Neetel Inside ニートノベル
表紙

ファイナル三億円使い切りたいファンタジー
第二章『先ずは慣れること』

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1.

「いつまで寝てやがんだこのボンクラがァー!」
「ぎょええ……」
 知らない世界での、初めての朝。俺は世にも恐ろしい中年男の怒声で目が覚めた。寝惚け眼でガミガミと煩い話を欠伸をしながら聞き流していると、容赦の無い拳骨をお見舞いされる。痛い。
 懲りずに頭をさすりながら十秒ほどの大欠伸を披露すると、顔を洗って来いと外へ放り出されてしまった。その瞬間、冷たい外気が服の内側を駆け巡り、俺はやっとのことで目を覚まし始める。
 そして思った。夢じゃなかったと。
 確かに俺の寝起きの悪さは今に始まった事じゃないが、やはり夢の続きだと思い込みたいという心理も働いたのだろうと、自分勝手に寝惚けていた理由を付加する。
「ふわあぁああ」
 本日二度目の欠伸。しかし、今度のは眠気を逃がすための措置、言わば排気だ。たっぷりと冷たい空気を吸い込んだ後の欠伸は、確実な1サイクルを脳に伝える。目が覚めた。
「やっと目が覚めたようだな。井戸があっちにあるから、顔を洗ったら朝食にするぞ」
「おっす」
 扉の開く音に反応して振り返ると、呆れたような表情を浮かべたカンデラさんが井戸のある場所を教えてくれた。……そうだ、昨日の時点で分かっていた事だけど、ここには電気が無いどころか、水道すら通っていないのだ。今をときめく現代人だった俺にとっては、非常に不便極まりない環境である。
 文句を頭の中で垂れ流しながらも、井戸に辿り着いた俺は勘を頼りに固定されていた桶を底まで落とすと、若干重くなった気がする桶を擦り切れそうなロープで引っ張り上げる。これが結構時間がかかり――重くはないがロープがうんざりするほど長かった――、ようやく桶が見えて来た時は不覚にも感動した。
 思いっきり顔に浴びせた水は目の前の現実を表しているかのように冷たかったが。
 洗顔を終えた後、予想以上に美味しいカンデラさんお手製の朝食を食べ終わった俺は早速、狩りについての教育を受けていた。教育と言っても、座りながら本を広げて受けるようなものじゃない。本の代わりに、地面には弓矢や両刃の剣、ナイフ等の狩猟道具が並べられている。
「見ての通り、狩猟道具にゃ色々な種類があるが、あくまでこれ等は道具だってことを忘れちゃなんねえ。この道具を使いたいから無理をする、なんてのは、逆に道具に使われている証拠だ。一番大切なことは、自分が使いやすい道具を使うってこったな」
「あの、どれも使ったことが無い時はどうしたらいいですかね……?」
 丁寧に説明してくれた後で非常に言い辛かったが、ここで見栄を張っても苦労するだけなんで、俺は正直な疑問を口にした。カンデラさんはその質問も想定していたようで、嫌な顔一つ見せずに話を続ける。
「そういう時はよ、安全な道具を選べばいい。近距離でも両手が塞がる剣よかはナイフ、さらに言えば剣よりも遠くから狙える弓、といった具合にな」
「あれ、剣って両手が塞がるもんなんですか?」
「俺はこの大きさなら片手でも扱えるがな。普通の人間じゃあ片手で振ろうもんなら、逆に振り回されるのが落ちだぜ」
 そう言いながら、カンデラさんは地面から剣を上げるが早く、軽々と振って見せる。が、そこから生まれる音と風が、それなりの重さであることを物語っていた。はち切れんばかりの上腕二頭筋がさらに盛り上がる様は似合い過ぎていて笑うことしか出来ない。
