瞳を閉じると、そこには青い格子が無限に広がっていた。
そこには一人の青年が立っていた。
背は高く金髪で碧眼のヨーロッパ系の顔立ちの青年だ。
量子世界、とそこは呼ばれている。
高度に発達したネットワーク技術によって構成された、
彼らのもう一つの故郷。
その青年はある場所にハッキングを仕掛けようとしていた。
「ICEピック、起動」
先ほど、依頼されたことを頭の中で確認しつつ呟いた。
ICEとは、いわば量子世界での境界線。
敵を入れないための防壁。
そしてICEピックとは防壁に孔を開けるためのソフトウェア。
「これまた安っぽい防壁だ」
空に表示された、ICEの構成図を見て、
また同じく空に表示されたキーボードを叩き、穴を開けようと試みる。
余談だが彼のキーボードはなぜかQWERTZ配列だ。
せわしなく彼は瞳を動かす。
昔の人間が見たら不審者だと思うだろう。
「よし、開いた」
そして彼の瞳に様々な文字が表示される。
その中から彼は一つのソフトウェアを起動させた。
「接続」
彼は呟いた。
瞳には接続を意味する文字が投影されていた。
プログラムが正常に実行されると、彼は別の世界にいた。
そこは書庫の風景を与えられた空間だった。
本来、量子世界には何らかの形で視覚的データを与えられるのである。
そして、ここはとある企業のデータバンク。
故に書庫の形を与えられたのだ。
「走査プログラム起動」
次は実行の文字が表示された。
このプログラムによって、この書庫の空間内に誰もいないかなどを調べているのだ。
「監視は無しっと」
そうつぶやくと彼は目的のデータを探しだした。
彼にとってこの程度の仕事は日常的なものであり、
寝ていても出来る作業だった。
「見つけた。これだな」
そのデータは当然ながら本の形をしていた。
本といってもあまり分厚いものではない。
表紙には、"次世代型機士X-0”と書かれていた。
機士とは現実世界、量子世界双方に使用される人型の兵器だ。
「設計図か何かか。
複製開始」
彼がつぶやくと、本は青い文字の塊になった。
その文字の塊は5m程ある天井から床につくほどだった。
視界の右端に進行度を表すバーが出ている。
そのバーは今70%を示していた。
文字の塊としてみてみると膨大な量に思えたが、
データとしては大した大きさでは無いようで、あっけなく複製が終了してしまった。
「お仕事終わりだな。
切断」
そう命令すると、彼は青い格子の世界に戻っていた。
この格子の世界には何故形がないかというと、彼が何も無いのを望んでいたからだった。
ここは彼の私有量子世界。
全てがこの青い格子の世界では彼の意のままなのだ。
そして彼は瞳を閉じた。
再び瞳を開く彼。
薄汚い自室が彼の視界に飛び込んできた。
コンソールに横になっていた彼は起き上がり、
冷蔵庫に飲み物を取りに向かった。
床には鉛でコーティングされた違法なソフトウェアのパッケージや、
機械のパーツ、銃などが転がっていた。
物を踏まないよう慎重に冷蔵庫にたどり着き、
彼は水を取り出した。
ペットボトルの蓋を開け、中身を勢い良く飲み干す。
はぁ、と一息つくと彼は視界の端にツールバーを呼び出し、
通話プログラムを起動した。
「私です、ブラウです。
無事データを入手しました。
今すぐお渡しできますがどうしますか?」
彼は先ほどの仕事を依頼した相手に通話をしているのだ。
「わかった。
今直ぐそちらに行く」
そこで通話は終わりブラウは小さな記憶装置を、
首にある共通規格であるジャックに接続した。
先ほどのデータを記憶装置に転送し、それを首から外した。
家のチャイムが鳴り響き、彼を呼び出した。
そして彼は玄関まで行き、扉を開いた。
そこにはえらくガタイのいい男性が立っていた。
とても精悍な顔立ちで、黒いサングラスをかけている。
「流石千葉市で一番の腕利き。
まさか、頼んだ日に仕事を終えてくれるとは思わなかったよ」
と、依頼主は言った。
「これぐらいやらないと他の同業者と差をつけられませんから」
ブラウは笑顔でそう答えた。
「とてもいい心がけだ。
これで私も安心できる」
依頼主もまた微笑んだ。
大きな破裂音がしたかと思うと、ブラウは胸に大きな痛みを覚えていた。
依頼主に銃で撃たれていたのだ。
「お前何を!」
撃たれた場所を押さえ、彼は叫んだ。
周りには透明な人工血液が飛び散っていた。
「君には悪いが、私がしたことがバレてはマズイんでね。
騙して悪いが、君には死んでもらうよ」
そして依頼主は銃をブラウの頭目掛け何発も撃ち込んだ。
そして依頼主は彼の家の扉を閉め、立ち去った。