弟が男の娘だなんて兄さんは認めないっ!
第1話 「弟が男の娘……!?」
思春期とは何かと厄介なことが纏わり付く時期だ。それは恋愛絡みなどが大半を占める。が、まあ人それぞれだ。心なんて揺らいでなんぼらしい。
四月に入り、俺も高校三年生になっちまった。時間の流れは長いようで意外と短い。死んだ爺さんがいっつもそんなことを言っていた。訊いていた当時、俺は小学生だったので意味がよくわからなかったが、今となっちゃわかりたくなくても、わかっちまう。
俺は、もう年老いたのか……まだまだ先は長いのに今から時の流れが、どうだこうだなんて言っている場合じゃないのにさ。
そして教室も変わった。此処の高校は一階が一年、二階が二年、三階が三年と救いようのない馬鹿でも間違わないような簡単な区域分けが行われている。
まあ入学当日に間違った俺がいるけどな。
うわぁー三階なのにたっけーなんて騒いで早速、教師にも怖い先輩方にも目をつけられ後から泣くほど後悔した記憶がある。
そんな俺が三年か。
本当に時の流れは早いもんだ。
窓の下を覗き込むと、風に揺れる花弁が視界に映り込んだ。桜の薄紅ほど美しい物はこの季節にはない。俯瞰の風景はそれ以外にも、この前入学式を終え今日が初登校の生徒達の笑顔も写していた。
懐かしいなんて思わないが、不意にある人物を捜してしまう。
何人もの生徒の中でたった一人の人物。
先に行っておくが女子ではない。もちろん男子だ。だが、俺はそっちの気はない。そういう意味で探している訳じゃない。
……多分。
目を動かして探せど何分、俺は目が悪いためいつもはコンタクトレンズを使用している。なので誰が誰だか見当がつかない。さっきの生徒達の笑顔も俺の幻想に過ぎない。
「はぁ……目ぇ痛くなってきた……」
目頭を指で擦っていると、
「おーい、輝之(てるゆき)お前に用がある一年が来てるぞー」
間の抜けたような声に振り返ると、妙にツンツンした頭の男子が阿呆のように手を振っていた。
「こっちこっち」
手招きをする彼は俺の友人の齋藤陽(さいとうひざし)彼とは中学の頃からの付き合いだ。馬鹿だが運動には長けており、得意なスポーツは水泳で県大会などにも出場するような強者だ。
まぁ馬鹿なので頭を使う競技は良い成績は残していない。
「あぁ、わかった今行く」
「おっ輝ちゃん、もう既に下級生をパシリに使ってるのかー? いやいや凄いとしか言いようがないなー。どう脅したんだー? ナイフ? 拳? はっ……もしかして……イケナイ関係!? こわいこわい」
前の席からまるで蛇のように身体をくねらせてこっちを見るのは炒拓寺郎(いためたくじろう)彼も俺の友人だ。しかし、自分にとっておもしろいことが起きないとすぐその場から立ち去るというよくわからない人物だ。彼とも中学の時からの付き合いだ。陽とは違い彼は頭が良く切れるタイプの人間だ。成績も常に十以内には必ず食い込んでくる。
関係無いが俺の一番良かった順位は23位だ。今は76位だが……
「なんで俺がそんな奴なんだよ!」
「おーい突っ込んでないで早く来いよ」
だから今行くってばっ!
心の中でそうで呟いた俺は駆け足で廊下へ出た。灰色のタイルがみしみしと軋む。
「おはようございます、森崎先輩」
向いていた方向とは別の方向から聞き慣れた声が耳に染みこんだ。振り向いて相手を確認した。
「ああ、……?」
そこに佇んでいた。黒く艶やかな髪をした……
「はい、これ忘れていましたよ―――」
黒い箱には俺の名前が白色のマジックで書かれていた。季節外れの鈴の玲瓏。俺は何と言っていいか戸惑った。いつも見ている姿なのになぜか……
「あ、ありがと……」
逡巡すると変な空気になってしまうので、俺はとりあえずありがとうと口にした。恥ずかしさはほんの数秒でするりと抜けた。
真っ白い肌に細い腕、まるで百合のようなしなやかな手から黒い箱が俺に渡された。数秒だけ触れた指先からは柔らかな日だまりの温もりを感じた。
「それでは……」
ゆっくりとお辞儀をして下級生は走りながら去っていった。
俺が何十人もの生徒の中から探していた下級生はそれだけを渡し、一階に下りていった。
緊張の糸が切れた。下級生の姿が見えなくなったからだ。
……胸の奥が痛い。
痛い。
忘れ物を届けてくれただけなのに、いつも話を交わしている相手なのに、少し髪が長くなっただけなのに……妙な鼓動は俺を御伽話の中に閉じ込めたようだ。
その魔法を解かしてくれたのは、陽だった。
「どうした輝之? なんかぼっとしてたぞ?」
……ああ、すまない。
そんな言葉をかけ、俺は自分の席に戻った。忘れていた黒い箱を開け、それを優しく取り出した。
中味はコンタクトレンズだ。
片目ずつにはめ、瞬きをする。反射的に目が潤み頬を伝った。
窓側の席。斜め上を見上げてみた。空が真っ蒼だ。真っ青だ。雲一つないその空は果てしなく奇麗だった。何かの余韻に浸っているような気分だ。
よく見えるのはコンタクトレンズをつけたからかも知れないが、多分この蒼はそうじゃない。
風に乗って桜がその空の向こうへと舞い上がる。揺れるカーテン。春風が耳元を掠め教室の中へ入り込んでいった。薫る。
「それで誰だったんだー? 輝ちゃんに用があった下級生って」
拓寺郎の痩せた顔が俺を覗いた。
別に隠さなくてもいいことだ。だから俺はそっけなく言ってやった。
「弟だよ―――」