Neetel Inside ニートノベル
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 それから約三十分程経つと、保健室のドアが開き暖かみのない蛍光灯の光と共に、中から委員長が何やら不安そうな表情を浮かべ現れた。
「もう密会は終わったんですか?」
 それに勘づいたツカサが委員長の顔色を伺うように、なだらかな口調で話しかける。
 委員長はツカサの方を向き、終わったよと返答をした。何故だろう、今日の委員長は普段と違い雄々しさが全く感じられない。これではある意味、本当に女の子の様だ
 レンズの奥の瞳は何だか悲しみの色を帯びている。 
「委員長、そろそろ帰らないと下校時刻過ぎるぞ?」
「ええ、そうね……」
 声にも何時もの張りや元気は皆無だ。変だが、やはり女々しい。
 何かを隠しているのか?
 俺は壁伝いに立ち上がりながら、流し目で委員長を見る。基本的に校内では、何時でも明るく笑顔を振りまくハズなのに、今はその欠片すらも見出すことが出来ないまでに陰りきっている。端麗な事には変わりはないが普段の彼女を知っている者なら、今の彼女には二度と逢いたくないと思うだろう。何か嫌だ、率直な感想を言えばそれだ。
 俺は廊下の壁にもたれ、思い切って踏み込む。
「……委員長、何か隠してないか?」
 一瞬だが彼女の眉がぴく、と上に動いた。
「何かって? 私は何も隠すような事はしていないわ」
 言っていることとは裏腹に彼女の瞳は宙を泳いでいる。
 やはり何か隠している。
「俺も良くわかってはいないが……委員長が何か俺に隠しているような気がするんだ」
 俺は頭をボリボリと掻き毟りながら曖昧模糊な発言をした。
「気のせいだよ……きっと、きっとね」 
 彼女は眼鏡の中央を触りくいっと上に一度上げた。瞳は先程にも増して虚ろに濁って見えた。
 何なのだろう、蟠りの様な嫌なモノが胸に込み上げてくる。
「やっぱり、今日の私って変かな……ハハ―――」
 左手で髪を触りながら彼女はそんなことを言っていた。見ると、何かを誤魔化している様に笑う素振りをしている。
「変というか、別人に見える」
 心で思った事をそのまま口に出した。すると、彼女は鼻で笑った。
「別人ね……確かに、森崎君の言うとおり今日の私は別人……。普段のあの娘、瞭野蒼では無いわね」
 それなら、彼女は誰なのだろう。
 そんな疑問が頭を過ぎった。
 その時だった。
「―――森崎君、訊いて欲しいことがあるの」
 唐突に、彼女はそんな事を言い出した。
「訊いて欲しいこと……?」
 俺の声が廊下に薄らと反響する。声に気が付けば教師達が来るかも知れないが、気にせずに俺は話しを続けた。
「変な事を言うが、それは瞭野蒼に戻るために俺に訊いて欲しいことなのか?」
 先程の彼女の主張を受けて、俺はそう訊いた。
 彼女の瞳をじっと覗く。
「そう、でも少し違うかも知れない」
「違うかも知れない……?」
 彼女は再び、そうと頷くが、そのまま顔を上げず俯いてしまった。
「森崎君が何時も見ていた私とは少し違う私になっちゃうかも知れないの……」
 前髪が垂れ、表情が良く見えない。
「丸っきり変わるって事か?」
「そうじゃなくて、森崎君が気付いてくれるかどうか解らないレベルの話。でも、確実に変わるの。多分、森崎君も私を見る目を変えて、……軽蔑すると思うの」
「俺が……? いや、そんな事は無いな……もし、変えて軽蔑するなら、BL漫画を病室に持って来た時点で変えて軽蔑するな」
 本心だった。
「本当に?」
「ああ、本当だ」
「本当の本当の本当に?」
 不安そうに彼女は繰り返す。
「本当の本当の本当の本当の―――」
 彼女の声を遮る様に、
「本当だ! 俺はどんな委員長になっても受け止めてやるよ! だから安心しろ」
 言っている途中で、恥ずかしさのあまり死にたくなった。
 隣で話しを静かに訊いていたツカサが急に俺の顔を一瞥する。それほど声を張ったわけでは無いので多分、彼も俺の一言に対して驚愕し、そうしたのだろう。
