Neetel Inside ニートノベル
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「良いよ、自分で食べるから」
「それじゃダメだって云ってるの。だからはい、あーん、しなさいって」
「良いって、本当に良いって! 俺、自分で食べられるから」
「病人は病人らしく、お節介されなさい」
 彼女はそう云い、真一文字に結んだ俺の口に、スプーン一杯の炒飯を近づける。
「そこまで重病だって訳じゃ無いんだし……病人なんて今の俺を表すにはもったいないから」
「そう? 風邪を拗らせて死んでしまう人も居るのだから、森崎君は歴とした『病人』よ」
 そこから何度か同じようなやり取りが繰り返されたが、最終的には、
「わかったよ……あーん」
 俺が折れた。
 まあ、彼女が折れるなんて事は、何が起きても無いのだからこれもまた然るべき事だろうか。
 何だか恥ずかしかったが、炒飯は「手前味噌だけど」と彼女が云うだけあって、旨かった。それに毎日コンビニ弁当ばかり漁っているからだろうか、彼女の作ってくれた炒飯は温かかった。温度的な意味ではなく、そう云うならば真心に似た隠し味が入っていたと思う。
「本当に美味しいんだな」
 云おうか、云うまいか迷っていたのだけれど、頬杖をついて俺の食事風景を覗く彼女の貌を見たら、そう云うしかなかった。
「何それ、疑ってたの? 失礼しちゃうね、本当に」
「いや、疑っていた訳じゃ無いんだけどさ。予想より美味しかったって事」
 彼女は、眉根を顰めると、
「それって予想の私は、不味い料理を作るって思ってたって事だよね。何か素直に喜べないなー」
 常々思うが、彼女は考え方が捻くれている。俺も他人の事を言えた立場では無いのだが、彼女は俺以上に捻くれているとだけは断言できる。
「まあ、美味しいから。そんな顔するなよ」
 そんな顔って所を突っ込まれるかと思い、次に返す言葉を用意していたら、
「ふん、美味しいって言葉に免じて許してあげましょう」
 鼻を鳴らし、そんな事を云われたので、調子が狂い、
「許されてあげましょう」
 と、変な返しをしてしまった。
 どうやら俺は、勘違いをしていた様で、その一口だけ彼女が食べさせてくれると思っていたら、次も次もと冷ましてから、食べさせてくれるので拍子抜けし、共に何だか申し訳無い気分に陥り、労いの意を込めて必要以上に美味しいと反芻していた。
 お人好しと、でも笑ってくれ。
 それから、炒飯を半分ほど食べ終えた頃だ。唐突に彼女が話し出したのは。
「ちょっと真剣な話になるけど、良いかな?」
 彼女はそう前置きし、本当に真面目な話しだと念を押すように、わざわざ両手を膝の上に乗せる。
「ん、何? 真剣な話しって、また夏コミ関連の事か?」
 訊くと、彼女は首を振り「違うの」と態度と口で否定した。
「今日は森崎君に伝えたいことが二つあって、一つはさっきのメイド服の話しで……それはもう良いのだけれど、今から、もう一つの事を話そうと思って」
「もう一つの事?」
 俺は首を傾げ、彼女の瞳を覗く。焦燥感は無かったが、どことなく彼女は動揺に似た何かを隠そうとしていた。頻りに目が宙を泳いでいたり、何かを話そうとしてはいるのだが、声は出ず、ただ口が柔らかに痙攣しているように、ぴくぴくと動くだけだったりと。ハッキリ言ってしまえば変だ。
 …………。
「委員長、そのもう一つの事って何なんだ?」  
 まごまごしている委員長がどうしても痛く見え、耐えきれず俺から先を切り出すことになってしまった。
「そ、そうだよね。今話すから」
 彼女は深呼吸を繰り返し、「その……」と話し出す。
「そのね、今日伝えたいことはね……」
 息を呑む。
 どうしてだろう、こちらまでドキリとしてきた。
