Neetel Inside ニートノベル
表紙

ゲーム脳
そして五人は穴へ潜った

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 画面の中で主人公がモンスターに襲われて死んだ。僕は生きている。でも、主人公は死んだ。コンティニューすれば、なんの問題もなく新たなゲームが始まる。普通はそうなんだろう。何事も無かったみたいに、主人公はまた冒険の旅に出る。主人公が死んだら、世界はリセットされる。次は死なないように、プレイヤーは注意をするだろう。レベルを上げ、装備を変え、ルートを変え、攻略方法を変えて、クリアするまで何度でも、主人公は生き返る。
 そうやって何度もやり直し、いつかハッピーエンドにたどり着く。それがこの主人公に課せられた使命なんだ。
 じゃあ。
 主人公が死んだ世界はどうなるんだ?
 主人公が死んでも、その世界は続く。ラスボスを倒さなければ世界は救われないのだから、主人公のいない世界は、いつまでも救われない。
 いつまでも救われない世界が、ゲームオーバーの度に量産されていく。モンスターに襲われ、奪われ、殺され、蹂躙されて、その世界の人々は生きていく。そして、救われないままに死ぬのだろう。
 僕にはそれが怖かった。



 僕が目を覚ました時、そこは真っ暗闇だった。
 何も見えず、何も聞こえず、ただ床の冷たさだけがやけにリアルだった。
 僕が動くと反響し、小さな音が大きく響く。
 頭が痛い。どこかにぶつけたようだ。いや、何かに? わからない。
 皆はどこだろう? 皆? ああ、またいつものメンバーだ。
 ここはどこだっけ……今は……いつだ? デバイスは……ない? どこにやったかな……。なんで僕はこんな冷たい床に寝ているんだっけ……こんなに頭が痛いのは何故だろう。触ってみる。こぶは出来ていない。なんでこんな。確か地下シェルターの……。
 ああ、そうか、思い出した。
 ここはどこなのか、なんで僕がここにいるのか。
 辺りを手探りする。石のかけらに、砂のような感触……床は駄目だ。少し宙を探るようにした。
 不意に、柔らかい感触がした。これは……なんだ? 触る。布だ。布があって、人間を覆っている。
 この感触は……マチか?
 ああ、そうだ、ここは――――



 僕らがその旅行に出かけたのは、マーが持ちかけてきた計画に乗ったからに他ならない。それは夏休みに入ってすぐのこと、マーが妙な情報を仕入れてきたことから、全ては始まったんだ。
 事の起こりは、僕とマーの言い争いだった。何故そのような話になったかは定かじゃないが、確か映画を見終わった流れだったように思う。核爆弾が落とされた時に、どうすれば無事でいられるのかという話をしていた。マーが地下のシェルターのような場所ならばなんとかなると言ったから、僕はすぐさま反論した。
「そんなの駄目だ」
「なんでだよ」
「どうすれば助かるかって仮定の話なんだから、実在しないものを例えに出すのはルール違反。それじゃあ迎撃ミサイルを配備しておくと言うのと変わらないよ」
「わかんねえだろ、あるかもしんないじゃんか」
 マーはむきになって言った。
 そうだ、思い出した。見た映画はハリウッド映画で、核弾頭が発射され、翌日には着弾することを知らされたアメリカ政府は、宇宙人に救済を求めるのだ。宇宙人は核弾頭を排除する代わりに、地球での行動を、ある程度のことなら黙認することを求め、政府はそれを受け入れる。果たして核弾頭は排除されたが、地球人類は様々な不利益に目をつぶらざるをえなくなった。それに反旗を翻した主人公が政府と宇宙人に戦いを挑む、というものだ。
 世界中がアメリカの決定に左右されるというのは、実に分かりやすい自尊心だろう。
「シェルターなんてどこにあるのさ。現実的に考えるってルールだろ?」
「避難所みたいにさ、各市町村に配備すんだよ。んで有事の際に逃げ込む。十分に現実的だろ」
「無理だね。避難所っていうからには、すぐに逃げ込める場所になくちゃだ。田舎ならともかく、都心部にそんな土地を用意できるわけない。それより現実的なのは、各家庭に……」
「馬鹿な喧嘩してるなあ……」
 お菓子をかじりながら、ミアが言った。
 他のメンバーは僕らの言い争いを横目に、好き勝手に過ごしていた。



 それから約一ヶ月後。
 うだるような猛暑、外はかんかん照りの太陽が降り注ぎ、凶悪なまでに暑い。僕らはどこに出かける気力もない。冷房の効いた部屋から出るのは拷問に等しかった。
 ミアは漫画を読みながらお菓子を食べていて、マチはなにやら分厚い本を読んでいる。これはいつも通り。
 僕とメイはといえば、レーシングゲームで対戦している。
「むっ、あっ!」
 カーブの度に身体を傾かせるメイが微笑ましく、僕はわざとらしく見えないように負ける。どうせ勝つまでやめさせてくれないのだ。
「やたー!」
 三回目にしてようやく勝ったメイは諸手を上げて喜び、勝ち誇ったような得意顔で僕を見た。
 家元芽衣、通称メイ。素直だが、負けず嫌いな所が困り物。
「これが本当の実力だからねー」
「はいはい、メイはすごいね」
 本当じゃない実力ってなんだろうと思いつつ、大人ぶってメイの頭にポンと手を乗せ、わしわしと頭を揺する。メイは満足したのか、ゲームの電源を落として他のソフトを物色し始めた。
「ユタカ、次はこれ!」
 メイが提示したのは対戦格闘ゲームだった。
「オッケー」
 メイはゲーム機にソフトを入れる。すぐに読み込みが始まり、ゲーム画面が表示された、その時だった。
 玄関が開く音、階段を上る足音。ドタドタと走るその足音は、僕の両親のものではありえない。
「ユタカはいるかー!」
 勢い良くドアを開け、マーが僕を呼びながら部屋に飛び込んできた。
 伊佐々雅士、通称マー。イベントが大好きなお祭り男で、しょっちゅう面白そうなことを見つけてきては僕らを引っ張り込む、お祭り男だ。
 マーは僕を指差すと、高らかに宣言した。
「今日こそお前をぎゃふんと言わせる! これを見ろぉ!」
 それは数枚の紙束だった。自慢げにそれを掲げ、僕に突きつけるようにした。
「ほら、ここだよここ。葉桐製薬の大規模実験場跡地。すげえんだぜ。本社が倒産して取り壊す業者もいないもんだから、施設が丸々残ってるんだってさ!」
「まあ落ち着いて。ドアを閉めて。冷気が逃げる」
「おう、すまんすまん」
 僕が言うと、マーはドアを閉めた。それから紙束を部屋のど真ん中に広げた。めいめい好きな場所に陣取っていた僕らは、部屋の中心に集まる。狭苦しいがいつものこと。
「なにそれ」
 僕は訊く。紙にはなにかの見取り図らしきものが印刷されている。マーはにかっと口を横に広げた。
「忘れたとは言わせねえ! この前お前は核シェルターなんてものはないって言っただろ。だから俺は探してきたのさ!」
「核シェルター?」
「おうよ! これがマップだ。施設周辺の地図と、施設内部の間取り図だな。ついでに道中の美味しいお店一覧もあるぜ」
 マーは自信満々に僕らを見回した。ボールを拾ってきた犬のように、褒めてくれをといわんばかりの得意顔を振りまく。
「あー、美味しいお店は魅力的だけど……そうじゃなくて」
 核シェルターだって? そうだ、映画の話だ。
「え、こないだの話? 僕、核シェルターが無いなんて言った?」
「言っただろ! そんなの現実的じゃないとかなんとか」
「ああ、なんか言ってたね」
 ミアが肯定したことで、ますますマーの鼻息は荒くなる。
「だろ! だから俺は探してきたんだよ! 地下の施設で、都心からも近い。かつ広くて今は使われていない場所だ! どうだ、ぐうの音も出ないだろう!」
 自信満々に言い放つ。僕はやれやれとため息を一つ。
「はあ、あのねマー、僕は核シェルターが存在しないなんて言ってないよ」
「は、はあ? 負け惜しみを……」
「まあ、例えばこれが核シェルターとして機能するとしよう。この近辺の人はここに逃げ込めば助かるかもしれないね。でも、ここから遠い地域に住む人はどうすればいい? マーはこれ一箇所あれば日本中の人が避難できると思ってるの?」
「いや、それはだな」
「それは?」
「……」
「僕はそんなものを作る予算と土地がこの国にないって言ったんだ。今あるものを使えばいいって発想は悪くない。でも、こんな条件の整ったものがそこいらにあるわけないよ」
「いやでもな、その……」
 マーは必死で反論しようとするが、どうせ大して回る頭でもない。咄嗟には反論できずにいた。
「はは、マーの負けだね」
 ミアが言って、マーは「ぐっ」とつぶやき、うなだれた。
「さらに言うと、これが核シェルターとして機能するかは怪しいものだね。三十年も前の施設、それもとっくに放棄された場所だ。どうなってるかわかったもんじゃない。あと……」
 僕が言うと、マーは何か呟いた。
「……よ」
「え?」
「なんだよ! うるせえよ! 行ってみなくちゃわかんねえだろ! 立派に核シェルターしてるかもしんねえじゃんか!」
「うわぁ、切れたー」
 どこか楽しそうにメイが言う。
「お前ら、今度ここ行くぞ! 探検だ! いいかユタカ、目にモノ見せてやる!」
「廃墟、探検?」
 マチが首を傾げる。
「廃墟じゃねえの! 核シェルター候補だ! でもそう、探検だ!」
「行ってなにするの?」
「核シェルターとして使えるかを確認しにだけど……まあ、キャンプだな。俺達以外、誰もいないとこで思いっきり遊ぼうぜってこった。面白そうだろー?」
「うん、楽しそうだねー」
「だろお? なぁ、行こうぜ!」
「あたしは賛成!」
 メイとミアは手を上げて言った。
「まぁ、いいけど」
 廃墟とくれば、きっと人里離れた場所にあって、誰もいないはず。多少騒いだって問題ない。僕らが遊ぶのには最適だろう。僕としても不服はない。
「よおし! ユタカ、見てろよ!」
「はいはい……」
「キャンプはいいけど」
 読んでいた本から顔を上げて、マチが口を挟む。
「大丈夫、そこ……危なくない?」
「大丈夫だって! 葉桐製薬が倒産したのはほんの三十年くらい前だし、建築技術がそんな情けないわけないじゃんか!」
 自信たっぷりに言うけれど、なにかしらの根拠があるわけでもないらしい。
 というか、何か隠してるような気がするんだよねえ、マーのやつ。
 映画を見たのは先月だし、今の今まで調べてたっていうのか? 人一倍飽きっぽいくせに。
 どこか胡散臭いものを感じながらも、僕らは計画を立て始めた。

     

