Neetel Inside 文芸新都
表紙

かくも遅咲き短篇集
停車時間/黒兎玖乃

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     ▽

 電車に乗っていると不思議に思うことがある。ターミナル・ステーション、いわゆる終点までたどり着いてしまった電車は、そのあと一体何処へ行くのだろうか。
 そう言った旨を鉄道会社へ赤裸々に告白したら、回送列車として車庫に戻る的なことを言われた。青年の昔からの疑問は三秒で解決した。
「君は昔から、そういう意味の解らない無駄に面倒くさい無駄な疑問を浮かべてきたの?」
「さりげなく過去の僕が罵倒されているのは、気のせいかな」
「私が罵倒したいのは、むしろ今の君」
 隣席に座る彼女は、指先についたスナックの粉を僕のジーンズに飛ばす。
「せっかく二人きりで旅行に来てるって言うのに、まったく外の風景ばかり見てデリカシーの欠片もない。君は観光に来てるの? それとも私と旅行に来てるの?」
「君と観光旅行に来てる、と言えばいいかな」
 そう言うと、彼女は両頬を膨らませてそっぽを向く。手元にはいつも持っているお気に入りの分厚い装丁の本。窓側に座っている僕は半赤色の山と田園風景を見やりながら、来る秋の情景に溜息を漏らす。というのはもちろん嘘だ。日めくりカレンダーだってあと三〇枚強しか残っていない。
「溜め息なんか吐いて。私と一緒にいて楽しくないの?」
「ここで楽しくないなんて言ったら、君は一体どんな顔をするだろうね」
 そう言うと以下略。
 彼女は理系で、僕は文系。数学の好きな彼女は、明確な答えがないと途端に不機嫌になる。かくいう僕は、結果の解りきったものは嫌いな性分。彼女は友人からも「典型的な理系」と言われ、僕は「その嫌味ったらしい言葉が文系」と言われる。後者の根拠は知らない。ともあれ、簡単に言うとここには必要十分条件が確定している。
 そしてここで焦点とされるのは、「典型的な文系と理系は、相性が良いのか否か」「その両者の間に、幸福は訪れるのか否か」。
 今のところ、命題の答えは真である。こうやって膝の上にスナックのカスが降り注いでくるうちは、まだまだ相性も良し、幸福であると言える。少なくとも、僕の主観の上では。
 季節の神様が冬支度を始める頃、僕らは不意に旅行の計画を始めた。目的地は京都。紅葉が見ごろのシーズンに金閣寺銀閣寺そのたもろもろ寺を見物するのはもはや秋の風物詩。そういえば金閣寺をバックになおかつ池の水面に金閣寺がきれいに映っている状態で写真を撮ると、その二人は結ばれるらしい。すっかり忘れてた。
 というのも、今は既に帰りの特急の中。仲睦まじいカップルならば今頃思い出の写真を眺めつつきゃいきゃいしている頃だろう。しかしこの現場にはそれがない。写真は全て僕のデジカメで撮ってしまったからだ。映っているのは風景と主に彼女だけの写真だ。
「最後なんだから、二人で一緒に撮りたかった」
 彼女はその件でいつまでもぐずついていた。件の不機嫌さもその後遺症だろう。
 ここではっきりと告白しておくと、彼女の命はもう長くない。もって今年いっぱいではないかと告げられたらしい。つい二週間ほど前、彼女は泣きじゃくりながら僕に伝えた。病名は知らない。たとえ知っていてもそれがどういう病気なのか、僕にはわからない。ネットで付け焼刃な知識を蓄えたところで、すぐに赤錆になるに違いない。
 だから僕は彼女に、二人で旅行に行こうと持ちかけた。
 彼女が二人で写真を撮らなかったことをいつまでも言及するのは、その所為もある。
 彼女からすればこの旅行は、行って、見て、帰っただけ。僕からすれば、太ももから膝にかけてスナックの積雪が作り上げられている今でさえ、大事な記憶の一つ。
 彼女は結果論、僕は過程論。
 そのあたりまで、僕らは理系文系の現身だった。
「ねえねえ」
 スナックの残りかすを口に流し込みながら、彼女は訊ねる。
「知ってる? 私もうすぐ死ぬんだって」
「ああ、うん。知ってる」
 いてて。そう答えたら耳たぶを横に引っ張られた。
