Neetel Inside 文芸新都
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     2 賽の河原


 あの夏の日から十数年後。
 私たち二人は、学校を卒業すると共に都会へと出た。
 その後、Sは事業で成功を収め、私は私で幸せな家庭を築いていた。
 彼とはあまり会う機会がなくなってしまったが、それでも時には酒を飲みながら、朝まで語り明かすこともあった。都会の暮らしにも慣れ、もうすっかり大人になってしまったが、そんなときだけは少年に戻れたような気がした。
 彼はあの夏の日から、私を何かとライバル視するようになった。
 それはおそらく、私たちが幽霊森で見た夢がきっかけだろう。
 私は内心、たかが夢を気にして対抗心を燃やしている彼を、若干馬鹿にしていた。
 しかし時が経つにつれ、彼の努力は実を結びだし、私のその根拠のない優越感は焦りへとかわっていった。
 気がつけば彼は事業に成功し、富豪と呼ばれるまでになっていた。
 私とて夢を叶えるために努力し、それなりの成功は収めていた。
 とはいえ、彼のそれと比べれば、私のつかんだ幸せなどは足元にも及ばなかった。
 けれど私は別に彼を羨望し、妬むような真似はしなかった。
 彼の成功は、間違いなく彼の努力の賜なのだから。
 私は少しでも彼に追いついてやろうと、今までの分を取り返すように日々努力した。
 しかし、いくら努力しても、私は彼に追いつくことができなかった。
 生活に不満があったわけではない。
 それでも、何か物足りなかった。

 そんなある日。
 その夜は久しぶりにSと飲んでいた。
 彼は変わらず新しい夢を追い続けていた。目を輝かせて語る彼は、森で見た夢の中の彼そのものだった。
 彼は今、私をどんな目で見ているのだろう。
 今でもまだ、私をライバルと思ってくれているのだろうか。
 そんなことを考えていると、ふいに彼がこんなことを言ってきた。
「なあ、またあの森に行ってみないか」
 私は驚いて彼を見た。
「森って……幽霊の?」
「ああ。なんだかんだ言って、今の俺があるのはあの森の……あの森で見た夢のおかげだと思うんだよ。言ったよな? あの日俺が見た夢。覚えてるか?」
 忘れるはずがない。
 私は大きくうなずいた。

 それから一月後、私たちは妻子を街において、数年ぶりに故郷の町へと帰ってきた。
 町は、あの日と何一つ変わっていないように見えた。
 とりあえずその日は、それぞれ実家へと帰り、森へは翌日向かうことにした。
 早く出たつもりだったが、実家につく頃にはもうすっかり陽は暮れていた。
 一人、舗装されていない道を歩きながら空を見上げる。
 都会と違って、星が綺麗だ。
 明日も晴れるだろうと思った。

 夕食後、私は久しぶりに自分の部屋に入った。
 壊れたおもちゃ。
 出せなかったラブレター。
 部屋のあちこちに思い出が隠れている。
 古い日記帳の中には、Sの努力を笑う、醜い自分がいた。
 古い手鏡を見た。
 そこには少年の抜け殻がうつっていた。

 翌日。
 私たちは寄り道しながらゆっくり森へ向かおうと、昼前に家を出た。
 やはり町は、記憶の中のそれとほとんど変わりなかった。
 母校や古い商店、昔の遊び場などに寄っては、思い出話に花を咲かせた。
 昼を過ぎて、昼食にしようと小川で休憩することにした。
 実家から持ってきた弁当を広げ、子供のように中身を見せ合ったりした。
 あの日と同じ、夏の風が吹いていた。
 食後、二人で寝そべって雲を眺めた。
 私は、彼に言った。
「実は、俺もあの日お前と同じ夢を見たんだ。でも俺とお前の役がお前の見た夢とは逆だった」
 彼は別に驚くでもなく私を見ていた。
「俺は」
 私は話を続けた。
「俺はたかが夢ごときにムキになって頑張ってるお前を見て、心のどこかでバカにしてたんだ」
 私はさらに続けた。
「たぶん、あそこで眠るとみんなあの夢を見るんだよ。そしてあの夢が幽霊の正体。たぶんね。どうしてそんな夢を見るかはわからないけど……」
 彼は、表情も変えず私を見ていた。
 私は口を閉じた。
「……そうかな」
 彼がつぶやいた。
「幽霊は、本当にいたんじゃないかな……」
 私は、彼が何を言いたかったのか、わからなかった。
 その後、私たちは何事もなかったかのように、また森へと歩きだした。

 久しぶりに見た森は、何だかひどく小さく見えた。
 中は、まだ昼間ということもあってか、爽やかで心地よい。
 ゆっくり歩いても、幽霊が出るあの場所までは十分もかからない。
 到着すると私たちは、切り株の上に腰掛けた。

「知ってるか」
 彼がふいに話しかけてきた。
「この森の幽霊が、死んだ理由」
 私は首を横に振った。
 考えたこともなかった。
「そういう俺もそんなに詳しく知ってるわけじゃないんだけどさ。もともとこの辺に住んでた人で、夢を追って都会に出たんだって。でも夢に破れて帰郷して……この森で首をつったんだってさ」
 彼はそれきり黙ってしまった。
 私はそんな彼を見て、笑った。
 彼もそんな私を見て、笑った。
 何かやっと胸のつかえがとれたような、そんな気がした。

 花の香りはいつしか消えていた。

       

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