 地図で見れば市街地に近い場所にあったが、それは県境の山中にあった。道路から外れた奥の奥、用事がなければ絶対に辿り着けないであろうどん詰まりだ。この時点で都市部から近いという条件から外れているが、ここまで来たら見ないで帰る訳にもいかない。
 バスを乗り継ぎ、目的地へ向かう。電車と合わせて、片道で千八百六十円。最寄のバス停からは、歩いて十キロ近い。夏の日差しにげんなりする。
 降りた場所には小さな商店や民家があるばかりで、コンビニすらない。所々に廃屋のような木造建築があって、景色の大半は道路の灰色と木々の緑だった。
 最初のほうは普通の道。向かうにつれ、だんだんと建築物が減り、反比例して緑が増えていく。途中に休憩を二度挟み、目的地近くまで来て、地図を確認する。あと二、三キロで目的地だ。
 僕らは緑の中を進む。街灯もなく、ガードレールが無ければすぐに落ちてしまうような道を行く。片面は草木の繁茂したコンクリートで、もう片面は森のようになった崖。木々ばかりで下は見えなかった。僕は少し慎重に足を動かす。
「ねえ、あれじゃないの?」
 ミアが言う。前方を確認すると、確かに何かあった。遠くにぽつんと、自然以外の何かが見える。大きなカーブを描く道路の、そのすぐ横。
 やがて……大きな門が見えた。道の途中でいきなりコンクリートが切れ、立入禁止の看板と、壊されたのだろう、穴の開いた申し訳程度のフェンス、それから蔦が巻き付いた門が現れる。それらはほとんど緑に染まり、ある種のオブジェのように佇んでいた。
 僕らは足を止め、タオルで顔を拭った。フェンスの穴に身体を入れる。内部にも道が続いている。道はまだ長く、施設のようなものは見えない。
「ここ?」
「うん、間違い、ない」
 デバイスで位置情報を確認し、マチが言った。
「何にもなくねえ?」
「だって施設は地下なんでしょ? 外から見える訳ないじゃん」
 僕が言うと、マーは「わーってるよ」とぶっきらぼうに言って歩き出した。
「ほら、行こうぜ。もっと近寄らなきゃわかんねえだろ」
 促され、僕らはマーに続いた。
 道はなだらかな上り坂になっていて、草が生い茂り、それでも不思議と道が舗装されているのが、在りし日の葉桐を偲ばせた。途中に車用のゲートと監視カメラの残骸があったが、それ以外は何もない。ただ道と草木、それに看板があるくらいのものだった。看板には擦れた文字で『葉桐製薬』とある。確かにここで間違いないようだ。
「ん」
 しばらく行くと坂が終わり、平坦な道に出る。すると目の前に巨大な山肌が迫ってくる。道は途切れ、そこにぶつかっているようだった。
 僕らはそこに荷物を降ろし、呆けたように見上げた。
「ここ……だよなあ」
「うん、葉桐製薬の看板あったし、ここのはず」
 切り立った岩肌、山を見上げる。頂上は見えない。ある程度上に行くと緑一色だった。
「マー、地図見せて」
「ん」
 見取り図には正面玄関がある。位置的にはこの場所のはずだが、それはどこにも見当たらない。非常口がどこかにあるはずだが、それもパッと見たところは無いようだ。
「これ、この下、コンクリだ」
 マーが言う。見れば、確かにコンクリートで塗り固めたような跡があった。その上に植物が生い茂り、ほとんど見えなくなっている。
「塗り固められてんのか」
「そうみたいだね」
「なんだよ、入れないじゃん」
「いや、地図が正しいなら非常口があるはず。探してみよう」
 僕らは二手に分かれて辺りを捜索することにした。マーとメイとマチは右へ、僕とミアは左へ。山肌をなぞるように沿って進んでいく。
「ねえ、あれなに?」
「うん?」
「ほら、あそこ」
 ミアが指差したそこには、コンクリートかなにか、とにかく人工物で出来た壁があった。山肌に突然の、なめらかな異質。
「あれ、ドアじゃない?」
 言う通り、そこには人間一人が通れる程度の扉があった。僕らは駆け寄る。邪魔な植物が枝垂れている。引っ張るとぶちぶちと千切れた。その下から、扉が現れる。
 金属製の扉だった。電子ロックなのだろう、カードリーダーがあるだけで、取っ手のようなものはない。一応試したが、当然のように開かなかった。
 どうしようもなく、マー達を呼びに行った。
「どこ? あ、あれ?」
「すげえ、本当に扉じゃんか」
 マー達が合流し、扉の前で集まった。早速、マチが扉を確認する。
「そっちはなんかあった?」
「いんや、なーんも。どこまで行っても山肌」
「ふむ……」
「で、開きそうか?」
「んー」
 デバイスで何かをチェックしていたマチは、くるくると扉を撫でた。
「このタイプなら、多分、開けられる。古いし、ね。ただ、電源のほうが、死んでる……っぽい」
「駄目じゃん」
「マー、私の荷物、持ってきて」
「どうすんだ?」
「通電できれば、ロックは、一瞬で解除できる。通電には、バッテリーパックが必要。バッテリーパックは、荷物の中、にある」
「お、おう」
 解りやすすぎる説明だった。僕らは荷物まで戻り、扉に運ぶ。マーがマチの分も運んだ。
「ほいよ」
「うん」
 マチは荷物を受け取ると、がさごそと中からバッテリーパックとコードを取り出し、扉に繋いだ。同じくデバイスにもコードを繋ぎ、カタカタと打ち込む。
「ふ」
 バッテリーパックのスイッチを入れると、ブシュッと音がした。
「どうなった?」
「うん、ロック解除、したよ。扉を動かす電源は、死んでる、から、手動だけど」
「うっしゃ!」
 マチはくるくるとコードを回収した。マーは早速扉に手をかける。
「重いな……ふんっ!」
 マーが体重をかけると、ガタガタと金属の扉が開いた。
「おぉー」
 全員が感嘆する。
「マチ、さすがだな」
「ん」
 右手でピースサインを作った。
「なんかあっさり開いちゃったね」
「かなり前の施設、だし、セキュリティは、旧式、しかも死んでる。封鎖されてたって、侵入するのは、簡単」
 マチはそう言うが、僕にはできないだろう。あっさり開いたように見えるのは、マチの技術があるからにすぎない。
 板又真智は神童だった。かつて施設のコンピュータの授業でその才能が発露し、そういった天才たちの相互扶助集団「モグム」に加入していた。マチは諍いを起こしてモグムを退団し、それ以来、ずっと僕らと一緒にいる。
「真っ暗……」
「そうだね。電源は死んでるんだから当然だ」
 扉の中には、明かり一つ見えない。烏のような黒が、外からの光に僅かだけ照らされている。
「まあいいさ、入るべ!」
「あ、懐中電灯は?」
「じゅんびばんたんだよー」
 メイは嬉しそうに懐中電灯を掲げて見せた。
 僕らはめいめいに懐中電灯を手にすると、扉をくぐり、施設内部に足を踏み入れた。
 扉をくぐると、すぐ階段になっていた。扉と同じ色をした、格子状の下り階段が壁に沿うようにして地下へと伸びている。
 僕は足を階段に乗せた。大した揺れも軋みもない。どうやらこの階段は長年の放置にも関わらず無事なようだった。
「うわー……なんも見えないよー」
 メイの呟きがハウリングした。扉付近の様子がかろうじてわかるくらいで、内部は何も見えない。懐中電灯を点け、照らしてみる。真っ直ぐ前に向かった光は、何にも当たることはなく……暗闇に消えた。
「うお……なんだこりゃあ、何にもねえ」
 マーの言う通りに、この施設内部は巨大な空洞にでもなっているようだった。
 手前から壁をすーっと懐中電灯で照らしてみた。平坦な壁が続くばかりでなにもない。やがて小さな点になって、消えた。
 身を乗り出せば、階段の続きくらいは照らすことができただろうが、底の見えない穴にそうしようとはとても思えなかった。
「さて、行く?」
 僕は親指で空洞を指した。
「やだ、もう帰ろうよぉ……」
 ミアが泣くような声で言った。
「ここまで来て? ありえねえ」
 鼻息も荒くマーが返す。
「こんなのあるぜ」
 ランタンというのだろうか、電球が中に仕込まれたタイプの懐中電灯を取り出した。
「キャンプといえばランタンだろ」
 こだわりなのか、自信満々に胸をそらしてスイッチを入れた。ランタンの明かりは強く、足元を不足なく照らした。
 懐中電灯がホースなら、ランタンはスプリンクラーのような光だ。
「これなら大丈夫か?」
「う、うん」
 ミアはおっかなびっくりといったふうに、僕の服の裾を掴む。
「これでよし」
 これでよし、じゃねえ。歩きにくい。
「ほら、荷物あるんだからあんまりくっつくなよ」
「やだ」
 ミアは子供のように顔をぶんぶんと振った。怖いのだろう。
「はあ、まあいいけどさ……」
 荷物はかなりある。なにせキャンプ用品一式に食料だ。五人用の水や食料を持たなくてはならないし、調理器具も持ってきていた。あとは各自の着替えや寝袋などだ。
 共用のものに関しては、全て僕ら男が運搬担当だった。
 元が研究所だ。ある程度の設備はあるだろうけど、あまり期待もできない。
「うっし、そんじゃま、行くとしますか」
 マーが先頭に立ってランタンを持つ。僕は最後尾で懐中電灯を構えた。ランタンの明かりはマーの足元まで照らし、光量はそれなりにあった。
 僕が最後尾ということは、必然的に僕の服の裾を掴むミアも最後尾になる。
 マーが階段を下る。僕らもそれに続いた。
 カンカンという、五人分の靴音がする。
「なんかここ涼しいね」
 ミアが言った。
 施設内部は、不思議なほど涼しかった。外は夏真っ盛りだというのに、封鎖されていたからだろうか、空気が妙に冷たい。
「ああ。避暑にはいいかもなー」
 カンカンカンカン。
「どのくらい続くのかなぁ」
「おいおい、まだ下り始めたばっかだぞ」
 カンカンカンカン。
「シャワーとかあるかなぁ」
「あっても使えねえだろ」
 カンカンカンカン。
 カンカンカンカン。
「…………」
 不思議と、誰からということもなく、無言になった。そのかわり、 メイとミアは手を繋ぎ、僕の服の裾は無惨にも伸びていた。
 おっかなびっくり進んで、やがて僕らは階下に着いた。
 階段が途切れ、床が広がる。金属ではない、コンクリートの地面が心強かった。
「おぉ、けっこう下ったなあ」
「だねえ」
 見上げれば、かなり遠くに開け放したままにしてきた扉の明かりがぽつんと見えた。
「さって……」
 ランタンを暗がりに向ける。ぼんやりと辺りが照らされた。タイル敷きの床、クリーム色の壁。他には何も見えない。
 懐中電灯を向けてみる。何かが反射した。小さな光では、それが何なのかまではわからない。
 壁沿いには特に見えるものはなかった。
「広くない……?」
「だな……」
 そこは空虚だった。
 だだっ広い空間が広がり、その全てが暗闇に染まっている。巨大な闇の中、ランタンの小さな明かりと、五人だけが僕らの全てで、バスで痛んだ尻も、荷物の食い込んだ肩の痛みも、全部全部すっぽりと飲み込まれそうだった。
 伽藍堂。がらんどう。
 ごくりと飲み込んだ唾が妙に粘っこい。僕はハンカチで滲む汗を拭いて、マーを呼んだ。
「マー」
「…………」
「マー!」
「ん、おお……何だよ」
「地図。見取り図」
「あ! ああ」
 マーが慌ててポケットから八つ折りの地図を取り出し、僕に渡した。僕は地図を広げ、懐中電灯で照らす。
「非常階段入り口がこの位置だから……今はここだね。本来ならここのエレベーターで下りてくる場所だ。でもこのメインゲートってとこに入り口なんかなかったけどなぁ……」
 地図によると、僕らが入って来たのが非常階段。本来ならばあの道の途切れた位置にメインゲートがあり、そこから内部に資材運搬用のエレベーターシャフトが通っているはずだった。
 非常階段のくせに独立していない辺り、建築基準がかなり怪しい。
 ということは、地図の真ん中にあるのはエレベーター。さっき懐中電灯で照らした時に反射したあれがそうだろう。
「このまま壁に沿って歩けば、また階段。そこからが研究所だね。ここは資材運搬口というか、エントランスみたいなものだ」
「うっしゃ、行くべ」
 のしのしと無駄に力強く、マーが先陣を切り、僕らはそれにぞろぞろと続いた。地面が安定しているからか、皆さっきまでよりは余裕があった。
「研究所ってなにがあるの?」
「何でもあるみたいだ。フィットネスルーム、レクリエーションルーム、大浴場に運動場。研究員が泊まり込みしても大丈夫なように、宿泊施設としちゃかなりのクオリティだったみたいだな」
「へえー」
 女子は好きだよなあ、そういうの。
 まあ、使えるかはわからないけど。というか、普通に考えて使えないだろう。いつの施設だと思ってるんだ。
「何の研究してたの?」
「そりゃあ製薬会社なんだから、薬の研究だろ」
 マーが答える。
 それは違う。確かに葉桐は製薬会社だが、だからといって薬を作るだけじゃない。ここは事業展開を計って敷設された、新規事業研究所だった。
 来る前にちょっと調べた程度の情報だけど、その研究のペイを取り戻せず、葉桐は潰れた……というのが、ある程度の事情通の認識だった。
 ……きな臭い。葉桐程の大企業が、採算が取れるかもわからないような事業に手を出すだろうか? 経営陣の不手際と言ってしまえばそれまでだが、それだけではない何かを感じる。
 しばらく壁沿いに歩くと、地図の通りの場所に階段があった。非常階段とは違い、ごく普通の施設にあるような、二人並べばそれで塞がる小さな階段だった。
 ランタンと懐中電灯で照らしながら、僕らは階段を下る。壁に大きくB1/B2と書かれていた。あの巨大な空間が一階というのが不思議な感じだ。
 暗さには慣れたけど、奇妙に息苦しい。冷たいくせに澱んでいるようで、得体の知れない湿り気があった。
 冬の市民体育館とか、こんな空気だったなあ、と思い出す。フットサルをやりに行った時の、廊下のあの湿度に似ている。ただし、こちらのほうがずっと強い。
 ぼーっと足元を見ながら歩く。階下のフロアに出た。階段はまだ下へ続いている。
「あ、ちょっと待って。地図見る」
 ここは地下二階。図面の通りなら、ここは研究員の宿泊室が並ぶフロアのはず。フロア全体が個室になっていて、円形の施設の外周に、全部で百二十八部屋。部屋と部屋の間隔はあまり無かった。
「さて、どうしよっか」
 僕は全員を見る。
「この階は職員の部屋だけみたいだ。どうせなら別の階を調べたほうが楽しそうだけど」
「え、そうなんだ。じゃあここは後回しにする?」
「でもとりあえず荷物置きたいね」
「だな。研究室はその後でいいだろ」
 僕らはまず荷物を置き、この階を探索することにした。とりあえずは手近な部屋に入り込む。鍵は掛かっていなかった。
「太宰、だって」
 扉はネームプレートが外されていないままだった。階段から一番近い部屋の、かつての住人は太宰という人らしい。
「おじゃましまーす……」
 ゆっくりとノブを握り、扉を引く。空気が動いて、少し風が吹いたように感じた。
 そこはホテルの一室のような部屋だった。入って左手に靴箱とコートかけがある。右手の扉の中にはシャワートイレがあるのだろう。廊下は狭い。ぞろぞろと入り込むと、ベッドとデスク、それに本棚が一つ。
 本棚には本がまだ残されていた。ほとんどは専門的な書物だろう、アルファベットが背表紙に踊る。筆記体なのでぱっと見では読めない。よく見るとドイツ語のようで、余計にわからない。
 ごく少数、僕でも知っているような推理小説や、直木賞だか芥川賞だかを取った本なんかもあった。
 芥川龍之助は知っているが、直木さんを僕は知らない。下の名前すらわからない。
 マチが興味深そうに本棚を眺めていた。許されるなら持って帰るつもりなのだろう。
「マチ、直木賞の直木って誰だっけ?」
「三十五」
「え?」
「……」
 本棚を眺めるので忙しいらしく、それ以上は何も言ってくれなかった。デバイスで調べようとも思ったけど、当然のように圏外だった。
 僕らはベッドに荷物を置いた。ベッドといっても布団はない。金属のフレームと板だけの箱。壁から生えるように突き出ている。
 肩の荷がおりた。比喩的な意味じゃなく。
「さて、ちっと休憩すっか」
 マーが床にべったり座り込んだ。
「あ、床汚くない?」
「ん、うぉ!」
 床を撫でると、埃が舞った。マーは尻を叩いて立ち上がる。
