い。
 ぼーっと足元を見ながら歩く。階下のフロアに出た。階段はまだ下へ続いている。
「あ、ちょっと待って。地図見る」
 ここは地下二階。図面の通りなら、ここは研究員の宿泊室が並ぶフロアのはず。フロア全体が個室になっていて、円形の施設の外周に、全部で百二十八部屋。部屋と部屋の間隔はあまり無かった。
「さて、どうしよっか」
 僕は全員を見る。
「この階は職員の部屋だけみたいだ。どうせなら別の階を調べたほうが楽しそうだけど」
「え、そうなんだ。じゃあここは後回しにする?」
「でもとりあえず荷物置きたいね」
「だな。研究室はその後でいいだろ」
 僕らはまず荷物を置き、この階を探索することにした。とりあえずは手近な部屋に入り込む。鍵は掛かっていなかった。
「太宰、だって」
 扉はネームプレートが外されていないままだった。階段から一番近い部屋の、かつての住人は太宰という人らしい。
「おじゃましまーす……」
 ゆっくりとノブを握り、扉を引く。空気が動いて、少し風が吹いたように感じた。
 そこはホテルの一室のような部屋だった。入って左手に靴箱とコートかけがある。右手の扉の中にはシャワートイレがあるのだろう。廊下は狭い。ぞろぞろと入り込むと、ベッドとデスク、それに本棚が一つ。
 本棚には本がまだ残されていた。ほとんどは専門的な書物だろう、アルファベットが背表紙に踊る。筆記体なのでぱっと見では読めない。よく見るとドイツ語のようで、余計にわからない。
 ごく少数、僕でも知っているような推理小説や、直木賞だか芥川賞だかを取った本なんかもあった。
 芥川龍之助は知っているが、直木さんを僕は知らない。下の名前すらわからない。
 マチが興味深そうに本棚を眺めていた。許されるなら持って帰るつもりなのだろう。
「マチ、直木賞の直木って誰だっけ?」
「三十五」
「え?」
「……」
 本棚を眺めるので忙しいらしく、それ以上は何も言ってくれなかった。デバイスで調べようとも思ったけど、当然のように圏外だった。
 僕らはベッドに荷物を置いた。ベッドといっても布団はない。金属のフレームと板だけの箱。壁から生えるように突き出ている。
 肩の荷がおりた。比喩的な意味じゃなく。
「さて、ちっと休憩すっか」
 マーが床にべったり座り込んだ。
「あ、床汚くない?」
「ん、うぉ!」
 床を撫でると、埃が舞った。マーは尻を叩いて立ち上がる。
「けほっ、やめてよー!」
 メイが埃に眉をしかめた。
「ハハ、わりぃわりぃ」
 マーは悪びれる様子もなく笑ってごまかす。
 僕は荷物からビニールシートを取り出し、床に敷いた。全員がシートに乗り込む……いや、マチだけはまだ本棚を見ていた。まあいいや、ほっとこう。
 ランタンを中心に置く。ぼんやりと顔が下から照らされ、ちょっとしたホラーのようだ。
「はい、お茶」
 ミアが水筒に入れてきた麦茶を配った。よく冷えた麦茶が喉を通る。久しぶりの水分はとてもうまかった。
「あーっ、疲れたぁ」
 僕は足を投げ出した。伸びをしたまま身体を左右に揺らす。
「ジジ臭い」
「うっせ」
 首を捻るとコキコキと鳴った。
「マチ、面白そうな本はあったか?」
 まだ本棚から離れないマチを呼ぶ。
「専門書以外、全部、読んだこと、ある」
 マチがビニールシートに座った。僕のちょうど向かい側で体育座りをする。ランタンで照らされ、スカートの中身が煌々と自己主張していた。暗闇に真っ白いそれは、あまりに目立つ。他が暗闇なので、お互いしか見るものがない。否応なしに目に入り込む。
「ユタカの、舐めるような、視線に、気付き、つつも、気付かない、フリをする」
「見てないよ馬鹿たれ」
 しっかりバレていた。そのくせ特に隠す素振りもない。それはそれで如何なものか。
「ん、なにが」
「マーはいいの」
 麦茶のおかわりをしていたマーが怪訝な顔をした。
「いいならいい。そんで、どうだ」
 マーはあっさりと話を切り替えた。
「どうだ、って?」
「これなら核シェルターになるだろ?」
 そうか、そもそもの発端はそれだった。
 マーはにやりと笑って得意げに言う。
「こんだけ地下にありゃあ、核爆発でも大丈夫だって」
「そうだね、あのエントランスを封鎖すればシェルターになりそうだ。でも」
 一度賛同しておいてから、反論をする。
「でも、なんだよ」
「あの時のテーマは『どうすれば核爆弾から逃れられるか』だろ? 個人じゃなくて、国民全員が現実的に、だ」
「だ、だから?」
「ここは人里から離れてるし、他に同じような施設はない。避難所として使うには不適格だ」
「ぐっ」
「さらに言うなら、都民が流入してくれば、こんなとこ一瞬で埋まっちゃうだろうね」
 ここは確かに広いようだが、それでもリミットは一万人ってところだろう。
「で、でもよ! 政府が作ればなんとかなるってことだろ? シェルター自体は不可能じゃねえってことじゃん」
「シェルター自体はね。ただ、避難所として機能させるには、全国にかなりの数が必要になってくる。そんなの、建築費用も土地も確保できないだろうね」
「地下だろ、土地はなんとかなるんじゃ……それに、田舎のほうなら」
「核爆弾が落とされるとしたら都市部だ。田舎にはそもそも必要ないよ。そして地下には色々あるんだよ。水脈とか、地下鉄もあるしね。地下ったって無限じゃない。掘れる場所は限られてる」
 実はよく知らないけど、尤もらしいことを言ってみた。どうせマーもよく知らないんだ。いくらでも言い負かせる。
「そ、そうなのか」
 マーは渋々といったふうに納得したようだ。今まで口喧嘩でマーに負けたことはない。
「あはは、またマーの負けー」
「うっせ!」
「マーは口喧嘩弱いんだからさー、いちいち逆らわなきゃいいんだよー」
「うっせバーカ! バーカ!」
「ガキー」
「なんだバーカ! メイのアホたれ!」
「ボキャ少なっ! ガキガキガキガキ!」
「ボキャってなんだよバーカ!」
 マーは今度はメイと喧嘩を始めた。内容が低レベル過ぎて泣けてくる。
「まあ、こんな深く、掘る必要、ないけどね」
「シーッ!」
 マチがボソッと呟いたのに、マーは気付かなかった。
「核爆弾は、地表じゃなく、上空で、爆発する、から、直下でもない限り、地下にいれば、無事」
「はは、バレた?」
「深く掘る、のは、放射能対策になるけど、ね。でもまあ、アホの子なマーが、可愛いから、言わないでおく」
「ねえ、ホント……」
 微笑ましいこと。
 そして、羨ましいことだ。
 太宰さんの部屋での休憩を終えて、僕らは階下に行くことにした。この階を探索しても良いのだが、あるのはどうせ職員の私室だ。階下と比べたら、面白いものはあまりないだろう。
 僕らは最低限の荷物を持ち、拠点と定めた太宰ルームを出る。
 僕は歩きながら懐中電灯の明かりを頼りに地図を見る。階下もこのフロアと同じく、円形の外周に部屋があり、しかし職員用個室と違い、かなり広そうだった。
 またマーを先頭に階段を下る。
「それにしても、ここはなんだか廃墟って感じがしないよね」
 歩きながらミアが言った。
「普通の廃墟みたく朽ち果ててないし、少し埃が溜まってるくらいで、綺麗なもんじゃない」
「そうだね」
 確かにここは、普通の廃墟とは趣が違う。
 通常、廃墟というものは風雨に晒される。金属は錆び、コンクリートは削れ、木は腐り、残された内装は土埃にまみれる。手入れをするものがいなければ、建物は時間とともに朽ちていく。それが廃墟というものだ。その朽ち果てた中に垣間見える人間の痕跡が、廃墟マニアを引き付ける。
 その論でいけば、ここは廃墟マニア達には好かれないかもしれない。有名企業の研究所跡地など廃墟マニア達が侵入していてもおかしくない場所だが、今までそんな話は聞いたことがない。
 ただ、入り口で挫折した可能性も無きにしもあらず。
 ここは地下にあるが故に、外界から切り離されているが故に、変わることがない。
 地下水の侵食がないのは、建築技術の高さの現れだろうか。最先端。そう、ここは当時の最先端技術の塊なのだ。
「誰にも荒らされてないんだよ。僕らみたいなお馬鹿さんはもちろん、自然にもね」
 数十年の間、誰も入り込んでいない場所……それは一種の聖域のように思えた。だとしたら、僕らは神子のような、選ばれた存在ではないか。そんな馬鹿げたことを考えた。脳みそがゲームに侵食されている。封印された扉を開けるのは、勇者と相場が決まっている。その言でいくと、勇者はマチになる。なら僕はせいぜい勇者のお供程度の存在だろう。くだらない妄想の中ですら、主役になれない僕である。
 主役なんて、マチに限ってありえないけど。
「誰にも荒らされてない場所、かあ」
 ミアは感慨深げに呟いた。
「それってエヴァーランドストーリーのハートルの門みたいじゃない?」
 僕らが子供の頃に流行ったテレビゲームのタイトルだ。ハートルの門は、主人公が最後の敵を倒すのに必要な技を身につける為に訪れた、封印された聖域だ。荒廃した世界の中で唯一の平和な空間で、最奥には生者がいない街がある。街に行く為には難解な仕掛けの施された複雑な迷路の中を、わんさといる敵を薙ぎ倒しながら通過するという試練を受けなければならず、僕らはああでもないこうでもないと試行錯誤をしながらプレイしていた。時には試練に失敗し、全滅したこともある。
 最終的には救世主となる主人公のいなくなった世界はどうなるのだろうと考えて、救いのない世界の末路が恐ろしくなったのを思い出した。
 そんな話をしたら「たかがゲーム」と笑われた。
「あははは、じゃあこの中、なんか試練が待ち受けてるの?」
「かもしれないよぉ。さあ勇者よ、あのモンスターを倒すのだー!」
「あ、僕は謎解きのほう担当で」
「ええー、あたし戦闘要員なの?」
 ミアは不満を言いながらも笑い、それに釣られて皆笑った。暗い雰囲気にも慣れたのか、皆の笑顔が戻ってきていて、いつの間にかいつものように雑談する余裕すら生まれていた。
 和やかな空気の中、階下に着く。さすがに少しだけ緊張が走った。
「さて、どっち?」
「どっちに何があるの?」
「さあ、わかんない」
 地図には研究室1やら2やらと書いてあるだけで、どこをどのような用途で使用していたのかまでは解らない。部屋数は十六で、職員用個室とは比べものにならないくらいに広い。
「わかんなくってもオールライト! つまり、全部右だ!」
 マーがアホっぽいことを言っていた。
「また馬鹿なこと言って……」
「まあ、どっちから行っても変わらないんだからいいんじゃない」
「ま、それもそうだね」
 フロアは環状だから、どちらから行っても、いずれは全部の部屋を通ってここに戻ってくるのだ。
「オーライ、わかった。右に行こう」
 地図によれば、この階段の対角には同じく階段があるはずで、左右に四半動いた場所にはエレベーターが設置されているはず。まあ動くはずもないけど。
 四半周に四部屋あり、全部で十六。扉は両開きで、スライド式の大型だ。
 マーが先頭を行き、僕がしんがりを行く。
 研究室Ⅰとプレートのある部屋。なんの研究をしていたのか、厳密なところはよく知らない。事前に軽く調べた限りでは、動物セルの実験をしていたらしい、くらいのことしか解らなかった。
 ならば、ホルマリン漬けの標本や、ケージの中で朽ちた動物くらいは覚悟しておいたほうがいいだろう。教育によろしくないものが無いことを祈るばかりだ。
「研究室……動物の死体くらいはあるかもね」
「え……」
「さて……入るよ?」
「お、おう」
 扉に手を掛けると、メイが僕の服を強く握る。
「死体、あるの?」
「メイ、怖い?」
「ちょっと」
「そう。入るのやめとく?」
「ん~」
 イヤイヤと首を振る。入らなければ意味がないのはメイもわかっている。男は入らないという選択はできないし、マチは判りづらいが好奇心に目を輝かせているし、ミアはやる気満々だ。ミア的には望む展開だろう。僕らはどっちにしろ入るのだから、メイが入らないということは、この廊下に残るということだ。しかしメイを一人にするわけにもいかない。となると、誰かが残ることになる。
「さー、行こうぜ!」
 マーが吹き飛ばすように声を張り上げた。残る人間はいない。メイがしぶしぶ僕の服を握った。僕の服は伸びる運命らしい。
「そうだね。じゃあ開けるよ」
 僕も努めて明るく続いた。勢いのまま扉に手を掛ける。
 扉は重く、僕は力を込めて引く。ガコ、と音がして、あとは力を入れなくてもするりと開いた。ランタンの明かりが、扉の形に伸びていく。
 僕は唾を飲んだ。マーが僕を押しのけるように扉をくぐり、ランタンをかざす。部屋が照らされ、中が見えた。
 一枚のガラス。入り口はそれで塞がれていた。腰から上はガラス張りの壁。扉が一つ。扉の前には足拭きマットが一枚。入ってすぐは廊下になっていて、荷物置き場と靴箱がある。靴箱にはスリッパがそのまま残されていた。
 僕らは中に入る。扉を開け、ガラスを抜ける。めいめいが懐中電灯で内部を照らした。
 目につくのは計器類の並ぶコンピュータ。電源が入っていないからか、冷たく寒々しい。用途は解らないが、様々な機械が居並ぶ。いくつかは見覚えがある。巨大な電子顕微鏡に、四角いディスプレイ。前時代のパソコンだろう。
 ここは確かに研究室だった。
「へえ……」
 機械があり、それに付随するように事務机が二つ。そんな塊が四つあった。
「なんつーか、研究室! って感じだな」
「うん」
 動物のホルマリン漬けも、ビーカーもフラスコもないが、紛れも無く当時の最先端技術の結晶だろう。暗闇の中で少し不気味ではあるが、洗練された、無駄のない空間だった。
「ほらメイ、怖くないだろ?」
「うん、カッコイイ」
 これらをカッコイイと評するメイを、僕は好ましく思う。
「面白そうなものはないな」
 マーが機械を触って言う。多分、ホルマリンやらビーカーを期待していたのだろう。
「そう?」
 機械が並ぶここも、僕的には面白いんだけどな。
 マチは僕と同意見のようで、興味深そうにあちこちを見ていた。
「見て面白いもんじゃないよな。電源の無い機械はただの物だ」
 ばしばしと高そうな機械を叩く。埃が舞い上がり、マーは咳込んだ。一人で何をやってんだか。
「これなあに?」
「ん? ……なんだろね、わかんないや」
 メイはミアとウインドウショッピングでもするように見学している。
「まあ、ここはこんなものかな。次行こうか?」
 しばらく見学してから、僕らは研究室Ⅰを出た。
 研究室Ⅰから研究室Ⅳまでを、僕らは回った。造りは同じで、置いてある機械が少しずつ異なっていた。
「なんか……一緒っぽいね」
「そうだね」
 最初こそ僕やマチなんかは楽しんでいたが、マーはどこかつまらなそうにしていたし、ミアはあからさまに不満そうだった。同じような景色に飽きがきてしまった。時計を見れば、時刻は午後七時を過ぎていたので、僕らは探索を切り上げ、太宰ルームへ帰還した。
「あー、なんだろう、落ち着くー」
「落ち着くー」
一度来た場所だからか、ここがなんとなくホームのような気がした。
 ミアが伸びをしてベッドの上のビニールシートに座った。メイが真似をして隣に寝転ぶ。
「とりあえず飯にすんべー」
 マーがそう言って、荷物を開けた。言われて気付いたが、僕もお腹がすいていた。
 日持ちのしそうなものは後回しにして、パンとおにぎり、それとお惣菜。独身男性の食卓のようだった。水筒から麦茶を配り、食事をする。
「うん、うまいな」
「うん」
「美味しいー!」
 マーの美味いものリストの中にあった老舗のお惣菜屋のメンチカツは、玉葱の甘さと肉のジューシーさが素晴らしく、冷めていても美味しかった。なにしろ一個二百円もしたのだ。
「で、どうよ」
 マーが頬袋をいっぱいにして、箸で僕を指した。
「うん、美味しい」
「じゃなくて! ここのことだよ!」
「ああ……」
「立派に核シェルターになるだろう」
 マーは何故か自慢げに笑った。
「まあ、そうだね……」
 施設の造りは相当しっかりしている。深さも合格。天然の壁も分厚いので、入り口さえ塞げば放射能は遮断できるだろう。広さはまあ……万単位は無理だろうけど、それなりの人数を収容できる。まだ見ていないが地下階はまだあるのだし、電源さえあるのなら、しばらく暮らすには問題ない。今は切れているが、非常電源くらいはどこかにあるだろう。もしかすると、マチなら電源を入れられるかもしれない。
 現実的に、全国に配備するのは不可能だろうけど、シェルターとして使うには不足ないだろう。
「あとは食料と水の備蓄さえあればね」
「ふふふ、俺は気付いたぜ」
 マーが不敵に笑った。
「なんと、水道が生きてるんだ」
「えっ?」
「さっき便所に行ったんだ。便器は何故かボットンというか、出したものがどっかに落ちてく仕様だった。そこで俺は気付いた。手が洗えないと。お手拭きもなければ水もない。俺は駄目元で蛇口を捻ったんだ」
 食事中になんて話題を……。とは言え、興味深いといえば興味深い。
「するとなんと! 水が出たんだよ! 最初はちょっと濁った水だったが、しばらくすると透明な、綺麗な水が出たんだ!」
「へえ……」
「どうだ、すごいだろう!」
 マーは何故か誇らしげに言った。
 僕はマチを見る。マチはコクンと頷いた。
「地下水脈を利用してる、のかな。水車かなにかで。半永久的に機能する、のかも」
「手入れもなしに三十年も? すごいな……」
「摩耗する、と思うけど……不可能、では、ないかも」
「同じ方法で電気起こせたりする?」
「うん、可能、かな」
 地下水を汲み上げるシステム……水脈が枯渇しない限り、何時までも機能する?
 技術大国日本、さすがのクオリティと言わざるを得ない。
「スタンドアローンで機能する、かも」
「外部からの供給なしで?」
「うん。見てみないとわからない、けど」
「へえ……」
「おい! 俺の手柄!」
 二人で話すのにマーが割り込む。
「ああそうだね、すごいすごい」
「グッ、ジョブ」
 マチが親指を立てた。
「いやいやそう褒めるなよ……ってコラ!」
「なに? マーの手柄、だよ。でも今は考察が先、だよ」
 マチはあくまでマイペースだ。
「それで施設を賄うくらいの電気が確保できるものかな?」
「部分肯定。研究施設とか、消費のおっきいのは、バツ。最低限の明かりとか、空調とかのライフライン……節約すればできる、かも」
「それならさ……」
「ああもう! 俺を無視すんなよ!」
「はいはい、邪魔しないのー」
 ミアがマーの頭を、いい子いい子と撫でていた。

       

表紙
Tweet

Neetsha