 見る限り、確かに俺の筋力じゃあ、小刻みに震わせながら片手で構えるのが精一杯と言った所か。もっと筋トレしとけばよかったかなあ。
「重いってのは伝わりました。けど、それじゃあカンデラさんがまるで普通の人間じゃないみたいな言い方じゃないですか」
「ああ、俺ぁドワーフとのハーフだからな」
「え……」
 過剰な表現だとか、そういう返しを想定していた為か、思わず間抜けな声が口から漏れてしまう。
 俺の中で言うドワーフとは、背が低くてヒゲモジャ、ハンマーなんかを掲げながら「ここは鍛冶屋だぜ」なんて言ってしまう“空想上”の種族だ。……不意に知識の中へ割り込んできた異様な現実は、俺の思考を十数秒もの間フリーズさせていた。
「お、おい大丈夫かよ。まさか、この期に及んでドワーフ嫌いだとか抜かすんじゃねえだろうな」
「いえ……ドワーフという言葉を初めて聞いたので、ちょっと混乱してしまって」
 何やら不穏な空気を漂わせ始めたカンデラさんに向かって、俺は慌てて応える。嘘は言っていない。
「そうか、記憶喪失じゃあ仕方ねえのか。こりゃあ学問の方も誰かに教えてもらった方がいいかもしれねえなあ」
「そんな親切な方、そう何人もいますかね。俺としては、現状の待遇で満足ですよ」
「そう言ってくれるとありがてえな。……おお、そうだ。話が逸れちまったが、そういうわけでタクマの場合はナイフか弓にしておいた方がいいと思うぜ」
「うーん」
 俺は地面に置かれたナイフと弓を見比べながら、考えてみる。
 この現実に合わせファンタジーRPG風に考えるならば、ナイフは攻撃力が低い代わりに回避力が下がらない武器、という認識でいいだろう。
 対して弓の場合は、攻撃力もそこそこで射程もあるが命中力が無ければ使い物にならず、加えて近距離での対応が出来ない、という具合か。
 理想としてはナイフと弓の両方を携行することなんだろうが、それでは移動力が下がる、と。中々に難しい。
「カンデラさんのおススメはどれです? あ、狩りをしたことが無い人、加えて武器も使ったことが無い人が使うという条件で」
「サッパリわかんねえんだな、これが」
「おうふ」
 肩をすくませて首を振るカンデラさんを見て、俺は本日二度目の間抜けな声を漏らす。
 そんな俺を見てか、カンデラさんはすぐさま付け足すように口を開く。
「よし。物は試しって言うだろ、とりあえず全部使ってみろ。周りに生えている木なら、どれでも攻撃していいぞ」
 「それで倒れてくれりゃあもうけもんよ」などと笑いながら小屋の方へ歩いていくカンデラさんを傍目に、俺は地面に置かれている武器をあらためて見回す。
 剣、ナイフ、弓、短めの槍、斧、棘付鉄球、棍棒等々。正直に言えば、ここに置いてある物全てにおいて、実際にこの目で見たことがある物は無い。精々ナイフぐらいだろうか。まあ、ナイフと言ってもここに置いてあるのは小型の鉈ほどはある大きさなのだが。……つまり、わからん。
 やはりカンデラさんの言う通り順番に使っていこうと思った俺は、手始めに先程カンデラさんが振るって見せた剣を拾い上げた。
「おわっ? っとと」
 剣を持ち上げた俺は、思わず体をふらつかせてしまう。だが、俺の頭に浮かんでいるだろう疑問符の指す通り、別に重くてふらついたわけじゃあない。逆に、重いだろうと思って結構な力を入れて持ち上げようとした結果、勢い余ってふらついたのだ。