「けほっ、やめてよー!」
 メイが埃に眉をしかめた。
「ハハ、わりぃわりぃ」
 マーは悪びれる様子もなく笑ってごまかす。
 僕は荷物からビニールシートを取り出し、床に敷いた。全員がシートに乗り込む……いや、マチだけはまだ本棚を見ていた。まあいいや、ほっとこう。
 ランタンを中心に置く。ぼんやりと顔が下から照らされ、ちょっとしたホラーのようだ。
「はい、お茶」
 ミアが水筒に入れてきた麦茶を配った。よく冷えた麦茶が喉を通る。久しぶりの水分はとてもうまかった。
「あーっ、疲れたぁ」
 僕は足を投げ出した。伸びをしたまま身体を左右に揺らす。
「ジジ臭い」
「うっせ」
 首を捻るとコキコキと鳴った。
「マチ、面白そうな本はあったか?」
 まだ本棚から離れないマチを呼ぶ。
「専門書以外、全部、読んだこと、ある」
 マチがビニールシートに座った。僕のちょうど向かい側で体育座りをする。ランタンで照らされ、スカートの中身が煌々と自己主張していた。暗闇に真っ白いそれは、あまりに目立つ。他が暗闇なので、お互いしか見るものがない。否応なしに目に入り込む。
「ユタカの、舐めるような、視線に、気付き、つつも、気付かない、フリをする」
「見てないよ馬鹿たれ」
 しっかりバレていた。そのくせ特に隠す素振りもない。それはそれで如何なものか。
「ん、なにが」
「マーはいいの」
 麦茶のおかわりをしていたマーが怪訝な顔をした。
「いいならいい。そんで、どうだ」
 マーはあっさりと話を切り替えた。
「どうだ、って?」
「これなら核シェルターになるだろ?」
 そうか、そもそもの発端はそれだった。
 マーはにやりと笑って得意げに言う。
「こんだけ地下にありゃあ、核爆発でも大丈夫だって」
「そうだね、あのエントランスを封鎖すればシェルターになりそうだ。でも」
 一度賛同しておいてから、反論をする。
「でも、なんだよ」
「あの時のテーマは『どうすれば核爆弾から逃れられるか』だろ? 個人じゃなくて、国民全員が現実的に、だ」
「だ、だから?」
「ここは人里から離れてるし、他に同じような施設はない。避難所として使うには不適格だ」
「ぐっ」
「さらに言うなら、都民が流入してくれば、こんなとこ一瞬で埋まっちゃうだろうね」
 ここは確かに広いようだが、それでもリミットは一万人ってところだろう。
「で、でもよ! 政府が作ればなんとかなるってことだろ? シェルター自体は不可能じゃねえってことじゃん」
「シェルター自体はね。ただ、避難所として機能させるには、全国にかなりの数が必要になってくる。そんなの、建築費用も土地も確保できないだろうね」
「地下だろ、土地はなんとかなるんじゃ……それに、田舎のほうなら」
「核爆弾が落とされるとしたら都市部だ。田舎にはそもそも必要ないよ。そして地下には色々あるんだよ。水脈とか、地下鉄もあるしね。地下ったって無限じゃない。掘れる場所は限られてる」
 実はよく知らないけど、尤もらしいことを言ってみた。どうせマーもよく知らないんだ。いくらでも言い負かせる。
「そ、そうなのか」
 マーは渋々といったふうに納得したようだ。今まで口喧嘩でマーに負けたことはない。
「あはは、またマーの負けー」
「うっせ!」
「マーは口喧嘩弱いんだからさー、いちいち逆らわなきゃいいんだよー」
「うっせバーカ! バーカ!」
「ガキー」
「なんだバーカ! メイのアホたれ!」
「ボキャ少なっ! ガキガキガキガキ!」
「ボキャってなんだよバーカ!」
 マーは今度はメイと喧嘩を始めた。内容が低レベル過ぎて泣けてくる。
「まあ、こんな深く、掘る必要、ないけどね」
「シーッ!」
 マチがボソッと呟いたのに、マーは気付かなかった。
「核爆弾は、地表じゃなく、上空で、爆発する、から、直下でもない限り、地下にいれば、無事」
「はは、バレた?」
「深く掘る、のは、放射能対策になるけど、ね。でもまあ、アホの子なマーが、可愛いから、言わないでおく」
「ねえ、ホント……」
 微笑ましいこと。
 そして、羨ましいことだ。
 太宰さんの部屋での休憩を終えて、僕らは階下に行くことにした。この階を探索しても良いのだが、あるのはどうせ職員の私室だ。階下と比べたら、面白いものはあまりないだろう。
 僕らは最低限の荷物を持ち、拠点と定めた太宰ルームを出る。
 僕は歩きながら懐中電灯の明かりを頼りに地図を見る。階下もこのフロアと同じく、円形の外周に部屋があり、しかし職員用個室と違い、かなり広そうだった。
 またマーを先頭に階段を下る。
「それにしても、ここはなんだか廃墟って感じがしないよね」
 歩きながらミアが言った。
「普通の廃墟みたく朽ち果ててないし、少し埃が溜まってるくらいで、綺麗なもんじゃない」
「そうだね」
 確かにここは、普通の廃墟とは趣が違う。
 通常、廃墟というものは風雨に晒される。金属は錆び、コンクリートは削れ、木は腐り、残された内装は土埃にまみれる。手入れをするものがいなければ、建物は時間とともに朽ちていく。それが廃墟というものだ。その朽ち果てた中に垣間見える人間の痕跡が、廃墟マニアを引き付ける。
 その論でいけば、ここは廃墟マニア達には好かれないかもしれない。有名企業の研究所跡地など廃墟マニア達が侵入していてもおかしくない場所だが、今までそんな話は聞いたことがない。
 ただ、入り口で挫折した可能性も無きにしもあらず。
 ここは地下にあるが故に、外界から切り離されているが故に、変わることがない。
 地下水の侵食がないのは、建築技術の高さの現れだろうか。最先端。そう、ここは当時の最先端技術の塊なのだ。
「誰にも荒らされてないんだよ。僕らみたいなお馬鹿さんはもちろん、自然にもね」
 数十年の間、誰も入り込んでいない場所……それは一種の聖域のように思えた。だとしたら、僕らは神子のような、選ばれた存在ではないか。そんな馬鹿げたことを考えた。脳みそがゲームに侵食されている。封印された扉を開けるのは、勇者と相場が決まっている。その言でいくと、勇者はマチになる。なら僕はせいぜい勇者のお供程度の存在だろう。くだらない妄想の中ですら、主役になれない僕である。
 主役なんて、マチに限ってありえないけど。
「誰にも荒らされてない場所、かあ」
 ミアは感慨深げに呟いた。
「それってエヴァーランドストーリーのハートルの門みたいじゃない?」
 僕らが子供の頃に流行ったテレビゲームのタイトルだ。ハートルの門は、主人公が最後の敵を倒すのに必要な技を身につける為に訪れた、封印された聖域だ。荒廃した世界の中で唯一の平和な空間で、最奥には生者がいない街がある。街に行く為には難解な仕掛けの施された複雑な迷路の中を、わんさといる敵を薙ぎ倒しながら通過するという試練を受けなければならず、僕らはああでもないこうでもないと試行錯誤をしながらプレイしていた。時には試練に失敗し、全滅したこともある。
 最終的には救世主となる主人公のいなくなった世界はどうなるのだろうと考えて、救いのない世界の末路が恐ろしくなったのを思い出した。
 そんな話をしたら「たかがゲーム」と笑われた。
「あははは、じゃあこの中、なんか試練が待ち受けてるの?」
「かもしれないよぉ。さあ勇者よ、あのモンスターを倒すのだー!」
「あ、僕は謎解きのほう担当で」
「ええー、あたし戦闘要員なの?」
 ミアは不満を言いながらも笑い、それに釣られて皆笑った。暗い雰囲気にも慣れたのか、皆の笑顔が戻ってきていて、いつの間にかいつものように雑談する余裕すら生まれていた。
 和やかな空気の中、階下に着く。さすがに少しだけ緊張が走った。
「さて、どっち?」
「どっちに何があるの?」
「さあ、わかんない」
 地図には研究室1やら2やらと書いてあるだけで、どこをどのような用途で使用していたのかまでは解らない。部屋数は十六で、職員用個室とは比べものにならないくらいに広い。
「わかんなくってもオールライト! つまり、全部右だ!」
 マーがアホっぽいことを言っていた。
「また馬鹿なこと言って……」
「まあ、どっちから行っても変わらないんだからいいんじゃない」
「ま、それもそうだね」
 フロアは環状だから、どちらから行っても、いずれは全部の部屋を通ってここに戻ってくるのだ。
「オーライ、わかった。右に行こう」
 地図によれば、この階段の対角には同じく階段があるはずで、左右に四半動いた場所にはエレベーターが設置されているはず。まあ動くはずもないけど。
 四半周に四部屋あり、全部で十六。扉は両開きで、スライド式の大型だ。
 マーが先頭を行き、僕がしんがりを行く。
 研究室Ⅰとプレートのある部屋。なんの研究をしていたのか、厳密なところはよく知らない。事前に軽く調べた限りでは、動物セルの実験をしていたらしい、くらいのことしか解らなかった。
 ならば、ホルマリン漬けの標本や、ケージの中で朽ちた動物くらいは覚悟しておいたほうがいいだろう。教育によろしくないものが無いことを祈るばかりだ。
「研究室……動物の死体くらいはあるかもね」
「え……」
「さて……入るよ?」
「お、おう」
 扉に手を掛けると、メイが僕の服を強く握る。
「死体、あるの?」
「メイ、怖い?」
「ちょっと」
「そう。入るのやめとく?」
「ん~」
 イヤイヤと首を振る。入らなければ意味がないのはメイもわかっている。男は入らないという選択はできないし、マチは判りづらいが好奇心に目を輝かせているし、ミアはやる気満々だ。ミア的には望む展開だろう。僕らはどっちにしろ入るのだから、メイが入らないということは、この廊下に残るということだ。しかしメイを一人にするわけにもいかない。となると、誰かが残ることになる。
「さー、行こうぜ!」
 マーが吹き飛ばすように声を張り上げた。残る人間はいない。メイがしぶしぶ僕の服を握った。僕の服は伸びる運命らしい。
「そうだね。じゃあ開けるよ」
 僕も努めて明るく続いた。勢いのまま扉に手を掛ける。
 扉は重く、僕は力を込めて引く。ガコ、と音がして、あとは力を入れなくてもするりと開いた。ランタンの明かりが、扉の形に伸びていく。
 僕は唾を飲んだ。マーが僕を押しのけるように扉をくぐり、ランタンをかざす。部屋が照らされ、中が見えた。
 一枚のガラス。入り口はそれで塞がれていた。腰から上はガラス張りの壁。扉が一つ。扉の前には足拭きマットが一枚。入ってすぐは廊下になっていて、荷物置き場と靴箱がある。靴箱にはスリッパがそのまま残されていた。
 僕らは中に入る。扉を開け、ガラスを抜ける。めいめいが懐中電灯で内部を照らした。
 目につくのは計器類の並ぶコンピュータ。電源が入っていないからか、冷たく寒々しい。用途は解らないが、様々な機械が居並ぶ。いくつかは見覚えがある。巨大な電子顕微鏡に、四角いディスプレイ。前時代のパソコンだろう。
 ここは確かに研究室だった。
「へえ……」
 機械があり、それに付随するように事務机が二つ。そんな塊が四つあった。
「なんつーか、研究室! って感じだな」
「うん」
 動物のホルマリン漬けも、ビーカーもフラスコもないが、紛れも無く当時の最先端技術の結晶だろう。暗闇の中で少し不気味ではあるが、洗練された、無駄のない空間だった。
「ほらメイ、怖くないだろ?」
「うん、カッコイイ」
 これらをカッコイイと評するメイを、僕は好ましく思う。
「面白そうなものはないな」
 マーが機械を触って言う。多分、ホルマリンやらビーカーを期待していたのだろう。
「そう?」
 機械が並ぶここも、僕的には面白いんだけどな。
 マチは僕と同意見のようで、興味深そうにあちこちを見ていた。
「見て面白いもんじゃないよな。電源の無い機械はただの物だ」
 ばしばしと高そうな機械を叩く。埃が舞い上がり、マーは咳込んだ。一人で何をやってんだか。
「これなあに?」
「ん? ……なんだろね、わかんないや」
 メイはミアとウインドウショッピングでもするように見学している。
「まあ、ここはこんなものかな。次行こうか?」
 しばらく見学してから、僕らは研究室Ⅰを出た。
 研究室Ⅰから研究室Ⅳまでを、僕らは回った。造りは同じで、置いてある機械が少しずつ異なっていた。
「なんか……一緒っぽいね」
「そうだね」
 最初こそ僕やマチなんかは楽しんでいたが、マーはどこかつまらなそうにしていたし、ミアはあからさまに不満そうだった。同じような景色に飽きがきてしまった。時計を見れば、時刻は午後七時を過ぎていたので、僕らは探索を切り上げ、太宰ルームへ帰還した。
「あー、なんだろう、落ち着くー」
「落ち着くー」
一度来た場所だからか、ここがなんとなくホームのような気がした。
 ミアが伸びをしてベッドの上のビニールシートに座った。メイが真似をして隣に寝転ぶ。
「とりあえず飯にすんべー」
 マーがそう言って、荷物を開けた。言われて気付いたが、僕もお腹がすいていた。
 日持ちのしそうなものは後回しにして、パンとおにぎり、それとお惣菜。独身男性の食卓のようだった。水筒から麦茶を配り、食事をする。
「うん、うまいな」
「うん」
「美味しいー!」
 マーの美味いものリストの中にあった老舗のお惣菜屋のメンチカツは、玉葱の甘さと肉のジューシーさが素晴らしく、冷めていても美味しかった。なにしろ一個二百円もしたのだ。
「で、どうよ」
 マーが頬袋をいっぱいにして、箸で僕を指した。
「うん、美味しい」
「じゃなくて! ここのことだよ!」
「ああ……」
「立派に核シェルターになるだろう」
 マーは何故か自慢げに笑った。
「まあ、そうだね……」
 施設の造りは相当しっかりしている。深さも合格。天然の壁も分厚いので、入り口さえ塞げば放射能は遮断できるだろう。広さはまあ……万単位は無理だろうけど、それなりの人数を収容できる。まだ見ていないが地下階はまだあるのだし、電源さえあるのなら、しばらく暮らすには問題ない。今は切れているが、非常電源くらいはどこかにあるだろう。もしかすると、マチなら電源を入れられるかもしれない。
 現実的に、全国に配備するのは不可能だろうけど、シェルターとして使うには不足ないだろう。
「あとは食料と水の備蓄さえあればね」
「ふふふ、俺は気付いたぜ」
 マーが不敵に笑った。
「なんと、水道が生きてるんだ」
「えっ?」
「さっき便所に行ったんだ。便器は何故かボットンというか、出したものがどっかに落ちてく仕様だった。そこで俺は気付いた。手が洗えないと。お手拭きもなければ水もない。俺は駄目元で蛇口を捻ったんだ」
 食事中になんて話題を……。とは言え、興味深いといえば興味深い。
「するとなんと! 水が出たんだよ! 最初はちょっと濁った水だったが、しばらくすると透明な、綺麗な水が出たんだ!」
「へえ……」
「どうだ、すごいだろう!」
 マーは何故か誇らしげに言った。
 僕はマチを見る。マチはコクンと頷いた。
「地下水脈を利用してる、のかな。水車かなにかで。半永久的に機能する、のかも」
「手入れもなしに三十年も? すごいな……」
「摩耗する、と思うけど……不可能、では、ないかも」
「同じ方法で電気起こせたりする?」
「うん、可能、かな」
 地下水を汲み上げるシステム……水脈が枯渇しない限り、何時までも機能する?
 技術大国日本、さすがのクオリティと言わざるを得ない。
「スタンドアローンで機能する、かも」
「外部からの供給なしで?」
「うん。見てみないとわからない、けど」
「へえ……」
「おい! 俺の手柄!」
 二人で話すのにマーが割り込む。
「ああそうだね、すごいすごい」
「グッ、ジョブ」
 マチが親指を立てた。
「いやいやそう褒めるなよ……ってコラ!」
「なに? マーの手柄、だよ。でも今は考察が先、だよ」
 マチはあくまでマイペースだ。
「それで施設を賄うくらいの電気が確保できるものかな?」
「部分肯定。研究施設とか、消費のおっきいのは、バツ。最低限の明かりとか、空調とかのライフライン……節約すればできる、かも」
「それならさ……」
「ああもう! 俺を無視すんなよ!」
「はいはい、邪魔しないのー」
 ミアがマーの頭を、いい子いい子と撫でていた。