「月が綺麗ですね」
 彼女が真顔でそう言う物だから、思わず訊き返してしまう。
「月が綺麗ですね……?」
 伝えたかった事はそれなのか、と俺は少々疑問に思いつつ、そう口にする。
「あ、え、そのね。本当の月の事じゃなく―――だから、月が綺麗ですねって云ってるの。……伝わらないの?」
 伝わらないのと訊かれても困る。
 まるで真意が見て取れない。
「今夜か? ……それにしても、多分このまま行けば曇りだから、月は見えないと思うんだけど……」
 彼女はまた首を振る。 
「だからね、本当の月じゃなくて……その森崎君は、夏目漱石のお話知らないの?」
 突拍子もなく出た明治、大正の文豪の名に俺はまた首を傾げた。
「夏目漱石か……芥川龍之介とか、太宰治辺りは読んだんだけど……全く持って知らないな」 
 そこまで云った所で、彼女は言葉で表記できない叫びを上げ、両膝をパンを勢い良く叩く。見ると、彼女の真白の長い足がほんのり赤く腫れていった。
「どうして……どうして知らないのよ、―――もうっ!」
 何処か、ヒステリックに彼女は叫び、溜息を吐く。こんな彼女を俺は見たことが無いため、少々呆気にとられてしまい、次の言葉がすぐに出ては来なかった。
 月が綺麗ですね、夏目漱石が何か関係がある言葉なのだが俺は本当に知らなかった。何だろう、小説の名だろうか。主人公の一言だろうか、正岡子規とも関係があるのだろうか。自らの記憶を頼りに探っては見たが、それに該当する物ははやり俺は知らなかった。
「……どうして知らないって云われても……知らない物は知らないんだけど……」
 云うと、彼女は打って変わって寂しそうに小声になった。
「そう、そうよね。ごめんなさい……」
 続けて彼女は、随分急に別れの挨拶をした。どっと疲れたようで、私物である鞄を持つと壁伝いに玄関へ向かい、具合が悪そうにふらふらと、扉を開く。
「委員長、大丈夫か?」
 一応だが、言葉をかけると彼女は口元に僅かばかりの笑みを含み、一度だけ頷いた。それを瞬時に無表情な玄関の扉が隠す。本当は追おうかと思ったのだが、やめておいた。彼女のその作られた笑みを見たときに、どんな言葉も今は慰めにもならないと感じたから。
「……事故とかに遭わなきゃ良いけど」
 呟き、俺は彼女が作ってくれた炒飯を口に運んだ。
 俺自身、まだ彼女の事を多くは知らない。知っている事と云えば、指の数で済みそうな程だ。それは踏み込んでいない、いいや、踏み込めていないからだ。もし踏み込んだら今の関係が崩れてしまうと、そう恐怖しているから俺はまだ彼女の深くに踏み込めないで居る。そんな俺が彼女のために何が出来るというのだ。分かったようなフリをして、分かったような顔をして、彼女に接すれば良いのか。でも、それはただの偽善に過ぎない。いつか時が来たら、俺は彼女のために何かを思おう。何かを感じよう。何時でも、慰めてあげよう。共に泪を流してあげよう。ただ今は違う。違うんだ、タイミングが。
 会話を長く交わしていた所為か、長らく考えていた所為か、わからないが、炒飯はすっかり冷めてしまっていた。
 彼女のそれに似た、溜息を一つ零し、俺は立ち上がり電子レンジに炒飯を放った。
 雨音が、眼鏡をかけた少女の泣声に訊こえて、思わず耳を塞ぎそうになった。
 早く上がらないかな……。
「―――雨は嫌いだ」


 *


 全くの余談なのだが、その日の夜は俺の祈りか少女の祈りか、分からないが空に通じたのか、雲一つ無く霽れた。
 三日月が窓辺を照らす。
 それは、目眩がするほど綺麗で、俺は堪らず眠れなかった。


 無論、寝不足で風邪が悪化したことは云うまでもない。

       

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