「馬鹿。危機感なさすぎ。私が突然いなくなったらどうするつもりなの?」
「探す。手当たり次第に探す」
「もし探しても見つからなかったら?」
「もし、ってそんな仮定的状況、陥ってみないと分からないじゃないか」
「回りくどい。何かの受け売り?」
「僕の好きな小説の一文だったりしてね」
 いててて。二度目はさらに痛い。
「私はね、自分の生きていた証が作りたいの」
 彼女は遠い場所を見る目で、空想的に語らう。
「私はいつどこで何をどのようにしてその時何を思ったのか。それらすべてを記憶、記録として私自身の生きた証にしたいの。だからこの旅行も二人で写真を撮りたかったのに、君ときたら拒否してばっかり。そんなに私と映るのは嫌?」
「嫌じゃないけど、」
「嫌じゃないけど、何?」
「君の笑顔が好きだから、それをもっと見た」三度目はもっと痛かった。仏の顔も三度までなんて絶対に信じない。
「よくもまあ、そんなベタなセリフがぽんぽんと飛び出してくるもんね」
 彼女は呆れた口調で言う。なんだかんだ言いつつも、頬が微妙に赤らんでいるのは女の子と言ったところか。
「なんだかんだ言いつつも、頬が微妙に赤らんでいるのは女の子と言ったところか……」
 まさか四度目があるとは仏も思わなかっただろう。僕もいつの間にか心中述懐を声に出しているなど思いもしなかった。秋だから、か。いとをかし。耳なし芳一になりそう。
「ほんと馬鹿みたい。君みたいに年中無休で馬鹿みたいなことしか考えない馬鹿だったら、どれだけ楽だったんだろうね」
「いやあ、馬鹿なこと考えるのも楽じゃないよ」
「そういう発言が馬鹿なの。馬鹿なことってのは狙って言えるもんじゃないの。分かる?」
 ぐぬぬ、と発言に困る僕。理系に論破された文系の図。適当なこと言って繕うしかない。
「大好き」
 五度目以下略。彼女は再びそっぽを向いてしまった。その後もしばらく彼女の愚痴乱れ撃ちに付き合わされることになるかと思いきや、疲労が溜まっていたらしい彼女は、そのまま眠りこけてしまった。すかさず気づかれないように彼女の寝顔をデジカメのメモリーに収めて事なきを得る。することがなくなって、僕はまたぼんやりと外を見る。ぶっちゃけると、京都のどこで何を見たのか、何があったのかなんて、いちいち覚えていない。そんなことよりも大事なことなんて、この世界にはいくらでもある。
 しかしいざこうして精神的に一人になると、退屈なものだ。このまま頭と肩の間の空間に彼女の頭を収めてラブラブカップルごっこをするのもいいけれど、律儀な彼女は律儀に目覚めて律儀に六度目のナントカをぶつけるに違いない。御免被りたい。折角だから彼女との馴れ初めを話そうと思う。
 彼女とは半年前、大学の講義室で出会った。以上。
 話したきっかけは、分からない問題を質問したこと。以上。
 告白は出会って一週間で僕からした。以上。
 や、もちろん、彼女との思い出はたくさんある。夏休みには二人で海に行ったし、秋にはこうして京都旅行にも来た。二つしか思い浮かばない時点でたくさんとは言い難いが、出不精の僕と多忙な毎日の彼女では仕方がないのかなと思う。ちなみにまだ童貞。旅行中に彼女に「僕と君の童貞と処女を交換しようよ」とでも言おうと思ったけど、全力で回し蹴られることを想定して心の中へそっとしまったままにしておいた。
 特急が何某の駅に停まる。車両案内のアナウンスを聞いて路線図を広げると、どうやらあと三駅で目的地にたどり着くようだ。まあ、正確に言えば元いた場所に戻っているわけだけど。つまり、彼女とこうしていられるのも、あと幾許か。
 喘息気味の列車が咳をして、息を吸い込む。
 人々を乗せた列車は、魔法を唱えて終着駅に向かって走り出す。
 開かない窓の外側には、少しだけ見覚えのある風景がある。写真は撮ってあるけれど、何を撮ったかまでは覚えていない。記録には残っているけど、記憶には残っていない。この半年僕がせんとしたことは、まさにその逆だ。
 僕はトレンチコートのポケットからウォークマンを取り出し、イヤホンを耳に付ける。
 聴き慣れた明瞭な声と毒のある歌詞が聴覚を打ち鳴らして、僕を誘う。
 終着駅は、まだ遠い。




