Neetel Inside ニートノベル
表紙

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 彼女の一言に俺は寒気を感じた。裸電球が吊された狭い廊下を歩くような、薄暗く気味の悪い陰湿な寒さだ。
「同人誌即売会……?」
 目を見開く俺とは裏腹に彼女はまたニコリと微笑み話し出す。
「そう、同人誌即売会。その中で、私達はサークル参加するのよ、その時に売る同人誌が、森崎君に読んで貰ったそれなの」
 参加? 売る? 
 …………
 全身の血液が何処かへ退いていくのが肌を通して感じられた。クローゼットを開けたら、頭の無い人形が出てきたような、心臓を掴まれた気分だ。
「それなのって……それは問題だ! 大問題だ!!」
 本当に大問題だ。
 この俺と弟の紛いの愛を詰め込んだ物語を誰とつかぬ他人に提供するのは甚だおかしい。それも、許可無く描いてたフィクション物をだ。
 初めて思うが、委員長は何処か重要な頭のネジが三つ程、外れている。そんな彼女を秀才だ、常識に満ち溢れていると錯覚していた自分が怖い。
「ダメだ! こんなもの売らせるつもりはない!」
 彼女は困惑する。何か思慮している様にも感じ取れるその表情は、何処か哀愁を漂わせている。
「えーでも……でも、秘密にして売ったら怒るでしょ? だからちゃんと言ってあげたのにー」
 やはり、彼女の頭のネジは何処かへ飛んで行っている。
「言ってあげたのにーとかって問題じゃ無いだろ! 言っても言わなくても、これを売るのは認めない!」
「どうしてー? 細部まで良くできてるのにー」
 細部まで―――
 俺と弟のその光景を模写したかの様な言い方をして欲しくない。弟と顔を合わせる度、その漫画のイメージが浮んでくると思うと目眩が止らない。 
「それがダメなんだって! 見ろ、この顔!」
 俺は焦点を定めないまま、そのページ中央部分にありありと描かれた、俺と思わしき主人公の顔に指を置く。
 一言で表すなら卑猥だ。
「何? その恍惚と白濁液に塗れたその顔がいけないのー?」
 ……なぜ。
 なぜ、彼女はわざわざ卑猥な表現を露骨に使うのだろう。
「そうじゃなくてだな。この顔、モロ俺じゃねえかよ!」
 俺から見て俺に近似していると思うのだから、他人が見れば確実に俺だと悟るだろう。
「そうだけど……?」
 彼女は小首をかしげ、人差し指を立てた形で手を口元に添える。
「だからッ! さっきも言ったけど、これ買った奴が、俺らとあったら確実に、そういう目で見るだろうがッ!」
「そういう目で見られたくないの?」
 ……彼女は俺をそういう目で見られたいと言う願望を持ちながら日々生活しているとでも思っいたのだろうか。
「見られたいわけないからッ!!」
 口調が尖る。
「えー残念……森崎君兄弟には素質があると思ってたんだけどなー」
 それでも彼女は戯けてみせる。
「何の素質だよ……」
 その時、彼女の口から思いも寄らぬ発言が飛び出した。
「だって、兄弟でキスしたことないの……?」
 ……ッ!?
「な、な、ないからッ! そんなことする兄弟いないから!」
 少々、動揺を隠せなかった。
「そうなの……」
 彼女はまた寂しそうな顔をして魅せた。しかし、このまま帰すわけにも行かない、と言うより俺には話したいことがあるのだ。
「この問題は後回しにして、本題に入っていいか?」
 彼女は、不思議そうな目でこちらを覗くが、首を縦にコクリと降り、頷いた。
「これも本題で私は来たんだけどなー」
 これも……? これもとはどういう意味なのだろうか……まだ彼女には俺に話す何かがあるのだろうか。しかし、多分俺にとって特になるような話しでは無いと思うと、妙に悪寒がする。
「……森崎君の話、どうぞ」
 俺は彼女の瞳を一瞥し、俯きながら口を開いた。俺は甲斐性無しの為、出詰まりするが覚悟を決める。
「今朝の話題に入るけど―――」
 隙間にねじ込むよう、
「ごめんなさい!!」
 彼女はすぐに頭を垂れ謝罪した。彼女の行動があまりに急な物で、俺は面を食らった形になった。
「本当にごめんなさい……ケガさせるつもりはなかったの……でも一応持って来たスタンガンの威力が大きくて……」
 まごついていた俺だが、腹の爛れた傷は委員長が持っていたスタンガンだという事は理解出来、少しばかり安心できた。この先、原因不明の傷をつけたまま不安に駆られながら日々過ごすよりも何倍も有益な情報だ。
「その事は、もう痛くないから大丈夫だからさ……」 
 彼女は今にも崩れそうだった。表情は髪のせいで口元しか見えないが、涙を堪えている様に見えなくもない。その姿はあの時の弟と所々似ており俺は、直ぐさま彼女から目を背けた。
 なんだか、話しづらい雰囲気になってしまった。
「…………」
「…………それは良いから、心配しなくて良いよ。俺が訊きたいのはそこの所じゃ無くて……」
 一度、深呼吸をし、踏ん切りを着ける。
「委員長、どうして俺の弟が女装趣味だ、なんて馬鹿げたこと今朝、それもあんな事してまで訊いたんだ?」
 俺は、彼女の瞳を覗いた。何やら彼女は躊躇しているのか、思い詰めた表情に顔が変化している。そして、振り絞るように言葉を紡ぐ。
「……学校じゃ話しにくいと思ったし、私だってバレたく無かったの……」
 韜晦していた、その点については俺にも察しがついていた。彼女は表裏がない人物として有名だ。そんな創り上げた偶像に傷をつけたくは無かったのだろう。
 訊きたいのは、もっとその奥にある、深い想念だ。
「すまない、俺が訊いているのは、どうして弟が女装を趣味にしてるかって所なんだ」
 核心に俺は迫る。
 なぜ、彼女はそんな事を訊いたのか。そしてなぜ、彼女はそんな事を訊こうと思ったのか。
「あのね……一週間ぐらい前に瀬戸財閥の御曹司さんが捕まったでしょ?」
 瀬戸の嘴の事だ。やはり彼女はアイツをパイプにここまで辿り着いたのか。
「あの御曹司さん路上、詳しく言うと白ノ屋って言うケーキ屋さんの前の通りで捕まったんだけど……その時間に、私もその通りに居たの」
