Neetel Inside ニートノベル
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ゲーム脳
ゴーイング・アンダー

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 手探りで触れたマチの身体の感触で、僕はどうしようもなく安堵していた。
 ここはどこだろう。僕はそう思った。何故、僕は床に転がっているのだろう。目だけを動かす。だんだんと目が慣れてきて、真っ黒だった視界に少し光が差す。ぼやけていたが、近くにマチが見える。マーもいる。メイも、ミアもいた。僕らは全員が床に寝転がっていて、布団や毛布は見当たらない。
 青緑色の淡い光が、僕の顔を照らしている。こんな近い光源にも気付かない程、僕の目は麻痺していたのだろうか。この、目の前の光景に。
 首を持ち上げる。光を発する円柱状の物を見て、ようやく思い出した。
 ここは葉桐製薬の研究所だ。
「大丈夫かい」
 誰かの声がした。回線越しのような、ほんの少しエフェクトの掛かった声。
「……うん、平気」
「そうか。なら良かった」
 僕は身体を起こす。痛みが走った。
「いたた……」
 身体が痛い。ずっと同じ姿勢でいたみたいに、動かした場所がペキペキと鳴った。
「無理はしないほうがいい」
「ありがとう、大丈夫」
 なんとか座り、手をついて身体を支え、天井を仰ぐ。
「っ――くっ」
 伸びをする。それでなんとかひと心地ついた。
 視線を前に戻す。
目が合う。赤い、赤い宝石が見える。
 ガラスの円柱の中で、彼女が僕を見ていた。
「は……え?」
「蝿? 僕達が? 失礼だな、君は」
 ――――な!?
 死体が……ホルマリンに浸かった真っ白な女が……まるで生きているように、僕を見ている。
見ているだって?
 そんな……馬鹿な!
「あ……かっ」
「なんだい、落ち着いて。深呼吸深呼吸。僕達はしたことがないけどね」
「……君は」
「ん?」
 小首を傾げる、その仕種。
 ガラスに手をつけ、浮かぶように僕を見る、赤い瞳。
 玉のように透き通った、一対の目。
 美しくカッティングされた宝石も、太陽の落ちる姿も、今まで見た全てのものが、虚しく色褪せるような、鮮烈な赤。緋色、濃い炎のような、揺らめく色。
 一目で僕は、それを世界に組み込んだ。
「どうかしたかな?」
「……どうもしない」
 ああ、なんということか。僕はまだ、彼女を何も知らないというのに。
 今までの世界を裏切る、暴力のような、許されない感情だ。衝動と言ってもいい。有り様をこそ愛する僕だ。見た目なんかを愛するはずがない。ないのに。
「家に帰りたい」
「ホームシックにはまだ早いんじゃないかな」
 彼女が笑う。細められた目から覗く、赤。
 僕は頭を振る。
「駄目だ、目を閉じて。君の目は見たくないんだ」
「そうかい。でも、嫌だね。目を開けるも閉じるも僕達の勝手さ。そうじゃないかな」
「違う。僕の世界では、君は罪人だ」
 僕の世界を作り替えるのは、僕の世界だけだ。
「君達はいつだって勝手だね。それが許されるのは、それこそ君の世界だけだっていうのに」
 そこで僕は、彼女の口が動かないのに気付く。
「ああ、そうだ。だから君は、僕にとって最悪なんだ。災厄なんだ。害悪なんだ」
 僕は目を逸らす。拳を地面に叩き付けた。
 僕は這うようにしてマーもほうに向かった。
「マー、マー、起きて。マー」
「なんだ、僕達に興味はないのかい?」
 背後から聞こえる声。涼やかな、雪景色のような声。
 僕はマーの肩を揺する。
「マー、起きて。マー、マー……マー!」
「乱暴はよしなよ。頭は揺すらないほうがいい」
「マー、マー! 起きて! ……助けて!」
 悲鳴のような声。自分の喉から出たとは思えないような、泣き声。
「んん……」
 マーが呻いた。僕は涙を流しそうになる。
「ん、ユタカ……?」
「マー!」
 僕はマーにしがみつく。
「なっ、おい、ちょっと!」
「マー……助けて、マー……あの女がっ!」
「女ぁ……?」
 マーは僕の頭の向こう、彼女に視線を向けた。
「やあ、おはよう」
「なっ……」
 マーはパクパクと口を動かす。
「ユタカくんは、僕達の話を聞いてくれないんで困ってたんだ。君は聞いてくれるね?」
「は……? なに、なんなんだよお前」
「僕達かい? 困ったな、僕達に名前はないんだ。それ以外の質問になら、なんだって答えよう」
 女は愉快そうな声で言った。
「でも、そうだな。話をする前に、皆を起こすといいんじゃないか」