「ねえねえ、氷点って言葉知ってる?」
「知ってるとも。水が氷に変わっている温度のことだよね」
「論理的に言えばそうなるね」
「論理的って何さ」
「知らない。文系の君の方が知ってるんじゃなくて?」
「まあそれは置いといて、氷点下がどうかしたの?」
「うん、氷点下……則ち水が氷に変わるってことはさ、今まで流動していたものが一切動かなくなっちゃうってこと。分かる?」
「もちろん」
「それってさ、何か悲しくない?」




 秋の夕日と旅の終わりはつるべ落としなんて諺が出来そうなほど、終わりはすぐにやってくる。列車は着実に「僕らの旅の終点」へと向かっている。彼女はまだ本を抱えて瞼を下ろしたままだけど、既に起きているんじゃないかと思ってみたりする。あくまで僕の予想。
 これは恐らく、彼女の人生における最後の旅行に違いない。
 まあ、もしかしたら家族ぐるみでどこかに出かけるかもしれないけど、それは僕の記憶には関係のないことだ。最後の旅行ってなんだか不思議な響きだな、とか詩人ぶる僕は、まだ終わりを信じられずにいる。
 人間じみた電車の声が、今度は良く耳にする駅名を告げる。
「んあ、もしかしたらもう、着いちゃった感じ?」
 僕の予想は当たっていた。彼女はわざとらしく寝ぼけ眼を擦り、大きな欠伸をする。僕も僕とて何も流れていないイヤホンを外し、首と肩を鳴らす。
「そうだね。そろそろ降りる準備でも始めようか」
「ういうい。あー、楽しかった旅行ももう終わりかー」
 楽しかった、と言う言葉を強調して、トラベルバッグを取り出す彼女。旅行の一番さびしい瞬間、というか寂しさが漂う瞬間は、今じゃないかなと思ってみたり。ちょうど、クリスマスパーティーが終わって後片付けをしている母親の背中を見るような心境だ。
「ま、楽しいって思えるほど君に尽くしてもらった記憶はないけどね」
 さりげなくとんでもない毒を吐きつつ、妖艶な笑みで彼女は僕を睨む。
「じゃあ、次は楽しい旅行になるように、努力するよ」
「はいはい、期待してますよっと」
 次があるかどうかは、二人とも問わなかった。
 電車がのそりと歩みを止め、僕らはいつもの地面に足を下ろす。
「さてと、楽しかったかどうか疑問が残る京都旅行にさようなら」
「そこまで徹底的に罵倒しなくてもいいんじゃないかな」
「だったらもっと楽しい所に連れて行ってくれれば良いというハナシ」
「僕のなけなしのバイト代二ヶ月分を返しなさい」
 さよならのベルに別れを告げ、徒歩の帰路に着く。
 鞄の紐をひっかけることもなくがらんどうの改札を抜け、彼女の家に向けて僕らは歩き出す。街路樹は少し遅れて見事な紅葉ぶりを示していて、月並みだけど少しだけ綺麗だなと思った。こんなことを考えている自分が恥ずかしくなる。ふと、垂らしていた左腕に彼女がしがみついた。辺りを見渡すとなるほどカップルが溢れている。僕が腕を組んであげると彼女はぶつくさ言いながらもしっかりと掴まってくれる。
「ねえねえ、今度はさ、箱根にでも行こうよ」
「唐突だね。どうして箱根? 僕の財布をどこまで痛めつける気? 君はどS?」
「生で駅伝見たいの」
「生で駅伝見たいのか」
「まあそれ以前に行きたい場所はたくさんあるけどね。雪が降ったらスキーでしょ、クリスマスにはイルミネーションのある駅前でしょ、あとそれと」
「問題です。上は大火事、下は大火事、さあなんだ」
「君の家計」
「大正解。少しは考慮してあげて」
「そんなの関係ないの」
「そんなの関係ないのか」
 この子が一体どういう教育を受けたのか気になる日々です。
「それはそうとさ」
 彼女は吐息で両手を温めながら、擦り合わせる。
「次に会う日とか決めておこうよ。いつ何が起こるか分からないから」
「いきなり言われてもなあ。僕にも緊急の予定というものが」
「明確に会う日がわかっていないと私は不安なの。君の文系脳と一緒にしないで馬鹿文系クソ文系の分からず屋」
 とりあえず僕以外の文系に謝りなさい。
「そうだね……それじゃあ、十二月十五日でいいかな。多分その日は暇だ」
「あれ、毎日暇とばかり思ってた」
「失礼な。漫画とかゲームとか小説とか、やらねばならない事はいくらでもある」
「娯楽に絶対的必要性はないと思うけど」
 こうしてくだらない掛け合いを続けていく間にも、終わりは近づいてくる。
 だけど、「終わり」はまだまだ遠い。