 正直に言わせてもらうとこの剣、重くない。体感的には五百ミリリットルのペットボトルに中身が半分ほど入った程度の重さだろうか。こんな軽いものを重いだのと言っていたのはどこのどいつだ。
 と、恐る恐るカンデラさんを見ると、完全の俺のことなど意識に無いらしく、鼻歌交じりに彼の武器だろう斧を布で拭いている。
 ……一応振ってみるか。俺は数回、縦に横にと剣を片手で振る。カンデラさんが振った時に出たような音が、振る行為に遅れて耳に届いてくる。使えるじゃないか。
 気を良くした俺は、森の方へ目を向ける。小屋のすぐ近くに位置している木はいくつか切られたのか、大小様々の切り株が目に入った。そういえば、薪が置いてある場所を昨日見たような気がする。
 そんなことを考えながら電柱よりも二回りほど太い木に辿り着いた俺は、剣を両手で持って振りかぶる。そのまま、野球のバットを振るような感覚、刃を地面と平行にする形で寝かせながら“振り切った”。
「……うん?」
 完全に予想外。俺の予想としては、良くて幹の半ばで止まるはずだった。まさか振り切ってしまうとは。倒れてくる木を茫然と見上げながら、俺は過ぎ去った出来事を脳内で繰り返すことにより、やっと理解したのだった。
 そして、倒れる木が四十五度の角度をつけたところで我に返る。
「もうだめだ……」
 諦めた。
「――オイィィィ!? 何やってんだタクマァ!」
 と、焦りの色が混じったカンデラさんの声が聞こえたかと思うと、次の瞬間、俺は立ったまま横へ飛んでいた。遅れて痛み出す腰に手を当て、初めて突き飛ばされたことを理解した。
「バカ野郎! 倒れてくる木をそのまま見上げてる奴なんて初めて見たぞバカ野郎ォ!」
 一言で二度もバカ野郎と言われた俺は、近くの切株の上で正座をさせられながら、カンデラさんからのお叱りを受けていた。
 この世界にも正座の文化はあるのか、等と的外れなことを思いながら青い空を見上げていたら、いきなり空から拳骨が降ってきた。異世界ここに極まれり。……反省しよう。
「まあ、タクマにとっても予想外だったってのはあるのかもしれねえけどな。それにしたって、もう少し危険意識を持て。そんなんじゃあ、森に入ったら逆に狩られるぞ?」
「はい……」
 俺はたんこぶ出現予定地をさすりながら応える。そんな俺の姿を見てか、カンデラさんは軽い溜め息を一つ漏らすと、組んでいた腕を解いて話を続ける。
「そうしょげんな。タクマが以前に何をやっていたのかは知らねえが、少なくとも力があることは分かったんだしな」
 ガハハ、と。カンデラさんはもう説教は終わりだと言わんばかりに笑う。
 許してくれたのは嬉しいんだけど、正直俺にとっちゃ笑い事じゃ済まない。ついこの前まで十キロの米袋をスーパーから家まで運ぶことに死ぬほど苦労していたような俺が、豆腐を切るように、なんて今まで使ったことが無いような例えを持ち出すくらいの怪力を持ってしまったのだから。
 思い当たる原因は一つしかない。ハロンだ。何がちょっと力を貸す、だ。ちょっとどころじゃねえよ。
「ま、そんだけの力がありゃあ武器なんてどれを使っても同じだろう。それこそ、使いやすいものを選べばいい。しかしまあ、トンだ掘り出し物だぜお前はよ!」
「それはよかったです……」
 気を取り直して、と。狩り道具については問題無いということが分かったので、カンデラさんは森についての注意点を説明し始める。
 俺は正座したまま話を聞きながら、頭の隅っこの方で、今更ながらこれからの生活について不安を感じ始めていた。

