Neetel Inside 文芸新都
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新都社作家の後ろで爆発が起こった企画
蛇足したけど反省はしてない/二之部好男

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 例えば日常を何の過不足なく生きていれば、そのような事態に巻き込まれるなどと言う事は基本あり得ない話であって、実際この手の話を小説で読むと大抵の主人公はまるでそれを常日頃から、あたかも日常茶飯事であるかの如くドヤ顔、ドヤ思考でその描写を語るわけであるが、そもそも普通に考えてみれば爆発してからそんな長々と思考などしていられるはずもなく、寧ろそんなしょうもない思考に花を咲かせている間に逃げ惑う人々に激しいタックルを受けて振り向く以前につんのめってぶっ倒されるのではないのかと、凡庸にしてひねくれ者の僕は毎度ながらそんな陳腐な発想についつい至ってしまうのである。
 ならば、どうして何の変哲もない鈴木という名前持ち、その名前にすら負けている平凡以下の人生を謳歌すら出来ずにいる僕が一度も耳にしたことのなかった、耳を劈くような、鼓膜を引き千切られるような、三半規管を打ち砕くような轟音を耳にしながら、そんなことをダラダラと考えてられているのかといえば、恐らく一種の走馬灯のようなものだろう、ダチョウ倶楽部のノリを遥かに超えた温度の熱湯が、背中にぶちまけられたことが、あまりに衝撃だったのかもしれない。ああ、これは上島さんもリアクション取れないタイプのやつだなと。
 しかしまあ熱風を浴びるというのは存外そういうもので、出川に訊けば「浴びた瞬間はヤバイと思っちゃうよね」とか、笑いながら話す程度のことなのかもしれない、などと貴重な走馬灯を親や友人、愛犬ブルドッグ雅之のことすら考えずに、延々とテレビっ子の極みみたいな思考を働かせていた僕はとりあえず、芸人顔負けのリアクションで後ろを振り返って、ドッキリ成功のプラカードとカメラを探してやろうと、素人の癖にそんな淡い期待を持ちながら後ろを振り返ろうとしたところ――振り返るどころか、振り仰いで倒れてしまった。

 支える軸が一本無くなっていたのだと、そこで初めて気がついた。

       

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