Neetel Inside ニートノベル
表紙

見開き   最大化      

「非常識かなって……その前に傘ぐらい差してきたらどうなんだよ?」 
 そう云い、彼女に玄関へ上がれと指示する。
 彼女は「ごめんね、傘忘れちゃったの」と訳を説明すると、靴を脱ぐ先に鍵を閉めた。
 普通、それは俺がやる事じゃ……。
「いやー、ごめんね。家に上がり込もうなんて気持ちで来たのでは無いのだけれど、―――部屋意外と広いんだね」
 見ると、彼女は案内もしていないのにいきなり俺の部屋に首を突っ込んでいた。何というか遠慮が無く、委員長らしいと云えば委員長らしい。 
「おい! 勝手に見るな!」 
 彼女の首根っこを掴み無理矢理、廊下へ引き出す。その時、少々首もとに触れたのだが、彼女の体温は著しく低下していた。いや、俺の体温が普段より高いと言う事も上乗せされているかも知れないが、それにしても彼女の肌は雨によって冷却されていた。
「はぁ、残念。そういう本があるかどうか、確認したかったのにー」 
「何が確認したかったのにー、だ。俺はそんな本なんざ家には置かないさ。それと付け加えるとするなら、家意外の何処にも置きはしない。まず、そんな本俺には興味が無いからな」
「ふうん」
 彼女は鼻を鳴らし、でも―――と続ける。
「でも、机の下の段ボールに雑誌が一杯入っているように見えたのは、私の空目かな?」
 バレていた……。
「いやー、空目ですよ、瞭野さん。生憎の事、そんな本を買うお金も勇気も心の余裕も俺は全く持ち合わせていませんから……」
「そうなの、ふうん。まあ、それは後で掘り返すとして」
 彼女は、そう云って茶の間のドアを開け、框を踏む。
 未来永劫、掘り返すな。
 心なしか、今の会話で体温が二度程、上がった気がする。ああ、どうして……本当に委員長とは話しづらい、何だか何時も心を見透かされているような気がしてならない。と、思ったところで俺は昨日の夢を引き摺り起こした。あの怖い夢を。委員長が泣いていたあの夢を。
「なあ、委員長。どうして、俺の家までわざわざ、来たんだ? それもこんな雨の中。お見舞いってと云ってもまだ授業時間だろう? 担任に許可とかは取ったのか?」
 と、訊くと彼女はうーんと唸りを上げ、吐息を一つ零す。
「実はね今日、私学校早退したの。その帰りにここに来たって運びかな……、所で少し酷いこと云うのだけれど、先に謝って置くね、ごめんなさい森崎君」
 彼女はそう前置きをし、深々と頭を下げる。
 何だか良く意味のわからず、俺は首を傾げる。
「どういう事か、わからないんだけど?」
「そうだよね……」
 彼女はそう云い、申し訳無さそうに唇を噛む。それから深い溜息を一度し、眼鏡のブリッジをくい、と上げる。
「どうしてもね、森崎君に逢いたくなかったの。どうしてもね。―――昨日の提案を受け入れることが怖いって云うかなんて云うか……決心がつかなくて、云わないと私も困るし、私以上に森崎君も困るのだけれど。でも心の何処かで、先に延ばしたいって思っちゃってね」
 彼女はこれで、少しは、わかったでしょう? と言いたげな表情を浮かべてはいるが、それでも俺には何の話しをしているのか、全く持って検討が着かなかった。委員長が何を打ち明けようとしているのか、何を伝えにここに来たのか。まだわからなかった。
 彼女は、一呼吸置き、続ける。
「でも、やっぱり話さないといけないって思って私、遅刻して登校したの。そしたら、今度は森崎君がいなくて、本当笑っちゃう様な展開だったよ」
「ああ、悪い。ツカサがどうしても家に居ろって訊かなくて、……すまない」
 そう云うと、彼女は両の掌を俺に向けて「良いの良いの」と微かに笑った。
「その話も、弟君から訊いたから知ってるの」
「そうか」
 委員長の手前、顔にこそ出しはしなかったが、ツカサが委員長に用件を伝える速さに内心、驚いていた。兄弟の為、そういうことは早めに言うタイプだとは前々から知っていたのだけれど、それにしてもツカサは俺とは出来が違うと再認識させられることになった。