     

2.

「タクマ、勉強してこい」
 狩りについての話が一段落し、昼食を食べている最中、唐突にカンデラさんからそんなことを言われた。
「勉強、ですか?」
「そうだ。昨日からさりげなーく観察させてもらっていたが、なんてことはねえ。タクマ、お前にゃあ常識が無い。すっからかんのパッパラパーだ」
「え……ぱっぱら……」
 常識が無い。なんて言いようだ。しかもパッパラパーと来たもんだ。さすがの俺もショックを受けるが、お構いなしにカンデラさんは話を続ける。
「水道なんてものは王都のごく一部の区域にしか無い。電気なんてのはそもそもこの大陸に実用化されているところなど無い。それが“当たり前”だと言うのに、お前さんは真っ先に聞いてきた。どこの貴族の坊ちゃんかは知らんが、この村で生活する以上は最低限この程度の常識の下で動いてもらわんと困るぞ」
 それだけではなく、やれ村じゃ変なことをすりゃあすぐ広まるだの、一つ屋根の下で暮らす者としては少々心許ないだのと捲し立てられた。
 そうすること体感時間で十分程。昼飯時という事もあり、すっかり冷めてしまったスープを視界の端に入れながら、俺は首を縦に振り続けることしか出来なかった。常識皆無のぱっぱら野郎という言い草は認めたくないにしても、言われている内容について不満は無い。
 カンデラさんの言う事は至極尤もだ。俺も勉強をさせてもらえるのなら喜んで勉強する。常識だろうが一般教養だろうがドンと来い。……が、何と言うのか、狩りや森についての知識だけではなく、そんな他の事まで教えていては、カンデラさんが非常に疲れるのではないのか、という懸念がある所為で、素直に喜べない。
「というわけだ。タクマ、勉強してこい」
「了解、です。いやはや、お手数をおかけします」
 しかしながら、申し訳なく思う俺を余所に、カンデラさんは勉強のゴリ押しである。さすがの俺も元の世界で培った営業モードで対応してしまう。
 そんな最大限の申し訳なさを含ませた俺の応えは、一瞬の間を置いた後、カンデラさんによる笑い声によって掻き消される。
「ガハハハ! 俺は手も何も出さねえよ! 大体、俺が常識だの教養だのを教えられるように見えるかよ! ガハハハハ!」
 思わずつられて俺も笑いそうになるが、はて、同意して笑ってもいいのか……? というかそんな貴方がさっき俺に常識皆無のぱっぴら野郎的なことを言ったんですか?
 本日一番の悩みが頭の中を支配し始める直前、カンデラさんは口調に笑いを含ませながら話を再開する。
「なに、タクマも知ってる奴の所だから安心しろ。と言うよりも、タクマを知ってる奴の所しか行き先が無いとも言えるな」
「知ってる奴、ですか。いや、随分限定されちゃいますよ、それ」
 この世界に来て会った人物。一、エリス。ニ、ラザフォードさん。三、カンデラさん。詰まる所二択である。間違いなくラザフォードさんしか居ないじゃないか。
「それと言うのもエリスの嬢ちゃんなんだがな」
「え」
「なんだ、嫌なのか? 俺が言うのもなんだが、村でも指折りの美人だぞ?」
「嫌じゃないですし美人だとも思いますけど、俺はてっきりラザフォードさんが教えてくれるものだとばかり思ってました」
 そう言うと、カンデラさんは見覚えのある呼吸の置き方をして、直後、またも大声で笑い始める。
「ガハハ! あの野郎、ラザフが常識だの教養だのを教えられるタマに見えるかよ! ガハハハハ!」
 思わず反射的に笑いそうになるが、しかし、カンデラさんにだけは言われたくないだろと笑ってもいいのだろうか……?
 本日一、ニを争う悩みが頭の中を支配し始める直前、カンデラさんは口調に笑いを滲ませながら話を続行させる。
「心配しなくともエリスは村の子供達に色んなことを教えてくれているからな、教える子供が一人増えると思えばいい」
「へえ……意外と頼りに出来そうな感じなんですね」
 子ども扱いは置いとくとして。俺としてもこの世界で生活する以上、そういった常識を教えてもらうに越したことは無い。
「と言うわけでだ、早速食い終わったらエリスの所に行って来い」
「わかりました。でもいいんですか、俺まだ、狩りの事とか十分に教わったとは思えないんですけど」
「なに、予想外にもタクマに力があるってわかったからな。実を言えば俺と一緒に森へ入るくらいなら、もう前もって教えてやれることは殆ど無いんだよ」
「なるほど」
 非常に適当な理論だけど、狩りが出来る・出来ないと言うボーダーが分からない俺には、これ以上いらないことを喋る前に目の前の食事を口に入れ続けるしかなかった。



