Neetel Inside ニートノベル
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 穴の中にはまず小部屋があって、そこから更に梯子が伸びている。トンネルか煙突の内部のような、長い長い梯子。下を見る余裕はない。横を見れば、同じくらい長い鉄柱があった。ついている溝からみて、恐らくは昇降機だろう。しかし、今は機能していない。
 ひたすらに梯子を下る。手を離せば死ぬかもしれない。緊張が僕の背中を支えた。
 どれだけ下っただろうか。日頃から運動不足の僕は、ぜいぜいと息を切らしていた。指が痛み、腕が攣りそうだ。
 徐々に、明るさが増していく。薄闇に差し込む光の量が増えた。
「おーい」
 マーの声がする。
「あと少しだ!」
 僕は首を捻り、下を見た。それだけのことで、指が悲鳴を上げた。冷や汗が舞う。
 トンネルの終点が見える。横穴のようになった場所から、マーの顔が見上げていた。
 あとほんの少しだ。
「あっ……」
 油断したか、汗で指が滑る。バランスを崩し、梯子から落ちた。
「あっ馬鹿っ! よっ――と」
 僕はマーの腕に受け止められた。マーは勢い余って転び、床に頭を打つ。
「痛っ……」
「マー! 大丈夫?」
「おう……」
 僕は起き上がり、マーの頭を見た。血は出ていない。ホッとした。
「マー泣いてるー」
「うっせえ! 反射だ反射」
 メイのからかいに、涙目のマーは怒った。大丈夫そうで安心する。
 忌広さんに野中さん、ミアとマチは、そんな僕らに目もくれない。呆気に取られたように、光の差し込む方を見ている。
 光……そう、光だ。気付けば、そこは明るさで満ちていた。
 僕は辺りを見る。長い長いトンネルを抜けたそこは、何かの施設だった。四方を壁に覆われ、一面は開いていた。天井はなく、青く透き通った空が見える。有り得ない。
 そんな馬鹿なことがあるか。ここは地下だ。地下も地下、正確にはわからないが、地下数百メートルの空間だ。なんだってそこに空が――太陽があるんだ!?
「なによこれ……」
「参ったね、こりゃあ……」
 呟きの通りだ。なんだこれ。
「スクリーン、だね」
 マチが言った。
「映像。リアルだけど、よく見ると、わかる」
 ……そう、それは、青と白の組み合わせ。空と雲。光の色。映画か、ビジョンスクリーンのような……途徹もなく、途方もなく巨大なシアターだった。
 言われるまで気付けない程に、精巧で、緻密な。
「こんな大きい……」
「あっ!」
 メイが空を……スクリーンを指差す。空と見紛う精巧な映像を映し出す、巨大なスクリーン。
 雲と雲の隙間を縫うように、鳥の群れが飛んでいた。
 鳥が……?
 地下施設の下の下に、空があれば、鳥がいる。そんな当たり前の光景が広がっていた。
 種類まではわからないが、間違いない。本物の鳥だ。数羽の鳥が泳ぐように、舞うように飛んでいく。
 言葉を失い、小さな点になり、やがて見えなくなるまで、僕らはそれを見ていた。
 鳥が見えなくなって、はっと気付いた。僕は慌てて壁を見る。扉があった。ごく普通の、ノブの付いた扉。僕は飛び付き、ノブを捻り開ける。
 その光景に、僕は目を見張った。
 どこまでも続く、青々とした草原。所々に木々があり、見渡せない程に広がっていた。空の青と、草原の緑。コントラストのように混ざり合い、どこまでもどこまでも伸びていく。大地の丸みを感じることはない。地平線という指標のない、切れ目の見えない、ただただ巨大な空間。目を凝らしても何も見当たらない。眩暈がして、頭を振った。どこまでも続くはずがない。どこかからはスクリーン。映像の仕業に過ぎない。
 目の前には水の流れる川がある。小さな橋が掛かっていて、石畳の道がある。まるで公園かなにかのように見えた。振り向けばそこにあるのは、公衆トイレのような小さな建物だ。屋根の無い、四角い囲い。そこから天に向かい、梯子の通った煙突のようなものが伸びている。
 断崖絶壁。行き止まり。無限とも思える程に広い空間の端っこ。高く高く、煙突は伸びて、見えないくらい小さくなった。あそこがあの女……ゼノのいた部屋だろう。またあそこまで戻るのは不可能に思えた。
「えっ――」
 遅れて出てきたマー達も僕と同じように驚き、見渡し、見回し、煙突を振り仰いだ。
