Neetel Inside ニートノベル
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「追い出されたって、どういうことだ?」
 訊くと、チヒロは委員長の手を借りてフラリと立ち上がる。何だか先程よりも顔色が青くみえるのはプラセボ効果か何かなのか。……多分違うな。本当に具合が悪いんだろう。
 大丈夫か?
「うん、大丈夫……」
 チヒロはきっかり立ち上がると、まだ水分の多い瞳で俺をじっと見た。花藤と似たような観察的なそんな見方だ。
「……私達の公式ホームページには私、チヒロヒナタは七月を持って脱退、尚次回の夏コミには不参加と描かれていますが……おれは真っ赤な嘘なんです」
「真っ赤な嘘、と言うと?」
「私は朱谷君に脱退命令を出されて、アリスの眼から身を退いたの」
 脱退命令、そう彼女は云った。
 俺は次に、その脱退命令は一体どう言う具体的にどういう様な命令だったのか? と訊きたかったが、丁度良く委員長に太ももの裏をつねられたので「うっ」と代わりに唸り声を上げてしまった。
「森崎君、これ以上訊くのは酷よ、さっきの姿見てなかったの? 彼女は精神的にもうボロボロよ」
 委員長はそう、俺に耳打ちをする。が、それぐらいのことは分かっていたのであえてスルーをして、喉に詰まっていた言葉を云おうといた。しかし、そのコンマ二秒手前、次に飛んできた委員長の台詞に思わず俺は腰を抜かしそうになった。
「きっとチヒロさんは、その朱谷君の事が好きなのよ」
 マジか。と言うか委員長、正気か。
 確かに、チヒロ自体、彼の事はかなり買っていたようだが……、本当にそうなのかよ、委員長。だが歴とした理由を述べない限り俺は信じないぞ。女の勘とかは論外だ。
「どうして、委員長にそこまでわかるんだよ」
 チヒロに訊こえないよう、声のトーンをかなり下げる。
 訊かれたら偉いことだからな。
「そりゃ、女の子だからに決まってるでしょ」
 やっぱりな。出たよ、女の勘。
「女の子だったらそういうのが全部分かるのかよ」
「分かるわよ。それにもう少し詳しく云うと、まだ彼女は朱谷君の事が好きなんだと思う」
「それは無いだろ」
「だって彼女云っていたでしょう? 普段はあんな人じゃ無いのにって」
「ああ、云ってたな」
「だからよ」
 意味が分からん。
「だからよって云われてもなぁ。理由がそれだけじゃ弱過ぎだろ」
「女心がわかってないなー、森崎君は」
 俺は男だからな。
「好きでも何でも無かったら、脱退させられたサークルの勝負なんて受けないでしょう?」
「いや、そうとは限らないだろう。言い方は悪いが、復讐みたいな事もありえるんじゃないか? だって、描いた漫画を人前で罵られて挙げ句の果てに無理矢理に脱退までさせられたんだぜ。俺だったら復讐に狂っても可笑しくはないと思うんだが」
「やっぱりわかってないね、森崎君。チヒロさんにそんなエグい事出来ると思うの? 見てみなさいよ、あの可愛らしい小動物の様なチヒロさんを。あんな子にそんな事は出来ないわよ」
 どっと疲れた。
「そんなものなのか?」
「そうよ。だからやっぱりチヒロさんは朱谷君の事が好きで、何かの切っ掛けでまたアリスの眼に戻ろうとして、それで勝負を―――」
 委員長の言葉を遮ったのは俺では無い。
「違いますよ」
 割り込んだのは少々頬を紅く染めたチヒロだった。
 うわ、最悪だ。
 どうやら、俺達のささめきことは、ささめきことの域を超えどうやら普通の会話と化していたらしい。どこからかは分からないが、まあ、一つ確かなのはチヒロが朱谷の事を好きでは無いのかと俺と委員長で議論していた所は全て訊かれて居たと言う事だった。
 ああ、委員長何故俺に話しかけたんだ。危うく俺の死因が馬に蹴られた為の急性ショック死になってしまう所だった。いや、これは意味が違うか。
 しかし、
「実を言うと、私は朱谷君の事が好きでした」早口で云うチヒロ。
 マジでかよ。
 ここぞと云わんばかりに委員長が「ほら!」と俺の背中を平手でバチンと叩く。痛いな、おい。
「でも、今は違います」
「違います?」
 今度は、打って変わってびっくりしたように委員長が訊き返す。声も裏返っている辺り、本当に予想外だったのだろう。と言うか、叩いたり口開けたり、忙しい女だなぁ。 
「そう。今は違う」
 酷く、冷たい印象を受けた。
「今はお互い敵同士なの」 
 だから、と彼女は続ける。
「―――だから、私も本気でアリスの眼に勝ちに行こうと思ってるの」
 勝ちに行こう。その言葉が何処かそれを望んでいない様な響きに聞えたのは、俺だけか。何となく、彼女には迷いが見えるような見えないような。後で花藤にでも訊くか。
「これを見て」
 チヒロはそう云うと、床に倒れていた私物のバッグから、おもむろに罫線の入ったA4サイズの紙を数枚取り出し、それを何枚かに分けて委員長、俺、花藤の順に配った。
 紙には、何だか走り書きのイラストや、枠が……、漫画かこれは。
「これって……」
 貰い受けて、すぐに目を落とした委員長がびっくりしたように声を洩らした。続いて背後にいた花藤も「これは……」と意味ありげに呟く。
 反応が気になり、俺もその紙に再度目を落とす。でも、やはりと云うべきか描かれていたのは、漫画のネームみたいな物だ。主人公と思わしき人物が、ヒロインに何かを話しかけている、そんなシーンだ。これの何処が変なのだろう。もしかしたら、委員長と花藤のだけが可笑しいのでは無いか。
 それは違った。
 一枚目を捲ってやっと俺は気付く。
 二枚目の右隅の辺り、何故か、そこだけが茶色くシミのようになっていたのだ。何だかコーヒーでも零したような……。でも、そんなことそんなに変ではないだろう。飲んでいて零した、ただそれだけじゃ―――。
 ……まさか。
 急いで俺は訊く。
「もしかして、この原稿……」
「うん、その通り」
 チヒロは縦に首を振った。
 その通りって、俺の想像だと……。
「そのネームは、アリスの眼名義で次の夏コミに出そうと思って構想を練った作品」
 そして、私達の代表作になる物。
 チヒロは、そう云い唇に微かに笑みを含んだ。―――ように俺には見えた。
 全く女は怖い、ホントに。

       

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