     

 僕らは太宰ルームで夜を明かした。明かしたと言っても、どうせここは真っ暗だから、寝て過ごしたというほうが正確だろう。
 目を覚ました時、明かりの無さに少し戸惑った。それからここがどこなのか思い出し、背中の辺りに置いたはずの懐中電灯をまさぐる。
「ふがっ……」
 そこにあったのはマーの顔面だった。ちょうど僕の腰あたりにマーの顔がある。僕は寝相がよろしくないので、寝ている間に移動したのかもしれない。マーは確か、僕とは離れて寝ていたはずだ。
 眠る前の位置関係を思い出す。マーの位置があそこなら、僕の枕元は……当たりをつけて手を伸ばす。
「んっ」
 何か柔らかい物に触れた。なんだこれ。とりあえずまさぐる。
 弾力があるというか、枕というか……。位置をずらすと、柔らかい下に固い部分。
 …………。
 ゆやゆよん。
 …………。
 ああ、これは胸だ。
 柔らかいのは胸で、固いのは肋骨。胸と脇腹の境目だ。
 サイズから見て、ミアのものか……そこまで考えて、我に返る。
「…………っ!」
 僕は何をしているんだ。
「んぅ……」
 ミアが唸る。幸い、目を覚ます気配はない。僕はゆっくりと手を離した。
 うるさい黙れ。これは男の、朝の生理現象だ。
 とりあえず僕は、トイレに行くことにする。
 懐中電灯片手におっかなびっくりトイレまで行くと、そこは確かに水の匂いがした。小便器はなく、全てが洋式便座だった。マーはボットンと言っていたが、どちらかと言えば飛行機のトイレのような形式が近い。
 トイレから戻ると、ランタンの明かりが点いていた。マチとミアが起きている。メイは寝袋に頭まで入っていて不明、マーはまだ豪快に寝ていた。
「おはよう」
「うん、おはよう」
「何処行ってたの?」
「ああ、うん、ちょっとトイレに」
 真っ暗闇の中を一人で、それも懐中電灯一つで歩くのは多少心細かったが、トイレが太宰ルームから近いのが幸いだった。
 さすがに紙はなかったが、確かに水が出た。僕は持参のウェットティッシュがあったけど、マーはどうしたのだろう。ティッシュを持ち歩くようなやつじゃない。
 それは考えないほうが良さそうだった。大丈夫、きっとティッシュを持っていたのだろう。そう思うことにした。
「マーの言う通りだったよ。水が出た」
 水道から出た水は、最初から綺麗だった。腐った水は、あらかたマーが出したのだろう。
「ん、じゃああたしもトイレ」
「あ、メイもぉ……」
 懐中電灯を携えてミアが立ち上がると、寝ていると思っていたメイが起きてきた。
「水道、一応しばらく出してから使いな」
「りょーかーい」
 二人は連れ立って太宰ルームを出た。
 さっきのこと、ミアは気付いていないようで、僕はほっとして溜め息を吐いた。
「どうか、した?」
 太宰さんの本を読んでいたマチが、顔を上げて僕を見た。
「いや、何でもないよ」
「そう」
 また本の続きへ。読んだことあるって言ってなかったっけ。まあ二度読んだって悪かないけど。
 朝の支度を済ませようと、荷物から食料を出す。それから、まだ寝ているマーを起こそうとした。
「マー、そろそろ……」
 その時だった。
 男には不可能な、空気を劈く音。
 甲高い悲鳴が僕の耳に届いた。
 ミア!? メイ!?
 僕は懐中電灯を掴むと、太宰ルームを飛び出した。声がした方向へ走る。階段付近に、床に転がる明かりが見えた。
 急いで階段まで駆ける。不思議と暗闇なのに全力疾走できた。床に転がる懐中電灯が見える。ミアとメイが、廊下の片隅で抱き合うようにしてへたり込んでいた。
「ミアっ! メイっ!」
「あ……ユタカ……」
「どうしたっ!」
 メイはミアの胸に顔を押し付け、目をつむっていた。ミアはメイの頭を抱いたまま階段を指差す。
 視線を追わせるが、何も無い。
「そこに……だれか」
「えっ?」
 ここに人が!? そんな馬鹿なっ! 三十年前の施設だぞ!?
「どんなやつだ? どっちに行った?」
「下りてった……」
 震えた声で階段を示す。見間違い……ではないだろう。暗闇とは言え、ここにはあまりに気配がない。誰かがいれば気付くだろうし、誰もいない場所に誰かを見ることもないだろう。
「とにかく、太宰ルームへっ! 立てるか?」
「う、うん」
 ミアを起こして、メイを抱き上げる。ミアの手を引いて太宰ルームへ向かった。
「ミア、大丈夫か?」
「だ、だ、大丈夫」
 転がるようにして太宰ルームへ。扉を勢い良く閉める。
「はあっ、はあっ」
 ミアは息を弾ませ、床にへたり込んだ。僕はメイをベッドに置く。
「どうしたの」
「誰かがいた……らしい」
 言うと、マチが本から顔を上げた。僕はミアを引っ張り上げ、部屋の中程まで運ぶ。
「へえ」
 マチは目を見張った。メイに歩み寄り、頭を撫でる。
「よし、よし、怖くない」
「んーっ」
 メイがマチに勢いよくしがみつく。マチは押し倒されて壁に頭を打った。それでもメイを撫で続けていた。
「ふぁー……なに、どした?」
 マーがのんきに目をこすって言った。