 口をぽかんと開き、目を真ん丸にして――
 白痴のように、まったく間抜けた顔をして。
 僕らはそこに降り立った。

 僕らが歩き出してから、もう何時間経ったのか定かではない。時計の類を持っていない僕には、時間を知る術がない。感覚で言うならば三、四時間といったところか。僕らは二度目の休憩をとっていた。
 草原には道の跡が見受けられたが、しばらくは使われていない様子だった。とにもかくにも、僕らはそれを辿るしかない。
「はあー、疲れた」
「わっ」
 マーが背負っていたメイを下ろす。疲れて歩けないとわがままを言ったメイは、こんな状況でもおんぶを楽しんでいた。
「腹減った……」
 もうしばらく食事をしていない。水は出発の時、涌き水と思える川の始点で飲んだきりだ。川はすぐそこに流れているので、雑菌を気にしなければ飲むのに問題はないだろう。
「なあ、どこまで歩くんだ?」
「さあ……僕だって知らないよ。言えるのは、ここにいても仕方ないってこと」
 あの屋根の無い施設、あそこに留まるという選択肢は、誰も提案しなかった。流れは忘れたけど、当然のように出発することになったし、誰も反対しなかった。
 目的地? 知らない。
 理由? わからない。
「…………」
 マチの疲労が濃いように見える。一言も喋らないし、座ってずっと足元を見ていた。見ていたが、おもむろに足元の雑草を引き抜くと、泥を拭ってその根を食べた。
「おいっ!?」
「大丈夫、食べられる」
「えっ?」
 むぐむぐと口を動かす。渋みでも感じたのか、少し顔を歪めた。
「これは、セリ。他にも、小松菜、ルッコラ、とか。どうみても意図的、に」
 僕には雑草にしか見えないが、草原になっているそれらは、食べられる草だったようだ。
「食用、の、ものばっかり」
「そうなのか?」
 マーがそのへんの草を引き抜き、食べた。
「苦っ」
 ぺっと吐き出す。
「や、火、通さないと……」
 まさか葉っぱをそのままバリバリいくとは思わなかったようで、珍しくマチが慌てていた。
 マチが言うには、知らないものもあるが、ここにある植物はほとんどが食用、または蔓草のように、人間にとって利用価値が高いものだそうだ。
 普通は畑を作っても、不要な雑草が生える。これは当然だ。畑は土が耕され、植物にとって住み良いのだから。逆に言えば、そんな住み良い環境でしか野菜は育たない。比べて、雑草はどこにでも生える。生命力が強いのだ。生存競争で雑草が負けることはまずない。そんな雑草がここには無い。
 明らかに人工的な、人為的な空間だった。
「つまり、どういうこと?」
 野中さんはそのへんに生っていたヒメリンゴをかじる。
「酸っぱ!」
「……植物を、管理する誰かがいる、か、いた、ってこと」
 マチは答えた。
「どう違うのよ?」
「現在、か、過去、か」
 今、誰かが僕らを見ているのか。
「誰かがいるなら、外と連絡ができるかもしれないね」
 そうでなくても、人間の暮らせる場所はあるということだ。
「三十年もここに暮らしているっていうの? 有り得ないわ」
「三十年もここを維持する理由はなんですか」
 質問に質問で返す。少しは自分で考えられないのか、こいつは。
「機械的に維持されてるだけかもしれないじゃない」
「まあ……無くはないですが。やっぱり同じです。そんなものを作る理由は?」
「知らないわよ、そんなの」
「…………」
 バッサリと議論を切る。考えることを放棄していた。
「……とにかく、当面の目標は、外部と連絡をとること。ひいては、何らかの施設を発見することです。異存は?」
 誰も答えない。僕は皆を見回した。
「普通なら川沿いに行けば町があるでしょう。しかし、ここではあまり意味がないと思う。水道があればいいんだからね」
 エジプトはナイルの賜物というやつだ。適用されるのかはわからないが。
「しかし、他に指針もない。どう行くのも同じなら、君に任せるさ」
 忌広さんは枝を噛んでいた。
「何か気になることでも?」
「いいや、ないよ」
 くわえた枝を上下させ、指でポキッと折って投げ捨てる。
「ただね、こんな場所を作ったのは、どんなやつかということを考えていたのさ」
 誇大妄想狂気味の男だ。さぞかし素敵な妄想を聞かせてくれるだろう。