「……ありがとう」
 彼女は囁くように何かを呟いた。その言葉は俺には訊こえなかったが、俺にとっても彼女にとっても、ある種の光に変わる言葉なのだろう。
「なんか言ったか……?」
「何にも言ってないよ!」 
 ほら。
 彼女は少々元気を取り戻した様で、顔を上げてくれた。普段の委員長に近い顔つきで俺は安堵した。声も心なしか先程よりも明るいトーンになった気がする。
 やっぱり、光だ。
「それで話しに戻るけど……あのさ、さっきナユがゲームの話ししてたでしょ?」
「夏コミに出す、自主製作のゲームの話しだろ? 邪魔が入ったから詳しくは訊いてないけど……」
 別段、皮肉を言うつもりは無かったが、俺の言い回しが悪かった為、彼女はそう受け取ったらしく、少々ムッとした様に頬を膨らませた。普段の彼女なら、ここで精神的に来る嫌な台詞の一つや二つ平気で毒突くのだが。
「……ごめんなさい」
 素直に、彼女は謝罪した。
「――――――、」 
 俺はそのアドケナイ少女の様な委員長の姿を受け、面を食らった形になった。気が付くと、開いたままの口から涎が糸を引き床に垂れる寸前であった。慌てて、俺は口元に手をやり甲で零れぬよう拭った。
「……話しは戻るけど、私達が作ったそのゲームはね、フルボイスって云って、キャラクターの台詞に全て声が当て嵌めてあるの」
 彼女は前に向き直り、俺の両目から視線を逸らさずに話しを続ける。こうなってくると俺から視線を外すことも中々に難があり、仕方が無く見つめ合う態を取った。
「だから、その……台詞にね……えっと……その……」
 彼女が言葉を濁すと、それを皮切に堰を切ったように大粒の汗が噴出し流れ出した。それ程、彼女に取ってその言葉は重要らしく、今日の委員長を構成した核だ。俺は今まで見たことも無いまでに彼女の緊張の色をハッキリと認識していた。
 額から吹き出した汗は、泪の様に彼女の眼鏡レンズの内側を通り頬を伝い顎へ到達する。彼女は制服のポケットから花柄のハンカチーフを取り出し、零れる汗を丁寧に拭きとる。やはりこういう所は何ら変わりのない女の子だ。
「えっとそれでね……だから、その……」
 委員長は覚悟を決めたのか、眼鏡を外しケースに仕舞わずそのままの状態で胸ポケットに差し込んだ。
「その……ゲームのヒロインの声を私が担当したってコトなの……!!」
 え?
 両耳を疑うほか無かった。
「ギャルゲーとか言うゲームのヒロインの声を……?」 
 彼女はコクリと首を縦に振り、そうと消え入りそうな声で肯定した。
 俺は目を丸くしたと思う。なぜなら、そのゲームは夏コミで売る物なのだろう。では、やはり……それなりの台詞があるだろう。
 委員長がそんな台詞をッ!?
「って事は……そういうシーンも……?」
 彼女は俺から視線を逸らすと、身体を捻りそっぽを向く。 
「そう、も、森崎君が想像してる通り、あああ、愛撫する時の唾液の弾ける音も、ひひ人前では絶対言えないような……あああ、ぁあんな台詞もこんな台詞も……、も、勿論―――」
 喘ぎ声も……ね。
 何かが吹っ切れた様に彼女は、官能的に話した。そこに台本が用意されているかの様に良く出来た台詞で。しかし、そこはやはり花も恥じらう乙女。声は極端なまでに震え何度も噛んでいた。
 …………、
 委員長が、声優のそういうゲーム……。
 何だか、胸の奥がズキズキと痛む。どうしてだろう、何かが変だ。  
 俺はどう話しかけて良いのかわからず、ただ立ち尽くしていた。彼女も次の言葉が浮ばないのか、衝撃的なカミングアウトをした為話せないのか、真意は不明だが黙ったままだった。
 静寂に陥る。
 その中で、彼女の頬だけが緩やかに染まる。
 夕闇のそれよりも朱く、朱く、鮮やぐ。
「――――――」
 俺はその頬をずっと眺めていた。
 それは、アネモネの花片に良く似ていて、この心にキツく焼き付く。
 

 ああ。
 ……変になってしまいそうだ。


       

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