 メイの怯え様がひどく、近付いた僕も引き寄せてしがみついたまま離れず、マチと二人で拘束されてしまった。こうなると、時間を置かなければどうしようもない。
 ミアはしばらくすると少し落ち着き、状況を語った。
 トイレで用を足して外に出ると、階段のほうに光が見えた。それは懐中電灯かなにかの明かりで、持ち主はミア達を見ると、慌てたように逃げ出したのだという。姿はほとんど見えなかったが、それは確かに人間だったそうだ。
 そして、人影は二人だったとミアは言った。一人が見えて、その後方にまた一人。
「どう思う?」
 一通り聞き終えた僕らは、車座になって話し合う。中心は僕とマチ。メイが放してくれないのでベッドから降りられなかったから、ベッドを囲むようにして集まった。
「見間違いってことはなさそうだね。気配とか音じゃなくて、懐中電灯の明かりを見ているんだ」
「うん」
 真っ暗闇の中で誰かがいた、気配を感じたというのならともかく、真っ暗闇の中で明かりを見たのだ。疑心暗鬼とは読んで字のごとく違う。
「勘違いじゃないとしたら……何者だ、そいつら」
 マーがどこか楽しそうに言った。施設見学に飽きていたところにこの事件だ。祭男としてはむしろ望むところなのだろう。
「可能性、としては、みっつ」
 マチが小指から中指までの三本を立てる。
「一つ、私達の前に入り込んだ、誰か」
「うん」
 マチは中指を折った。マチの特殊な技術があったとは言え、僕らはここにいる。僕らがここ入ることができたということ自体、ここに入れるという証拠となる。
「二つ、私達の後に入り込んだ、誰か」
 また一つ指を折る。
 僕らが開けた扉から誰かが入り込んだという可能性は、確かにある。
「三つ」
「最初からここにいた誰か、だろ」
 先回りをするように、マーが言った。
「そう」
 マチが肯定する。マーはニヤリと笑った。
 三十年もの長い間、この施設で暮らしていた……? 可能性として無い訳ではないが、にわかには信じ難い。
「この三つ……で、いい?」
 マチが僕を見る。
 他の可能性としては……やっぱり見間違いか、あくまで可能性だが、ミア達が僕らをからかっている、というのもある。しかし、ミアはそんなことで楽しむやつじゃないし、メイにこんな演技は無理だろう。考慮の必要はない。
「うん」
 僕が頷くと、マチも頷き返して、それから全員を見渡した。
「一つ目、だとしたら」
「うん」
 マチが中指をひょこひょこと動かした。
「何か目的が、あるはず。私達みたいな、物見遊山なら、いい。でも」
「逃げたってことは、見られたらまずいってことになるね。物見遊山なら、むしろこんな所で誰かに会ったら声を掛けてくるんじゃないかな」
「そう」
「よしんば、ミア達がそうだったように、相手もこっちを見て驚いたっていうなら、何にも問題はないけど」
 その場合が一番穏当だ。でも。
「あんまりそうは思えないな」
「いつ来たのか、何故まだいるのか、目的、とかは、わからないけど」
 マチはそこて言葉を切った。わかってる。その人達は見られたくなくて、何かを探している。
 見られたくないものがその人達自身なのか、探しているものなのかはわからないが……危険があるかもしれない。人里離れた山奥で、第三者のいない空間。邪魔物に何かあっても不思議じゃない。
 つまり……口封じ、とか。わかっているが言わない。言えばミアとメイが不安がる。
「二つ目、だとしたら」
 マチは中指を折り、薬指を動かした。
「私達の後、を、つけてきた可能性が、高い」
「うん」
 偶然というにはタイミングが良すぎる。三十年も前の施設を、偶然同じ日に、二組が訪れるなんてことは考えづらい。
「突発的、じゃない。懐中電灯とか、準備してきてる。私達の目的地を知ってて、後をつけてきた」
 それもまた怖い話だ。もしこの可能性が正しいとしたら、何の目的で? 何故僕らがここに来ることを知っている?
「あとは、私達が、ここに入るのを見て、懐中電灯、を、調達してきた、って可能性も、ある」
 マチはそう付け加えた。だとしたら、やはり目的は僕ら……ということになるのか?
「例えばよ、この施設の管理人的なやつが俺らを見て、慌ててついてきたってことはないのか?」
「こんな古い施設に管理人がいるかは別として、なくはない。でもそれなら、逃げた理由がわからないだろ?」
「ふん」
 マーが鼻を鳴らす。
「最後に」
 マチが小指を折った。
「三つ目の場合」
 最初からいた誰か……。三十年も前からここに棲み着く、廃墟の主。そんなものがいるとしたら……それはもう――
 化け物だ。
「はんっ、上等じゃねえか」
 マーが拳を合わせる。
「そんなのがいるなら、是非とも会ってみてえ。だろ?」
「まあ、興味はあるね。なんでこんな所にいるのか、どうやって暮らしてきたのか。でもさ」
 僕はそう楽しみにはできない。メイもいる。その相手が危険じゃないとは限らない。
 僕の腕をつかんで、マチの胸元に顔を埋めるメイを見た。いつの間にか眠ったようで、すーすーと寝息が聞こえた。
「ああ、もちろん、メイを危ない目には合わせねえよ。俺が守る」
 マーはそう言い、握りこぶしを誇示した。なんと男前なことか。
「僕が女なら惚れてるよ」
「……そうかよ」
「私も、女だったら、惚れてる」
「いやお前は女だろ!」
 マーは勢いよくマチの軽口にツッコむ。
「そうだっけ?」
 マチはしれっと言った。僕は笑う。釣られてミアも笑った。
「マー、誰かいても守ってね」
「おう、任せろ」
 そうだ。僕らに暗い雰囲気は似合わない。
 マーがいる。マチもいる。頼りにならないけど僕もいる。
 ミアは僕らを見て、安心したように微笑んだ。