「悲しい? ……うーん、僕は良く分からないかな」
「そうかなあ。だって今まで盛んだったものが、急に止まっちゃうんだよ」
「理解はできるけど、例えを出してくれないと、実感がわかない感じ」
「私例えとかできないから分からない、文系頭の君の方がわかるんじゃないの?」
「僕も分からないから訊いてるんじゃないか」
「えー? うーん、そうだなあ………………電車とかは?」
「電車?」
「そう。電車って走ってるときはすごい躍動感に満ちてるけど、停車するとただの鉄の模型じゃない? そんな感じ」
「また豪快な例えを出したね」
「うるさいなー。思いつかないからしょうがないじゃんかー」
「でも、それを聞いて僕も一つ例えが浮かんだ気がするよ」
「なになに? 聞かせて聞かせて」
「でも教えない」
「何それ。君って本当に空気の読めない文系だね」

 君の前で、軽々しく「命」なんて。




「いきなり訪ねてくるなんて珍しい。連絡くれればお菓子とか用意したのに」
「病人はそこまで世話焼かなくても大丈夫だよ」
 一週間後、僕は彼女のいるホスピスを訪問した。ボランティア経験もあり、以前も彼女を訊ねたことは何回かあるので、院長さんとは兼ねてからの顔見知りだ。僕を見つけるなり、院長先生は笑顔を駆け寄って彼女の部屋に案内してくれた。
 ホスピスっていうのは簡単に言えば「終末治療」を行う場所を指す。機械的に言えば、もう行先のない人たちのために作られた施設。やわらかく言えば楽しい場所を指す。病院とはまた違った空気で、先生も患者もその家族も、みんな笑顔に満ち溢れている。ここのホスピスの目的が「その瞬間まで、最大の幸福を」だから、当然っちゃ当然かもしれない。
 彼女の部屋は全体的にピンクで構成されていて、ここに来るたびにそういえば彼女の好きな色はピンクだったと思い出す。僕は手土産に彼女の好きなケーキ屋のシュークリームをテーブルの上に置き、そこらの椅子に腰かける。
「で、今日は何か目的があって来たの?」
「いいや。目的もなしにとりあえず会いに来るのはいつものことじゃないか」
「まあ、それはそうなんだけど」
 彼女は少しはだけた薄水色の患者服を調えると、嬉しそうな笑顔で外の風景を見る。
「雪、降ってるね。スキー行きたかったなあ」
「今日は外出はできなかったの? 初雪だったから、良かったら誘おうと思ってたんだけど」
「残念、今日は安静日なのです。ってか珍しいね、君がそんなこと言うの」
「僕だってたまには気を利かせたりするさ」
 会話の通り、本日は初雪にして三センチの積雪。この地方にしては珍しい限りの大雪だ。窓から見える中庭では、同じような服を着た子どもたちが雪合戦を敢行している。雪のバリケードを作っている子もいる。でも早々に蹴り壊されてる。でも中に石のトラップがあったらしく、蹴った子は爪先を抱えて飛び跳ねてる。子どもながら策士だなあ。
