Neetel Inside ニートノベル
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野球大全集
2.

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 順風満帆な人生を送っている、というのはまさにこういう事だと、初瀬川はおきしなに思った。
 いぎたなく眠っていたのだろう、頭と体が距離を置いて存在しているようなエクトな気分になっていた。大学入試を目前にした二学期の中間考査を終えて、酢いも甘いも一緒くたに経験してきた愛してやまない仲間たちと共にボーリング、カラオケ、あまつさえ宅飲みと、少々はしゃぎすぎた。刹那的だったのだ。センシティブなのだ。
 洗面所へ向かい、ぬるま湯で顔を洗う。寝癖で、鳥の羽のように飛び散ったとさかをナカノの5で塗り固めた。そして、軽く舌打ちをした。ヘアスプレーのVO5緑をいつもは愛用しているのだが、中身が切れていたからだ。
 制服がよじれないようにぴしっとに着込み、カクレルレッドのネクタイを締めた。鏡を見る。どこからどうみても完璧だ。もうすぐ冬休みに入る。ここで女友達の評価を取りこぼして、よくいるいじられキャラのような格好悪い姿を晒すぐらいならば、学校をサボったほうが幾分マシだと考えていた。
 籠に学校指定の鞄を投げ入れ、最寄の六実駅までカマハンのママチャリで向かった。枯れ葉が絨毯のように地面を埋め尽くしている。肌にまとわり付く空気が、いい加減冷たくなってきた。12月に入ったらバス通学に切り替えようか、そろそろ押入れからジャケットや厚いアウターを出さないとな。

 駅構内で電車を待つ間、彼を現実感のない感覚が襲った。目に見えるもの全てに角が取れ、不確定にゆらぎ続けている、生卵や豆腐のようなつるつるとしたものを今は見たくない気分になった。
 ダウナーズが効き過ぎているのだろう。発泡酒やカクテルを2リットルは飲んだ。友達が酒の缶を積み重ねて遊んでいるのに対抗して飲みすぎてしまったのが原因だ。夏に格好つけて友達と揃い行った居酒屋ではそこまで酔わなかったのだが、宅飲みだと簡単に酔ってしまうから困る。ぐでぐでに出来上がった後は、アルコール度数の低いほろよいという酒で別幕なしに飲み繋いでいた。
 初瀬川は自分の酒の強さに自信を持っていた。厠に行くやつや、地べたに戻す奴は最低だ。あれは酒をまずくするし、気分も悪くなる。ただ、昨日の井上の噴水は笑ったな。淡水魚みたいに口をパクパクさせて、寝ながらゲロを吐いているんだから。
 とりとめのない、おぼろげな記憶に笑みを浮かべながら、ポケットに手を突っ込んで車席の支柱に体を寄せ、酔いを醒ますように車窓に映る景色を眺めていた。
「大過なく過ごせば、高校生活ももうすぐ終わるんだろう。いろいろあったな。文化祭では羽目を外して、ありゃ黒歴史だ。思い出したくないな。彼女とも結局一年足らずで破局した。非処女だったし、おまんこできただけでもよしとするか。嫌な思い出ばかりが、結局、後から振り返ればなんだって嫌なことばかりだ。幸せっていうのは、青い鳥を追い求めるんじゃなくて、おまんこしている時なんだ。とどのつまり、今、こそなんだよ。俺はもう指定校推薦で名うての大学に入学できそうだし、みんながひーひー必死こいて死に物狂いで勉強している間に、目いっぱい遊べる、それこそ飲む打つ買うことだってできる、なんでも出来る……」
 電車が津田沼に着いた。もう背中によたれかかるスペースもないほど、学生と社会人で車内はごった返してきた。人いきれでへんな臭いがついたら困るな、と思いながら車内を見渡し、憤懣やるかたない思いで胸ポケットから携帯電話を取り出し、学校に到着するまでのつかの間、ネットサーフィンを興じ始めた。

 初瀬川は野球が好きだった。主要な野球ゲームが発売される度、発売日にガキが戯れるカメレオンクラブに足繁く通った。学校の野球部やクラブチームに入っていたことがないので体感的に興じる野球の楽しさをあまりよく分からなかったが、見る分にはここまで研究考察、論理のぶつけ合い、情熱的なスポーツはないと思っていた。
 同好の士を持てばその数倍、数十倍も楽しさが増大する。しかし初瀬川には、残念ながら野球好きの友達がいなかった。友達と野球の話をすると、巨人の四番の選手が誰か、日本ハムにいた侍の名前は、今年入った早稲田大学のピッチャーは――、となるのが関の山だった。
 しかし、今は便利な時代だ。ブックマークに入れている野球掲示板一つをクリックすれば、そこには二十四時間三百六十五日、どの時間でも野球や、野球に関連する物種で意見を交わすことのできる人間で溢れている。

「武之内空ですwww今は通学中ンゴww」

 一つのスレッド、いわば自分が主催者のトピックを立てた。武之内空とは、その野球掲示板で使っているハンドルネームだ。そのトピックに文明的とはいえない罵詈雑言なメッセージが、不特定多数の人間によって綴られていく。
 インターネット利用を過度に傾倒している人間は感覚が乏しくなっていくらしい。サイニーの論文かなにかで見た。「バカ」や「アホ」、俺が以前アップした顔写真の画像に「チンコフェイス」という悪口に最初は嫌悪感や怒り、憤慨を覚えていたのだが、最近ではそんな書き込みを見ても夜のしじまのように心はおだやかだ。
 悪口だらけでまともに討論もできないスレッドに見切りを捨て、人の集まる勢いのあるスレッドを探した。中日とソフトバンクの日本シリーズについて、中日井端のドーピング疑惑について……。
 一通りスレッドを見渡したが、興味を引かれるものは何もなかった。参加する人間が極端に減る朝の、この時間帯だからだろう。この時間帯にいる人間は物好きともいえるし、真の野球好きともいえる。MLB、メジャーベースボールは時差の関係上、明け方にあるからだ。

「あおですが、引退を考えています」

 一つのスレッドが目についた。あお、それはこの掲示板で有名なユーザーで、この掲示板が有名になったときから参加していた人だ。

       

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