 依然として気持ちがよろしくない視線にさらされながら、頼りない記憶を辿り、ようやくラザフォードさんの家の前まで来たわけなんだけど、ここで気付く。どうやって入ろうか、と。
 カンデラさんとしては教えてもらって当然という言い方だったけど、ここに来て一日程度の新参者が当然のように村長の家に立ち入っていいものなのか。もしかしたら、村長クラスの家に入るには何か作法があり、それを破れば殺されても文句は言えない、なんて風習があるかもしれない。
 今更ながら異世界の恐怖を感じていた所で、急に後ろから肩に手を置かれた。
「な、なに奴!?」
「何をそんなに驚いてるんですか。そんな挙動不審ですと、いつまでも村に溶け込めませんよ?」
 なんて、割と辛辣な事をすらすらと言ってくれたのは呆れた表情を浮かべたエルスだった。
「人を驚かしておいてそんな言い草は無いだろう。記憶が無くても心はあるんだぞ」
 一先ず動悸を落ち着けるように深く息を吐きながら、俺は振り向いてエルスに不満をぶつけた。そんな言葉を予想していたのか、エルスはすぐさま応える。
「はいはい分かりました。それよりも、用があってここに来たんじゃないんですか、タクマさん」
「ああ、そうだ。実は、一般常識を教えてもらいたい」
「私に、ですか?」
 首を傾げるエルス。その表情には、「コイツやっぱ頭おかしいんじゃねえの」というものを感じなくもない。何も言えないのが悲しい所だ。
「カンデラさんからの紹介なんだ。なんでもエルスは子供に教育をしてるみたいじゃないか。そこで、ついでに俺にも教えてくれないかな、と。そういう次第で」
「そういうことですか、いいですよ。記憶が無いのは不便でしょうし、私がタクマさんの力になりましょう」
 と、無い胸を張るエルス。口が裂けても言えない事である。
「でも、それなら家の中で待っててくださればよかったんじゃないですか?」
 痛い所を付くな、この子は。
「そこは、そう、村長なんて偉い人の家に入るには、何か特別な作法があるのかな、と悩んでたわけで」
「……中々深刻なんですね。わかりました、今すぐにでも私が一般生活に支障を来さない程度の常識を教えます」
 どうやら正直に答えたらエルスのやる気に火をつけてしまったようだ。しかし、よくよく考えれば今の俺は紙一重で危ない人である事に間違いはない。こんな“いたいけ”な少女に危機感を覚えさせるほどの常識外れな事を言ってしまったと、そういうわけか。中々深刻だな。
「助かる」
「いいんですよ。それじゃ、行きましょうか」
「ん、何処へだ?」
「私の部屋ですけど?」
 不思議そうな表情を浮かべながら俺を見るエルス。……そうか、エルスの部屋か。
 エルスの部屋で目が覚めて、ラザフォードさんに鬼のような形相で睨まれたのは記憶に新しい。こんな魔法などが跋扈している世界でも、嫁入り前の娘の部屋に得体の知れない男が入るというのは歓迎されない事なのだろう。
 この前は無事に事なきを得たわけだが、はたしてラザフォードさんが完全に納得していたのかと思えば、そうではないと思う。俺がもしエルスの父親だったら、こんな記憶喪失の挙動不審な常識外れの男を娘の部屋に入れるなんてことは断じて許さない。ああ、どうしよう。
「エルス、その、頼んでる俺から言うのは非常に心苦しいんだが、違う場所で教えてもらうことは出来ないのか?」
「違う場所、と言われても。……なんですか、私の部屋、嫌なんですか?」
「別に嫌ってわけじゃないんだが。やっぱり嫁入り前の娘の部屋に男がそう軽々と入るのは気が引けるというか」
「そんなこと気にしてたんですか。いいですよ、父が何か言ってきたら私が何とかしますので。さ、早く行きましょう。早くしないと日が暮れちゃいますよ?」
 エルスが何とかしたところで、俺に対するラザフォードさんの心証は悪くなる一方だと思うんだけどな。しかし、家の中へ入っていくエルスをそのまま見守っているだけ、というわけにもいかず。俺は渋々といった形で村長ハウスへ足を踏み入れた。

     

3.

