Neetel Inside ニートノベル
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 アリスの眼とは同人誌即売会内では超有名な部類に入る同人サークルの名前だそうで、その勢いはまさに飛ぶ鳥を落とすと云った所らしい。結成は一昨年の事で、当初メンバーは五人だった(今は一人が抜け四人体勢らしい)が、その同人誌? とやらのクオリティーの異常なまでの高さでネット上で火が点き、根強いファンを何人も獲得している。何でも、最近では企業参加をしていた某社よりも多い部数を販売開始十分も経たないうちに完売させ現在進行形で注目度と知名度をぐんぐん増加させているそうだ。……全て俺の情報ではなく、チヒロの受け売りなのだがな。
 まあ、委員長や花藤の顔色を見れば、それがいかに無謀な戦いか悟っては居たが、今のチヒロの台詞によりそれは確信へと変えざろう得なかった。
 無理だな。俺が思い以上に皆思っていることだろう。
 しかし、ここでちょっとした問題が発生したのだった。
「それで、どうしてチヒロはアリスの眼を抜けようと思って、そして抜けたんだ? そんなに人気ならそのまま続けていればチヒロだって悪い思いはしないはずだろう?」 
 そう、その結成当初から属し、最近になって脱退したメンバーとはチヒロヒナタだったのだ。
 訊くと、チヒロは俯き、泣きそうになってしまった。ああ、気をつけてなるべく傷つかない様に云ったつもりだったんだけどな。
「こら! 森崎君、もう少しビブラートに包まなきゃダメじゃない!」
 そこはオブラートだろ委員長。それと俺の頭を平手で殴るな。
「全く、森崎君。君は心理学の道へ入るべきだ。そして私のように相手の立場を考えて言葉を選択し誰も傷つけず、尚且つ上手く用件を訊き出す会話法を学んだ方が良い」
 背後から、花藤の嗄れた声が訊こえた。
 お節介だ。それに心理学を学んだ結果がアンタみたいになるなら、俺は独学で会話術を勉強するんだがな。
「すみません、うちの森崎が」
 幼子の代わりに謝罪をする母の様に委員長は俺の頭をガッと掴み、思いっきり下へと向ける。とにかく痛い。
 と言うより、俺は委員長の私物では無い!
「いえ、良いんです。森崎君の云うことはもっともの事ですから」 
 零れそうになる泪をぐっと堪え、チヒロは静かな口調で語り出した。

 
 *
 

 どうやら、事の顛末は七月の初めだったらしい。チヒロは今回の夏コミのために新作の漫画の構想を練り、アリスの眼の責任者でありリーダーの朱谷(しゅや)と言う男にその概要を説明する為に最寄りの喫茶店に呼んだそうだ。先にチヒロが待っていると後から、朱谷が訪れ、それからすぐに、主人公やヒロインの風貌の話しになったらしい。しかし、話し始めてから二分も経たないうちに朱谷は尋常でないまでに逆上し店内にお客が数名居るのにも関わらず、チヒロを大声で罵倒したと言う物だった。云っては悪いが俺もその朱谷というのと手を切って正解だと思う。女子を大声でそれも人前で罵倒するだなんて、少し常軌を逸している。
「話した場所は何時も待ち合わせに使うカフェだったんだけど、朱谷君の怒鳴り声でお客さんもお店の人も、びっくりしちゃって、普段仲の良かったマスターさんにも、悪いけど出て行ってくれって云われて……」
 話しの途中だが、チヒロは過去と決別するように深く長い溜息を一つ。
 その間に、
「なにその酷い男! 夏コミの会場に行ったら殴ってあげるんだから!」と委員長。まあ、今回ばかりは委員長の傍若無人に賛同しよう。
 だが、意外にも、
「いえ、それはやめてください……」
 チヒロは、申し訳無さそうに小声でそう云った。
「どうしてよ? チヒロさん、そんなに酷いこと云われて悔しくも何ともないの?」
「それは、悔しいけど……でも、普段はそう言う人じゃ無いんです、朱谷君」
 普段はそう言う人じゃ無い、と言う所に俺は何故か引っ掛かった。
「ちょっと訊いて良いかな?」
 俺の問いに彼女はコクリと頷き、許可した。
「別段、大した質問じゃ無いんだけど、その朱谷って云う奴は普段はどう言う性格の奴なんだ?」
 普段とは違う、と言う事は普段は大人しめの男なのか?
「朱谷君は、いっつも笑っている様な明るくて気さくな人で、誰にでも優しいし、ミスをしても絶対に他人を責めるような人では無いんです。そんな人があんな酷いことを大声で、それに大勢の人の前で……だから信じられなくて―――多分、あの日何かあったと思うんです。待ち合わせの時間に二十分も遅れるのも普段の彼ならありえないことです……」
 うーん、何なんだろうな。
 何かがあったとしても、何があったのか。その場に居たわけではないし、その朱谷という奴にもあったことがないから、どうにもならないな。
「それで、その日だけだったのか、朱谷の異常な行動は」
「いいえ、逆にその日を境にと言う雰囲気でした。私の案がいけなかったんだと思って、謝ったりもしたんですけど彼はずっと……私を……無視し続けて……」
 チヒロはそこで泪で声が発せられなくなり、糸の切れたマリオネットの動きで、床へと落下した。慌てて委員長が「大丈夫?」と声をかけるが、何処か過呼吸気味で返答もままならない。その状態を見て委員長が、チヒロに気付かれないように、俺に睨みを利かせた。泣かせたな! 後で憶えてらっしゃい! 多分、そんな意味合いだろう。
 しかし、ここで退くとさらに事が難航すると感じ、俺はひるまず踏み込んで話しを持ち直す。
「それで耐えきれなくなって、脱退したのか?」 
 否定。
 チヒロは良く見ないとわからないぐらいに微かに首を横に振って「違うんです」とささめく。
「違うんです。私、追い出されたんです、アリスの眼から……」



       

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