 僕はマーに引きずられ、部屋の隅っこに移動した。マーはその場の全員を順番に揺り起こす。取り乱したのが恥ずかしくて、僕はそれを黙って見ていた。
「え? えっ!?」
 ミアは驚き、僕の傍へ逃げた。
「……」
 マチは目を丸くして、何も言わなかった。
「わー、きれーい」
「綺麗? ありがとう」
 メイは円柱に駆け寄り、女と話しだした。
「驚いたな、こりゃあ……」
 忌広さんは、メイと女の観察を始めた。
 最後に、野中さん。
「なに、なんなの、なんなのよ……!?」
 後ずさりし、ヒステリックに怒鳴る。
「あっ、カメラ! カメラは!?」
「無いよ。君が置いてきたんだろ。荷物になるとか言って」
「う、うる、うるさいわね!」
 野中さんは手の平で円柱を示した。
「こんなもの、忘れようがないわよ! いくらでも克明に記録してみせるわ! 写真はまた改めて撮ればいいじゃない」
「こんなものっていうのは、ちょっと傷付くね。僕達は物じゃない」
「ひっ……」
 喉から出たような、小さな悲鳴を上げる。
「あ、あんた、何者なのよ?」
「僕達かい? 僕達はただの実験動物だよ。物ではないけどね」
 女はにやにやと笑いながら言う。
 気付けば、全員が二人の話に耳を傾けていた。
「実験動物、葉桐製薬の? 葉桐は人体実験をしていたとでも言うの?」
「人体実験……それは違う。僕達は人間ではないからね。人間とは、出生記録があって、教育を受けて知恵を持ち、初めて人間になるのだろう?」
「赤ちゃんは人間じゃないっていうの?」
「ああ。赤ん坊は人間じゃない。そのままでは動物さ。人間と動物の境目は知性にある。アマラとカマラは、人間に発見されて人間になったのさ。野生にいれば動物として一生を終えただろうね」
 アマラとカマラ……狼に育てられた少女、だったか。
「だったら、あんたは何なの? 見たところ、それなりに知性はあるみたいだけど」
「僕達のこれは知性じゃない、データさ。ただの情報だよ。僕達はインプットされたことを吐き出しているに過ぎない。コンピュータと変わらない」
「人間だって、学習……インプットされた情報を吐き出して生きているわ」
「人間はインプットされた情報を基に思考するのさ。僕達は思考しない。取捨選択するだけだ」
「人間だってそうよ」
「君は人工知能を人間だって言うのかい?」
 女がそう言うと、野中さんは言おうとした言葉を飲んだ。
「……じゃあ、あんたは自分が人工知能だって言うの?」
「少し違うが、まあその認識でも構わないよ。僕達が人工なのに間違いはないしね」
「……」
 野中さんは黙る。
 人工……実験動物。クローン? まさか、零からの人工生物?
「あー、少しいいかな」
 それまで黙って聞いていた、忌広さんが話し掛ける。
「ん、ああ。何でも聞いてくれ」
 メイが興味を無くしたように、僕の隣に来て座った。
「君は、人工の人間……いや、動物なのかな」
「ああ、そうだよ」
「それは、クローンのような物?」
「いいや。クローンではないよ」
「零から動物を創りだした? その、人間以外の材料からという意味だけれど」
「無……それは違うね。僕達は人間を基にしているよ」
「それは、所謂男女の交わりからではなく、細胞のコピーからでもなく、創られたと言う意味でいいのかな」
「ああ。それで間違いないよ」
「ふむ……」
 忌広さんは顎に手を当てた。
「わかった。では、次の質問だ。僕達、といったね。君以外にも、君のような子はいるのかい?」
「僕達は僕達だ。他にはいないし、ここにいる僕達が全てだよ」
「どういう意味かわからないのだけど、なぜ『僕達』なのかな? それは複数に使う言葉だろう」
「それは僕達が複数だからだよ。単一ではないんだ」
 ここにいるのが全てで、なのに複数……? 誰かがいるのか? ここには誰かが隠れるスペースなんかありはしない。
 忌広さんはあっさりと矛先を変える。
「ふむ? わかりにくいね。オーケー、質問を変えよう」
「どうぞ。何でも訊いてくれ」
「君はその、液体の中から出てこないのかな?」
「ああ……僕達はここから動けない」
「そうか。では次。ここは電気が生きているようだが……」
「ああ。自家発電装置が作動しているよ。地下水を利用した水力発電、太陽電池発電、あとは核融合発電。全て機械制御で、オートメイション。無人で機能するように造られている。装置が止まれば、僕達は死ぬだろうね」
 無人で? コンピュータ制御など珍しくもないが、そうする意味は? 誰もいない廃棄された研究所で、それでも電気を……いや、この女を生かし続ける意味は?
