Neetel Inside ニートノベル
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「ぎゃ、ギャルゲー?」
 訊き馴染みの無い言葉に俺は首を傾げ怪訝そうに眉を顰めてみせた。すると彼女はある程度こういう状況になると予測していたのだろう。俺の貌を見るなり、柄にも無く含みを持った嫌な笑みを浮かべていた。
 ちらりと八重歯が覗く。
「やっぱり知りませんでしたか」
 彼女は見透かしたようにそう呟く。
「ああ、さっぱりわからない……プレイって事はゲームか何かか……?
「森崎先輩、鋭いですね。その通りです」
 そう微笑みながら言うと、夏夕は徐に床に置かれた段ボールを開き、中から一枚のCD-Rを取り出した。表面は白地、黒ペンで『試作用』と書かれている。
「森崎先輩、これが私達が作ったギャルゲーです」
「これが、ギャルゲー……?」
 夏夕から受け取ったCD-Rを繁々と見る。まだプレイしないと内容がどういう物かはわからないが、見た目は普通のコンピューターゲームのそれと何ら変わりはなかった。
 これが……ああ言うゲームなのか。
 熱心にCD-Rを見ていると、そんなに物珍しいですかと、夏夕が問いかけてくるので弁明を図ることにした。
「いやいや、そうじゃなくて……多分、これ夏コミとか言う奴で販売するんだろ? だからパッケージも何か……その……」
 中々、度胸がないとこの先をすらすら言うことは不可能である。
 言い淀むと夏夕は、首を傾げたが俺が言いたいことを理解したのか、すぐに頬を紅く染めた。
 撫でたい。
「森崎先輩……! 本当に……変態なんですね」
「違うッ! 俺は変態じゃないッ!」 
 夏夕は「冗談ですよ」と僅かばかり笑うと、一呼吸置き真剣な瞳をした。
「森崎先輩は……えっと、ギャルゲーと言う物を何処まで知っていますか?」
 彼女の声のトーンが低くなり、葬式の弔辞の様に一直線な話し方になった。
 雰囲気に呑まれ思わず息を殺す。
「俺は……深くは知らないし、さっきの話だってこの前ネットでちらっと見て覚えていただけだから……」
「なら、ギャルゲーとはなんたるかを教えましょう!」
 先程とは打って変わって夏夕は明るく振る舞った。しかしその差が俺の胸に更に恐ろしく映った。
 彼女、何処か委員長に似ている―――
 俺はシーツを被る委員長を一瞥し、また彼女を視界に入れる。何処が似ていると言えば雰囲気だが、根本的に何か同じ性質を宿している様だ。
 夏夕は咳払いを一つし、また口を動かす。
「ギャルゲーとはですね、恋愛ゲームの事を指した言葉です。基本的には―――」
 その時だった。
 うぅぅ。
 唸り声が響いた。
 俺も夏夕も、驚愕し直ぐさま声の訊こえた方へ身体を向ける。
「うぅぅ……うぅぅ……うぅぅ」 
 見ると、そこには寝台が設置されていた。保健室の為である。その消毒された寝台の上で、シーツが意思を持っているようにもぞもぞと蠢く。どうやら声はそこから訊こえてきているようだ。
 ……思わず溜息が二人の口から零れた。
 委員長だ。
 良くはわからないが、委員長が彼女の話を遮る様に唸っていた。それも頭部のみをぴょこんと出し、光の失せた瞳で夏夕を凝視している。
「うぅぅ……うぅぅ……うぅぅ」
 良くわからないが、ギャルゲーの話をされると困るらしい。
 しかし、夏夕も見た目とは似合わず強情な性質なのか、彼女の唸りを振り払うように先程より声を張って話し始める。
「森崎先輩! ギャルゲーと言う物とはですね、基本的に恋愛ゲームの事を……」
「うぅぅ―――!!」
「だから、森崎先輩が考える様なゲームもありますが! 感動できる神ゲーも在るわけでして……」
「うぅぅ―――あぁぁ―――!」
 蛙鳴蝉噪。
 これでは、教師に気付かれるのでは無いかと冷や汗で額を濡らしたが、それは要らぬ心配の様で、直ぐさま狼狽に疲れた彼女が、鉄槌を下した。
 そりゃあもう、重い一振りだ。
 喧騒が僅かに和らいだ瞬間、
「ナユぅぅぅ……それ以上話したら、またアレ入れるからねぇぇ……」
 どっかりと。
 クリーンヒットだ。
 瞭野は顔面の筋肉を引き攣らせるように笑った。
「――――――」
 顔面蒼白とはまさに、このことを言うのだろう。委員長の囁き声が訊こえた瞬間、夏夕の血色が悪くなり、まるでマネキンの様に身体を硬直してしまった。否、詳しく言うと身体は固まって居るが、指先が痙攣したかのように細かく振動している。それと連動するように歯もカチカチと音を立てていた。
「大丈夫か……?」
 糸の切れたマリオネットの様に今にも崩れそうなので、俺は思わず声をかける。
「は、はい……」
