「それではあつこ先生、よろしくお願いします」「うむ」
鶏小屋の管理ルーム。午後になると耕作さんから昨日と同じようにひよこの鑑別の仕事を言い渡された。昨日のボクの仕事にあまりにも間違いが多いとクレームが
入ったため、あつこさんにもっかい仕事を教えてもらうのだ。
ひとかたまりになったひよこの群れがピヨピヨ鳴きながら不安げにボクを見つめている。「じゃ、教えるね」
あつこさんはその群れの中から無造作に一羽掴み取るとそいつを横にひっくり返した。「ああ!ピースケがかわいそう...」
「だから名前つけんなって。後ろから人差し指と中指の間に首を挟めばつつかれないから。野球のフォークの握りのイメージ。ほら、やってみ?」
ボクは大魔神佐々木の握り方を思い浮かべ、人思いにひよこの群れに右手をつっこんだ。うりゃ、ごめんよ!ボクが二本指でひよこを持ち上げると
短い羽をばたつかせて逃げようとする。「力入れすぎだよ!楽にして!」「うは!うは!」力を抜くとひよこは真っ逆さまにケージに落ち、
ピヨ彦は一目散に仲間の元へ逃げ隠れていった。「うーん、握り方はやりながら覚えよう。次!オスとメスの違いは?」
「はい!肛門に突起があるのがオス!卵を産むためにないのがメスです!」
「よく出来ました!肛門から出てきたものは別にして捨ててね。目標は1羽3秒!それじゃ、頑張ってね、ダーリン」
ボクに仕事を教えるとあつこさんは持ち場である鶏小屋へ戻っていった。変なあだ名で呼ぶなよ。バカップルだと思われんだろ。
いけね。集中しろ。ボクは頬を叩いて気合を入れると混沌と化した羽毛まみれのケージに両手をつっこんだ。
うはは~かわいいひよこさんたちがいっぱい~。ちょうもえる~
「こら!うとうとしない!」
午後3時過ぎ、ボクはあつこさんの痛烈なローキックで目を覚ました。いかんいかん。しかし同じリズムで奏でられるピースケ達の歌声を聴いているとどうしても眠気がやってきてしまうのだ。
「新しいの、どんどん入れてくよ、ほら!」
ケージのフタが開くとベルトコンベアでどんどんピヨ美達が運ばれてくる。ボクが全力でオスとメスを見分けるがケージはどんどんピヨ太郎で埋め尽くされていく。
ぐぇ~、むりぽ~。ボク側のケージの扉が開くとコンベアの流れに乗ったひよこ達は一斉にボクの体に飛びかかってきた。
「あ~あ、ゲームオーバー」
ひよこの大群に押しつぶされて倒れたボクの頬にピヨ美がくちばしで激しくキスをした。「洋一にはちょっと早かったね」その日の残りは逃げ回るひよこを追い駆け回して終わった。
「あつこ先生、ギターの弾き方、教えてください!オナシャス!」
夕方、昨日と同じように山田家に泊めてもらったボクは居間でチュニック一枚でくつろぐあつこさんに声をかけた。
「なーに?今日は積極的ね」「いや!そこんとこは生徒と教師の超えちゃいけない一線!とにかくお願いします!」
「禁断の恋の方が興奮するやん?感動するやん?...ギター持ってくるからちょっと待ってて」そう言い残して奥の部屋に消えるあつこさんを見てボクは自分の部屋であつこさんを待った。
「じゃーん、お待たせ~ちゃらりららら~」
ふすまを開けるとあつこさんが黒いレスポールのギターを抱えて現れた。「洋一君、メタルの経験は?」ミニアンプの電源を入れながら聞かれた。
へ?メタル?ボクは頭に浮かんだギタリストの名前を答えた。「リッチーブラックモア!ディープ・パープルの!メタルじゃないかもだけど!」
「OK」ボクのリクエストを聞いてあつこさんは 「catch the rainbow」 のギターソロを弾き始めた。
「うおー!かっけー!B'Zの松本みてー!!」ボクの歓声を聞いてあつこさんはふふん、と鼻をならして風呂上りの長い髪を振り乱しながらチョーキングを繰り返した。
ギターの音が鳴り止むとボクは感想を述べた。「いやー、やっぱあつこさん、スタジオでバイトしてるだけあってギターうまいわ」
「喋らないで。まだ、途中だから」
静かにギターのボリュームを調節しながらあつこさんは語りだした。
「あたしも学生時代は暗い子でね。家に帰ったら毎日エレキギターばっかり弾いてたよ。毎日往復20キロの登校距離で通うお嬢様校にあたしは馴染めなかった」
ギターのボリュームが少しずつ大きくなる。
「そんなあたしを救ったのがロックンロールとデスメタル。レコードから流れる名曲達はあたしを嫌なことから開放してくれた。『救われたんだ』って思ってたんだよ」
張り詰めた1弦が尖った音を立ててネックから離れ落ちた。
「でもね、そんなんじゃダメだって思った。だって人生一回きりでしょう?明日大きな地震が起きて世界がなくなっちゃうかもしれないし。
やりたいことを☆♪■▽□♪☆.........」
「あつこさん!何言ってるかわかんないですって!文字化けしてますって!!」
急に熱演を始めたあつこさんはボクが言っても演奏を止めなかった。三十路女の情念。泣きながらギターでもかきむしらないとやってられないのだろう。
9分近いギターソロが終わると汗と涙を拭いながらあつこさんは立ち上がった。
「寝る」「はぁ!?特訓は?」「明日やる」
それだけ言い残すとあつこさんはギターを持って自分の部屋に戻っていった。なんて自由なひとなんだ...先生がいなくなったボクは自分のギターを抱えて自主連することになった。
おほほ。いい感じ。ボクはここに来てなんとなくだけど飛躍の兆しを掴めたような気がしてきた。