 僕の疑問をよそに、忌広さんは質問を続ける。
「そうか、わかった。では、さっきまで……目を覚ますまでの記憶が曖昧なのだけど、私がここに入って来た時、君は眠っているように見えたが、間違いないかな?」
「ああ。誰もいなければ、僕達は対外的に機能する必要はないからね」
「ふむ、なるほど。それでは、重要な質問だけれど……君を創ったのは誰かな? それは、どんな目的で?」
 忌広さんは核心に近いことを訊く。女は端正な顔をにんまりと歪めた。
「僕達を創ったのは、厳密に言えば研究者だけど……求めている答はそうじゃないだろう? 君の想像はきっと正しい。目的は、簡単に言えば知的好奇心。理想と夢の追求だ」
「想像ね。では、難しく言うと?」
「難易度の話じゃないさ。簡潔に、という意味だよ。でも、そうだね……永遠、というのはどうだい」
「永遠?」
「そう。人間はいつか必ず朽ちる。いつの時も、老人は継続を望むものさ」
 永遠、継続、終わらない世界、終わる夢。いつか朽ちる身体。くるくると渦巻く、螺旋。終わりのない楽園。可能? 不可能。でも、追うだろう。
 世界の継続。それは、僕の望みそのものだった。
「まさか……不老不死、だと言うのかな?」
「まさか。人間は死ぬ。だから人間なんだ。死なないとなれば、それは人間なんかじゃない。僕達さ」
 女はよくわからないことを言った。もっとも、最初から不明瞭であるのだけど。
 忌広さんは右手で胸ポケットをまさぐり、何かに気付いたように女を見た。
「……いや、ありがとう。いい記事が書けそうだ。……あれ、ボールペンが……まあいい、とにかく、記事にさせてもらうけど、構わないね?」
「いいさ。他にも何かあれば遠慮なく訊いてくれ。僕達に出来ることなら協力するよ……。どちらにせよ、記事には出来ないがね」
「はあ?」
 野中さんが間の抜けた声を出す。
「僕達を真実として記事にするっていうのなら、それは無理だ。理由は三つある。一つ、荒景無統がすぎる。君達の記事が載る媒体がなんなのかは知らないけれど、自分で言うのもなんだが、誰も信じやしないんだよ」
「そ、そんなの、わからないじゃない!」
「わかるんだよ。僕達にはね」
 何を言い争っているんだ。いいから、その女をどこかにやってくれ。
 僕は頭を掻きむしる。
「理由の二つ目、君達が僕達のことを記事にしようとしても、待ったが掛かるだろう」
「はあ……?」
「だから、そもそも記事にすることはできない」
「どういう意味よ? あんた、自分が権力持ちだとでも言うつもり? 私はね――」
「天下の御厨社社長令嬢、だからなんだい?」
「っ……!」
 野中さんが息を飲む。
 御厨社と言えば、日本最大手の新聞社。彼女がその社長令嬢だっていうのか?
