Neetel Inside 文芸新都
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文芸クリスマス企画~あんち☆くりすます~
無題/カフェオレ

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「先輩はクリスマスとかってどっか行くんですか?」

クリスマスを三日後に控えた日の終業後、僕は机の下で握り締めた掌にじんわりと滲んでくる汗を感じていた。会話の途中で自然にねじ込んだはずのその言葉で空気が固まる。言った次の瞬間、僕は後悔していた。

彼女は小柄な人、黒髪がよく似合う可愛いらしい人だった。真面目だけど面白い人で僕が人を好きになったのは久しぶりだった。人と接する時にこんなに余裕の無い自分を感じるのも久しぶりで、クリスマスを一週間前に控えた休み明けに髪を切ってきた彼女を見た時、僕はもう自分に嘘を付けなくなっていた。僕の心は本当にまた人を好きになったんだ。

「…特に無いけど、何?どっか連れて行ってくれるとか?」

少し驚いたような様子で僕の方を見て、その後に冗談ぽく笑いながらそう言う彼女、僕は握り締めていた左手に力を込めて言葉を続けた。

――僕は自分が決めた道を踏み外し始めていた。



4年前に僕は大学卒業後に入った会社を辞めて無職になった。それから1年間仕事もせずに過ごした。そして2年前、僕は今の会社に入職した。彼女はそこの上司だった。いつも笑顔、というわけじゃないけど常に人に気遣っているような人だった。上品な様子でいたかと思うと、食事中に噴出しそうになるような突拍子の無い事を言ったりもする人だった。だけど僕にとって彼女はずっとただの上司で、無難な人間関係を維持してきていた。

だけど入社してから数ヶ月が経ったある日、ある失敗をした僕に彼女は言った。

「もっと人に興味を持ちなさい」

僕はその時した失敗の内容がどんなものだったのか覚えていない。それくらいに失敗の内容とは関係が無く、突然で意味が分からなかった。諭すように言う彼女の顔を見て僕はどうしていいか分からなくなったのを覚えている。何でだろう、その時僕は彼女の言葉を聞いていて自分がとても小さく惨めで弱いものに感じられた。



僕と話す間、彼女はずっと僕の目を見ていた。その目は僕の浅い考えを見透かしているようで僕は恐ろしかった。自分の生き方を批判されてるのが分かった。

「興味は持ってるんですけど…すみません」



僕はその日から少しだけ彼女の事を苦手に感じるようになった。僕の本性に気づかれてしまったような感じがしてどう接すればいいのか分からなかった。対する彼女はいつも変わらず真面目に仕事をして、人に指示を出し、会議に出て、そして面白い事を言ってみんなを笑顔にさせていた。僕にもアドバイスをくれたり、冗談を言ってくれたりした。僕は彼女と接するときだけ少しぎこちなさが残った。浅知恵であっても、必死にようやく得た自分なりの答えを彼女に否定されて不安定になっていた。



彼女が言うように僕は人に特別の興味が無かった。持たないようにしていた。それは再就職時に僕が決めたルールだった。今度こそ、うまくやろう。人当たりのいい人間になろうと思った。人に優しくできるようになろうと思っていた。そのためには過度に人と繋がらないようにしよう。自分勝手な本音を零さない様にしよう。誰に対しても笑顔で返して僕は皆の事好きですよ、と俯瞰でいること。そうやっていれば誰にも迷惑をかけずにすむと思っていた。同じ目線で相手を見ればたちまち生の感情が湧いてきて好きだの嫌いだのと自分を管理できなくなる。もうそれは嫌だった。



俺は彼女の事は好きじゃない。年上だし、そもそもタイプじゃない。もう少し胸がある人の方が好きだ。彼女は真面目すぎるし、会社の上司を好きになるとか嫌だ。社内恋愛の話は酒の場で嫌というほど聞かされるし、自分が同僚の噂話のネタにされるのは嫌だ。というか俺なんて普通に振られる。振られる?違う、そもそも好きじゃない。僕はそれから色々と考えてしまっていた。子供のように妄想で彼女に酷い事をして自分を失望させようとしたりと色々とやってみた。だけどそれらの行為は全て余計に彼女への思いを募らせる結果となり僕は頭を抱えた。僕は彼女の事を他と同列には見れなくなっていた。職場で話したり、飲み会で彼女と話しているうちに僕の興味は彼女に集中していった。好きになっていたんだ。



「…くん?」

名前を呼ばれて僕は焦る。彼女が僕を見ていた。そうだ、僕は確かに興味を持った。あの時言われた事が正しいのか、正しくないのかも十分に考えないままに人を好きになった。一緒に仕事をして、冗談を言って、慣れないメールを頑張り、飲み会で話して、カラオケで歌って、結局…何も特別な事はできてない。もっとうまくやれたのかもしれない。普通の人がしているように、外堀からゆっくりと埋めていくように上手く。



「…何も無いなら仕事終わった後にごはんでも行きません?」

言った。僕の言葉に彼女が少し困ったような顔をしている。その後で彼女は少し笑った。どっちだよこの野郎。心臓がバクバク言ってる。俺、どうなっちゃうんだ。自分の意思の可否を全部、相手に委ねてしまった。この後、僕の生き方に踏み込んできてくれて、ありがとうって彼女に思えるようになるのか。それともやっぱり俺の人生はクソだと後悔するのか。すぐに答えが出る。結果が全てなのかもしれない。机の上の未処理の書類が目に入る、僕は…

―彼女の口が動く。



雪だ…

彼女の綺麗な黒髪の向こう側、窓の外で雪が舞っていた。



僕はその日、走って帰った。バスも使わずにスーツ姿のままで。途中で転びそうになって。寒さで鼻の感覚が無くなっても止まれなかった。

僕はまた人を好きになった、好きになれた。それがどうしようもなく嬉しくて。

       

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