気がつくとボクはだだっ広い真っ白な空間に立っていた。
立っていた、という表現はおかしいかもしれないが実際にそのような状況だったのだから仕方が無い。ボクは視線の先の壁を見つめた。
だだっ広いと思っていた空間は12畳ほどの部屋で、何も飾られていない壁がボクの視界を狭めていた。何も置かれていない床。高くはない天井。
甚平のようなパジャマのような衣服の裾を引きずりながら壁の表面を触るとひんやりと冷たい。周りを見渡すと窓やドアもない。
12畳の隔離された空間。ボクは少し怖くなった。あ、あっ、あー。口を開いて喉を引き上げるとなんとか声がでた。ボクは大きめの声で虚空に尋ねた。
「あ、あのォ~、ここどこですかねぇ~?」カラッポの部屋にボクの声が響く。「ちょっと、ここから出たいんですけど~!」
壁に当てた手が痺れるだけで反応は無い。「まじかよ...」空しくなってボクは床に大の字になった。
―どれくらい時間が経っただろうか。耳を付けていた床から「がやがや」と人の声が聞こえる。慌てて立ち上がり部屋中を見渡すが周りに人影はない。
ボクはしゃがみこんで床に額を押し付けながら声のするほうへ叫んだ。
「出してください!ここから!早く出してください!!」
「ここから出たいのか?」「!?」突然頭の中で声がした。「もう一度聞く。本当にここから出たいのか?」「はい!もちろんです!出してください!」
ボクは謎の声の主に答えた。なぜこの部屋から出たかったのかはわからない。ただここにいても何も始まらない気がした。
「わかった。ここから出してやる。通れ」
ボクが体を起こすと遠くで波の音が聞こえる。そしてその音はだんだん大きくなっていく。「やべぇよ...なんだよ、これ...」
立ち上がって音のする壁を眺めていた。真っ白な壁が目の前で砕け散った。
「先生!意識が戻りました!」
「よし!おかえり洋一くん、よくやった!」
目を覚ますと目の前にいくつかの目玉のようなヒカリがボクを照らしている。「ああ、んぁああ!」「駄目だよ!大人しくしてなきゃ!」
「麻酔、打ち直して」「わかりました」
右腕を見ると無数の透明な管が繋がれている。怖くなって腕を振り上げようとするが目の前がまた真っ白になる。
意識がまた遠のいていった。
向陽町の中央病院の個室のベッドの上、ボクはぼうっと体を起こした。椅子に座ってうとうとしていたかぁちゃんがボクを見て立ち上がる。
「ようちゃん、ようちゃん!大丈夫だったのね!...よかった」
かぁちゃんがベットに駆け寄ってボクのおでこにおでこをくっつけて嗚咽をあげる。「良かった」「なにが良かったのよ。この馬鹿」
死路を漂って生還したボクの第一声は「良かった」だった。かぁちゃんの言葉をそのまま返したのか、それとも率直な自分の感想か。
そうだ、ボクは右足の痛みを和らげるために鎮痛剤を大量に飲み込んで意識を失っていたのだった。
「家に帰ったらあんたが居間に倒れててお父さんが病院に110番して、そのまま足の手術もしたの。薬が致死量を越えてたんだけど
先生が『洋一君は大丈夫。絶対自分の力で戻ってくるから』って何度も励ましてくれたの」
「ほんと、よかったわー」かぁちゃんが顔を歪めて涙を零す。その後、看病に疲れたかぁちゃんは父さんに連れられて家に帰った。
1人残された部屋でボクはカピカピになったパンツを下ろした。そう、ボクは夢精のタイミングでぶっ生き返したのだ。
真っ白な部屋で助けを求めていたのは手術中のボクか、それとも3億分の1のボクか。急カーブの三日月を窓から眺めるとそのままボクはゆっくりと眠りについた。