 僕はそっと忌広さんを窺う。彼は何も言わない。ただじっと観察している。
「なんで……」
「なんで知っているのか、かい? ははっ、造作もないよ。君達のことは、この敷地に入った時からずっと見ていたんだからね」
 この言葉に、全員が目を見張った。
 ずっと見ていた……ずっと見張られていた。僕らの会話を聞き、勝手に覗き見ていた。
 それは、僕の尺度では許し難いことだった。
 でも、僕は何も言わない。この女と会話をしたくない。
「そう、だったらわかるでしょう。私は御厨社の社長令嬢、野中花音よ。圧力になんか屈しないんですからね」
「そうかい。まあいいよ。どうせ無駄なんだ」
 女は愉快そうに身体を丸める。
「理由のその三、君達は、ここから出られはしないのさ」
 瞬間……弾かれたように、僕の身体は動いていた。一目散に、僕らが入って来たはずの扉へ。
「くっ……」
 扉は、押しても引いてもびくともしない。固定されたみたいに、根が生えたように動かない。
 扉と壁の、ほんの僅かな隙間に爪を差し込む。動かない。金属の扉は、僕の爪を折った。爪が割れ、血が滲む。
「くそっ! 開けっ! 開けよっ!」
 ガンガンと蹴りつける。足首が嫌な音を立てた。僕はみっともなく後ろに転がる。立ち上がり、体当たりをした。
「ふざけっ……なっ! 開けよっ!」
「ユタカ、やめろっ!」
 マーが僕の身体にしがみついた。
「離せっ!」
「駄目だ! ユタカ、落ち着けっ!」
 なんだよこいつ。僕の世界のくせに、僕の邪魔をするのかっ!?
「離せよっ!」
「駄目だって!」
「いい加減に……しろよっ!」
 頭が真っ白になった。気付くこともなく……僕の身体はマーを振りほどき……蹴り飛ばした。
「ぐっ……」
 無様に床を転がる。ざまあみろ! 僕の邪魔をするからだ! 僕は扉に向き直る。
 肩に手を置かれた。しつこい。何様のつもりだ!
「いい加減にっ……」
 振り向きざま、顔の位置に手を振り回す。
 ぴたりと、僕の手が止まる。止めた訳じゃなかった。
 僕の右手は、細い指に掴まれていた。
「えっ……」
 マーではない。マーはまだ床に転がっている。
 頬に衝撃。不意打ちに足がもつれ、扉に身体をぶつける。呆然とした。頬がじんじんと痛む。扉に寄り掛かったまま、僕は相手を見た。
「マチ……」
 マチの目が、怒りに揺れていた。
 マチは僕を殴った姿勢のままの手を見て、それから僕の目を睨む。
「ユタカ」
 その一言で、僕は我に返った。
 マチの愛を、僕は邪魔してしまった。そのことに気付いた時、冷水でも浴びたみたいに目が覚めた。
 僕は……なんてことを!
「ご、ごめん……」
「うん、もうしちゃ、駄目、だよ」
「うん」
 それだけ言って、マチはまた壁に寄り掛かった。
 僕はマーに歩み寄ると、手を貸した。マーは僕の手を握って立ち上がる。
「ごめん」
「おう」
 マーは僕の頭に手を乗せ、わしわしと髪を掻いた。
「さてと」
 立ち上がったマーは、女に向き直る。
「そんで、これはどういう理由だ? 何故、扉が閉まっているんだ?」
「くふっ……」
 水中で、女は笑いを漏らす。
「面白いね、君達は。何度見ても飽きないよ」
「あーそうかい。覗き見なんて趣味悪ぃぜ。いいから答えろ。俺達をここに閉じ込めたのはお前か?」
「あは、そう怒るなよ。質問に答えよう。答えはイエス。扉をロックしたのは僕達だ。しかし、その理由は僕達ではない」
「ああん?」
 マーはチンピラのように顔を歪めた。
「意味がわかんねえ。閉じ込めたのはお前だが、それはお前の意思じゃない、ってことか?」
「ああ。その通りだよ」
 女は水中でくるりと回った。
「出せ」
「嫌だね」
「殺すぞテメェ」
「出来るものなら」
 女はガラスをコンコンと叩いた。
「強化ガラスだ。銃弾でも割れないよ」
 マーは舌打ちした。
「何故、出さない?」
「出さないんじゃない。出せないんだ」
「お前が閉じたんだろ? ならお前なら開けられるはずだ」
「無理なものは無理だ」
「……はあ」
 深い呼吸をひとつ。
「なあ、頼むからさ」
 マーは態度を変え、女に言った。
「ここはユタカの世界じゃない。ユタカはここに居られないんだ」
「へえ?」
「さっきの見ただろ? 早く帰らないと、ユタカがどうなるかわからない」
「どういう意味かな?」
 マーは僕を見た。確認の意味だったのだろう。僕は頷き、言葉を継いだ。
「僕は一種のパニック障害持ちだ。他人と同じ空間に長くいられない。こうしてお前と話しているのだって、本当は気が狂いそうなんだ」