「それで、その話を訊いてね。ああ、これはお見舞いに行かないといけないなーって思ってね。それで始めて、ずる休みって事をしてみたの」
 ずる休み。委員長には全く似合わない単語だ。
「ふうん、そう言う運びだったのか」
「そう、そう言う運びなの」 
「訊くけど、始めてのずる休みはどんな雰囲気だった? 俺、見た目とは裏腹に、ずる休みって経験がゼロなんだ。だからどんな雰囲気か訊きたいんだけど」
 云うと、彼女が意外ね、なんて云って目を見開いて俺を除いた。まあ正しい反応なのだけど、少しばかり苛つく。
「そうね……休めることは嬉しいのだけれど、思っていたより苦しい物かな。あんまり良い気分にはならないし、こうしている間にも皆はせっせ、せっせと勉強している訳だし。ちょっと罪悪感みたいな物を感じちゃうかな」
「罪悪感、か」
「でも、本当に意外ね。森崎君って見た目に似合わず真面目なんだね。ちょっと見直したかも」
「俺、そんなに柄悪いか……」
 目つきが悪いからだ。多分。
 それから間もなくして、お茶は込んでくるからと俺は冷蔵庫の扉を開けていた。彼女は「長居するつもりは無いから良いよ」と愛想良く笑っていたが、俺が飲みたいからと言う理由で二つ分のコップにお茶を注いでいた。と言うのは出来の良い嘘であり、本当は話す事柄が浮んでこなくなって、ただその場を誤魔化す為に飲みたくもないお茶をついでいるのだった。
 センブリ茶って身体に良いらしいから、多分美味しいよな……飲んだこと無いけど。ツカサも毎朝欠かさず飲んでいることだし、きっと玉露? みたいに甘いお茶なんだろう。
「このお茶、弟曰くなんだけど身体に凄く良いらしいから、その……不味くは無いらしいよ」
 そう予防線を張って彼女にコップを手渡す。表情を見る限り彼女はお茶が飲めない体質では無さそうだった。 
 彼女は椅子に座ると「いただきます」と俺を一瞥し、ゴクリと飲み込んだ。
 ―――様に見えた。
 美味しいお茶で良かった、と安堵しかけた瞬間、彼女は思いっきり咽せ、喉仏が飛び出てくるのでは無いかと心配しそうになる程に、咳き込んだ。それもどんどん瞳が水分を帯びていき、終いにはそれこそ雀の泪ほどの泪まで流れてしまっていた。
 彼女は、制服の胸ポケットから花柄のハンカチーフを取り出し、口と鼻を押さえ、眼鏡を外し泪を指で払った。
 やべぇ……。
「森崎君の家のお茶って……随分と、尖っているのね……何だか、一瞬舌が壊死したかもって思ったよ」
 彼女は笑みを浮かべているが、目は全く笑っていない。
「す、すみませんでした!」 
「まあ、基本的にね。身体に良い物は苦かったりすると言う事は知ってはいたのだけれど……これは、そうね例えるとするならシュールストレミングが口内で前触れ無く爆発する様な殺戮兵器並の苦さね」 
 良くわからない例えだが、俺も今、そう言おうとしていた、と口を合わせておいた。
「悪い……ツカサが毎朝これを飲んでいるから、多分美味しい物だと……」
 早とちりだったねと彼女は云って、今度は本当に笑って見せた。
 勿論俺は洒落では無いが、苦笑と云ったところだ。 
「それにしても、委員長。今日は何をしに来たんだ? さっき何かを伝えにとか何とか云っていなかったか?」
「え、あ、そ、そうなのだけれど……云っても良いの?」
 委員長らしくない発言に俺は少々戸惑ったが、「ああ」と頷いた。
「単刀直入なんだけど、良いかな……?」
 彼女はそこから人が変わったかのように、真剣な眼差しで俺を見つめた。睨んでいる様にも見えたが、強く揺るがない意思の様な物を何処かで感じ、自ずとこちらも真剣に耳を傾ける事になった。
 さて、何を云うのか。
 彼女は、口元に力を込め、
「お願い、何でもしてあげるから。森崎君もメイド服を着て夏コミに参加して欲しいの!」

       

表紙
Tweet

Neetsha