     

 僕らは朝食を採りながら作戦会議をした。
 その結果、なんにせよ接触してみないことにはなにも解らないのだから、ともかく人影を探そう、ということになった。
 研究室階層のさらに下層。ここには何があるのかよくわからない。例の人物がいるとしたら、おそらくはこの場所だろう、と推測し、僕らは地図のない階層に向かう。
 相手は二人。例え相手側に悪意があるとしても、僕らは五人いる。固まってさえいればそうそう遅れをとることはないだろう。
 荷物の中から必要なものを厳選し、身軽になる。と思ったが、マチだけは荷物が多かった。デバイスやバッテリーパック、各種コード等は、まとめると結構な量になる。僕は仕方なく、バッテリーパックだけでも持つことにした。いざという時にマーは身軽でなければならないし、あまり荷物が多いとマチが心配だ。荒事の役に立てない僕の、そこが妥協点だった。
 太宰ルームを出て、探索を開始する。
 出発してすぐに、メイが僕の手を握った。
「メイ、大丈夫?」
「う、うん。怖くなんかないよ」
 メイは明らかに怖がっている。いつもの間延びした口調がない。ビビリのくせに強がりで、そこがまた愛おしい。
「そっか。ならいいけど。なんなら留守番しててもいいんだよ?」
「そのほうが怖いよ! あ、や、怖くないけど! 一人でお留守番は怖いからやだ!」
 こうしていれば怖さが紛れるだろうと、僕はメイをからかい続けた。
 マーが先頭を行き、ミア、マチと続き、僕とメイがしんがりを務める。
 階段を下る。昨日探索した地下三階を通り過ぎ、さらに階下へ。そこもそれまでと同じ造りで、婉曲した廊下が伸びている。
 そして、階段はさらに下へ伸びていた。
「まだ下があるんだ」
「何階まであるんだろ。メイ、ちょっと見てきて」
「ヤだ!」
 両手で僕の手を握り、涙目でブンブン首を振る。可愛い。
 依然としてビビってはいるが、今朝のような本気の怯えではない。多少なり気が紛れたようでほっとする。怖がらせるのは楽しいけれど、嫌な思いをさせるのは本意ではない。
「まあ、冗談だけど。でも、どこまであるのか知りたいなぁ」
「なんなら行ってみるか?」
 それもありかもしれない。とりあえず、地下何階まであるのかだけでも把握しておけば、得体の知れなさは多少なり軽減できるだろう。
 地下四階の探索を取り止め、僕らはさらに地下へ向かう。
 カツカツと、階段を踏み締める音が響く。足元を照らし、先頭を行くマーと同じルートを行った。B4/B5と壁に印字されている。
 地下五階。ここもまた造りは同じだ。円を描いた壁に、定間隔に並ぶ部屋。そしてまた……階段は下へ伸びている。
「まだあるのか……」
「だね。行こう」
 さらに階下へ歩を進める。
 怖いのか、メイが無駄に僕と繋いだ手をブラブラさせる。そんな陽気に歩く場所でもないが、メイなりに気を紛らわそうとしているのだろう。
 B5/B6と書かれた階段を下りる。なんの変化もない階段。そして、僕らは地下六階へ到着した。
 そして、階段はそこで終わっていた。
「……最下層か」
「そうだね。やっとだ」
 階段から見える廊下は、それまでと代わり映えのしないものだった。婉曲した廊下。ただし。
「ふうん……」
 扉が……廊下の外周に必ずあった扉がない。のっぺりとした壁が続く。懐中電灯で湾曲する壁を照らす。光はずっと奥まで吸い込まれていった。先はよく見えない。
「ここにはいなそうだね。扉がないから、隠れる場所もない」
 よく見て回れば扉はあるのだろうけど、ここは後回しにする。それよりも、最下層を確認したことで、僕は連中をあぶり出す策を実行することにした。実は既に考えていたのだが、施設の広さを考えて、そのほうが見付けやすいと踏んだ。
 前準備として、僕はまずこっそりとマチに話し掛ける。メイには見られているが仕方ない。
「……ってことなんだけど、できる?」
「ん、可能、かな」
 できないとは思わなかった。そのくらい、マチなら簡単だろう。
「よかった。じゃあ、このあと……」
 大雑把な打ち合わせ。マチもまだネタばらしは望んでいない。理由を察するくらいはしているかもしれない。
 マチとの話を終え、僕はみんなを呼び止めた。
「ねえ、みんな」
「ん、どうした?」
「部屋がこんなにあるんじゃ、見付けるのは難しいよ。僕に考えがあるんだ」
「ほお、どんなよ?」
 僕はみんなに作戦を告げた。それはひどくシンプルで、何も難しいことはないものだった。
「はあ? そんだけ?」
 マーが怪訝な顔をする。それくらいに単純で、しかし効果的なはずの作戦だ。
「うん、それだけ」
 僕はニヤリと笑ってみせた。犯人の目星はもうついている。