 僕はふと、こうした風景を眺めながら、遊びたくても自分は動けないという立場の彼女は、相当つらいんだなあとか考えてみる。でも多分問題ないと思う。
「でも、寒いの苦手だし、いいや」
 やっぱり。
「ほら、先生は早く出て行っちゃって。せっかく二人水入らずなんだから」
「はいはい。それじゃ、後は頼んだよ」
 半ば強制的に追い出される先生。まあ僕が彼女の立場であってもそうしたかな。
 まあとりあえず、一週間ぶりに二人きりに慣れた僕ら。実は彼女、携帯を持っていないのでメールでの連絡が出来ない。なのでホスピスを通じての連絡しかないのだけれど、面倒なのでいつもドッキリでやってくる。ユーモラスな院長先生であるからゆえの行動である。
「で、渡したいものって一体なんだったの?」
「わたしたいもの? ……えーっと、そんなのあったっけ?」
「忘れたとは言わせないぞ。この間の旅行でここまで送った時、『渡したいものがあるからまた今度来てね』って言ったのは誰だったかな」
「あーそうかそうか! ごめん忘れてたー」
 ちょうど一週間前のあの日、ホスピスの前まで送ったときに彼女はそう言った。自分が言ったことさえ忘れているなんて、確かにもう、初日の出を一緒に拝むのは難しそうだ。
「はい! これ君にあげる!」
 そういって彼女が手にしたのは、いつも肌身離さず持っていた、分厚い装丁の本。まさかそれを差し出されるとは夢にも思っていなかったので、僕は少しだけ心が揺れた。
「これって……いつも大事に抱えてた本じゃないか。僕なんかに渡していいの?」
「うん、君には絶対読んでほしかったから。大丈夫! 私はもう全部読んでしまったから」
 へえ、と僕が感心して中を開こうとすると、彼女は慌ててその手を止めた。
「だめ! ここで読んだらだめ! 家に帰ってから読んでね」
「どうして? 文系頭の僕としては、早速読んでしまいたい心境なんだけど」
「だからなの! 家に帰って、ゆっくり読んでほしいから……」
 彼女がそう、少しだけ悲しそうな表情で言ったので、僕は何も言わずに本を閉じて鞄に仕舞った。彼女がこんな表情をするのはよっぽど大きな理由があるときなので、無駄に弁を垂れず素直に従っておいた方が僕にとってもきっと都合が良い。
「よーし、それじゃあ今日もあれやるよ! あれ!」
 と僕が考えていた矢先、二秒後には彼女の顔から悲しみの色は逃げていた。返せ。僕の思いやりの心を返せ。
「あれ、って何? モン○ン?」
「そう、○ンハン! 今日こそあのでかい恐竜を狩ってみせるんだから!」
「待て待て、そこにモザイク入れてもまるで意味がない」
「モザイク? 何の話?」
「ちょっとメタな話だよ。それよりも早く狩りに行こうか」
「よしきた!」
 ちなみにホスピスでモンハ○をするのは僕らだけらしい。そりゃそうだ。
 結局その日は、三時間ほど狩りにつき合わされた。帰り際、また狩りに行こうと約束した。
 終着駅は、




