Neetel Inside ニートノベル
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きまぐれかぞく
ハルカと柴犬

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ハルカがその柴犬を見かけたのは、彼女の通う県立高校からの帰宅途中のことだった。

高校へと進学して、通学路も新しくなった。数ヵ月かけてハルカはようやく、ぼーっとしながら歩いても、まよったり道をまちがえたりせずに帰宅することができるようになった。いつもどおりの道を、いつもどおり“自動操縦モード”に切りかえてあるく。意識の感度をさげて、くだらないことを浮かべながらてくてく。至高の時間である。だがその日は、いつもどおりでないものを視界のはしっこに見つけて、ハルカはぼーっとするのをやめて立ち止まった。なんのことはない、公園の芝生のところに犬がすわっている、ただそれだけだ。だが犬好きのハルカにとっては、そうではない。それは、なんとも心うばわれる光景だった。
だらしない顔でにやにやしながら、ついつい見とれてしまう。いかにも「ぽつねん」という言葉のにあう佇まいで、芝生の中央あたりに礼儀正しくおすわりする犬―――ああ、もはやハルカには、人目を気にしてまともな表情を保っている余裕などなかった。
だがしばらくみていると、どうも柴犬はさんぽの途中というよりは、最初からずっと単独で、みずからの意思でそこにおすわりしているように思えてきた。飼い主の人ぜんぜんいないみたいだけど、もしかしてさんぽじゃないのかな。しばらく観察だ。
ゆるむ口元をなんとか整えつつ、じいっと柴犬をみつめるが、時間ばかりが流れて、しかしいっこうに飼い主らしき人物の現れる気配はない。ハルカの推測は、やがて確信にかわっていった。ああ、やっぱりそうだ。だって首輪にひも付いてないし、ひもなしでさんぽしてる割には離れてる時間がながすぎるもの。
けっきょく観察の末にハルカは、その柴犬が脱走犬であると結論付けた。そしてそれと同時に、さわりたい頭なでたい、とむらむらしてくるのであった。なにせハルカは、大の犬好きなのである。

しばらくの逡巡、そして決心。よし、脱走犬なら飼い主の人がもどってきて鉢合わせて、気まずい思いをするってこともないだろうし、ローリスクハイリターンなのをいいことに、これでもかってくらいおもいきりわふわふしてやる。犬をわふわふするという語感にみずから酔いながらも、ハルカははやる気持ちをおさえつつ、小走りで柴犬に近づいていった。近づくにつれて幸福感は肥大化し、よりだらしない表情になるのを、ハルカはあえて無視した。

柴犬はおとなしかった。ハルカが近付いてきても逃げなかったし、さいしょは遠慮がちに頭をなでていただけだったのが、やがてべたべたと触りだし、さいごにはほおずりまでされて、それでも犬はまるで動揺していないようだった。
しばらくして満足したはるかは、手をやすめて今度は犬の顔を観察しはじめた。しめった鼻、どこかよく分からないけどどこかををじっと見る目、たまにぴくりとうごく耳。そして―――そう、柴犬は犬の中でもいちばん眉毛がにあう犬だ。この顔を見ると、どうしても眉毛を書きたい衝動が全身に沸き起こる。
でも油性のペンで書いてとれなくなるのはかわいそうだし、見つかったら飼い主もおこるだろう。見知ぬだれかに叱られるなんてことは、ハルカにとっては大いなる脅威だ。是非ともそんな事態は避けたい。といってすぐにあきらめきれるほど、眉毛を書いちゃいたいという衝動もよわくはない。どうしたらいちばんいいんだろう、ハルカは考えをめぐらせた。
しばらく押し黙ったままで、あいかわらず静かな犬の顔を見つめながら考えていたら突然、そうだ、水性ならすぐに落ちるし、書いてるところさえ見つからなければ大丈夫かも、と思いつく。もちろん犯行現場を見られたりしたらおこられる。それはいやだ。いやだけど、でも―――書きたい衝動と犯行が見つかるリスクのあいだに起こる葛藤。
そのまま少し葛藤、そして―――そう、そうだよね。見つからなければいいんだよ!よしきめた、眉毛書いちゃおう!

けっきょくは激しい衝動にやりこめられて、ハルカはかばんの中から花柄のペンケースを取り出した。後ろめたさからか、なんとなく周りを確認してからジッパーをあける。ああ、心臓がはげしくどきどきしてはち切れそうだし、顔がゆるみっぱなしだ。眉毛を書くんだと決意したハルカの表情はもはや、恍惚としている。
緊張でぶるぶる震えておぼつかない手で必死に水性ペンをさがす。ボールペンや定規がばらばらと地面におちる。しかしペンは見つからない。シャープペンやコンパス。修正テープ、スティックのり。ばらばら。だがそれでもペンは見つからなくて、じれったくなったハルカは、ペンケースのなかみをそっくりそのまま、足元にひっくり返してペンを探した。
でも、どれだけ探してもそこにペンの姿は無い。いったいどこに―――そうだ、きのう宿題をやりながら落書きをして、そのときにつかったんだ。ハルカはそのなんとも言えない、絶妙の太さ加減が気にいって、ずいぶん前からイラストを描くときに愛用しているのだ。そしてきのうはペンケースに戻さず、そのまま机の上におき忘れてきたの―――そんなところだろう。

水性ペンがないのならしかたない、あきらめよう。いさぎよく断念したハルカは立ち上がると犬に向かって手を振り、さよならのあいさつをした。柴犬はちらりとハルカを見やり、すぐにまたどこかよく分からないところに視線をもどした。そして、それまでとおなじように静かにすわり続けた。ハルカもいつもどおりまた、ぼーっとしながら歩きだした。

     


       

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