Neetel Inside ニートノベル
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バトルフィールド・オブ・トイレット
泉沢と小便器

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 入社3年目の泉沢は、毎日、事務所直近の男子トイレ奥の小便器で小便を済ますのが日課となっていた。特別に意識してそうしてはいない。精々、壁際が何となくだけど落ち着く、程度の理由だった。
 泉沢が、その壁際の小便器が明らかに異状を来しているとはっきり認識出来たのは、ちょうど先週くらいからだった。
 元々、だいぶん前から水の流れが幾分悪くなってきたようには感じられていた。しかし今の詰まり具合は幾分どころではなく、ボタンを押して小便を流すと、小便器から危うく水が溢れ出しそうになるくらいまでに"抜け"が悪くなっていた。毛でも詰まっているのかと思い、掃除業者の掃除の仕方が怪しいぞと睨みを利かせたが、泉沢がその目で確認した限りでは、小便器の蓋もきちんと外して掃除しているようで、そんなに酷くはないなあと、掃除業者に心のなかで軽く詫びを入れた。
 とすると、パイプか。
 泉沢は備品の購入と管理を担当する係だったので、自ら選び経費で購入した薬剤を使って排水管に向かって注ぎ込んだ。硫酸が主成分のとびきり強力な薬剤だったので、泉沢は『本日使用禁止』と予め用意していたA4サイズの紙をボタンに貼り、意気揚々とその日は帰宅しビールを3缶空けた。明日には元どおりになっているはずだ。きっと気持良く水も小便も流れてゆくに違いない。そう確信していた。
 朝、泉沢は職場に着くなり昨日貼った紙を剥がして、水を1回流した。結果は火を見るまでもなく明らかだから、水の行方を確認することなくトイレを出た。そして尿意に駆られることはなく、極めて淡々と午前は過ぎていった。ビールのせいか、起き抜けに家に大量に出してきてしまったのがいけなかったか、と泉沢は飲み過ぎを後悔した。
 昼休み、食堂で昼食をとっていると、ラーメンを啜ってから間髪入れずにライスを頬張る作業を、昼休みという時間の制約がなければ永久的に続けるのではないか、わんこそばのように器にラーメンとライスを足し続けたら面白いのではないだろうか、と彼を知るすべての職員からそのように思われていた同期の岸本が、その尊い作業を驚くべきことに中断させて泉沢に話し掛けてきた。
「おめぇ、あのトイレ全然流れないままだぞ」
 口に麺と米が隙間なく詰め込まれているので実際かように聞き取ることは困難を極めるのだが、泉沢は同期なので全く問題なかった。単純に慣れているのであった。そして箸を落とした。あのトイレとは、あのトイレのことだろうか? そんなわけはないと思う。確かめていないけれど。でも超強力な薬剤だったのだ。午前中は誰からも何も言われないから大丈夫だと思い込んでいた。むしろ、せっかく流れるようにしてやったのに誰も礼の1つも言ってこないので、癇癪起こしてやろうかとまで思っていたくらいだったのに。それが流れてないとかマジで言ってんの?
「専門の業者呼んだほうがいいんじゃね? 何なら俺の知り合い連絡しよか」
 泉沢はもう昼飯どころではなく、片付けさえ放棄してトイレに向かって駆け出していた。
「人の話きかねんだから、あいつ」
 岸本はそうこぼすと、またラーメンとライスを交互に口に含む永久機関に戻った。
 ろくに胃の中で飯が消化されていない状態で走ったせいで、軽く吐き気をもよおしながらも、泉沢はなんとかマイフェイバリット小便器の前まで辿り着いた。
 ウソだろう? ウソだと言ってくれ。
 祈る気持でボタンを押した。水が流れ出す。泉沢の目には、確かに詰まることなく流れる小便器が確認できていた。
 良かった、流れている! 安心した、杞憂だった。岸本はアホだから勘違いしていただけなのだ、あるいは、あのデカい身体からあまりにも多くの小便を出しすぎてしまったかだ。キャパシティを超えたとしたら、それはこいつの非じゃあない。
 安心すると、途端に尿意が湧いてきた。泉沢は緩んだ表情のままチャックを開け、一物から午前分と昼食の一部分の小便を心ゆくまで発射し尽くした。そしていつもどおりにボタンを押すと、目の前に認めがたい異変が起こり、チャックを閉めることさえおぼつかなくなった。
 水が溢れてくるのがはっきりと確認できた。いつものように水は流れだし、しかし小便はすっきり排水されることなく小便器内に残留し、水と合わさる途端に洪水状態となり、下のタイルをびたびたと汚した。
 信じていたものに裏切られた感覚。泉沢は平衡感覚を失い、危うく尿含みの水たまりに尻餅をつきそうになった。
 フラフラと、手洗い場の鏡を見た。山手線飛び込みを超至近距離で初めて見た運転手のような顔だ、とぼんやり思った。
「だから言ったべ、流れてねぇって」
 岸本がトイレのすぐ外まで来ていて、尋常ならざる泉沢を見かねてか、言った。
「俺の知り合い教えてやるよ。"トイレ診断士"」
 トイレ診断士? 泉沢はそのような職業に聞き覚えがなかったが、質問を投げかける間もなく、岸本は個室に入ってしまった。

       

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