「じゃあ、いくよ」
 作戦会議を終え、僕らは歩みを再開する。
 地下四階、ここの探索をするふりをして、僕らはいくつかの扉を開けた。
 そして、階段から三つ目の部屋。ここが作戦の決行場所となる。
「せーの」
 僕の合図で、全員が一斉に懐中電灯を消した。そしてそのまま手を繋ぎ、階段から二番目に近い部屋に駆け込む。
「こんなんで大丈夫なんかよ」
「しっ、静かに」
 息を殺して、じっと待つ。メイの体温が近い。
 …………。
 やがて、小さな足音が聞こえてくる。僕らは息を飲んで待った。隠れた部屋の前を、懐中電灯の明かりが通った。
「なっ……」
「シーッ」
 驚いて小さな声を上げるマーの口を塞ぐ。間違いない。
「おおい、待てったら。ちょっと落ち着きなさい」
「逃げられるわよ! 早く!」
 一応、声を潜めてはいるが、他に音の無いここでは丸聞こえだった。
「どういうこと?」
「はあ……ふむ、反応はここで消えたな」
 男と女、二人分の声。女は若いが、男は中年のようだった。
「急に音声は聞こえなくなるし、故障だなんてついてないわ」
「いやー、どうかな」
 呟きながら、目論見通りに三番目の部屋に入り込む。僕らはそれを確認すると部屋を飛び出し、扉の前に立ち塞がった。
「はい、チェックメイトです」
「えっ――」
 僕は男女の顔を照らした。
「ほら、やっぱりね」
 女が光を遮るように目を覆い、男のほうが肩を竦める。
 そこにいたのは、男と女の二人組だった。
 女性のほうは二十代の半ばくらいだろうか。ショートに揃えられた髪、細身のパンツスーツに、スタイリッシュな印象を受ける。どこか中性的な雰囲気の美人。ただし表情はきつく、害意とは違うが敵意を感じた。
 男性のほうは四十代くらいだろうか、女性とは対称的に野暮ったく、髪もボサボサ、無精髭を生やし、よれよれのワイシャツ姿のおじさんだった。困ったような笑顔を薄く浮かべて、頭をかいている。
 僕は扉を塞いだまま、二人組に話し掛けた。
「僕は赤津ユタカと申します。お名前を聞いても?」
 女性は答えない。男性のほうがやれやれと首を振り、僕の質問に答える。
「ああ、こりゃ失礼。私は忌広撫貴。彼女は……」
「野中花音よ」
 女性は髪をかき上げる仕種をした。無理に余裕の表情を作る。
「してやられた、というわけね」
「はい、まあ」
 僕がにっこりと笑うと、野中さんはぴくりと表情を動かした
「さて、お二人には聞きたいことが――」
「ちょ、ちょっと待って! どういうことなの?」
 ミアが割り込む。
「あたしが見た人影はこの二人で、え? あれ?」
「まあそうだね。まずは種明かしからいこうか」
 僕はもう二人が逃げるのを諦めたと判断し、扉から離れる。
「まず、確認から。お二人はずっと僕らを監視していた。違いますか?」
「まあ、うん、そうだ。監視という言葉は悪いが」
 忌広さんが肯定する。
「監視って……こんな暗いところで? そんなの無理だよ」
 ミアが言う。
「こんな暗いところ、明かりがなくちゃ歩けない。明かりなんか使ったら、すぐあたし達に見付かるよ」
「まあ、最後まで聞いて。次に、お二人は僕らの動向を把握していた。それで、つかず離れず、僕らをつけていた。明かりが見られない距離で、ね。でも、それができなくなり、慌ててここに駆け込んだ。そうですね」
「私は止めたんだがね」
「忌広さん!」
 慌てたのも、引っ掛かったのも、どうやら彼女一人のようだった。
「さて、どうして二人は僕らの動向を探れたのか。答えは簡単。ずっと聞いていたのさ」
「えっ……」
「盗聴だよ。ついでに発信機かな。それで僕らの居場所も、どう動くのかもわかる。これなら僕らに見付からないで行動できる」
「……」
 無言の肯定。二人は反論しなかった。
「そこで、僕がしたのは一つ。マチにジャミングを流してもらったのさ」
「いえー」
 僕はマチを見る。電子機材のエキスパートであるマチだからできたことだ。マチは小さくピースサインを出し、ジャミングに使った小さな機械を誇示した。
「僕としては、三つの可能性なんて、正直どれでもよかった。問題なのは、悪意……いや、敵意の有無だ。それは、今朝の一件で無いと判断した」
 害意があるのなら、ミアもメイも、今頃無事ではないだろう。もしも害意があった場合のことを考えると、自分の至らなさに腹が立つ。
「悪意がないにしろ、こんなにミアとメイを怖がらせたのはよくないね」
 僕は仲間に振り返った。
「はは、それについては済まないことをした。怖がらせるつもりはなかったんだが」
 忌広さんはちらりと野中さんを見遣る。
「彼女が鉢合わせてしまってね。慌てて見にいくと、そちらのお嬢さんがへたり込んでいたところだった」
「また私のせいに……」
 野中さんがむくれる。顔に似合わない子供っぽさが滲み出ていた。それを魅力と感じるかは人それぞれだと思うけど、僕にはそう思えなかった。
「その、すまなかったね」
 忌広さんがミアとメイに言った。
「ほら、君も」
「……ごめんなさい」
 素直に頭を下げた忌広さんに比べ、野中さんは渋々といったように謝る。
 ミアは目をぱちくりさせ、慌てたように言う。
「あの、うん。大丈夫です、もう気にしてません。ねっ、メイ?」
 許しを得て、忌広さんはほっとしたように笑った。
「ああ、よかった」
「はい、二人がいいならそれでいいです。きちんと謝ればそれで」
 僕は笑顔で言った。
「だってさ、マー」
「…………はあ?」
 マーはたっぷり時間をかけて、ようやくそれだけ返した。
「謝れば許してくれるってさ」
「な、なにがだよ?」
 僕はじっとマーの目を見る。最初こそ目が合っていたが、やがて目が泳ぎ始める。
「うう……」
「マー?」
 僕はほとんど睨むようにする。マーは逃げるように顔を逸らす。
「素直なほうが、僕は好きだな」
「……正直スマンかったぁ!」
 マーはその場で飛び上がり、空中で見事な土下座をキめ、着地した。
「え? ええ?」
 僕とマーを交互に見て、ミアが戸惑う。僕は大きくため息を吐いてマーを見下ろした。
 この阿呆が。
「マーはね、この人達と通じてたんだよ」
「ええ!」
「謝ってるし、許してあげてよ」
 僕はマーの脇腹を軽く蹴った。
「オウ!」
「ほら、立ちなよ」
 マーは土下座の姿勢から綺麗に跳んで立ち上がると、僕をビシッと指差した。
「俺がスパイだと、なぜわかった!」
 僕は頭痛がした気がして頭を押さえ、言う。
「マーは下手くそなんだよ。今朝の話で、やたら三番目の可能性を推したでしょ。あれに僕は違和感を覚えた」
 僕は映画で見た探偵のような、両手を広げる仕種をする。
「一番有り得ない選択肢を推すのはマーらしいけどさ、一つの可能性にだけ口を出すなんてマーらしくないよ。マーなら全部に意見を言うはず。普段なら、どの選択肢も平等にあれこれ考えて楽しむでしょ。それが、今朝は違った」
「ぐう……」
 マーはぐうの音を上げた。
「それに、この企画を持ってきたのはマーだ。こんな地図、どうやって調達したのかって、ずっと思ってた。誰か協力者がいるんじゃないかってね」
 マーが突拍子もないことを提案するのはいつものことだけど、今回のはマー一人でどうこうできるような内容じゃないと思っていた。
「野中さんがミア達と鉢合わせたのは、マーが一緒じゃなかったからだね。マーが寝てるのはわかっていたでしょうに。迂闊でしたね」
 野中さんはぷいと顔を背けた。
「何か反論は?」
「…………ねえよ」
 今度はぐうの音も出なかった。
「あまり責めないでやってくれないか。私が頼んだことなんだ」
 忌広さんが言う。
「そこはまあ、被害者二人に任せます。マーへの処分はミアとメイに任せるとして」
 僕は忌広さんと野中さんに向き直る。
「マーとはどんな関係なんですか?」
「ま、その、なんだ」
 マーが口ごもる。
「マー君とは、去年ナンパされてからの付き合いよ」
 野中さんが言った。
「え、ちょ――」
「いいじゃない、本当のことなんだし」
「まあ、そうだけどよ……」
 マーは頭を掻いた。野中さんは僕らに一礼する。
「改めてまして、私は野中花音。シティルポルタージュで記者をしているわ。以後よろしくね。彼は私の上司兼パートナー」
「やれやれ……よろしく頼むよ」
 忌広さんはぺこりと頭を下げた。
 シティルポタージュ……御厨社の発行している雑誌だったか。確か、都市伝説や噂話を取材してあることないこと面白おかしく書き立てる胡散臭い雑誌だったはず。読んだことはないが、たまにコンビニで見掛ける。
「はあ……どうも。それで、記者さんがどんな理由でマーと?」
「マー君とは時々会ってたんだけどね。この間、マー君に『核シェルターを探してる』って言われたの。そこで私はここのことを教えたのよ。以前取材しようとしたのだけれど、電子ロックが開かなくて入ることができなかったって言ったら『多分なんとかなる』って言うから、私も取材に同行することを条件に、資料を提供したのよ」
 野中さんはどこか嬉しそうに語った。野中さんからは見えない角度で、忌広さんがやれやれと頭を押さえている。
「そうですか。それなら何故、最初から一緒に来なかったんですか?」
「普通に取材して、何にも無かったらつまらないじゃない。だから私達で色々仕掛けて、あなたたち目線で記事を書こうと思ったのよ」
 …………。
 記事の捏造を、さも当たり前のように語る。全く悪びれる様子がない。
「あーあ、せっかく苦労して用意してたのに」
「ちなみに、どんなものを?」
「この先、動物の骨とか、でっち上げの研究レポートとかあったんだけどね。こうなった以上、全部パーだわ」
 忌広さんが目を覆う。
 態度に曰く「なにも全部言うことはないだろう」だ。言わなければ、僕らのリアクションくらいは見られただろう。
「あー、まあ、そういう訳でだな」
 マーが言った。
「黙ってたのはすまん。でもほら、これも俺なりの演出、エンターテイメントだった訳だ。肝試しみてえなもんだ」
 確かにそのほうが、面白くなるといえばなる。マーが色々と企むのはいつものことだし、そのおかげで僕らはいつも楽しく遊んでいた。それは僕も望むところではある。
 ただ……僕らの間に見知らぬ誰かを入れるなど、今までに無かったことだ。
 少し関わるのはいい。一緒に遊ぶこともあるだろう。でも、こんな。
 泊まりがけの遊びに誰かを伴うのは、違うのではないか。
 これは僕らの遊びじゃないのか。
 僕は――僕らだけいればいい。他人といると、気苦労が絶えないし、堪えることが増える。
 もちろん、そんなことを顔には出さない。僕は努めて笑顔でいた。
 映画みたいで楽しいイベントだったのは確かだけれど、他人が僕らの会話を盗み聞きしていたというのは……いや、勝手に僕らを知ったというのは、いただけない。
「だからってんじゃないけど、許し……」
 そして、マーがそれを許していたことも。許されると思っていたことも。
 表情から、本心の笑みではないことがわかったのだろう。マーはそれ以上の言い訳を止めた。
「……悪かった」
「うん」
 マーは、僕らの欠点を治せると思っている。いや、直せると思っている。
 自分のことは、直そうとさえ思わないくせに。
「出して」
「あ?」
「盗聴器」
「あ、ああ!」
 マーはポケットからそれを取り出した。長方形の小さなデバイス。
 僕は二人の記者に向き直った。
「さて、そちらの作戦は失敗なわけですよね」
「ええ」
「では、お引き取りを」
 僕はそれを地面に落とし、踏み潰した。
「ちょっと!」
「盗聴って、気分良くないのはわかります?」
「ああもう! 悪かったわよ!」
 僕が笑顔で言うと、野中さんはバリバリと頭を掻いた。
「でも取材は止めないわよ! こっちにも仕事があるんですからね!」
「ご随意に。どうせ僕らも不法侵入ですから。でも、一緒にはいたくないですね」
 僕は踵を返す。マチは何も言わずについてきたが、他は皆、呆けたように僕を見るばかりだった。
「ほら行こう。取材の邪魔しちゃ悪いよ」
「う、うん」
 ミアがメイの手を引いてくる。
「マー」
「あ、あ?」
「どうする、僕らと行く? それとも」
 僕はまっすぐにマーを見た。
「僕らと別れてそっちと行く?」
 その途端、マーの顔色が変わった。泣きそうな顔になり、慌ててこちらへ駆けてくる。
「行く、よ。行かないわけがないだろ」
「そう。てっきりあちらと行くのかと思ったよ」
 僕は忌広さん達に言う。
「あんまり干渉しないでください」
「なによそれ……むう」
「すまなかったね。何か見付けたら教えてくれないか」
 野中さんの口を押さえ、忌広さんが言った。
「ええ、はい。そのくらいは。何か問題があったら、言ってください。協力しましょう」
「ありがとう。助かる」
 忌広さん……物分かりがいい人だ。分別がある。
 それでも野中さんと行動する限り、特に心配はいらないだろう。何故そんな人が低俗な雑誌の記者をしているのかはわからないが。
「では。僕らは地下階の探索でもします」
「私達は研究室を回ろう。夕方くらいに一度、そちらに行っても構わないかな? ええっと、太宰ルームに」
「わかりました。それでは」
 僕はそう締め括った。
 皆が少し慌てる中、マチだけは僕の気持ちに当たりをつけたのか、理由を察している雰囲気だった。
 邂逅を終え、僕らは地下五階へ向かった。
 僕らは適当な部屋に入ると、扉を閉めた。電子ロックなので鍵は掛けられないが、ミアとメイを扉の前に座らせた。
 僕はシートも敷かず、機材の乗ったに机に座った。マチは僕の隣に来る。マーは何も言わずに僕の足元に正座した。
「まったく……マーは」
「ああ……」
「君がさ、僕らの交遊関係を広げたいのはわかるよ。それが何よりの薬だと、そう思ってるのもわかる。でも僕は、そんなこと望んじゃいないんだ」
 僕とマチとミアとメイ。それに、マー。
 僕にはそれだけあればいい。だというのに。
 マーはコミュニケーションスキルが高い。僕ら以外の知り合いも多い。街中に、学校に、マーにはたくさんの友達がいる。一方、僕には四人以外にロクな知り合いもいない。マチも、ミアも。
 メイは近所の子供達とよく遊んでいるけど……。
 それぞれに事情があり、それぞれに問題がある。それを補うように、僕らは一緒にいる。マーもその一員の癖に、僕らのことを更正させようとする。
「それとも、マーは僕らだけじゃ足りない? 友達がいなきゃ、僕らだけじゃ満足できないかな?」
「そんなこと! ……ねえよ」
 マーは思わずといったように顔を上げ、尻すぼみした。
「それとも、僕らが嫌? それならそれでいいんだ。もう会わないほうがいい?」
「そんなっ!」
 こんなこと、本心ではないけど。
「じゃあ、バイバイだね。もう家に来ないで。他に居場所があるならもう」
「やめろよ! そんなこと言うな!」
「だって、マーは僕らよりも」
「やめてくれ!」
 マーは僕の膝に縋り付く。
「そんなこと……言わないでくれよ」
 声を震わせ、僕の膝に顔を押し当てる。
 こうなることが解っていて、僕は卑怯な言い方をした。
「もうしないからっ! 全部ユタカの言う通りにする! だから……だから、見捨てないでくれよ!」
「さて、どうするかな」
「ユタカっ!」
 その泣きそうな顔に、僕はにやけ顔になるのを堪える必要があった。
 マーが僕の言葉に逆らえないのも当然のことだった。それは僕がこの五人の中心人物であるとか、そういうことではない。僕とマー、二人の関係だ。
 だって、マーは僕に惚れている。
 バイセクシャルというやつだろうか。それも、幾分かゲイ寄りの。性同一性障害とは違う、マーは自分が男だと認識した上で、男を愛する。
 女と交わることと、男と交わること。マーにとって、それは明確な違いを持つ。
 マーはよく女をナンパし、抱く。それは、マーにとって義務に近い。女を抱いている間、マーは正常でいられる。同性愛という異常な性癖を持つ自分を忘れられる。だから抱く。
 男にだけ、マーは愛情を感じるという。一方、女にはそれを感じない。愛情が無いからこそ、行きずりの女とは交わえる。しかし、男とはそれができない。
 どうして男を愛するのか、マーにはわからない。ただ、それが異常であることは自覚している。異常な自分が、マーは嫌いだ。
「何でもする……何でもするからっ!」
 社交的で、強気なマー。そんなものはただの飾りだ。男としてのマーは、確かにそんなキャラクターなのだろうけど。
 僕に見捨てられることを、こんなにも怖がる。本質的に、マーはこんなにも弱く……、
 一途な乙女だ。
 僕はそんなマーを、愛おしく思う。マーの求める愛情ではないけど……マーは大切な仲間で、僕の世界の一部だ。
「もういいよ。もうしない、それでいい。マー、泣かないで」
「っ! 泣いてねえよ……」
 許された瞬間、笑顔を見せて。それからはっとしたように、男としてのマーに戻る。
「大丈夫、そんなことで見捨てたりしない。大丈夫」
 僕はしゃがみ、マーの顔をまっっすぐに見た。
 こんなことで、マーを手放しはしない。ただ、理想的な僕の仲間には、僕の望まないことを教えておく必要がある。
 それはバグのようなもので、プログラムの隙間に入り込み、正常な動作を損なうものだ。どんな小さな穴から、整然とした完璧な世界が崩壊するかわからない。
 僕らは皆歪んでいる。僕らは皆欠けている。それは当たり前のことで、ただ僕の歪みは他人よりも大きい。それだけのこと。
 そこに嵌まるパーツを、補うカケラを、ずっと探していた。そんなに長くもない人生の中で見つけた、世界のパーツ。
 マチと、ミアと、メイと、それからマー。掛け替えのない、僕のカケラ。
 誰が欠けても、それは僕じゃない。マチじゃないし、ミアじゃない。メイでなければマーでもない。
 僕の世界は、僕らで出来ている。
 僕らだけでできている。