「そういえば葉桐の会長は、倒産と同時に行方不明になったな……」
「…………」
 意外と現実的な事を言う。
「葉桐の会長、小山真世は、当時から変わり者として有名だった。奇人変人の類だな。天才的な経営手腕の持ち主であり、驚異的な発想を持つ科学者でもあった。葉桐は彼の開発した薬の特許で成り上がったようなものさ。倒産した当時にもう八十近かったはずだから、もうさすがに生きてはいないだろうが……」
「その人がここを作ったと?」
「いいや、そうだとしてもおかしくはないというだけだよ」
 忌広さんは肩を竦めて両手を広げる。
「さて、そろそろ行こう。推論をしていても仕方ないだろう?」
「ええ、ですね……」
 僕らはまた、果ての見えない道を歩き出した。
 少しずつ空が暗くなっているのに気付いたのは、それからさらに二時間程歩いた頃だった。太陽は沈まず、徐々に暗くなっていき、いつの間にか姿を消した。かわりに、月と星とが、プラネタリウムのように瞬きだした。
 空といっても、この場合はただの天井だ。スクリーンの映像が切り替わり、光量が落ちた。それだけのこと。
 歩けない程ではないにしろ、あまり足元の見えない状態では危険かもしれない。それでも、ここで夜を明かすことを望む声は出なかった。意地を張るように、全員が前に進む。既にどちらが前かもわからなくなっていた。
 歩き出してまた数時間……僕らの間には嫌な空気が漂っていた。
「はぁ、はぁ、疲れたよぅ……」
「皆、そう、だよ」
「施設なんて、本当に、あるのかな」
 歩き疲れたからか、皆マチのような喋り方になっている。
「ん?」
「どうかした?」
 マーが立ち止まり、鼻をひくつかせた。
「何か匂う」
「え?」
 何かを思う間もなく、マーが駆け出した。どこにそんな元気があるのかというような、平時と変わらぬ速さ。
「町だっ!」
「え?」
 木々が重なり見えなくなった場所で、マーが叫ぶ。マチがキョトンとして答えた。
「マチじゃねえよ! 町だっ! タウン!」
 僕らは慌てて駆け寄る。木々が連なり、生け垣のようになった奥。その向こうは小さな崖になっていた。三メートル程の段差の下には平らな地面があり、川はそこを流れている。川沿いに一つ、小屋があった。久しぶりに見た人工物。いや、全てが人工なんだったか。そこから更に視線を伸ばす。暗くてよく見えないが、確かにそこには何かがある。
 町だ!
 小屋の遥か向こうに、いくつかの建築物が見えた。一つや二つじゃない。いくらかの規模を持った町。村か? とにかく、人の住む施設には違いない。
 僕らは段差を飛び降りる。僕とマーでメイとミアを受け止めた。マチは普通に着地していた。
 河原を踏み締め、ざぶざぶと川に入る。水深は浅く、流れはあまり強くない。水は撫でるようにすり抜け、踝に強く纏わり付いた。
 川岸にある小屋。僕らはまずそこを覗き込む。
「小屋、か」
 小屋はひどくオンボロで、中には誰もいなかった。網や紐の類がいくつかと、用途のわからない棒がある。
 とりあえず、ここには何もないようだ。小屋の観察は中止して町に向かう。
「あ、あれ!」
 柵だ。芝の生えたながらかな勾配に、ぐるりと一周、木製の柵がある。建物が二つ、その中にあった。牧場だろうか。その更に奥には、町のような建築の群れがある。
「さっきの匂いはこれか」
 獣の匂い。田舎町の雨上がりのような、漂う糞の匂い。僕らは柵を回り込み、こわごわ近寄る。建物の一つは豚の厩舎だった。マーが感じた匂いはこれだろう。もう一つの建物には牛がいた。僕らが近寄っても騒がない。間違いなく誰かに管理された牧場だった。
「奥に行こう」
 牧場を通り過ぎ、居住区と見える方へ急ぐ。
 舗装はされていないが、道がある。それを辿ると、いくつかの家が立ち並ぶ通りだった。家と家との間隔は奇妙に狭く、整然としている。
「ん?」
「どうかした?」
「いや、なんかよ……」
 マーが辺りを見回す。
「視線を感じたような」
「ん……」
 月明かり程度の視界。ここに誰かがいるとして、僕らからは見えなくても、僕らの姿は見えるだろう。注意深くいかなければ。
 と思った瞬間だ。
「誰かいませんか!」
 突然、野中さんが声を張り上げた。
 何をこいつは……そんな無防備なっ!