 途切れそうな声で彼女は返答した。
 委員長の一言は、それほど嫌な事を想起させる鍵だったのだろう。
 精神的外傷、所謂トラウマを呼び起こす一言だ。
「……別に、怖くはないのですよ」
 そう言いながらも、彼女は後退りし俺との距離をとったかと思うと、直ぐさま回れ右をし委員長が寝そべる寝台に近づき跪いた。
「ごめんなさい……瞭野様、もう致しません……」
 どんなプレイだと俺は、驚愕した。
 それと同時に悪寒を覚えた。
 なぜなら、ニッコリと微笑んでいるのだ。シーツの悪魔が。
「良いのよ、ナユ。私、怒ってないから」
 委員長の無垢な笑み。
「……怖ぇ」
 微笑んでいる物の委員長の背後には般若の様な悍ましいオーラが垂れ流されている。夏夕も戦々恐々と言った感じで既に球体関節人形の様な瞳から滝のように泪を零している。
「瞭野先輩……ゆ、ゆるしてください……」
「大丈夫、ナユ。私、本当に怒ってないから」
 後、二分もすれば夏夕は号泣するだろう。
 なぜならこんなに離れている俺ですら弥立っているのだから、あんな至近距離で迫られたら、悪いが俺は失禁する。
 しかし、畏怖を覚えているのは俺だけではなく、隣に居るなっちゃんと言う渾名の少女も口を半開きにし涎を流していた。
 そしてもう一人。
「瞭野先輩は怖いんだね……初めて見たよ……」
 声に気付き振り向くと、ツカサが口をあんぐりと開けて酷く暗澹とした表情を貼り付けていた。なるほど、彼は俺とは違い委員長の表部分のみしか知らないのだ。だから初めて見る泣く子も黙る凄惨な本性に対して、驚愕し恐怖しているらしい。それに彼は常日頃、瞭野先輩の様な裏表無い性格の人になりたいと懇願していた気がする。
「まあ、黙って居ようとは思ったんだが、何というか……委員長はああいう人だから……」
 残酷だが、理想と現実は隔っり懸け離れている物だ。それを知って理想を追い求めるか、それを知らずに理想を追い求めるかでは百八十度違うが。
「だから……何だ、あれだ……ツカサはツカサで頑張ってくれ……」
 せめてもの激励である。
 うん、そうだねと彼は頷き、あからさまに項垂れた。 
 それから暫く夏夕に心を抉り引き裂く様な攻撃をしやっと満足したのか、委員長は急に飛び起きたと思うと、俺が持っていた試作品のギャルゲーを無理矢理に奪い取りやがった。
「今から、乙女の密会だから! 出て行って! 覗いたら眼球抉るよ!」
 呼んでおいて出て行っては無いだろう。この無慈悲野郎! なんて気の小さい俺が言える訳もなく、例えるなら平日に公園でブランコに跨がるサラリーマンの様な顔をしたツカサを連れ、とぼとぼと廊下に出た。
 シーツを被っていた赤面少女は何処に行ったんだよ全く。
 俺が後ろ手でドアを閉めると直ぐさまガチャリと内側から鍵を掛ける音が訊こえた。
 そんなに俺らを信用していないのか。
「はあ、全く今日は災難だよ……」
「そうだね……ハハ」
 隣に居るツカサが、何もかも吹っ切れたように脳天気に笑う。
「大丈夫か……?」
「えっ何が?」
「いや、俺の記憶が間違っていなければ、ツカサお前さ最近良く起床してすぐと就寝前に瞭野先輩の様な裏表無く誰にでも優しく接しられる素晴らしい人に慣れますようにとかなんとか、母さんの仏壇の前で懇願してたじゃん。まあ素晴らしい人間に成りたいって事は誰でも思うが、でも委員長は裏表ありまくりで優しいのは上辺だけの言うならば、世渡り上手の鬼だってついさっきツカサは知ってしまった訳だろう? だから俺はツカサが追い求めていた『理想の瞭野蒼』と『現実の瞭野蒼』の差が激しすぎてショックで壊れたのでは無いかと心配しているんだが」
 彼は一呼吸置き、
「……そんなことしてないよ……?」
 惚けた。
「嘘は良くないぞ、今日の朝だって―――」
「してないよ……」
 ツカサが無表情になった瞬間、俺は言い知れぬ恐怖を感じ、身を引いた。
「う、うん……そうか、そうだなツカサはそんな事をしていないな」
「そうだよ、兄さん夢でも見てたんじゃないかなーハハ」
 俺はツカサの瞳が笑っていない事に気付いていたが、そのまま流した。やはり母さんの血を継いでいるな。
 俺はそう信じた。
 それより、気になることが二つほどあった。
 どうしてツカサも保健室に居たのだろうか。そして、
 あの委員長が、なぜあんなにまで赤面していたのか。
 なんだかまだこの話し裏がある気がする。
 俺は抱懐し茜に染まる廻廊で何時、お呼びが掛かるかと保健室のドアを眺め開くときを待った。

       

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