「ねえねえ」
「なんだい」
「死後の世界って、存在すると思う?」
「そんなの死んでみないと分からないよ」
「それじゃあ大体で良いから」
「そんないきなり言われてもなあ。うーん、存在してると思う」
「どうして?」
「心霊写真とかあるわけだし」
「ああ、なるほどね」
「でも、どうして突然死後の世界だなんて?」
「自分が逝く前に調べておくのは当然」
「縁起でもないことを言うんじゃありません」
「ごめんごめん、行く前だったね」
「いやあんまり意味は変わらないけどね」
「まあでも、決まってることだからいいじゃない。私、そういう確定事項は好き」
「そうなんだ。僕はあんまり好きじゃないかな」
「どうして?」
「まだ、希望が見えてる方がいい。出来るならまだ君と一緒に過ごしたい」
「はあ、こんな時だけそんなベタベタなセリフはいて。普段からそれだけロマンチストだったらどれだけ幸せだったことか。まあ扱いに困るけど」
「でも、終わりは曖昧な方がいいんじゃないかな」
「どうして? いつ終わるか分からないなんて不安じゃない? それこそこの間話した氷点下みたいに、零度を下回ったら凍ってしまうみたいな明確な方がいいと思うの。その方が、残された時間を有効に使えると思うし」
「うーん、そう言うんだったら、その方がいいのかなあ」
「でも、君が『終わりは曖昧な方がいい』って思うのなら、それでもいいかもね」
「どっちだよ」
「どっちでもいいの」
「どっちでもいいのか」




 君は嘘をつかなかった。




 帰りの電車を待っている最中。

 君が息を引き取ったとの、報せを受けた。

 僕はその日、初めて終電を見過ごした。

 言葉が言葉にならなかった。気が付けばまぶたの裏には滴が溜まっていて、脳裏で彼女の声が流れると同時に堤防が決壊したように滂沱の涙が溢れ出し、年甲斐もなく僕が声を上げて咽び泣いた。辛うじて釣り合っていた何かが、ぐちゃぐちゃに踏み潰された。いずれ来ると分かっていたとしても、その予兆も何もないまま、彼女との「終わり」を迎えてしまったことに気付き、激しい自責の念に襲われた。夜と僕に厚い間隙が出来た。全ての音声が遮断され、無音の世界に一人取り残された。内臓までもが泣き叫ぶように体が重く、嘔吐感に駆られて口を開いたが、そこからは湿った咳と唾液が糸を引いてつう、と垂れ落ちていくだけだった。
 終わるってなんだろう。
 終わるってどういうことなんだろう。
 君は言った。
 終わりは明確な方がいいと。
 僕は言った。
 終わりは曖昧な方がいいと。
 君の心臓の「終わり」を――――「零度」を、知りたくは、なかった。
 君の終わりを指折り数えるのは、嫌だった。
 曖昧なままで、いたかった。
 でも君は、終わりを知って、むしろ嬉しそうだった。
 無垢な子供のように、指折り数えていそうだった。
 あそこで僕が「命」と答えていても、君はきっと納得していた。
 「終わり」が分かっているから。
 終わりが明確であればいいと謳った君は、終わりを知っていた。
 終わりが曖昧であってくれと謳った僕は、終わりを知らなかった。
 君の心臓は氷点下へ行き、止まってしまった。
 君はどうして、終わりを知って、嬉しそうにしていたのか。
 どうしてそれを僕に隠したまま、その日を迎えたのか。
 分かりそうもない答えを、僕は真っ暗なホームの上で、枯れた頭で考えた。

 すぐ近くに、「答え」を抱えたまま。




「ねえねえ」
「なんだい」
「私がいなくなったら、探してくれるんだよね?」
「当り前さ、いまさら何を言っているんだ」
「それで、見つからなかったらどうするか、聞いてなかった」
「だからそんな仮定的状況は……」
「それはもう聞き飽きたの。答えを教えて」
「……………………ぬぅ」
「私を探しても見つからなかった。さあどうする」
「……………………それでも探すよ」
「え?」
「探し続ける。君のいる場所を求めて、探し続ける」
「……でも、どうやって?」
「道標さ。君の残した道標を頼りに探し続ける。道標があるかどうかも分からないけどね」
「ふーん………………なーるほど」
「どうしたんだい? 急に考え込んじゃって」
「ううん、なんでもない」