「ちょっと! 誰もいないの!?」
「野中さんっ! 待って!」
「なによっ!」
 僕らは異邦人だ。ここにいる誰かが、必ずしも僕らに友好的だとは限らない。もっと慎重にならなければ……。
「そんないきなり大声を出したら……」
「じゃあどうしろっていうのよ!」
「もっと静かな方法もあるでしょう!」
 何なんだ、こいつ。考え無しにも程がある。
「相手を刺激してどうなるんです!」
「あーもううっさい! 大体あんた気持ち悪いのよ! 喋り方そんなコロコロ変わって!」
「はあっ? 今はそんなこと関係ないでしょう!」
「あのー、君達」
「っ!」
 突然の声に、僕も野中さんも振り向く。冷静さを無くし、また僕は周りを見失っていた。
「他所でやってくれないか。僕達は朝早いんだ」
 言いながら、男が歩み寄ってくる。
「キャッ!」
 ミアが小さく悲鳴を上げた。一拍遅れて、僕も理解する。
「えーと、君達は……人間? だよね。すると、宮殿から? 見覚えはないけど」
 人間? 宮殿? 何のことを言っているのか、さっぱり解らなかった。
 その男……おそらく男だ。そいつは細い木に肩を預け、ほとんど斜めになるように立っている。
 細い身体。体勢はともかく姿勢は良い。モデルのように均整が取れている。細身ではあるが、引き締まっているというのか、首から肩、腕、胸、腹、太股から脛、足首まで、一つの流れのように筋肉がついている。精緻な彫刻のような、動いていることがもう不自然に感じるような肢体。
 無造作に伸ばしたであろう髪は癖一つ無く、長さはてんでんばらばらなのに、枯れ山水のように不規則に整っていた。
 何より、その目だ。目鼻立ちは整っていて、人形のようだで、その中にあって、一際目立つ切れ長の目。小さな明かりの中、鮮烈な朱色が浮かぶ。呼吸さえ止めたくなるような、息を飲む美しさ。
 似ている。そう思った。あの女、僕の心を掻き乱す、紅い瞳のあのゼノに。
 男はろくな衣服を身につけていなかった。ただ二つ、首に飾りがあるのと、サンダルのような靴。それに、身体を巻く布だけだ。
「人間ならお客様だ。こんな遅くにとは普通じゃないが、とにかく歓迎しよう。こちらへ」
 男は踵を返した。引き締まった尻が僕らに向く。誰も何も言わず、その奇妙な光景に見惚れるようについていく。
「あ……」
 薄明かりの中に、たくさんの誰かがいた。一人や二人ではない。その全員が僕らを見ている。
 赤、朱、紅。朱、赤、紅、紅、朱、赤、紅、赤い紅い朱い瞳の数々。
 紅い瞳がいくつも浮かぶのを見て、僕は驚くよりも感激に気を失いそうになる。



 案内されたのは、家々の中で一番大きな場所だった。木造の平屋。内装も主に木ばかりで、木目のテーブルが一つと、切り株のような椅子がいくつか。
 切り株に座り、一人ずつに水が配られる。配り終えると、男も座った。
「君達、ヘロンの方から来たね。何故だい?」
「ヘロン? それは」
「ヘロンはヘロンだ。あちらには何も無い。御柱と平原ばかりのはずだ。知性とは反対だし、健全とも遠い。君達はケガレか?」
「ケガレ……?」
 言っている意味が理解できない。顔を見合わせようとするが、全員が僕を見ている。メイが僕に近付き、膝に座った。
「ええと……」
「ああ、自己紹介をするのか。知らない人間に会うのは随分と久しぶりだからね。忘れていた」
 口ごもると、男はそう言って頭を叩いた。
「僕達はエティクス。営みの管理人だ。はじめまして、御主人様方」
 エティクスと名乗った男は、端正な顔を歪めて笑顔を作る。
 営み? 管理人? わからないことだらけだ。
「ねえ、あなた……とりあえず服をきちんと着なさいよ」
 野中さんはちらちらと気恥ずかしそうにエティクスを見た。エティクスの服は妙にはだけていて、ローマ神話に描かれるような布を巻いた姿だった。
「服を着るのは人間だけだろう? だから君達は服を着るし、僕達は服など必要としない。作業中に傷がつかないようにするのは必要なことだが」
