Neetel Inside 文芸新都
表紙

道化師達と長い夜
Sredni Vashtar Ⅱ

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 チャイムが鳴り、下校時間になった。
 僕はいつも裏門から帰っている。裏門から帰る生徒はほとんどいないので、帰り道、友達などに会うことはほとんどない。
 しかしその日は違った。裏門の近く、焼却炉の前に誰かがいる。よく見ると、そいつは僕のクラスメイトの男だった。
 彼は暗く、友達もいないようで、いつも教室で独りだった。僕は彼と話したことはおろか、はっきりと名前も思い出せなかった。
 少し離れたところから観察していると、彼は手に持った何かを焼却炉の上に置いて走り去った
 彼の姿が見えなくなってから焼却炉に近寄ってみると、そこにはガラスのビンが一つ置いてあった。中には蝿が一匹閉じ込めてある。
 さて、これにはいったいどんな意味があるのだろう。何故ガラス瓶に蝿なんて入れて、わざわざ焼却炉の上になんて置いたのだろう。
 そこで僕は翌日、彼に直接聞いてみることにした。
 昼休み、彼の姿は教室になく、あちこち探し回った。彼は独り図書室のすみにいた。
 僕が「よぉ」と声をかけると、彼はおびえたように僕の方を見て「何かよう?」と小さな声で言った。
「昨日、焼却炉のところにいたよね?」
 僕がそう言うと彼は急に立ち上がり、僕の袖をつかむと「ちょっと、こっちきて」と言って歩き出した。
 僕はわけもわからぬまま、素直に彼に従った。

 彼が向かったのは屋上だった。
 彼は周りに誰もいない事を確認すると、低い、小さな声で言った。
「君、見てたの?」
「あ、あぁ」
 僕がうなずくのを見ると、彼は何だか気まずそうに視線をそらした。
 彼がそれきり黙ってしまったので、僕はさっそく本題に入ることにした。
「ところで、何であんな物を?」
 僕の質問に、彼は恥ずかしそうに答えた。
「…笑わない?」
「もちろん」
「夢を見たんだ」
「夢?」
「そう、夢。夢に神様が出てきて、言ったんだ」
「何て?」
「願い事を叶えて欲しいなら、毎週火曜日、蝿を一匹閉じ込めたガラス瓶を、願い事が叶うまで、焼却炉の上に一つずつ置いていけ、って」
「ふ、ふうん」
 何とも返事のしにくい答えだった。
 別に、馬鹿にする気も、この先を真剣に聞く気にもなれなかった。
 しかし彼は真剣なようなので、僕は一応話を続けることにした。
「で、その願い事って何なの?」
 彼は僕の方をちらちら見ながら、相変わらず恥ずかしそうにしている。
 正直、その質問への返事なんてどうでもよく、早く教室に帰りたかった。
 しかし、僕が「言いにくいなら良いよ」と言おうとした瞬間、彼はまた意外な答えを返してきた。
「チョコレート」
「は?」
「チョコレートが食べたいんだ」
 その幼稚園児のような願い事に、僕は固まってしまった。
 この歳になって、神様に「チョコレートが食べたい」なんて願い事をする男とは、どんな男なのだろう。
 僕は彼に話し掛けた事を後悔した。
 そこで僕は、「そうなんだぁ」と会話を終らせて、教室に帰ろうとした。
 しかし、彼は帰ろうとする僕を呼び止めるように言った。
「ママが……ママが、毒だからって、食べさせてくれなくて……」
 僕は複雑な気分になった。
 帰りたいのはやまやまだが、何だかここまで聞いて、ほったらかしと言うのも悪い気がしてきた。
 なので僕は偶然ポケットに入ってたチョコレートを彼に投げて渡した。
「食べろよ」
 彼は驚いた顔で僕とチョコレートを見比べている。
「…ホントに良いの?」
「別に、それくらい」
「ありがとう!」
 そう言うと彼は、今まで見せなかった笑顔を見せた。
 その顔を見て、とりあえずこれで良いだろうと、おそるおそるチョコレートを口に運ぶ彼を横目に、「それじゃ」とその場を立ち去った。

 それから、彼は時々僕に話し掛けてくるようになった。
 最初のうちはちょっと嫌だったけれど、話をするうちに慣れてきたのか、僕達は仲良くなっていった。

 彼はあの後も何回か『神様』にお願いをした。
 僕は帰り道、焼却炉の上にガラス瓶を見かける度に、翌日彼に「今度は何が望みだい?」と神様を気取った。
 彼の願いはいつも他愛のないもので、例えばコーラが飲みたいとか、いやらしい本を見てみたいとか──そんな簡単なことばかりだった。

 しかし、最初の願い事から半年ほどしてからのことだ。
 その日も焼却炉の上にはガラス瓶が置いてあった。
 それで僕はいつものように、翌日、彼に「今度の願い事は何だい?」と訪ねた。
 彼は待ってましたとばかりに笑顔で答えた。
「ママを殺して、だよ」
 僕は笑顔のまま固まってしまった。
『ママを殺して』?
 それは何かの例えでなく、そのままの意味なのだろうか。
 無言でいる僕に彼はもう一度繰り返した。
「ママは僕をいつも叱ってばっかりなんだよ。だから、ママを殺して欲しいんだ。たぶん それが、ママにとっても、僕にとっても、一番良いと思うんだよ」
 どうやら彼は本気らしい。
 しかしそんな願い、叶えてあげられるはずがない。
 しかし『無理』ときっぱり断るのも恐かったので、僕は、「ううん、悪いけど、それは『僕には』無理だな」と答えた
 彼はちょっと残念そうな顔をしたが、それでも明るい声で、「そっかぁ、でもそうだよね。そんなに毎回叶えてくれるのが君とは限らないよね。ごめんごめん。まぁ、あきらめずに、願いが叶うまで、焼却炉の上に瓶を置いてみるよ」と言った。

 彼が言った通り、次の火曜日、焼却炉の上には二つのガラス瓶があった。
 そのまた次の週には三つ……
 僕は裏門から帰る事をやめ、正門から帰ることにした。
 焼却炉の上のビンが増えていくのを見るのも、無くなったのを見るのも恐かった。
 彼とはそれ以来、その話はしていない。
 はたして、願いは叶ったのだろうか。

       

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