 え? と、ミアが呟いた。
「へえ……」
 にやけた顔で女が言う。
「だから、早く出してくれ。お前のことは誰にも言わない」
「パニック障害、ね。その割には、そっちの記者二人と会話できていたようだけど。まあ、後で怒ってはいたがね」
「少しの会話くらいはできる。軽い付き合いなら平気だ。ただ、干渉されるのが我慢ならない」
 こんなもの、癇癪持ちと何も変わらないのだけど。金の力で診断書を取った。世間的には、僕は一種の障害者ということになっている。
「そうかい。それで?」
 僕の告白を聞いた女は、事もなげに言った。
「それで、って……」
「勘違いしているようだね。言っただろ。僕達の意思じゃないんだ」
「じゃあ、なんで!」
「危険なんだよ」
 女はその赤い目を細めた。
「外で何かが起きた」
「はあっ!?」
「それこそ、核爆発みたいな何かがね」
「核爆発……?」
「まさか。そんなことは有り得ない」
 僕は反論した。
「この国に爆弾を落として得をする国はない。損はあっても」
「いや、そうとも言い切れないさ」
 忌広さんが言った。
「この国さえ無ければ、という程度ならば、それに該当する組織はいくらでもある。それでなくても、武力の誇示や要求を飲ませる為の脅し、宗教に則った行為など……テロリズム。理解できる理由はいらない。当人が納得できればいいのさ。そんなことなら、いくらだって理由や相手が思い付く」
 どこか興奮しているようですらあった。
 ああ……成る程。変な物の取材をするわ、変な人のパートナーだわ、最初はマトモだと思ったこの人もまた、どこかおかしいんだ。
 誇大妄想狂か何かのような。
 うきうきと弾んだ声で、忌広さんはもはや独り言になったことを呟く。
「可能性の筆頭としては、北の某国か。うむ、そんな小説があったな。北と南が手を組んで、我が国に核爆弾を落とすという……他には、米軍基地を狙った反米勢力の線もある。今や核なんて楽に作れるからな。おっと、事故の可能性も忘れてはいかんな。しかし、メルトダウンで爆発は起きたかな?」
「はは、楽しそうでなによりだ。しかしね、僕達は核爆発級の何か、といっただけだよ。大地震かもしれないし、隕石の衝突かもしれないよ」
「隕石! しかし、そんな発表はなかった。そうか、映画なんかで、事前に発表するのはおかしいと思っていたんだ。そんなことをしてもパニックが起こるだけだからな。対策を講じたが間に合わず、衝突は防げなかったと」
 なにがそんなに楽しいのだろう。全部、意味するのは世界の破滅だ。
 核爆弾、大地震、隕石の衝突……もしそんなことが起きたとしたら、僕の家も、僕の場所も、全部全部消し飛んだだろう。少なくとも、まるっきり無事ではいられない。
 ならば、僕の世界がここにいるというのは、むしろ幸いなのかもしれない。
 待て、そんなこと、確証はないだろう。核爆弾なんて、それこそこいつの嘘かもしれないのだから。
 しかし、どうすればいい? ここから出られないことに変わりはない。
「おい」
 僕は女を呼んだ。顔は、目は見ないように。視線を下へ。やせ細った身体ばかりが目に入る。絵の具で塗り潰したような白。まるでそうあるのが正しいというように、その細さと白さは、誂えたように似合っていた。
「監視カメラあるだろう。見せろ」
「無理だね」
 女は即答した。
「申し訳ないが、外部のカメラは、はじめから電源が切れている。施設内のものは、僕達にしか把握できない。そもそもが映像じゃないんだ」
 女の言葉は、言葉とは裏腹に申し訳ばかりだった。
「外はどうなっている」
「把握しきれない。情報が雑多すぎる。そんな中に君達を出すことはできないよ。ただ」
 女は言葉を切った。数秒、沈黙が流れる。僕は息を飲んで続きを待った。
「僕達の感覚では、外はまさしく地獄だ」
 その言葉に、僕は想像する。核の光に包まれ、焼け爛れた世界。大地震に見舞われ、崩れ落ちた世界。隕石の落下で、えぐれた巨大なクレーター。
 地獄絵図。虚無。文明の傷痕。
 泣き叫ぶ人々。いや、全てが焼け、誰ひとりいない町並み。
 誰もいない地獄なのか、生き残ったことが地獄なのか。
 僕は身震いし、切り替える。
「それなら、僕らはこれからどうなる」
 外が危険だというのなら、僕らはここから出られない。先が無いというのなら、この狭い部屋に閉じ込められるのも同じことだ。食糧は? 水はあるかもしれない……僕の世界は?