 エティクスは不思議そうにそう返した。
「君達、本当に人間か? 御主人様はそんなことを言わない」
「人間のつもりだけどね、一応。君の言う人間とは少し違うかもしれない」
「君じゃない、君達と言ってくれ。単一は単一たりえない。全体が単一だ」
 僕達という一人称といい、やはりエティクスはあの女と何かしらの関わりがあるのだろう。そうとしか思えない。それ程に、あの女と似ていた。顔立ちではない。存在が、その有り様が。
「そう。じゃあ、君達。僕は外に連絡したいんだ。通信設備はあるかい?」
「外? 知性か健全に連絡するのなら、まず……」
「いや、そうじゃない。この空間の外、ええと、研究所の外に連絡したいんだ」
「言っている意味がわからない。空間とは何を指す? 外にあるのは知性と健全、それに宮殿だけだ」
「それ以外のことは知らないのか? ケガレっていうのは」
「ケガレは外だ。ここにある全て以外の何か。その何かから来るものはケガレだ。それしか知らない。僕達は教育を受けない。だから、知らないことばかりだ」
 埒があかない。認識に齟齬が有りすぎる。なんにせよ、ここに通信設備の類は無いのだろう。質問の矛先を変える。
「君達は、営みの管理人と言ったね。営みとはどういう意味なんだ? あと知性と健全、それに宮殿か」
「営みは生きる糧を得ること。食糧を生産し、知性と健全、宮殿に供給する。知性は生きる意味を得ること。考えること。考えを共有する。健全は生きる手段を得ること。身体を鍛えること。生きる為に必要な物を作る」
 それぞれが町の名前だろう。営みは生産。知性は思索。健全は鍛練。そんなところか。それぞれが分業し、それぞれが役割に応じているのだろうか。
「宮殿は?」
「宮殿は人間のいる所。君達は宮殿から来たのではないのか?」
「そうだ。僕らは人間。今日初めて宮殿を出たんだ。少し道に迷ってね。ヘロンのほうまで行ってしまったのさ」
 すらすらと嘘が出た。驚いたように皆が僕を見る。僕はメイの頭を抱いた。バレるかと思ったが、エティクスは特に怪しむ様子もない。
「驚いた。宮殿でも生産をするのか」
「人間の場合は生産とは言わない。生殖と言うんだよ」
「そうなのか」
 エティクスは興味深そうに頷いた。
「それで、営みに何の用事だ? 僕達はきちんと義務を果たしているはずだ」
「ああ、視察とか催促じゃないよ。社会見学さ。百聞は一見にしかずと言うだろう?」
「百聞は? どういう意味だ?」
「百回聞くよりも一回見たほうが早いってこと」
「ああ、なるほど」
「だから、色々と教えてほしいんだけど」
「お安い御用だ。人間の役に立つのが僕達の価値なんだからな」
 エティクスは胸を叩いた。
「とは言っても、僕達には役割がある。今日はもう遅い。明日は近い。もう休まなくてはならない」
「ああ、そうなんだ」
 僕らも疲れきっている。話を聞くにしても、一度休んでからのほうがいいかもしれない。
「すまない。寝床を用意しよう」
「ありがとう、助かる」
 エティクスは立ち上がり、外に向かう。
「ああ、伽は必要か?」
「伽……」
「必要なら何人か起こしてくる。牡が四、牝が三か? 僕達だけでいいのなら……」
「いや、必要ない……」
「そうか」
 エティクスは小屋から出て行った。
 伽?
 要するに、性行為の相手。
 牡が四、牝が三。僕らの性別の反対。
 全部が全部、悪趣味だ。
 つまり、そういうことが許される空間だということ。
 なんてことだ。奴隷の扱いを自ら許容している。
 いや、それが当たり前の空間なんだ。
 あまりに整いすぎていて、違和感すら覚えるような。いや、嘘だ。あまりに都合の良い存在に、僕は純粋に驚いているのだ。人間でないというのなら、尚更のこと。
 なんてこった。これじゃあんまりにも。
 理想的じゃあないか。

       

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Neetsha