 ……運命は、本当に惨い事をしてくれる。偶然の一致がここまで恐ろしい事だとは夢にも思わなかった気がする。 
「私、御曹司さん見た時に、上半身裸でびっくりしたけどおもしろそうだから見に行ったの。すると御曹司さんが叫んでたんだ。薄崎マンションの兄弟が、キスが―――どうのこうのって」
 ……やっぱりアイツだったか。口は堅い方とか自負していたハズなのに……叫んでたって。
「でも、警察官の人達は相手にしてくれなくてそのまま連行されていったの」
「確かに、下着一枚の男の発言なんて相手にはしないな……」
「だけど、私は気になったの。その兄弟のこと。それで私は捜しに行ったの、薄崎マンションに」
「……もしかして、一つ一つの部屋のネームを見に行ったのか……?」
「そんな面倒な事はしなかったの。まず管理人さんに瀬戸さんの部屋番号を教えて貰ってね、そこからは推理したの」
「ちょっと待て、どうやって部屋番号教えて貰ったんだ……? うちの管理人そんな事は誰にも―――」
「まあ、色々したのよ。……それより! 女の子の秘密に迫ろうなんてダメだよー!」
 彼女はまたピエロになる。しかし、その笑顔は悔しいが飛び付きたくなるほど愛くるしい。
 例えるとするなら―――小型犬だろうか。
「話し戻すけどごめんね、それで私は推理したの。御曹司さんがなぜほぼ裸で、外に出ていたのか。それは緊急事態が起きていたから。上から変な物音がしたとか、隣から声が聞こえたとか、兄弟で何かをしていたとかね……」
 俺は鋭い勘に生唾を飲む。彼女はこういう所に関しては抜かりがないらしい。
「でも、両隣は若い女の人と老夫婦しかいなかったの。だから上に行ってみたの。そしたら……」
 そういう事だったのか。
「そしたら……俺らの部屋だったって訳か……」
 俺の想像を遙かに凌駕した事態に俺はどう反応するでもなく、ただそれが実際に行われていたと思うほかに、表面上も心中上もアクションは起きなかった。
 何か、俺は慣れてはいけない展開に慣れてしまった気がする。
 疲労が蓄積し、溜息一つ零した。それが引き金を言わんばかりに彼女はまた謝罪する。
「……先に謝るね。ごめんなさい!」
「ど、どうしたんだよ……? いきなり……」
 彼女は間を開けると、謝罪の訳を話す。しかし、こういう時に限って嫌な事が続いたりすると心は蟠る。 
「私、玄関開けて中見ちゃったの……」
 一瞬で俺は驚愕した。
「え、ええええええええええええええええええええええええッ!」
 俺らが住むアパートの構造は、玄関を開けると長い廊下があり、その途中にトイレや部屋があるのだ。そして、その廊下向こうには茶の間があるのだ。そして何が不味いのかと言うと―――
「それで見ちゃったの。女装して眠っている弟君をじっと見ている森崎君を……」
 言うならば、玄関から茶の間は一直線なのだ。それに、あの時は瀬戸の馬鹿が茶の間と廊下を隔てるドアを開けっ放しで出て行ったため、玄関を開けると茶の間が丸見えだったと言う事だ。
 最悪だ。
「…………」
「最初は、森崎君の彼女かなって思ったんだけど……玄関口に女物の靴は無かったし、それに森崎君ずっと、『ツカサ大丈夫か……』って反芻してたし……」
「俺、そんな事言ってたのか……?」
 無意識のうちに口走っていたのだろう。
「私、森崎君の弟君の名前、ツカサだって知ってたから、森崎君がそう呟いた時点で、この子は弟君だって確信したの」
 仕方がない、やはり彼女は知っていたのだ。だから今朝も自信ありげに話しを進行していたのだ。
 ああ、瀬戸だけではなく委員長さんにまで……
 俺は、項垂れながらも彼女に頭を下げる。
「頼む……この事は誰にも言わないで貰いたいんだ……」
 彼女は、良いよと微笑む。
 天使。
 彼女のその笑みは作り物ではないと俺は感じた。長い間一緒に居たわけでも無いが、その笑みは教室では見たことのない笑みだったのだ。柔らかで、今の時期、春に似合うような桜の花弁のような薄紅の笑み。
「ありがとう……」
 俺は心の底から感謝した。すると委員長が顔を近づける。
「でも、一つ条件があるんだけど……良いかな?」
 条件の一つぐらい、弟の女装と比べたら綿菓子並に軽い物だ。
「ああ、勿論だ。なんでも言ってくれ」
「これが、私のもう一つの本題なんだけど……今回、夏コミにサークル参加するって話しは訊いたでしょ?」
 嫌な予感がまた胸に浮ぶ。
 まさか、あの漫画……
「……なんでもって言ったけど……でも、やっぱりあの漫画だけは……」
 あの漫画は正直二度と見たくない。
 すると願いが通じたのか意外にも彼女は承諾してくれた。
「大丈夫、あの漫画は出さないことにしたから。これで今朝の事は水に流してとは言わないけどね」
 なるほど、互いに対価を差し出すと言う事で何も無かったことにすると言う事か。
「わかった、俺も忘れるよ」
「うん、ありがとう。それでねサークル参加するんだけど、サークルの子がねみんな女の子なの」
 まあ、こういうBL漫画を書くようなサークルには女の子しかいないわな……
「でも、色々持って行く物があって、それに重いからやっぱり、男手が欲しいってみんな言うの……」
 確かに、こんな薄い漫画だけど、何冊も刷れば重いのは自明の理。
「それで、俺に協力して欲しいって訳か……」
 そんなことで良いならいつでも引き受けようじゃないか。
「まあ、あれだ。弟のこともあるし、良いよ、手伝うよ」
「本当に!! やった! ありがとう、森崎君。本当にありがとう!」
 彼女は、玩具を買って貰った子供のように跳ねて喜ぶ。無邪気だ。しかし何だかその姿が眩しく感じたのは俺の心が濁ってしまったからだろうか。
 思案しているうちに彼女は山積みの教科書やプリントを、あまり綺麗とは言えない入れ方で、と言うか無理に押し込んだ。
「それじゃ、私帰るね。今朝は本当にごめんなさい。今度来るときは果物でも持ってくるから」
「あ、ああまたな」
 彼女は細く、雪を欺くような肌をした手を振り病室を後にした。