 この世界に来て三日目となる今日、俺は朝からエルスの部屋でこの世界の常識を教えてもらっていた。昨日と違う所と言えば、俺の他にも生徒が居る点だ。
「じゃあ、今日はこの世界の神様について勉強するからね、みんなちゃんと寝ずに聞かなきゃダメですよ」
 はーい、と。俺を除いて六人の子供達が元気よく返事をする。
 俺を含めて全員床に座り、エルスが立ったまま話をするという形を取っているのだが、これがまた非常に俺の存在が目立つ。しかも子供達は目を輝かせながら話を今か今かと待っているのだが、対する俺は既に襲ってきた眠気と戦い始めているという体たらく。悪い意味でも目立っているのである。
「まず、みんなも知ってると思うけど、この世界は主に中央神と右座神、左立神で成り立ってるの」
「知ってるー! パーセク様とベルスタ様に、あと、えーと……」
「スタディオン様でしょ、そんな事も知らないの? バカちんじゃない」
 元気よく最初に答えた銀髪の男の子に、気の強そうな金髪の女の子が付け加える。
 全員知らなかった俺はバカちんを飛び越して一体どのような不名誉なレッテルを張られてしまうのか考え始める前に止める。真面目に聞かなければ、本当のバカちんになってしまう。
「こら、そんな言葉使いしちゃダメでしょ」
「ごめんなさーい」
「もう……じゃあ話を続けるね。その三柱の神様の下に、五柱の神様が居るのは、あまり知られてないの。運命の神・ラド、元素の神・モル、娯楽の神・カタール、闘争の神・スラグ、時間の神・フォートナイト……この五柱の神様は、より人間に近しい存在として知られてるわ」
 いかんな。既に名前があやふやになってきた。中央神がパーセクで、右座神? 右立神? ああ、ダメだ、名前以前の部分を既に忘れてるぞコレ。バカちんか俺か。
「あと、国によって奉っている神様が違うのよ。私達が住んでるエリプソ異歪国では、運命の神・ラドを奉ってるわね。あと、隣の国のフィート王国は娯楽の神・カタール。他の大陸の国はちょっと分からないけど、別の神様を奉っているのは間違いないの」
「質問でーす」
「はい、どうぞ」
 と、俺の頭がパンクしそうになっている所で、先程バカちん呼ばわりされていた男の子が手を挙げる。エルスも質問が来ることを予測していたのか、質問を促した。
「えっと、なんでみんな別の神様を奉ってるんですか? 別に一緒でもいいって思うんだけど」
「良い質問ね。その理由は簡単よ。と言うのも、それぞれの国には『禁足神域』という場所があるのは知ってるかな?」
 子供達が互いに顔を見合わせて、「お前知ってるか?」「知らない」というやり取りを交わしている。しばらくして、その子供達が一斉に俺の方を見てきた。それは完全に、俺が『禁足神域』とやらを知っているだろう、という期待を込めた目だった。
「ああ、知ってるぞ」
 負けた。子供たちの純粋な目は、俺の心を折るに十分な力を持っていたんだ。
「じゃあ、タクマさんに質問です。『禁足神域』には、どんな役割があると思いますか?」
 マジかよ……そこは「よく知ってますね」の一言で流してくれよ……。俺はここで初めて、エルスが話していた事を真剣に考え始めた。
 要点は三つ。一つ目は、各国が奉る神は同じではない。二つ目は、その神の種別は『禁足神域』に関係しているらしい。三つ目は、その程度の情報で俺が答えられるわけがないということだ。
「わかりません」
 その時の子供達の落胆したような表情と言ったら、もう実家に帰らせて頂きたくなるような表情でした。
「なんで誰も得しないような嘘を吐いたのかは後で言及するとして」
 ここ何日かで思ったけど、エルスは結構毒舌の気があると思うんですよね俺は。
「『禁足神域』は、その場所に対応した神が住むと言われているわ。だから、国は領土内にある『禁足神域』に対応した神様を奉ってるの。だって、自分の国に居ない神様を奉っても、利益が無さそうでしょう?」
 その言葉に、子供達は一斉に頷く。俺も頷いた。何故なら、こんなファンタジックな世界なクセして、意外に現実的な判断で神を崇めているからであり。まあ、確かに利益がありそうな神様の方がいいわな。
「じゃあ、神様の話はこれでおしまい。何か質問はあるかな?」
「あ、最後に質問いいですか」
 他の子供が沈黙する中、一人だけ、あの気の強そうな女の子が手を挙げた。
「いいわよ」
「最初から気になってたのですが、私達に混ざって話を聞いてたそこの男の人は誰なんですか?」
 俺の事を指差しながらエルスに聞く女の子。
 そこ攻めちゃうか。中々やりおるわこの小娘。
「男の人、じゃなくてタクマさんね。この人は、ええと……なんて言ったらいいのかな」
「俺が答えよう」
 エルスが答えづらそうな顔で俺を見てきたので、仕方なく立ち上がる。他の子供達も気になっていたのか、俺は今この場で最も注目されている人物となってしまった。ちょっと恥ずかしい。
「俺の名前は堺琢磨。堺が名字で、琢磨が名だ。それ以外の記憶は無い。だから、エルスに知っておかなきゃいけないことを教えてもらっているんだ。答えられるのはそれくらいだな」
「要は不審者さんということですか?」
「え、いや、そういうわけじゃないと思いたいけど……」
「なんだよー、危ない奴かよー」
「やだー」
「こわい」
 女の子の言葉を発端に、子供たちが次々と俺に対する印象を悪くしてゆく。しかし、自分で言った通り、これ以上俺に言えることは無いのだ。俺だって怪しいと思うよ。自分が一番わかってんだよ。だから、みんなそんな目で見ないでくれ。どさくさに紛れてエルスも変なものを見るような目で見ている辺り、援護は期待出来そうにない。
 そんなこんなで、エルスがハッと気付いたようにざわめき始めたこの場を落ち着かせたのは、完全に俺の気分が落ち込みきった頃だった。