     

 気を取り直し、僕らは地下五階の探索を再開した。マーのことはもう終わったことだ。もう話題にもしないし、マーが落ち込むこともないし、暗くなることもない。どころか、どこか明るい雰囲気ですらあった。それは無理矢理だったのだろうけど、それは正解だった。
「六階って、部屋が見当たらないんだよね」
「みたいだね。少なくとも、外壁には扉が無かった」
 だからといって、そこに何も無いということはないはずだ。むしろ、そこが今まで探索した階とは違う特殊な階だということは、容易に想像できる。
 だからそれは最後のメインイベントにしておきたいのだけど……記者に先を越されるのは癪だった。だから六階を探索すると言い、連中を遠ざけた。これでゆっくりと探索できる。
 まずは五階の探索をする。三部屋だけはすでに開けたが、まだまだ部屋は残っている。それに、記者を罠に嵌める為の行動をしていたから、最初の三部屋すらもロクに見られていなかった。
 さすがに、もうあそこにはいないだろう。僕らは記者達を嵌めた場所に戻った。
 あの時はじっくり見ている余裕はなかったが、階段から一番近い部屋は、資料室か何かのようだった。
「これは……ソケットメモリだね」
 ラベルの並んだ棚を見て、マチが言う。
 資料室といっても、紙媒体の資料ではない。項目が記されているだけで、そこにあるのは小型の記憶メディアだった。研究データや資料ははこれに入っていて、デバイスで読み込み、閲覧する形式のようだ。
「古い……」
「うん」
 それらの記憶メディアは、知識としては知っていても、実物を見たことがないほど古かった。今のデバイスでは、おそらく差し込み口が合わない。
「んー」
 鞄から何かを取り出し、デバイスと接続する。その何かに記憶メディアを差し込んだ。
 タップか? こんな古いものを接続するタップまで持ち込んでいるとは。
「三十年前、に、この容量か……駄目だ。全部、死んでる」
 マチは記憶メディアを指で挟み、ひらひらと手を振った。
 保存状態は悪くないはずだが、さすがに壊れているようだ。精密機器は劣化しやすい。特に管理もされないままでは無理もないだろう。
「修復は……できる、かも。できないかも、だけど」
 マチは数個のデバイスをピックし、鞄に詰めた。咎める人ももういない。
「にしてもよ、なんでソケットなんだ?」
「え?」
「書類か、マザーとかじゃ駄目なのか?」
「さあ……セキュリティの問題とかじゃないかな」
 コンピュータに蓄積したデータは、漏洩することがある。それに、クラッシュする可能性だって無い訳じゃないだろう。
 外部からの接触をなくすことで、内部犯以外の情報漏洩を防ぐことができる。研究機関などではままある形態だった。
 いくつかの部屋を回ったが、どこも代わり映えしなかった。僕らは五階に見切りをつけ、六階に向かった。



「なんか、さっきまでと違うね」
 ミアが怯えるように言った。確かに、今まで見てきた階とは、どこか違うのだ。
 暗いのは今までと同じだ。床の材質も、壁の色も。冷たい空気。弧を描く廊下。光を吸い込む暗闇。そこにあるのはそれだけだ。
 決定的に違うのは、そこに扉が無いという、その一点だけ。地下六階には、部屋が無かった。正確には、扉が見当たらない。
 今までは、扉と、それにプレートがあった。プレートに書かれた文字は、変わらない視界の中の唯一の違い。規則正しく並んだ、ほんの少しの変化。
 ここでは、景色に何の変化もない。もたらされる情報量に起伏がなく、注目できるものが無い。それは高速道路の中央線のように、奇妙なリズムを僕らに与える。
 僕はまだいい。僕の視界には皆がいる。先頭を行くマーのその感覚たるや……先頭は、マーでなければ勤まらないだろう。いいさ、罰ゲーム代わりだ。
「ここは……何があるのかな」
 その問いに答えるものはいない。そんなことは誰にもわからない。
「帰ったらさー」
 先頭のマーが、首だけで振り向いた。
「海、行きたくね?」
「ああ、いいね」
 それも、海水浴場なんかじゃない。どこかの無人島か、プライベートビーチのような……誰もいない場所がいい。
「メイ、島がなかったっけ?」
「んー? あるよー」
 メイは金持ちだ。メイの両親が、ではない。メイ自身が様々な資産を持っている。物件、貴金属、美術品、それに金。今はそれらが全てメイ自身の資産だ。
 メイの親は、褒められたものではない手段で金儲けをしていた。色々あってメイの親は失踪し、それら資産の全ては、娘であるメイの物になった。僕ら全員が働かなくても一生遊んで暮らせるだけの金を、メイは持っていた。そしてその遺産は、ほとんど僕らの共用財産だった。
 メイの資産の中にはリゾート地も含まれる。たしかあったような気がした程度だったが、あるというのなら利用しない手はない。
「ちっちゃい島だけどねー、キレイで可愛いとこだよー。お魚さんもいっぱいいて、海ひとりじめー」
 僕の顔を見上げ、にへらと笑う。
「そっか。じゃあ、そこに行こう」
 僕らはあれこれと、海でなにをしたいか語った。少なくとも気を紛らわすことには成功した。
 どのくらい歩いただろうか。同じ景色ばかりで、時間の感覚が薄かった。
「あ……」
 僕らは廊下の終点を見付けた。
「扉だ……」
 廊下はそこで終わっていて、一つの扉があった。扉は今まで見たものと違い、両開きで、パネルが取り付けられている。
「開く?」
「いや……ロックされてんな」
 マーが扉に手を掛けたが、びくともしない。
「あちゃあ、電子ロックかあ。マチ、開けられる?」
「無理、かな。ソケットが、ない」
 パネルは壁に埋め込まれていて、表面が露出している。そこにはテンキーがあるだけで、リーダーのようなものはない。暗証番号を打ち込むタイプなのだろう。これでは通電させることもできない。
「行き止まりか……」
 ここを開けるのは無理だろう。電子ロックは電気がないと動かない。バッテリーパックで通電させるのも不可能。となれば、どうしようも無かった。
「はあ、つまんね」
「はは、まあそれなりに楽しめたじゃないか。なんかダンジョンみたいでさ」
 その最後が行き止まりで、なんの宝もないのは興ざめだけど。いや、宝箱はあっても、それを開ける鍵が無いというべきか。
「しょうがない……じゃあ、戻ろうか」
 僕は踵を返した。他の皆も続く。
「んー……」
「ほら、行くよ」
 振り向くと、マーが腕組みしてパネルを睨んでいた。
「どっかになんかないのか?」
「電源が死んでるんだ。無理だよ」
「ふむ」
 マーは出鱈目にパネルをいじっていた。
 元来た道のりを歩き始めようとした、その瞬間。
 ピッ――。
 電子音。聞き慣れた、文明の音。
 見回す。誰もデバイス類を取り出してはいない。顔を見合わせる。聞き間違いではない。皆の顔に驚きが浮かんでいた。
 振り返る。
「…………」
 マーが僕らに振り向き、口を半開きにし、パネルに指を掛けた姿勢で固まっていた。
「は? 今の……」
 がこんと――音がして
 扉が――
 金属の擦れ合う音――
 ひどく耳障りで、大袈裟な音。
 ギギギと鳴った。それから、どしん。
 何かに当たるようにして――止まる。
 扉が……開いた。
 僕らは呼吸を忘れていた。
 スウッと、誰かが息をする。呼応するように、マチが呟く。
「そんな……」
 まん丸く見開かれた大きな瞳で扉を見詰め、
「どうして……」
 聞いたこともないような、感嘆を漏らす。
 明かりが、中から洩れていた。
「んな、馬鹿な……」
 マーの呟きが、そのまま僕らの代弁だった。
 有り得ない。どうして、何故。
 電気が……通っているんだ!?
 薄ぼんやりとした淡い光。懐中電灯の無粋な強い光とは違う、柔らかい光。
 扉の中に、それはあった。
「キレイ……」
 ミアは呟く。僕はハッと我に返った。
「みんな……みんな!」
 ビクリと身をすくませ、顔を見合わせる。
「マー、何したの?」
「なんもしてねえよ。適当にパネルを押したら」
「だろうね」
 マーにどうこうできることじゃない。ただの確認。
「マチ、言ってたよね。非常電源くらいはあるはずだって」
「うん……でも、あくまで非常、だよ。自家発電装置くらいは、あるかもって」
 三十年間、発電を続ける装置……いや、マーがパネルを触ったことで起動したのか?
「……ちょっとマー、何してるの!」
「はあ? い、いや」
 マーが扉をくぐり、中に入り込もうとしていた。
「とにかく、入ってみようぜ」
 マーに促され、僕らも続く。
「はあ……」
 思わず、溜め息が漏れた。
 そこは、狭い空間だった。緑と青を混ぜたような、淡い光に照らされた、伽藍堂。何もない。ただ一つ、その光源を除いては。
「なに、あれ」
 ミアが光源を指差す。広い空間にただ一つ、ぽつんと置かれた、光を発する大きな円柱。それに付随するように、真っ黒で小さな箱がある。
「なんなんだよ……」
 僕らは円柱に近付く。近付くにつれ、その様子が見えてくる。
「え……」
「ひっ」
 ミアが僕の腕にしがみつく。ミアを宥めることも忘れ、僕はそれに見入った。いや……僕はそれに魅入られた。
 ガラス張りの円柱。ガラスの中は水で満たされている。そしてその中には――
 一人の人間が、
 眠るように――
 微動だにせず――
 手足をたゆたわせ――
 浮かんで、いた。

       

表紙

十ノ青日 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha