Neetel Inside ニートノベル
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 全て人間は、神の操る駒である。
 運動も、勉強も、恋愛も。神々の意志によって、その通りに動かされているに過ぎない。もっとも人間にも感情はあり、まるで自分で考えて行動しているかのような錯覚はある。たとえば清水勝利の場合、彼は中学在学時に野球とジャニーズとの二択を迫られ、悩んだ末に野球を選んだが、それはプレイヤーである串玉神が野球を選んだからであって、清水勝利はまるで自分の意志で野球を選んだかのような気になっているだけである。何か嬉しいことがあれば喜ぶし、悲しいことがあれば悲しむ。行動の選択権が全てプレイヤーにあるだけで、感情は人間にも備わっている。
 プレイヤーである神々の目的は、“最高の人間”を造ること。
 人間は、死ぬとそれまで生きた人生の『+ポイント』と『-ポイント』を計算され、プラスのパーセンテージがマイナスのパーセンテージをより上回ることが良い人生だとされている。ちなみに清水勝利は超破格のステータスを誇りそれ相応の人生を生きたが、未成年で死んだために評価が下がった。早死には評価が下がるのだ。もし彼が早死にによる低評価を受けなかったらと仮定すると、その場合+90%はゆうに越えただろう。(専門家談)
 もっとも、誰しも“人生の絶頂”を過ぎると苦労が大きくなるため、天寿を全うした上でこれほどの+ポイントを維持するのは難しいのだが。
 そして、『+100%の人生』。それこそが最高の人間であり、神が目指す目標とされている。とは言え、どんな人間だろうと-ポイントが全く無いということはあり得ないのだが、プラス:マイナスが99:1の割合を超えると+100%と定義される。ちなみに過去に+100%が達成されたことはない。
 人生ゲームと比喩したが、別に遊びでこんなことをしているわけではなく、これが神の仕事なのである。天候を操ったり災害を引き起こしたり、そんなことは本当に自然のあるがままにしているだけであって、神が関与することはない。より良い人間を造り、その人生を共にする。死んだ際に+が-を上回っていればそれが自分の功績となるし、逆に-が+を上回っていればペナルティとなる。
 肝心なことだが、神の体感時間は恐ろしく早い。

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