「好きにしなよ」
 女はあっさりと切り捨てた。
「はあ?」
「行けばいい。どの道、いつまでもここにはいられない。一期一会、さよならさ。つまらない出会いで恐縮だがね」
「だから、外に出せよ! どうしろって言うんだ、こんな行き止まりの小部屋で!」
「文句を言う前に行動したらどうだい」
 そして、にやけた顔でこう言った。
「この部屋が終点だと、誰が言ったんだい?」
 一瞬、女の言った意味が解らなかった。理解が及んだ瞬間、僕はまた弾かれたように動いた。
「おい、ユタカ?」
「探せ! 何をボサッとしてる!」
「あ、ああ?」
 僕はそれ以上構わず、部屋を探る。
 そうだ、ここは地下なんだ。まだ下があってもおかしくない!
 部屋の隅を、壁を、僕は這うようにして探った。遅れて、何人かが続く。
「おいっ! どこにある!?」
「何が?」
「階下への入口だ!」
 探り回るうち、踏んだ床に違和感を覚える。足に伝わる感触。中に空洞?
「ここかっ!」
 部屋の端、薄暗いその床に手をやる。タイルの淵に爪を掛けた。割れた爪が痛む。
 ばりばりと、軽い粘着。床が剥がれる。
 そこには、マンホール程の穴があった。中には梯子が設えられている。
 覗き込んだそこには……小さな明かりが見えた。
「あった!」
 その声に、全員が僕のところに集まった。当然、女を除いて。
「なんだよ、中、何があるんだ?」
「……明るい?」
 ほんの小さな光。女のいるガラスの円柱のものとは違う。とても小さな、その光。穴を通り越して部屋を照らす程ではない。それでも。
 その光は、まさしく救いだった。
「おい、この下には何がある?」
「さてね。地獄か、楽園か……それをどう捉えるかは、僕達にはわからないさ。行き止まりよりはマシだと思うがね」
「ふざけるな。哲学の授業ならたくさんだ」
「ここに救いはない。なれば、進むしかないだろう? 旅路は新鮮だからこそ面白い。月夜も闇の烏のように。行く先を知るのは野暮というものさ」
 教えるつもりはない、らしい。
「そら、行けよ。君達の旅は今始まるのさ」
 芝居がかった言い方。それこそゲームかなにかのような、ふざけた物言い。
 僕は穴を眺めた。
 行かなければどうしようもないというのは解っている。いつまでもここにいる訳にはいかない。ここを下りれば、少なくとも状況は変わる。でも、好転するとは限らない。もっと悪い状況とは想像がつかないが、そうなる可能性はあった。
 例えば、ここに留まることを選択したならば、いつか必ず僕らは死ぬ。食べ物も飲み物もないのだ。眠るように死んでいけるだろうか。餓死は苦しいと聞いたことがある。それは御免だ。いや、そんなことよりも。
 最初に死ぬとしたら、まずはミアか、そうでなければマチだろう。それは、僕の世界の崩壊を意味する。僕が最初に死ねるのならその選択もあったかもしれないが、相手が飢えではどうしようもない。自ら世界を壊す行為……自殺は、最初から選択肢に無い。
 変わらない世界こそ、僕が望んだことだ。しかし、世界は容易に塗り替えられた。痛みに似た感覚。胸がちりちりして、吐き気がした。ハァと息を吐く。
 ここにはあの女がいる。決して世界の一部にしてはいけない。こんな空間に、僕は長く居られない。餓死するより前に、胸を掻きむしって死ぬだろう。
 そうだ、空気は? ここは地下だ。酸素は有限。いつか尽きるのではないか? それならば、皆ほとんど同時に死ねる。辺りを見回す。駄目だ、通気孔がある。通気孔? もしかしたら、そこを通って……いや、それも駄目だ。通気孔はある。しかし、丸い小さな穴でしかない。とても人間が通れるとは思えない。
 結局……ここから下りる選択以外はできそうもなかった。
「なあ、行こうぜ」
 マーが誰にともなく言った。
「ここにいても始まらねえよ」
「そうね。行くしかないわ」
 野中さんが追従する。
 僕の世界は、全員が僕を見た。
「どうかな……マチ、どう思う?」
「下りないと、始まらない。けど、終わらない、かも。下りたら、終わり、かもしれない」
 マチがそう言うと、野中さんはキッと睨んだ。
「どうしようもないじゃない! ここにいたらいつか死ぬわ。私はそんなの嫌よ!」
 ヒステリックに喚き立てる。五月蝿い。
「ちょっと黙って」
「はあ? 何様の」
「黙れよ」
 僕が言うと、野中さんは一瞬怯えたような顔をして、それからまた睨んでみせた。
「どこにいたっていつかは死ぬ。早いか遅いかの違いだ。なら、最後に満足できるように行動するしかないだろ」
 異物め。決定権はお前なんかに無い。
「メイ、おいで」
「んー」
 僕は腰掛けると、メイを呼んだ。脚の上にメイが座る。その腰に手を回しギュッと抱く。それから頭に口元を埋めた。こそばゆく、柔らかい髪の匂いを嗅ぐ。丸一日風呂に入っていないのに、優しく甘い匂いがした。
「ねえメイ、お願いがあるんだけど」
「なーにー?」
 メイは首を捻り、僕を見ようとする。しかし僕の顔はメイの頭頂部にあるため、メイから見ることはできない。少しジタバタしたが、諦めたように前を向いた。
「僕を殺してくれないかな?」
「んー、いいけどー。ユタカが死んだら、メイはどうなるのー?」
「死ねばいいよ」
「そっかー」
 頭皮の匂い。濃い匂い。不快感はない。癖になるような、包み込むような。
「何言ってるのよ!」
 野中さんが叫ぶ。耳を塞ぎたくなるような雑音。不快感。
「あんたらどっかおかしいんじゃないの!? マトモじゃないわよ!」
「黙れって言ったろ」
 僕がマトモじゃないだなんて、とっくに承知している。
「ユタカ、駄目、だよ」
 マチが、僕の腕を掴んだ。
 その声音は固く、有無を言わせない迫力があった。
 この視聴者がこうまで怒ったのは、いつ以来だろう。
「ああー……うん」
 僕が死ぬことも、マチは許してくれない。ならば、選択肢はもうないのだろう。
 頭が一気に醒める。言葉遣いも、態度も、僕らしくないものを見せてしまった。
「ごめん。じゃあ、行こう」
 メイを離し、尻を叩いて立ち上がる。
「皆もそれでいい?」
「おう」
 否が上がるはずもなく、全員が頷いた。野中さんだけは不満そうにしていたが……僕の世界以外のことに頓着している余裕はない。
「ねえ、君」
 振り向き、僕は女を呼んだ。
「君は……」
「君じゃない。君達だ。僕達はいつまでもここにいる。また会うこともあるかもね。じゃあ、いってらっしゃい」
 虚構でも現実でもなく、彼女はそこにいた。嘘臭いまでの存在感。拭えない違和感。蜃気楼のようにそこにいて、映像のようにそこにいない。
 最後に、その双眸を見る。赤い紅い朱いそれは、くり抜いてしまいたい程に美しい。しかし、先程のような激情は涌かない。もう平気だ。感情は儚い。劣情にも似た焦燥は、マチの言葉で溶けた。
「相応しいかはわからないけど、一応言っておくよ。さようなら、いってきます」
 一番乗りにマーが下りていく。次いで野中さん、忌広さん、マチ、ミア、メイと続いた。
「本当は、何があったか知っているんでしょ?」
「もちろんさ。僕達は誰かが知っていることなら、なんだって知っているんだからね。宇宙の答えは四十二だ」
 古い時代の話を。
 当人に教える気がないのだ。これ以上はどうしようもない。
「もう一度訊くよ。外には出られないんだね?」
「外は、地獄さ」
 舌を出す。それもまた、鮮烈な赤をしていた。
「そっか」
「そうさ」
 白、赤、灰色、それから青緑。
 この空間は、僕には刺激が強すぎる。
「じゃあね」
「頑張って」
 女は手を振った。僕は梯子に足を掛ける。かなり下にメイがいた。
「君達は人間で、僕達はゼノだ」
 頭上で何か聞こえた気がした。僕はそれに無視をする。

       

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Neetsha