「もうあの子達と一緒に勉強したくない」
「何言ってるんですか。ちゃんと生活したいのなら、毎日勉強しに来てくださいよ」
 まるで人を生活出来てないろくでなしのように言うのはどうなんだ。社会の荒波で必死コイて生きてきた俺でもダメージは食らうんだぞ。
 勉強会という名の俺いじめが一段落し、子供達が全員帰ったところで、俺の心はポッキリと綺麗に折れていた。そこへさらにエルスが追い打ちをかけるという場面が既に何回か行われている。俺はエルスに対する評価を改めなければならないようだ。
「ああ、もう。こんな話をしてたらすっかり遅くなっちゃいましたね。外も暗くなってきたし」
「そうだな。もう少し俺に優しくしてくれたらもっと物事上手く行ってたと思うんだけどねホント」
「別に優しくしてないってわけじゃないですよ。人聞きの悪い。……あ、遅くなっちゃいましたし、どうせならウチで夕ご飯食べていきますか?」
 コロっと話題を変えたエルスは、そんな提案をしてきた。俺としては好意に甘えてもいいと思うんだけど、おそらく俺の帰りを待っているカンデラさんの事や、長居していることに良い印象を抱かないであろうラザフォードさんの事を考えると、迂闊に首を縦に振ることは出来ない。
「魅力的な提案だけど、カンデラさんが待ってると思うから帰ることにするよ。それに、あんまり長居しすぎても悪いしな」
「別に気にしなくてもいいんですよ? なんでしたら、父に伝えてもらえばいいだけですし」
 伝える、というのはこの前やっていた魔法の事だろうか。確かにそれならいいか、と揺らいだが、そこまでしてもらうのは悪いという気持ちのほうが強い。
「いや、やっぱりいいよ。お父さんにも悪いし」
 そう言った所で、俺は強烈な悪寒に襲われた。発生源は背後からと思われる。ちょうど、エルスの部屋の扉がある位置だ。
 なんとなく予想は付いたが、このまま途轍もない悪寒に襲われ続けるよりも、俺は振り向くことを選んだ。
「誰が、誰のお父さんだ? 言ってみろ小僧」
 滅茶苦茶怒ってらっしゃるんですけど。
 記憶にまだまだ新しい鬼の形相を浮かべたラザフォードさんが、大方の予想通り俺の背後に立っていた。怒るのはごもっともだと思いますよ、俺も。だけど、世の中には不可抗力という言葉があるわけでして。
「いえ、ラザフォードさんはエルスのお父さんです。それ以外の何者でもないと思います」
「呼び捨てか。私は許可した覚えは無いのだがな」
 ブッシュからスネークですわこれ。完全に応答を間違えたなこれは。どうする。激昂した父親をなだめる術なんて持ち合わせていないぞ俺は。
「お父さん、それくらいにしないと嫌いになりますよ」
「え、それはちょっと勘弁してよ……」
 お父さん弱いなマジで。頼むからその優しさを少しだけでもいいから俺に分けてもらえないのか。
「タクマさんは記憶が無くて、まだまだ常識に疎いんです。不審なところはありますけど、少しくらい大目に見てあげてもいいじゃないですか」
「う、うむ。そうだな、私としたことが、娘の事になるとどうにもな。すまないなタクマ君」
「ええ、いいんです。どこからどう見ても常識が無い不審者ですもんね、俺」
 エルスの心を抉るフォローは最近わざとなんじゃないのかと思えてきた。やはりエルスの評価は改めるべきだ。それも早急に。
「あ、お父さん。今日は遅くなっちゃったから、タクマさんも一緒に夕ご飯をいただいてもらおうと思ってるんですけど、いい?」
「ああ、構わんよ。ゆっくりしていきなさい。カンデラには私から伝えておこう」
 どうやら結構前から話を聞かれていたようであるが、それを突くのはさすがに戸惑われる。やめておこう、これ以上事を荒げるのは俺の精神面に多大な被害をもたらしてしまう。
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせて頂きます」
「常識は無くとも、礼儀は忘れていないようだな。どうだ、婿に来る気は無いか?」
「お父さんッ!」
 ラザフォードさんの腹に減り込むエルスのボディブローを見て、また同じような光景を見るのだろうという思いが生まれたのは言うまでもなく。

       

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