   ▽

 十二月十五日土曜日。
 売店で新聞を買うサラリーマンや、やいのやいの騒ぐ小学生を横目に、今日も今日とて僕は駅のホームに立ち、朝の電車を待つ。
 まだ十分前だというのに停車予定場所には長蛇の列がズラリ。土曜日なのに電車の酸素は今日も多い。田舎のくせに中途半端に人口が多いからこうなる。もう少し電車は増やしてほしい。一時間に二本は少なすぎる。
 その後も無表情で地元の電車に対する愚痴を百二十六個ほど脳内で呟いたところで、ようやく電車が甲高い声をあげながらやって来た。始発は座れるから楽だ、なんて余裕ぶっこいていると座れないことが多々ある。今日はドアが開くと同時に中に滑り込み、すぐさま座席横のポールを掴み、遠心力でほぼ一回転してどや顔で着席をキメる。行動が変態すぎるせいか誰も僕の隣の席には座らない。
「すみません、ちょっと隣良いですか?」
 しかし今日ばかりはさすがに人が多いのか、日本人形のようないでたちをした女子高生が隣に座った。後ろで結わっている日本の長髪が、まだ一週間程度しか経っていないにもかかわらずなんとなく懐かしい姿を想起させる。
 おっと、いけない。他人の風貌で彼女を思い出してしまうなんてとんでもない。彼女に対するなんやらが薄い証拠だ。精進しよう。煩悩撲滅。
 でもせっかくだからこの女子高生とはお近づきになっておこう。
「どうぞ。土曜日なのに今日は学校なんですか?」
「ありがとうございます。いえ、今日は少し用事がありまして……」
「用事?」
 学校に行かないのに制服を着て用事とは、一体何なんだろう。気になる。
「はい。実は行方不明の家族を探しに行くんです」
「なんとまあ……。それは大変ですね。ささやかですが、頑張ってください」
 あれ、なんか日本語間違った気がする。
「重ね重ねありがとうございます。全く人騒がせな姉で……」
 僕はその人騒がせな姉とやらに軽く憤慨した。端正な女子高生でさえも手を焼く家族だなんて、全くその顔が見てみたいものだ。……全く。
 閑話休題。かくいう僕も土曜日に講義はないくせに、なぜ電車に乗っているのか。彼女がいるはずのホスピスにはもう彼女はいないので、出不精の僕が外出する理由は特にない。願わくば家でゴロゴロしてゲームでもやりたい。
 それではなぜ、こうして今列車に揺られているのか。
 答えは全て、今膝の上に置いている“一冊の本”に記されている。
 僕は一呼吸すると、ゆっくりとした手つきでしおりが挟まれたページを開く。
 そこに書かれている言葉を、黙読する。
 僕の声に合わせて、彼女がしゃべっているような気がする。

『十二月十五日。晴天。今日は二人で福岡へ遊びに行く――――』

「相変わらず無茶な要求をなさる」
 僕はほくそ笑んで、本を閉じる。その場は笑ってごまかしたが、後から普通電車で福岡まで行くには莫大な時間と費用がかかるということに気付き僕は愕然とした。それでも仕方ないか、と笑って本を鞄に仕舞う。
 止まってしまったから、終わってしまうわけじゃない。
 君の心臓が「氷点下」へ逃げてしまったのならば、僕はそれを追い求める。
 停まってしまった電車だって、再び動き出す。
 彼女にとって死とは終わりではなく、新たな始まりのための停車時間に過ぎなかった。
 誰かが「死とは人生の完成である」と謳ったが、僕らにとって死とは終わりでも、完成でもない。
 また新しい、一つの「始まり」だ。
 今までの僕らが過ごした時間は、僕の中で「記憶」になった。

 そして死というささやかな停車の後、再び僕らの旅が始まる。

 これからの「僕ら」が過ごす時間は、君の中で「記録」になった。
 そしてこれから、僕の中で記憶になる。
 終着駅は、まだ、見えない。


     

構想にかかった時間……三分
執筆にかかった時間……三日
推敲にかかった時間……一週間
書き直すか悩んだ時間……一週間
カレーを食べた回数……七回
遅筆じゃないと思った回数……十三回
でも毎日書けないからその時速くても結果的に遅筆じゃんと思った回数……十三回
CoDやった回数……二回
マッギョさんが死んだ回数……八回

       

表紙

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Neetsha