*


 何だか嵐が過ぎ去った後のような、妙な清涼感に俺は囚われていた。
 室内には俺の影法師だけがゆらゆらと揺れている。静寂だ。俺は理科室のような静寂を感じる。心が浄化されたような錯覚に陥りそうだ。
「……委員長、かわいいよな……」
 その時だった。
 病室のドアがスライドしたかと思うと、目を煌めかせた委員長が戻ってきた。何だか興奮しているようで息遣いも中々に荒い。
 ……俺は先程の発言を訊かれたか、と冷や汗が額に滲んでいた。
 彼女はベットの柵を掴むと、そのままキスしてしまいそうな距離にまで俺の顔に近付く。
「良いこと思いついちゃったよー!」
「何だ……良い事って……」
 俺は平静を装いながら対応をする。が、やはり美形な彼女の顔がここまで至近にあると口角が上がりそうになってしまう。紅潮は隠しきれてはいないと思うが、夕の朱で染められている部屋の中では誤魔化せているだろう。
「えっとね、さっき言ってたけど、同人誌即売会の参加にも色々方法があってね……」
 ああ、どうしようか……まともに会話が出来ない。俺から離れるべきだろうか……しかし、よしんばそうしたなら、彼女は変な誤解を招いてしまうかもしれない。
 ここは、どうにか心を鎮静させるんだ。
 深呼吸を一回、
「その、同人誌即売会? はサークル参加とか個人とかだけじゃ無いのか?」
「うん、スタッフで参加する人も居れば、企業で参加する人達も居るの」
 そういう人達もいるのか。なら、その夏コミだったっけ……そのイベントは結構な人が集まるんじゃないのか?
「そうなのか。色々と奥が深いんだな、その即売会って奴も」
 まあ、そんな何万人と来るわけ無いか。杞憂だ、杞憂。
「それでね……その中には、コスチューム・プレイ参加者って人達もいるんだけど……」
 コスチューム・プレイ?
 コスプレの事か……?
「それで、コスチュームがどうしたって?」
 委員長が何かコスプレするのだろうか。そう思っていた俺に次の台詞は酷く鈍い痛みを感じた。



「森崎君の弟君に……ツカサ君に……メイドさんのコスプレして参加して貰うかなー!!」


       

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